第24話 翠衣賊
◆──条約の
ウォーレニア局商条約締結から半年ほど経ち、ヴィネアは18の年齢となった。
条約によって、セイヴローズとグラスディーンとの貿易が始まり、
一見国としての財は多少の潤いが生まれた。
しかし、それと同時に新たな問題が、ヴィネアたちを悩ませつつあったのだった。
セイヴローズの王都セヴァークも暑い季節となり、
セイヴローズ城内の議事堂でも、
熱い議論が行われている。
「陛下、以前問題となった偽貨幣の問題は概ね収束致しましたが、依然民たち...主に高族の商会の者たちから、グラスディーンとの商業取引をなくせという抗議が続いております」
重臣のひとり、内財司長のカートナーが述べる。
ヴィネアにとっては耳にタコができるほど聞かされた内容だ。
条約が結ばれ、グラスディーンの貿易が始まってから、
自分たちの利益が減る国内の高族の身分のもの達が束ねる商会は、
常に朝廷に噛み付いている。
しかし、国全体としての利益の増加は半年の経過でも、ヴィネアをはじめとした朝廷のものたちは気づいているだろう。
だが、これを問題に取り上げ、話題に出すことで自国の民たちを思いやっていること、経済の基盤である高族の味方となるため、
毎度この話をしなければならないのだ。
「そしてジャッケルンの街の周辺の地域の民からは、やはりグラスディーンの船の行き来や、頻繁な取引に不満を持っているとのこと」
カートナーの弟であり、外財司長のアーサーが、兄に同調する形で話し始めたところで、
ついにヴィネアは口を開く。
「しかし、実際に問題が起こった事例は偽貨幣の問題以外はありませんでした。
それも貨幣の回収と、鋳造で解決に向かったでしょう?
ただでさえ今年は日照りが続いて、民たちが苦しんでいます。
国の財を潤し、それを民たちへの救済に使うことこそが政治です。
わたしも民たちのことは常に考えています、
高族の者たちも不法な商売を行って得た利益も少なからずあるでしょうに...
それを懐に抱えたまま、なぜ自分たちのことしか考えないのです?」
王に即位して時が経ったからか、
ヴィネアは堂々と家臣たちに意見を言うようになっていた。
そして民たちのために、自らもしっかりと議論で戦う姿勢を見せる機会も増えている。
しかし、何事も押し通せるほど甘くはない。
すかさず別の家臣たちから意見がではじめる。
「しかし陛下、いくら国のためとはいえグラスディーン側にも有利な商売の条約に、
商いを行う我が国の民が蔑ろにされていると思ってしまうには事実です!」
「その通りです、困窮な者を救うためとはいえ、今のままではあまりにも高族の負担が多いでしょう。
であれば、彼らの要求にいくつか答えるべきかと」
高族からの賄賂をもらっていたり、
彼らの利益を得ている家臣たちは多い。
こぞって反論するものたちがほとんどだった。
武官であるユリーナは自ら積極的に意見を言うことはなく、黙っている。
愚かな時だと呆れているかのような雰囲気さえ放って。
そして前までは、この意見に対して話をまとめ、清々たる態度で臨む男の姿があった。
それはターネス、大司長として司長たちをまさに束ねる存在だった。
しかしこの場にはターネスの姿はない。
彼は1ヶ月ほど前から病を患い、体調を崩して休職状態にあった。
議論中に空いている大司長の席を眺め、ヴィネアは思う。
──ああ、こんな時にターネスがいてくれたら──
そんなことを心に隠し、今日も不毛な議論は終わっていき、
皆議事堂から出ていく中、
ヴィネアはユリーナを王宮に呼んだ。
それはとある命令を言い渡すためだった。
~~~~~~~~~~~~
議論が終わった後の昼過ぎ頃、
馬車が一台大きな屋敷の前に停る。
馬車から降りてきたのは大将軍ユリーナ。
彼女はゆっくりと屋敷の門の前までいき、
屋敷の使用人を呼んで、主に取り次いでもらうように声をかけた。
その間に屋敷の外観や庭を眺めると、
決して豪華ではない簡素な造りとなっている。
屋敷の広さも、周辺の他の屋敷に比べればひと回りふた回りほど小さく、
見た目も派手ではない。
「どうして朝廷の重役の屋敷なのに、これほどまで貧相なのだ?」
ユリーナは今回始めてこの屋敷を訪れた。
そう、ここは現在病気療養中のターネスの屋敷なのだ。
暑い気候を紛らすようにうろうろしながら、
手を団扇のように扇いで待っていると、
使用人に案内された屋敷の中へと入っていった。
部屋に入ると、目の前には寝装束を纏ったターネスが、
上着を羽織った状態で、ベッドに座りながらテーブルの上で頬杖をつきながら書物を読んでいるのが目に入る。
ユリーナはすぐに礼をすると、近くの椅子に座った。
そしてユリーナの挨拶に片手をあげて反応するだけのターネスに声をかける。
「お身体の方は大丈夫なのですか?足が悪いとお聞きしましたが」
ユリーナに尋ねられ、ターネスは書物を一旦置き、一息ついて目を押さえた。
「右足が歩くたびに痛みがあり、黒い痣ができている。生活に支障があるのが事実だが、なんとかそれ以外は元気にやっておる」
ゆっくりと落ち着いた声で話すターネスに、ユリーナは以前会った時のような覇気を感じられず、不安になる。
「医者はなんと?」
「蜜尿の兆候があるそうだ、今は健康的な生活を心がけるような治療くらいしかないようでな」
「そうですか...では、快方に向かうことを祈るしかありませぬな」
蜜尿を患い、死していったものを何人も見てきたユリーナは決して安心できはしなかった。
だが、きっとそれはターネスも同じことだろうと察する。
「しかし、いつも議論での内容を報告してくれるのは遣いの者なのだが...今日そなたを遣わしたということは、なにか用事があるのだろう?」
ターネスはユリーナが来た目的を尋ね、
鋭い目つきになる。
それを見て、ユリーナ自身も役目を思い出し、ヴィネアから頼まれたことを、完遂するためにまず議論での内容を話した。
「なるほど...あいも変わらず高族のご機嫌とりが多いか」
議論内容に、ヴィネアと同じで耳にたこができるほど聞いたのだろう。
ターネスも呆れ顔になる。
「最近では他にもヴィネア様になにかあった時のために、婿をとっては?という意見も出ています。
皆地位を高め、富むために必死なのです」
呆れた顔をしながらユリーナが言うと、
ターネスが他人事のように大きく口を開けて笑う。
「まあ、わたしもヴィネア様の身を固めてもらいたいとは思ってはおるが...それで、陛下は
笑いを収めながら、本題に入ろうとするターネス。
ユリーナも顔つきを変えながら姿勢を正す。
「
翠衣賊という言葉が出た瞬間、ターネスは眉にシワを寄せて険しい表情になる。
それは以前まで見せていたあの覇気と同じくらいだ。
「...耳にはしている、グラスディーンとの条約で貿易が行われてから、
貧富の差への怒りによって結成された賎人階級のもの達の武力集団と聞く。
賊は皆、翠色の羽織を纏っていることから翠衣賊と呼ばれているらしい。
高族の商船を襲ったり、困った賎人階級のものを助けていると聞いているが」
ターネスもどうやら翠衣賊の存在については聞いているらしい。
だが、その存在が今新たに動こうとしているとはまだ知らないようだ。
「ターネス殿、私の調べでは翠衣賊はいま、平譜階級のもの達も取り入れ、規模を大きくしようとしている。
いま朝廷ではあまり騒がれていないが、少しでも規模が大きくなれば必ずや国の悩みの種となります。
陛下は私とターネス殿と2人で内密に様子を探り、策を講じてほしいと仰られました。
また、武器を密輸入しているとの話も聞きます。
もしグラスディーンと密かに手を組み、密輸相手がグラスディーンならば、
条約に対する不満も爆発するでしょう」
ユリーナはヴィネアがなるべくことを荒立てずに済ませたいと願っていることを伝え、
2人で協力することを望んでいると言った。
ターネスもことの重大さを理解し、そこから夕方頃まで徹底的に話をしていく。
セイヴローズの未来のために。
◆──
ここはジャッケルンからやや東に位置するイイカネ山の麓にある洞窟。
ここで翠の衣を纏った者たちが活動の拠点とするアジトがあった。
アジトの中には100人に満たないほどの人間が集い、
さらに少し奥の高所で岩のテーブルを囲んで頭の男が地図を見ながら、
幹部たちと話をしていた。
「貿易まではあと10日です、我々の作戦を結構する時が近づいています」
「ジャッケルンにいる者からは、既に護衛隊のジャンス・デーガンという将軍が訪れていると聞いています」
「それ以外は特に変わりなし...だそうです」
10人ほどいる幹部の何人かが状況を報告し、
頭は黙って頷くと腰の剣を抜いて地図に突き立てる。
「我ら翠衣の団、世直しのため、命を懸けて挑むぞ!
そしてチェサ、お前は予定通り明日から街に入るのだ、よいな?」
「はい!」
頭に命令されたのは幹部最年少の15歳のチェサという賎人の青年。
体の線は細く、一見力のなさそうな見た目だが、
体術は他の幹部らに負けないほど強く、すばしっこい。
しかし、まだ若すぎるあまり、緊迫した状況に弱いという点だけがたまに傷な青年だ。
彼は頭に頼まれてジャッケルンに前乗りで潜入するように命じられ、
今度こそ役に立とうという意気込みを胸に、
血気盛んに任を全うしようと熱心だった。
そして作戦会議が終わったあと、その足でジャッケルンに向かっっていった。
~~~~~~~~~~~~
グラスディーンの王都、エピュネーのエーペリエ神殿にて、
月光の照らす祭壇で祈っているアトレーナの元へ、クライエルがやってきた。
アトレーナの姿はいつものように髪を結んだ騎士としての姿ではなく、
髪を下ろしたエーテラ神を信奉する1人の女性としての姿だ。
服装もいつもの鎧装束ではなく、
グラスディーンの中流階級の女性が纏うような、
女性的な服を着ている。
そしてクライエルは度々咳ごみながら、
最近の様子など、世間話を始める。
「そなたはまだ、あの武器の密輸の事件を追っているのか?」
「はい、兄上。結局密輸を行っていたもの達は徹底抗戦の上、集団自決。
証拠となる武器なども見つかりませんでした...富という人の我欲に負けた者を、エーテラ神に代わって許してはおけません。
きっとまだなにか裏があると、今でも私は考えているのです」
尋ねたクライエルに答えたアトレーナの声は、
透き通るような美しい声で、騎士としての力強く、勇ましい声とは違う。
クライエル自身もこの優しい声、4ヶ月前に亡くなった母親譲りの声が聴きたくなるため、つい通いつめていたと、
本人には決して言えないだろう。
「そういえば、今月もそろそろ貿易を行う予定の日ですよね?今回はセイヴローズのジャッケルンで行われると聞きましたが...」
変に大人しい兄に向かって、アトレーナがふと尋ねる。
するとクライエルはハッとしたような顔をして、咳払いを数度してから答える。
「ああ、今回の特使には元々外交大臣を遣わそうと思っていたのだが...話によると隠居していたポレロット・エン・デメノーが自ら立候補し、特別に特使となったのだ」
「ポレロット...」
クライエルの口から出たポレロットの名前を聞き、アトレーナはその名を呟き、
考え込む。
「なにか気がかりか?」
クライエルが悩ましげな顔の妹に、その理由を問う。
「気がかりというほどではありません...が、ポレロット殿は隠居の身とはいえ、戴冠式の際にヴィネア女王と親しくされていたと聞いています。
今回も自ら任を買って出たということに、なにも裏がなければいいのですが、
私も少し目をつけておこうかと」
美しい声とはいえ、アトレーナの仕草や態度は妹としてではなく、
忠臣としてのものになろうとしている。
それを感じたクライエルは咄嗟に妹の肩を両手で掴んだ。
「!?」
驚くアトレーナは兄の顔を見ると、悲愴で溢れんばかりの表情で見つめていた。
「アトレーナ...どうかその姿で、その声で、妹として私の目の前にいる時は、国のことなど考えないでくれないか?
仲睦まじい兄妹でいさせてはくれないか??」
徐々に肩を掴む握力が強くなるクライエルだが、
アトレーナは痛がる様子は見せず、ただ視線を逸らすようにそっぽを向いた。
「兄上...私もどの私が本当なのか、分からないのです」
小さい声で呟いた。
だが、クライエルにははっきりと鮮明にその言葉が耳でとらえることができたようで、
そのまままたなにかを言おうとする。
だが、その前にアトレーナは彼の手を肩から離して距離をとった。
「さあ、奥方様がお待ちでしょう?早くお戻りになられてください...兄上」
そういってアトレーナはその場から去っていく。
夜のなけなしの涼風が二人の間に吹き荒び、
妹の背中をただ見ることしかできないクライエル。
そして完全に彼女が視界から消え去った後、
咳ごみながら月を眺めるのだった。
(続)
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