第23話 ウォーレニア局商条約

◆──ターネスの諭し──◆


 王宮内で悩みこむヴィネアと、それを眺めるユリーナ。

そして2人のいる場所へ、近づく足音があった。

足音は王宮の手前で止み、今度は侍女の足音が室内に近づく。


「女王陛下、大司長様が謁見を求めています」


侍女はただ、ターネスがきたことを伝えただけだった。

しかし、この言葉がヴィネアにとってどれほど待ち望んでいたことか、侍女は知らない。


「すぐに通しなさい!!」


やや興奮ぎみなのか、食いついたようにヴィネアが侍女に返すと、

侍女は一瞬ぴくっと驚いたが、

すぐに平静になって下がっていった。

そしてついに、重い足取りでターネスは王宮に入ったのだ。

1歩1歩ターネスが近づく度、はやく言葉を聞きたいという思いと、

ターネスが放つ異様な威圧感が対立する。

ユリーナはさっと少し後ろに下がって、

ターネスとヴィネアが正面で話し合えるように待機した。

便宜上の礼をターネスがしたあと、

ついにヴィネアはずっと喉から出かけていた言葉を投げかける。


「ターネス、待っていました。今回お呼びした理由は察しているでしょう?」


当たり前のことを当然に聞くヴィネアに、

ターネスはこくりと頷く。


「もちろん条約の件に対し、私自ら考えを述べ、賛否を述べたことに対する理由をお尋ねしたいのでしょう?」


ターネスは頭を軽くさげながら、

ヴィネアの問いに答えた。

まさにその通りだと、ヴィネアも心の中で呟く。

今までどんな時にも基本中立の立場から客観的な意見しか言わなかったターネスが、

今回も立場は守りつつも、

条約を結ぶのを前提に提案をしてきたのだから。


「ヴィネア様は、きっと民たちのことを考えて心苦しくなっていたのでしょう。

私も心中お察し致します...しかし、私にも背負うべき使命があるのです」


顔を上げて力強い眼光を見せるターネス。

ヴィネアもその瞳に今までにない思いを感じとる。


「ターネス、その使命とはなんです?」

「はい、私の使命とは“国内の調和”でございます。

人が富めば、財が富む。民が富めば、国が富む。即ち朝廷の富も同じでございます。

私は祖覇王ラヴィア様より、この国の内側から支え、亡くなる直前にはヴィネア様をその役割でお助けする使命を預かりました」


ターネスはラヴィアを思い出してか、

斜め上の方を見ながら、黄昏れるように授かった遺言について述べた。

そしてすぐに険しい顔でヴィネアを見つめる。


「此度の件、一長一短の条約なれど何事もことの始まりは批判が大きいもの。

こちらにとっても多少の不利を被っても、得られる利益は大きいものです。

そして民たちへの思い、これはヴィネア様が憂うのも無理はありません...が、それを解決するのが私たちの使命なのです。

かつてラヴィア様が各国と戦をする際、

民たちへの負担、食料物資への不満を我々が説得し、

緻密な計画と人の思いで戦を戦い抜きました。

此度も戦ではないだけでまた同じこと、

民たちの不満を和らげ、条約の利をしっかりと説き伏せれば思いは届きましょう」


ターネスの説明はもっともだった。

ヴィネアがふとターネスの後方にいるユリーナを見ると、

ユリーナは目を閉じて軽く微笑み頷く。

ラヴィアと戦に明け暮れた日々を思い出した懐かしさか、

はたまたヴィネアに対する安堵のメッセージなのかわからない。

ヴィネアがそう思っていると、ターネスは大きくため息をついてから


「それと...」


と口を再度開く。


「それと?」


ヴィネアh続きが気になり尋ねる。

しかしターネスは急に暗い空気を纏い、

疲れたような声を出す。


「それと...今回の件は我が国の朝廷の派閥金琉派の思惑が絡んでおります。

私が賛成しなければ、この条約は不問になり、それを理由に敵に攻められる可能性もなきにしもあらず。

派閥はラヴィア様も常々頭に悩まされたこと、

私が生きている間になんとしても解決策を生み出したいと考えていました。

しかし、今でも叶わぬまま...せめてこれくらいの負担はヴィネア様に背負わせたくはないのです」


ターネスの悲しげな表情、それはかつての生徒を見る目に加え、親愛の情だった。

ヴィネアは初めて気づかされた、

ターネスの思いやりと、その強さを。

自分が民たちを思うのと同じくらい、彼は自分を案じていること。

その思いに感激し、目が熱くなるヴィネアはターネスの元へ近づき彼の手を取る。


「ターネス、あなたの思いは確かに受け取りました。

しかし私も女王です、家臣たちだけに責任を背負わせることなど致しません。

今回の条約、なんとしてでも締結にもっていきましょう!

ユリーナもそれでよいですね?」


ヴィネアがユリーナに視線をやると、

ユリーナは琥珀の瞳の力強い輝きに、

体が痺れるような衝撃を感じた。

彼女がついに意を決したことを確信したのだ。


「ええ、もちろんでございます!」


ユリーナも瞳の輝きに負けないよう、

礼をして賛同した。

3人は今間違いなくこの国で、固い絆で結ばれているのだろう。

それをきっと本人たちも自覚しているはずだった。

そして翌日からターネスとヴィネアの積極的な条約締結側の意見が勝っていき、

数日後には条約について前向きな意見と、セイヴローズ側からの提案が纏まり、グラスディーンへと使者を通して伝わっていくことになる。


◆──秘めたる思い──◆


 初冬の冷たい夕暮れどき、北方にあるグラスディーンでは気温が低く、

日が落ちるのもセイヴローズよりやや早い。

そんなグラスディーン王都エピュネーのディーン=アイズ城内にある庭園にて、

庭の中央に立ちつくして夕陽を眺めているクライエル王の姿があった。

付き人たちは皆離れた場所で、静かに隠れるように待機している。

クライエルは夕陽を見てはため息をつき、冬風に吹かれ、またため息をつく。

そんな中、静かにアトレーナが彼に近づいていった。

そしてあと2,3歩でぶつかるような背後の場所で止まる。


「また風邪をひきますよ陛下」


凛々しい鎧を身にまとい、夕陽に照らされる姿は美しいというひとことに尽きるものだった。

付き人たちも思わず見とれるほど。

しかし、クライエルは一切後ろを振り返らずに、

夕陽を見続ける。


「...セイヴローズは条約に肯定的だが、条件をつけてきた。

ハサリーだけでなく、ジャッケルンでもとか、他にも法的権限がどうのこうの...そして家臣たちは提案した側にとって不敬だのどうのじょうの。

そんなことはどうでもよいのだ、どうでも...よいのだ!!」


弱々しい声で精一杯力強い声を放つクライエル。

その声には、全てやけになったような苛立ちの声が混じっていた。

だが、アトレーナにはこの声では力を感じないほどに、

一切反応しない。


「どうでもよいのだ私には...ただ平和にいられれば!!」


個人的なクライエルの叫びは、もはや声の大きさは風でかき消されるほど。


「今の我儘な言葉は、聞かなことにいたします。ですから二度とそのようなことは述べないようにお願いいたします」


感情を込めない冷たい口調でアトレーナが独り言のように呟く。

するとクライエルはしばらく拳を握り続けてから、

深呼吸して冷静になった。


「お前はセイヴローズの提案をどう思う?」


クライエルが空を見たまま王として、家臣アトレーナに意見を求める。

これが先ほどまでの兄ではなく、

一国の主としての態度なのだろう。

それを理解したアトレーナも、佇まいを改め、地に膝をつけて意見を始めた。


「セイヴローズからの条件は妥当でしょう...が、これも全て太政大臣も考えていたことと思います。

このまま意見が通れば我々の優位に立ててそれでよし、

セイヴローズ側も賢ければ、多少は譲歩してでも利益は得られる算段だったのでしょう」


クライエルの背中を片膝をつけながら、

見上げるように淡々と述べ終えたアトレーナ。

そしてその言葉を聞き、

クライエルはまたしても、深くため息をついた。


「さすがだな、私はドッドノーツに説明されるまで気づけなかった...」


クライエルの悲しみを帯びた声が、アトレーナの胸に刺さる。


「出すぎた発言、不敬をお許しください」

「よいのだ......腹の探り合いなど、私の好むものではない」


アトレーナの謝罪を受け入れるクライエル。

しかし、それではダメだと思っているのはお互いであった。

クライエルにとって聡明な妹アトレーナは、自他ともに認めるほど、

自分よりも知略武勇ともに上である。

そして実の妹だからこそ、王の真意さえも知りえてしまう。

ウォーレニアの古代に書かれた、君子の在り方を説く書物【極王論】にも、


「──王とは誰よりも心身ともに貴く在り、他の何者にも考えが及ばない絶対的な思考を持つべし──」


と書かれているほどだ。

王の心を理解しあえる者がいる時点で、

王として相応しくないのだとクライエルは常々思ってきた。

そしてそれを自覚しているにもかかわらず、

妹である自身に甘い兄に対した憎みきれない憤りをアトレーナも抱いている。

王としてもっと相応しくいてほしいと、

兄ではなく王と臣でありたいと願って。

互いの秘められた思いが、少しだけ沈黙の時をつくる。

近くて遠い2人の間の距離を、冷たい風が吹き抜けていった頃、

クライエルはようやく口を開く。


「お前はどうすべきだと思う?」


単純明快な質問ながら、答えは実に難解になる言葉だ。

しかし、アトレーナは予め答えを用意していたかのようだった。


「交易の地のことも、提案を幾つかは受け入れるべきでしょう。

また、取引における問題が起こった場合の規定も、こちらでも調整をすべきです。

その方が向こうも首を横に振りにくくなります。

しかし、関税を含めたこちらに譲れない初期条件は断固として譲歩すべきではありません」

「ふっ、ドッドノーツと同じことを言うのだな...わかった」


太政大臣と同じ考えを持っているアトレーナに、

改めて感心と羨望を抱くクライエル。

思わず乾いた笑みがこぼれてしまった。

意見を述べたアトレーナはそのまま去ろうと立ち上がる前、

とあることを小声で呟く。


「陛下、条約は立案から太政大臣がほとんど全て携わっています。

疑う訳ではありませんが、何かしら国内外で思惑は働いている可能性もなきにしもあらずと言います。

私は明日、最近他大陸の他国と武器の密輸をしている集団がいるという、

北東のプリューロー地方へと向かいます。

今日は出立前の挨拶が目的で、ここにきたのです」

「そうだったのか」


国で1人の特別最上位騎士の称号【マキノシアス】の位を持つアトレーナが団長の守神騎士団は、

国軍の中から選りすぐりの騎士たちで構成され、主に国内の治安維持、緊急では他国とも一戦交える最強の騎士団と呼ばれている。

アトレーナは今回もその任で極寒の地方へと向かうらしい。

今まで遠くを見つめていたクライエルは、

去ろうとするアトレーナを見つめる。


「なあアトレーナよ、やはり騎士団長を辞めて大臣となって朝廷にはいってはくれないか?

臣の中にもそなたを大臣にと推薦する者も多い、私もそなたがいたほうが安心できるのだ」


既に後ろを向いて歩き出そうとしていたアトレーナは足を止め、

その場で立ち尽くして誰にも聞こえないような小声で


「だからこそ...なのですよ」


と呟いたあと、クライエルの方を見る。


「私を薦める者は、王族に取り入りたい者や、私を王の後継に担ぎ上げようとする野心を抱くものが多いでしょう。

陛下の安全のためにこそ、私は朝廷ココに長居はできないのです。

私はあくまでも陛下の騎士として、エーテラ神の権化のひとりとして剣を振るい、悪を正すことに全てを捧げたいのです」


今度は大きい声でクライエルにしっかりと聞こえるように言ったアトレーナ。

その瞳の奥にはただ己なりの正しさを信じて天から注がれる雷のごとく強烈な印象を与えるほど。

決意の強さを知り、クライエルは気を落とした。

目に見えてわかるほど肩を落として。


「そうか、やはり変わらぬのだな...わかった、気をつけて行ってくるのだ。

そして必ず無事で帰ってこい、女神エーテラの加護があらんことを」


アトレーナの身を案じて別れの挨拶を言ったクライエル。

アトレーナはエーテラ神を讃える首飾りを手にとってクライエルの別れに答えた。

風はクライエルの後ろから、

アトレーナの追い風となるように吹き出す。

そして日は沈んでいく。


~~~~~~~~~~~~


 その後、条約の交渉は一月ほど続いた。

そして一月半後、ついに条約は締結されたのだ。

貿易を行う場所はグラスディーン領内の街ハサリーと、セイヴローズ領内街ジャッケルンで1ヶ月に1回、5日間を交互で行うこと。

また、商業的な取引で問題が起きた場合は、その領の国の法に遵守し、仲裁役はその領内の仲裁者がとりなし、罪はその国の法で裁くことができる。

他にも関税などの具体的な品目などによって分けられた。

この条約の調印は、グラスディーン王都のエピュネーで行われ、

【ウォーレニア局商条約】と名づけられた。

そしてこの条約がその後の世を乱す一端になると、

誰も予想はできなかったのだった...


(続)

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