第19話 戴冠式と条約と

◆──2人の王──◆


 ヴィネアがエピュネーに到着して3日、

明日にはついにクライエル王の戴冠式が迫った夜。

まだ夜はこれからという頃にクライエル王に呼ばれたヴィネアは、

ハールのみを連れて彼の元へ向かった。

そして王の待つ豪華な部屋では、

クライエルと彼の右腕と呼ばれ、大臣たちの頂点に君臨する、

太政大臣のドッドノーツ・アヴ・ハイクェーターという男がいる。

ドッドノーツは36歳という年齢で、最も位の高い大臣職に就いているだけあって、

最も賢く王に忠実だと、ヴィネアも以前にユリーナから聞いたことがあった。


「ああヴィネア女王、きてくれましたか!」


やってきたヴィネアに気づいたクライエルは、戴冠式前日だというのに非常におっとりとしていた。

まるで緊張が一周してなんともないように。


「クライエル王、なにかお話があるのですか?」


ヴィネアが軽い礼をして尋ねる。


「うみ、少し2人だけ話がしたいのだ。太政大臣、ハール殿にも少し席を外してくれ」


クライエルが命令すると、ドッドノーツはそのまま従い、

部屋を出ようとするが、ハールは少し躊躇う様子を見せた。

それに気づいたクライエルは、

何を躊躇っているかに気づく。


「安心するがよい、そう長くは話をしない。部屋の外で待っているといい」


クライエルの優しく諭すような言い方をされ、

ハールはヴィネアの顔を見る。

ヴィネアも「従いなさい」と言うような瞳で見つめ、

部屋から出ていった。

部屋が少し静まり返り、クライエルはほっとひと息つくと、

ヴィネアとテーブルの席につかせ、自らも反対側の席につく。


「戴冠式前日に気がかりなことでもあるのですか?」


どこか落ち着かない様子だと察したヴィネアは、

適当に尋ねただけだったため、こに問いにクライエルが心で驚いていることは知る由もなかっただろう。


「ヴィネア女王、その...戴冠式が終わった後なのだが」

「終わった後?」

「ああ、実はぜひセイヴローズと我がグラスディーンで条約を結びたいと思っているのだ」

「!!」


ヴィネアは条約のことを言われ、驚いた様子をみせる。

それを見たクライエルもビクッと動いたあと、

少し間をあけて話を続けた。


「以前から休戦状態の我らの国々だが、我が国も内乱で疲弊しているのは事実、そしてセイヴローズで起こったテファン・ラルダロッドの一件も、私も耳にしている」


ヴィネアは相槌をうちながら、テファンたちの反乱を思い出していた。

その処遇も自ら下したことも。


「私は争いを好まない、ヴィネア女王もその様子だと数日の交流で感じたのだ。

王となって最初の功績にしたいという思いも無きにしも非ず...だが、双方にとって悪くない提案だと思うのだが?」


クライエルの瞳は実直だった。

身体は弱々しそうなのに、その瞳には力強い意思を感じたのだ。


「条約...具体的にどのような条約を結びたいのですか?」


ヴィネアにとって、条約の内容次第で考える余地はあると思った。

そう、それは簡単に決められないようなことなのだが。


「国境での軍備と商業的な取引について、なのだ。

我が国としては後者の方の改善をぜひ願いたい」

「要求は?」


ヴィネアが尋ねると、咳払いをするクライエル。

そして大きく息を吐き、要求を述べる。


「現在、グラスディーンとセイヴローズでは商人による、国境を越えての商品の売買は禁止されている。

それによって、密かに売買を行う闇取引が横行しているのは存じているでしょう?」

「ええ、もちろん私たちも困っています」

「直接国境を渡る取引もあれば、他国を介して取引をするものもいる。

だがそれでは不正を働く商人と、他国が潤うだけだ。

よって両国間の一部の品、それぞれの特産に関しては国が正式に取引を認可し、貿易を活発化させたいのだ」


クライエルの要求を聞き、ヴィネアは驚く。

大胆な提案であり、確かに言っていることに筋は通っている。

そして、以前ユリーナとともにティスタープルでの人身売買を自ら暴いたことを思い出した。


──あのような被害も減るのでしょうか──


悲惨な闇取引の実態をこの目で見たからこそ、

ヴィネア自身としては今すぐに首を縦に振りたい。

だが、条約は王本人の意思だけでは決められないもの。


「確かに悪くはない話...と私自身は思いますが、我が国の家臣たちが容易く容認するとは思えないのがなんとも辛いです」


ヴィネアが思ったことをそのまま口にする。

そう、休戦中の敵国であるグラスディーンに対しても利となりうる要求を、

重臣たちが二つ返事で了承するとは思えないのだから。


「それをぜひヴィネア女王にもお願いしたい。この提案ももとはドッドノーツが提案し、我が家臣たちの間でも賛否両論あったが、概ね賛成に意見が纏まっている。

セイヴローズ側にもぜひ前向きに検討していただきたいのだ」


クライエルはそう言うと、ヴィネアに対して頭を下げようとする。

ヴィネアは急いでそれを手でやめさせた。


「クライエル王、どうかおやめになってください!

王の身の上の者同士で...」

だからこうして頭を下げるのです」


クライエルの真剣さが、いままでの比ではないことを、

ここでようやくヴィネアは本当に知ることができた。

それと同時になぜそこまで必死なのかも、

ひとつ思うところがある。


「もし、セイヴローズがその要求を拒んだとしたら、どうなると思われますか?」


ヴィネアは少し先を読み、クライエルに尋ねた。

条約締結に対する、自身の功績のためだけではないと思ったから。


「ドッドノーツ...太正大臣自ら多くの人を説得し、私も頭を下げたのだ。

これほど譲歩したことに対する不満は計り知れない。

下手すれば武力闘争に及ぶかもしれないのです」

「そんな...」

「なのでヴィネア女王にも、ぜひとも協力していただきたいのだ。

何度も言うが、私は争い事は避けたいのだ。

ぜひ帰国した後、家臣団にもよく考えてもらえるよう、お願いしたい」


クライエルの要求、ヴィネアの心、

目に見えない空気が錯綜し、

その夜は終わっていく。

そしてついにクライエルの戴冠式が、

行われるのだった。


◆──さらばエピュネー──◆


 クライエル王の戴冠式はディーン=アイズ城内の最高神を祀る神玉の間と呼ばれる、

絢爛な場所で行われた。

冠を司祭や家臣、ヴィネアたちの前で頭に被り、

正式なグラスディーンの新たな王の誕生を歴史に刻んだのだ。

その後城を出て、エピュネーの街の大通りを歩き、

民たちにその姿を見せつけた。

ヴィネアはそれを見ながら、自らの戴冠式のことを思いだす。


──私も、このように祝福されていたのでしょうか──


自分の時は緊張であまりしっかりと見れなかった分、クライエル王の王位継承を喜ぶエピュネーの民をしっかりと目に焼き付けた。

そしてそれと同時に、心に引っかかるのは条約の提案だ。

明日、正式にクライエルと家臣たちとヴィネア自身がそのことについて話し合う場を設ける。

恐らくセイヴローズにも、すぐにこのことは伝わるだろう。

ユリーナなら、ターネスなら何を考えるだろうか。

そんなことを考えながら、戴冠式の日は終わっていく。


~~~~~~~~~~~~


 戴冠式翌日の昼前


「──よって、王として余はセイヴローズのヴィネア女王に以上の条約の締結を提案したい」


ディーン=アイズ城の政議せいぎの間にて、

グラスディーンの大臣をはじめとした重臣たち、そしてヴィネアとクライエルの2人の王がともに上座で向かい合うように並んでいる。

クライエルはその中で、条約の内容を太政大臣に事細かに全員の前で読ませたのだ。

グラスディーン側も概ね納得しているのだが、

反対派の重臣たちは数名首を傾げたり、

小声で何かを言い合っている。

ヴィネアももちろんそれを聞いていたが、その中でひとつ引っかかった内容があった。

そしてそれに気づいたか否か、

クライエルは家臣たちを黙らせてヴィネアに問う。


「こちらの提案に前向きに検討していただけるか、ヴィネア女王?」


その瞳は首を縦に振らせようとする強い志、

そして重臣たちも拒めば食って掛かろうとする視線を向ける。

ヴィネアの近くで控えるハールもその空気にやや緊張した面持ちだった。

ヴィネア自身も発言に気をつけなくてはいけないということを、

その身にしっかりと心で言い聞かせる。


「確かに、こちらとしても受け入れる利はあります、ただ...」

「ただ?」


ヴィネアは続きを言う際、慎重に言葉を選ぶため、一瞬言い淀む。


「ただ...ひとつだけ懸念があるとすれば、貴国の提案した条約内容にある関税の決まり。

関税に対する自国の権利は互いの国がもつべきでは?」

「ほう...」


ヴィネアの鋭い発言が、クライエルの一言をもたらす。

そう、グラスディーン側の限定貿易の提案の中に、

関税は既に決められたものがあった。

一度条約を結び、容認すればそれを覆すにはグラスディーンとの交渉が必要になる。

それだけではない、関税が既に決定したものを受け入れれば、

グラスディーンとセイヴローズの対等な関係とはいえないのではないかと感じたのだ。


「失礼ながらヴィネア女王、こちらも譲歩しての提案ですぞ!」

「いかにも、この条約を提案したのは我が国。ならばこちらが主導となるのは至って当然!」


グラスディーンの家臣たちが一斉に反論をしいうと声を荒げるが、

太政大臣とクライエル王がそれを手で制した。


「ヴィネア女王はなにも一切条件をのまないと言っているのではない。

まだ考える余地があると言っているだけのことだ、騒ぎ立てるでない」



クライエル王のヴィネアを庇う言葉に家臣たちは黙る。

それに納得したかのような笑顔のドッドノーツ。

ヴィネアは結局、前向きな検討という言葉を残して、

その日を終えた。

それからエピュネーでの暮らしは、常に政治の絡む話をされ続け、

僅かな暇な時間に街の様子を眺めることがヴィネアの唯一の楽しみになった。


~~~~~~~~~~~~


そして遂にエピュネーを去る前日の夜。

ハールと2人で帰路についての打ち合わせを終えると、

部屋の外にある大きな庭にでて、満月に限りなく近い月の光を浴びる。

やや冷たい風が、ヴィネアにはなぜか心地よく感じてしまうのだ。


──僅かとはいえここに来てから、思い出はできました...それも今日限りですね──


自分はセイヴローズの女王なのだから、自国でやるべきことを果たさねばという思いがみなぎっている。

クライエル王を見て、なにか触発された部分もあるだろうと思う。


「そういえば、クライエル王の妹君には会えませんでしたね。ちょうど都を離れているとは...ユリーナも残念がることでしょう」


噂に聞いていたアトレーナに一目会ってみたかったと、

少しだけ心に残るものもある。

そんなことを考えていたら、庭の木の枝が風で揺れているのが目に入った。

そして葉が一枚ひらひらとヴィネアの前に落ちてきた。

落ちた葉を見て、ヴィネアは初日に出会ったエレーナという町娘を思い出していた。


──あの娘元気にしているのでしょうか?──


不思議な町娘だった。

無邪気なようで、不思議な力を持っていそうなあの美しい町娘の姿を、

なぜか忘れられずにいたのだ。

そうこうしているうちに、体が冷え切り、ヴィネアは部屋へと戻っていった。


~~~~~~~~~~~~


エピュネーで過ごした長くて短い日々は終わり、

遂にヴィネアは帰路につく。

都を出る前に、最後にクライエルの一言。


「ぜひまた、私が元気なうちにお会いしたい!」


という言葉を胸に刻み、ヴィネアやハールたち護衛兵や、

パラインとポレロットたちに守られてエピュネーを後にした。

これから続く波乱など、誰もよそうしないくらい、堂々たる姿で。


(続)

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