第2話 私はお嬢様にキスをしてしまいました!

 名前はリッカと申します。


 私が仕えるクレイワース公爵家は、由緒正しきお家です。


 数百年前――ベルクシエロ王国の建国に関わり、その時、王家の血が混じったと言われています。


 つまり――


 お嬢様は由緒正しき血筋であり、有力貴族の筆頭と言われるクレイワース公爵家のご令嬢なのであります。


 私は、鼻高々であります!


 そんなお家に奉公できたのも、お優しき旦那様のお陰なのです。

 私は没落した元貴族で、路頭に迷いかけたところを旦那様に拾っていただきました。

 

 本当に、私は感謝しかありません。


 旦那さまから娘を頼む――と言われた時は、命を賭してお守りしますと、私は胸を叩き、声高々に宣言いたしました。


 しかし、旦那様はそんな私を見て優しく笑いました。


「そんなに気負う必要はないよ。私は彼女の側に中々いて上げることができない。だから、どうか私の代わりに――あの子の側にいてあげてくれないか?」


 そんなことでいいのかと、私は随分と驚いたのを覚えています。


 私は初め、旦那様のためにと思っていたのですが、お嬢様に会った瞬間――その考えはあっさりと変わってしまいました。


 私は旦那さまのためにではなく、お嬢様のため――お側にいたいと思いました。


 いや――正確には違います。


 私は自分のために――お嬢様のお側にいたいと思ってしまったのです。


 ――その気持は、今でも変わりません。


 私はいつまでも、お嬢様のお側にいたいと考えております。


 しかし、それが難しいことも分かっています。


 後、数ヶ月もすればお嬢様はこの地を離れ、王都にある王立魔法学院へ入学する予定です。そこでは寮生活となり、帰ってくるのは年に数回ほどかと思われます。

 今まで、毎日一緒にいたのに――そんな長い時間、お嬢様に会えないことを想像するだけで泣いてしまいそうです。

 そして、その学園でいい出会いがあり、その人のもとに嫁ぐことにでもなれば、もっと会う回数は減ってしまうでしょう。


 だから、今のうちからでも少しずつ――お嬢さま離れをしていかなければなりません。


 ――分かってはいるのですが、中々に難しいのであります!


 

 

 ***




 数日前より、長男のアレックス様がご帰宅されています。

 

 お嬢様と同じく、金髪碧眼で大変お美しく、お優しい方で、私より1歳年上の20となります。


 普段は王国の方で働いており、今は長期休暇でご帰宅されています。今日は昔からのご友人がお泊りにこられ、たいへん楽しそうにされておりました。

 そして何故か、アレックス様は恐れ多くもご友人のお世話を私に任されました。ご友人――ランス様のことは昔からよく知っております。

 アレックス様と同じく、美しく、とてもお優しい方です。こんなメイドにも、気を使っていただけるのですから。



 

 私は大変、急いでおります!


 ですが、鏡の前で――カチャーシュはずれていないか、髪型が問題ないかはしっかりと確認します。肩まで伸ばしただけの茶色い縮れ毛ではありますが、お嬢様の前で恥はかけません。黒いワンピースとフリル付きのエプロンを叩いた後、自分の頬をつねって笑顔を作ります。疲れた顔など見せられませんから、ここでしっかりと最終チェックを行います。


 もう夜も遅いため、私は心の中で気合の掛け声をかけます。そして、急いで自分の部屋を出ました。


 お嬢様からは、ランス様のお世話が終わり次第、すぐにお部屋へ伺うよう言われております。

 

 しかし、思ったより遅くなってしまい――本来ならお嬢様はもうお休みの時間となっております。

 私の代わりに、別の方がお嬢様のお世話をしてくださっているので、特に何があると言うわけではないと思います。それなのに、こんな時間に伺うのは逆に失礼となるのではないかと――1人でもんもんとしながらも、手に持ったランタンを揺らし、早足で向かいました。




 私は部屋の前に立ち、深呼吸をした後、軽く扉を叩きました。返事がなければすぐに戻ろとしていたのですが、音を鳴らした瞬間、戸が開いたため、私はびっくりとしてしまいました。


「リッカ! なんでこんなに遅くなったの!」


 お嬢様は勢いよく部屋から出てきます。薄い白の――ネグリジェのスカートの裾を揺らしながら。

 

  なんど見ようとも、その神々しさは失われることがありません。

 

 お嬢様は私の肩に手を置き、私を見つめます。なんだか、顔がいつもより近いような? そのあまりにもお美しい顔に見つめられ、私は気恥ずかしくなってしまいました。そのため、視線を逸らしてしまうのは――仕方がないことかと思います。

 

 昔はこんな距離――よくありましたし、なんならもっと近い距離でした。なのになぜ、今はこんなにも気恥ずかしく、胸が高まってしまうのでしょうか。馬鹿な私には分かりません。


「リッカ、なぜ目を逸らすの?」


 お嬢様は眉をしかめ、ますます距離を縮めてきます。なので、私の目は激しく泳ぎます。


「何か後ろめたいことでもあるの!?」

「ち、違います。そんなことはありませんから」


 私は手を振って、否定します。


「私のほうが、あんな男より――リッカを大切に想っているわ!」

「えーと……どう言う意味でしょうか?」


 私は意味を理解できず、お嬢様の顔を見上げました。一瞬――ぽかんと、してしまったかもしれません。阿呆な間抜け顔をさらしていないか不安になります。お嬢様の前では、立派なメイドでいたいのですから。


「それは――」


 お嬢様は何かを言いかけたあと、元々大きなくりくりお目々をさらに真ん丸くさせ――私から距離をお取りになりました。


 再び目が合うと、お嬢様は私から顔を背け、腰に手を当てると、鼻を鳴らしました。


「……どーせリッカは、私なんかよりも、ランスの方がいいのでしょ?」

「そ、そんなことはありません」


 何故そのような話になるのかが分かりません。


「だって、私よりもランスを選んだじゃない。お兄様に頼まれ、私よりもランスを選んだのよ、リッカは」

「そ、それは、お嬢様が好きにすればいいと――」

「そうよ、私は好きにすればいい、と言った。そしてリッカは私のお世話よりもランスの方を選んだ。つまり、リッカはランスの方が好きだと言うことよ」


 そ、そう言うことになってしまうのかと――私は愕然とします。

 

「し、しかし、アレックス様にお願いされたら――私では断れませんよ?」

「つまり、私よりお兄様の方を優先すると言いたいの?」

「ち、違いますよぉ~」


 なんだか凄く泣きたくなってきました。


 お嬢様の可愛らしい頬がどんどん膨らんでいきます。どうやら、かなり激おこみたいです!


 どうすればいいのかが分からず――私は頭を押さえてしまいます。このままでは、今すぐにでも叫びだしてしまいそうです。


「す、好きですから! 私は誰よりも、お嬢様のことが大好きですから!」


 ぐるぐると頭をフル回転させ、出た言葉は――あまりにも幼く、口にした瞬間、恥ずかしくなってきました。


 お嬢様は視線だけ、こちらに向けてきます。


「……言葉では、どうとでも言えるわ」


 今日のお嬢様――とっても厄介です!


 私はしばらく地面を眺めたあと――上目遣いでお嬢様に視線を向けます。


「では――どうすれば分かっていただけますか?」


 何故か、お嬢様は一歩だけ後ずさったあと、すぐに足を一歩――二歩と、私の方に近づきます。


「そ、そうね――じゃあ、私にキスはできるかしら?」

「き、キス、ですか?」

「そう――キス。私のことが本当に大好きなら、出来るはずだと思うけれど」


 お嬢様は私に近づき、私の頬に触れます。


 私を見つめる目が――いつもと違う気がします。でも、それをうまく言葉に出来ません。


「どうなの? リッカ」


 お嬢様に見つめられ、体がぽかぽかとしてきました。


「で、できます」

「そ、そう」


 そう言って、お嬢様は少しだけ身を屈めると――目を閉じます。


「私に、キスをしたら……信じてあげる。リッカの心を」


 体が震えます。私は震える手をお嬢様に近づけます。


 ――本当に、お美しい。


 この世のものとは思えないほどに。


 私の両手はお嬢様の前髪を掻き分けます。


 お嬢様の体が一瞬、震えた気がします。


「ほ、本当にしますよ?」

「リッカ、うるさい。早くして」


 高鳴る心臓を抑え込むため、静かに深呼吸を行います。


 そして、目を閉じ、キスを――しました。


 お嬢様の美しい――額に。


「は、はぁ!?」


 お嬢様が急に大きな声を上げたため、私は驚き――反射的に後ずさってしまいました。


「どういうつもり!?」

「ど、どういうつもりとは?」

「私は、キスをしたら――と言ったのよ」

「え? だから、しましたよ?」

「何を?」

「だから、その――キスを」


 自分で口にしたはずの言葉で、私の身体中が熱くなっていくのが分かります。


 お嬢様はしばらく私を眺めたあと、何故かため息をつかれました。


「リッカに期待した私が馬鹿だったわ」

「ど、どう言う意味ですか?」

「リッカはまだまだお子様だってことよ」


 その言葉は――流石に聞き捨てなりません。

 

「わ、私の方がお姉さんですよ!」

「こんなに小さいのに?」

「そんなに変わらないと思いますけど!?」


 私の言葉で、お嬢様は笑いました。


 その顔を見て、私の心は一瞬で満たされます。


「取りあえず、今日はこれぐらいで許してあげる」


 そう言ったあと、お嬢様は私の前髪を掻き分け、私の額にキスをしました。


 そしてすぐに背を向けて、ベットの方に歩いていきます。


「リッカ、早く部屋に戻ったほうがいいわ。そうしないと、私――何をしでかすか、自分でも分からないもの」


 額に手を当て、戸惑う私に――お嬢様はそうおっしゃいました。


「リッカ」


 私の名前。

 

「おやすみ」


 少しの、間。


「お、お休みなさいませ」


 なんとか――言葉にできました。


 私はお嬢様に頭を下げ、自分の高鳴る胸を押さえながら、お嬢様の部屋をあとにしました。どこか、逃げるようにして。


 何故――こんなにも、鼓動がうるさいのか――馬鹿な私には、分からないのです。

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