第21話 ヴィネアの凱旋

◆──危機一髪──◆


 ラスを脱出してから夜が明け、翌日の昼頃になると、追い風もあってか船は想像以上の速さで進み、

エッサリーまであと半日ほどの場所までやってきた。

ヴィネアは船の上の狭い部屋で身体を休め、

ハールたち護衛兵は外で周囲の警戒をしながら、ヴィネアを守る。

密偵たちが用意した船は軍船よりやや小さい商船のような大きさだが、

乗り心地は悪くない。

ハールはそれでもその後の陸路の地図を預かっており、

それを確認しては小さくため息をつく。


──エッサリーから南下してスッフマーの峠を越え、ミッシュ街道を進んで国境の関所を通る...順調にいっても3日以上はかかりそうだ──


今後の予定は休まずとも3日以上かかるだけでなく、

今までのように用意された宿泊先などもない。

それに、ヴィネアを狙う兵たちが追ってきたり、

地元民に拒まれる可能性もある。

決して容易な道ではないのだ。

そしてヴィネアが休んでいる方をちらっと見て、

過酷な日程を過ごすヴィネアを思って浮かばれない気持ちになる。


「陛下、しっかりとお休みになられてください。絶対に私がお守り致しますので」


ハールの決意は固く、船はなおも風と水流に乗って進む。


~~~~~~~~~~~~


 時を同じくしてラスの街、

酔いつぶれていたパラインは部屋で目を覚ました。

目を覚ましても体の奥からこみあげる不快感から、

自身が悪酔いしたことを思い出す。


「っ...昨日は飲みすぎたか...記憶が曖昧だ」


頭も痛み、押さえながら起き上がって歩き出す。

歩く度に頭が揺れるように響き、目を開けたり閉じたりする。

そしてまだ体が重く苦しい時に、

部下が報告をしに部屋の前まできた。

鬱陶しいと思いながらも、部下を部屋に入れ


「なんだ?」


と尋ねる。

そしてその答えで、パラインは酔いからさめたように驚き、

急いで支度をしてポレロットの元へと向かうのだった。


 広間にいるポレロットの元へ勢いよく駆けつけたパライン。

それを見たポレロットも、やっと来たかというような忽然とした態度でテーブルのそばで佇んでいた。

パラインはいつものにこやかな表情ではなく、

怒りを胸に抑えきれずに鼻息や呼吸で表している。


「デメノー様、ヴィネア女王が街を出たというのはほんとうなのですか?!」


軽く一礼してすぐさまパラインはポレロットに詰め寄る。

するとポレロットは強かに、そして冷ややかな視線を向けた。


「ああ、私が許可したのだ。国内でどうしても至急解決せねばならない政があるそうでな、ヴィネア女王はそなたにひと声かけて許可を得ようとしたが、

そなたがずっと酒に溺れて眠っていたため、私が代わりに許可をだした。

なにか問題でもあるか?クライエル王には私が後で責任を持って説明してやろう。

安心してそなたも都に戻るがいい!」


ポレロットが鼻で笑うように話したことで、

パラインは全てを理解した。

やけに昨晩宴で酒を飲まされたこと、ヴィネアが宴の前に街を散策するということも。

パラインの頭の中で全てヴィネアたちの策が実行に移されていたことに。

そしてそれにポレロットが協力していたということ。


──この老いぼれ...どこまでも邪魔を──


パラインはヴィネアを捕縛するため、

条約締結反対の重臣たちや、武官を結集させて私兵を集めるように利用した。

そしてラスの街で時間を稼ぎ、兵たちを呼ぶ算段だっのだ。

だが全ての計画が狂いだすことになる。

パラインはすぐにその場で適当に礼をしてポレロットの元を去ろうとした。

だが去り際にポレロットはひとこと、重い言葉を投げかける。


「ワシの目の黒いうちは、国を揺るがすような勝手な真似はさせん!今回は目を瞑ってやるが、次はないと思え小童!!」


一瞬足を止めて聞き終えたパラインは肩を震わせてその場を去る。

歯を食いしばる姿を決して見られないように。


部屋から出たパラインはすぐに部下を呼ぶ。


「街に向かっている兵を率いる団長たちに、すぐに伝令を、

ヴィネア女王の足取りをすぐに調べ、追跡を、と。

そして帰路に通りそうな街の者などに、ヴィネア女王が我々の善意を蹴ったことを噂として流しておけ。

民たちが自ずと協力してくれるかもしれない。

私は都に戻って吉報を待つしかないと」


言伝を預かった兵はすぐに、その場を去っていった。

パラインはついにその場で感情を抑えきれなくなる、

空に向かって叫ぶ。


「っっうっあああああ!!」


渾身の一声で叫び、自らを落ち着かせてすぐに冷静になる。

所詮ここで叫んでもなにも変わらないと、

発散してから呼吸を整えた。

そしてラスの街をすぐに出発し、都に戻ろうとしたのだった。


~~~~~~~~~~~~


 ヴィネアたちを乗せた船は川沿いの宿場町エッサリーへ到着し、船を降りた。

そして事前に手配されていた馬や馬車を使い、

街を出ていった。

ただ、ヴィネアはもはや当たり前のように、エッサリーの民たちに財を投じて施しを行っということをハールは気にかかっている。

ヴィネアは


「私の女王としての生き方に反する」


と言って、控えるように言ったハールの意見をねじ伏せて、

貧しいものに食料などを与えた。

そしてスッフマーの峠まで半日ほどかかる速度で移動する。

もちろん少ない護衛兵たちの中から選りすぐりの斥候を手配して、

周囲を探らせながら。

移動の最中も馬上でハールは進行速度などを頭の中で必死に計算する。


──このままいけば峠までは追っ手を避けることはできるだろう。足取りが知られるのは最短でも半日以上はかかるはずだ...できればそれまでに峠は越えたいところだが──


頭の中で日没や休憩時間などを色々考えるが、

グラスディーン国内でその土地に慣れてない人間が追っ手から逃れるのは至難の業だ。

どうしても不安を払拭しきれない中、

馬車からヴィネアがハールを呼ぶ。

急いでいる中、少しだけ速度を緩め、馬上から中のヴィネアに声をかけた。


「なんでしょうかヴィネア様?」


ハールが尋ねると、ヴィネアは精一杯の大きな声で


「もう少し速く移動したいのでしょう?私のことは構わないので、

あなたのやりたいようにしてください!休憩も惜しければ、なくても大丈夫です!!」


と言ってくれた。


「しかし...」


最初は躊躇するハールだが、

馬車の覗き窓から必死に顔を出すヴィネアの、力強い琥珀の瞳にその決意を感じた。


──そうだ、私の使命はヴィネア様を無事帰国させること──


そう心の中で再度決意させてくれたのだ。


「わかりました。安価な馬車故、居心地は悪いかもしれませぬが、どうかご容赦ください!」


ハールが迷いなどない、芯の強い声でヴィネアに言うと、

ヴィネアはこくりと頷く。

そのまま一行は移動速度をあげ、

ついに夜には峠に差し掛かったのだ。


~~~~~~~~~~~~


 パラインは都への帰路の途中の夜、

小さな街で部下からヴィネアが船を使ってエッサリーを通ったことを知る。

船乗りたちから得た情報らしいが、確かだろうと思っていた。

そして宿で酒の器を片手に、後のことをひとりで考える。


「エッサリーで船を降りるとなると、陸路は南下する他あるまい。

最短だが険しいスッフマーの峠か、やや遠回りだが道の整備されたコンポリウの丘か...どちらにせよ、騎馬兵の戦馬ならそれぞれの部隊を分散させて挟み撃ちできる。

まだ間に合うかもしれん」


パラインはようやく少し安堵したように微笑み、

心のない笑みをつくる。


「見ていろヴィネア、必ず捕らえてみせる」


器を持つ手は力強く、眼光は鋭いまま夜は過ぎていく。


~~~~~~~~~~~~


 ヴィネアは夜中も峠を越えるために進み続ける馬車の中で、

ただひたすら祈りながら時が経つのを待っていた。

安価な馬車は揺れが大きく、振動は体の全身を駆けるように違和感の痛みが走る。

だがそれでも、無事に帰国するための覚悟を決めているのだ。

この程度の我慢は承知の上。

そうやって耐えてふた時ほど時が経つと、

峠の後半に差し掛かったところで、ゆっくりとヴィネアたちの馬の足が止まる。

するとゆっくりとハールが馬車の横までやってきた。


「ヴィネア様、ここで別の密偵と待ち合わせをしています。僅かな時ですが、馬を休めるのも必要なこと、どうかご理解の程──」


ハールがヴィネアに現状を報告しようとした時、

進行方向側から早馬に乗った者がやってくる。

ヴィネアは馬車の物見からははっきりとは見えないが、

ハールが急いで近寄っていくのを確認し、

あれが待っていた密偵だと推測できた。

馬車から少し離れたところでなにか早口で話している声は聞こえるが、

ヴィネアには言葉が聞き取れない。

聞き耳をたてようとしたそのとき、

ハールの「なんだと?!」という声に、

ヴィネアの心の臓が飛び出るくらい驚いた。

そしてしばらくコソコソと話しあうと、

ハールはヴィネアの馬車の窓まで近づき、

とある報告をする。


「ヴィネア様、峠をおりてすぐの村の先で、グラスディーンの兵団が、緊急の取り締まりを行っているようです。

峠をおりたら村までほとんど一本道なので、

場合によっては武力による衝突が起こる可能性があります。

他に道はないかと探す時間もありませんし、押し通る覚悟で参りますが、よろしいですか?」


ハールの言葉は、既に追っ手が迫っているということに等しい。

ヴィネアも他に方法はないかと考えたが、

その時間すら惜しいような顔をする真剣なハールを見て、

従うことにした。

最悪の場合、ここが最後の地となることを覚悟して。

そしてヴィネアたちは、そのまま急いで峠をおりていき、

村の前までやってくる。

ハールは朝に近い夜の暗さに周囲を警戒しながら、

村を見渡して馬を進める。

そのとき突如何者かの気配を感じ、


「誰だ!」


と言って声を荒らげ、

護衛兵の持っていた手持ちのランプを、

気配を感じた方に向けた。

するとそこには村の人たちが何人も集まって、

ヴィネア一行を怯えるように眺めていた。

村民はみな少し痩せて、くたびれた服を着ている。

そして手に武器を持つ訳でも無く、

ただヴィネアやハールたちを見ると、

その場で村民たちは膝を地につけた。


「あなた方はもしや、セイヴローズのヴィネア女王御一行ですか?」


年老いた村長らしき男が尋ねる。

ハールは真実を言うかどうか迷ったが、

ヴィネアも覗き窓からそれが見え、


「はい」


と馬車の中から出てきて、彼らを直接眺める。


「ああ異国の女王陛下、お噂はかねがね聞いております。ぜひ私共にお恵みを...

取り締まりの兵たちには内緒にしますからどうか...」


両手を合わせながら拝むように頼む村長と村民たち。


「そなたたち、ヴィネア様を脅すつも──」

「構いませんハール、僅かな食料や品々もあげましょう。

彼らは心から困っているのです、女王として、いち人間として見過ごせません。

それに、もし私たちが追われていなくても、私はそうします」


村民の不敬な態度に怒るハールだったが、

ヴィネアは静かになだめ、施しを行った。

それに感心した村民たちはみな土下座をしながら感謝を述べ、

村長は感激して涙を流す。


「無礼な振る舞いお許しください。村のものたちも内乱後の苦しい生活が続いているのです。

ですが、ヴィネア様は各地での施しの噂の通り、我々に救いの手を差しのべてくださった。

我々も恩には恩で返します。

村民しかしらない抜け道を案内します、そこなら取り締まりも回避できるでしょう」


村長の提案は願ってもないものだ。

だがハールはやや疑心暗鬼に、本当かどうか信じきれない。


「我々は南にいきたいのだが、その抜け道はどこに向かう?」


ハールが村長に尋ねる。


「ミッシュ街道でございます」


村長が答え、あまりにも好都合な内容に尚更信じられなくなった。

するとヴィネアはそんなハールを他所に


「私は信じています、彼らの瞳を」


と言って、すんなり受け入れた。

ハールもどのうち捕まるなら賭けるしかないと思い、

その提案を受け入れる。

こうしてヴィネアたちは取り締まりを見事回避し、

朝日が昇る頃にはミッシュ街道にたどり着いたのだった。

ハールは進みながら、

これさえもユリーナの作戦だったのだろうか、と考え続ける。

各地での施しが噂となり、窮地の我々を救ったのかと。


◆──待つ者──◆


 ヴィネアたちはミッシュ街道を進みながら、国境近くを目指す。

街道をひたすら南下し、セイヴローズへと戻るために。

最後の問題はただ1つ、国境付近の警備である。

ヴィネアもハールも、国境に砦を両国が構えているのは知っている。

果たしてポレロットの力が行き届いているのか、

それとも追っ手の勢力なのかさえわからぬままだった。

そんなことを考え、なかなか気の休まらないまま、

1日くらい歩き続け、

ついに夜に国境付近の丘にある砦ダイターへとやってきた。

ダイターの前までやってきたハールは弓矢対策に少しヴィネアの乗る馬車を後ろに下げ、

最悪戦闘できる用意をする。

夜の静けさと冷たい空気で、

緊張感が高まるハール。

明かりも落とし、

見張りの人の気配すら感じない砦の前までいって、門に向かってハールは叫んだ。


「誰かおらぬかー?この砦を通りたいのだ!」


ハールの声が響くと同時に、突如砦の門の上に灯火が一斉につき、

兵たちが何人も門からハールたちを見下ろす。


──くっ、やはり戦わねばならないか──


ハールが覚悟を決め、腰の剣を引き抜こうとしたそのとき、

門の上で誰かが歩きながら前に出てきた。


「お待ちしていたぞ!」


野太い声を発して出てきたのは白髪ながら大熊のような巨漢。

口の周りの胸まで伸びた長い髭を手で触りながら、

ハールを見るのだった。


~~~~~~~~~~~~


 一方セイヴローズの王都セヴァークでは、

セイヴローズ城内で大将軍ユリーナが自分の部屋で、

ため息をつきながら誰かを待っていた。

書物や報告書を読んではため息、読んではため息をつく。

ヴィネアが城を出発してから、

多くの重臣たちがヴィネアに対しての扱いの非難を受けた。

中にはユリーナへの不満を怒りの剣として振る嘔吐する者も。

それをユリーナとターネスで必死に抑え、

気苦労が絶えない毎日だった。

だがそれよりも気がかりなことは、

ヴィネアの安否である。

自分が策を少し弄したが、

それが無事に成功できる確信は少ないし、

なにより運まかせな部分もあるだろう。

密偵の最後の報告は無事スッフマーの峠に着いたという報告だけだった。

あれから2日経ってもまだ次の報告がなく、

ヴィネアが無事かどうか知る手段はなかったのだから。


──ヴィネア様、我が義妹...ああ天よ、どうかお力をお貸しください──


そう祈るしかない。

すると、部下が1人ユリーナの部屋の前までやってくる。


──きたか?──


そう思っていると、部下は


「大将軍、王太后様の使いが来ておりますが」


と言った。


──またか──


国外のヴィネアに関する報告逐一をしろと、

ヴィネアの母ヴェルは五月蝿く、

まだ報告はないかと頻繁に使いの者をよこしたのだ。


「まだ報告はないと伝えよ」


待っている報告とは違う内容に肩透かしを受けながら、

ユリーナはテーブルを指でとんとん叩く。

いったいいつになったらくるのかと。

それから半時経った頃、

また部下がユリーナのもとにやってくる。

それも駆け足で。


「大将軍、国境付近の砦の者からの報告です!」


部下の言葉を聞き、ユリーナはすぐに反応した。


「何事だ?!」

「ヴィネア様が無事国境を越えたとの事、

皆無事でジャンス将軍が迎えにいき、合流したと」


この報告を聞き、ユリーナは胸から思いがはちきれんばかりの思いが溢れそうになったが、

冷静に部下を下がらせた。

そして誰もいなくなってからその場で胸を手で押さえ、

心臓の音を確かめながらしゃがみ込んだ。

張り詰めていた力というものが、

全て消えていったように。


「ああよかった無事で...本当に」


目には涙が浮かび、落ち着くために深呼吸をする。

そしてゆっくり立ち上がり、外に出て空を眺める。

空には弓状の月が浮かんでいる。


「ああ、なんと風情のある月だ...この目にはあの月は何一つ欠けていないに等しいほど美しい」


ユリーナはそう言って月に手をかざして、

祝福の気持ちでいっぱいになる。

ヴィネアが帰ってくるのが、待ち遠しくなったのだった。


(続)

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