第16話 グラスディーンへ

グラスディーンの都にある、池と木々の自然に囲まれたエーペリア神殿にて


 まだ日が昇りきらない早朝、

小鳥のさえずりが聞こえ、眩い光が神殿を照らしている。

その光はまるで天から降り注ぐ標のようだった。

そして神殿の中で1人の女性が黄金と青い鎧を身に纏いながらしゃがみ、

両腕を左胸部に当てて何かを祈っている。

長い黒髪を後ろ頭の上部で結び、整った顔立ちをしている女性は、

知らない人が見れば女のような顔をした騎士と思うだろう。

男装の麗人とは誰も思うまい。

そして優しき太陽の光に注がれながら祈るその姿は、

誰が見ても神秘的な光景と思うほど。


「汝、己の中にこそ敵あり。汝、己の欲こそ敵なり。汝、隣人こそ慈しみ守るべし。汝、救いを求む者に手を差し伸べるべし......」


ひとりでずっと目を閉じ、口ずさみ続ける。

そう、この神殿の中央から最奥にある特殊な形状をした石像に向かって祈っているのだ。

そして口ずさんでいるのは祈りの言葉、

神殿内にたった1人しかいないからか、

大きく響き続ける。


「......汝、死のために生きるべし。汝、生の理を知るべし」


女性が唱えていると、外の庭から神殿に近づく人の気配がある。

それを感じとりながらも、なお女性は微動だにせず詠唱を続ける。


「汝を憎悪から守る盾にならん。汝を私利私欲を討つ剣とならん」


ゆっくりと近づいてくる足音、

それが床、空気、天井へ少しづつ響き出す。


「汝、聖なる御言葉を信じ、五体の代わりとなって、世に蔓延る悪を討たん!!」


女性が最後の言葉を言い終え、目を見開いたのと同時に、

背後のドアを開く音が聞こえ、人が入ってきた。


「やはりここにいたのだな」


入ってきたのは長身だが細身で、くらいの高そうな服を着て、頬が痩せこけたような男。

そして目の前にいた女性を見て、安心したような表情を浮かべる。


「また、女神に祈っていたのか?」


男が細く高い声で尋ねる。

すると女性は立ち上がり、

背後を向いて男に一礼をした。


「はい、兄上。これが私の日課...いいえ、使命ですから」


女性は、女らしい低く力強いが、芯には美しさを感じる声音で兄に向かって話した。


「それで、わたくしめになにかご用なのでしょう?」


女は鋭い目つきで兄をみながら、ここへやってきた理由を聞く。


「そうだ、戴冠式の件で、臣の者と会合があるのだが、そちにも出てもらいたいのだ」

「私が...ですか?しかし、他のものたちが疎ましく思うだけではないかと。

それに、兄上1人だけでも──」


女が追いかけている途中で、兄は女の両肩を掴む。


「頼む、そちがいてくれると心強い。ただ座っているだけで構わぬから!

弱々しそうな兄の声、そして泣きそうな瞳を見て女は覚悟を決めるしかなかった。


「...わかりました、ご同席致します。ですが、その場では一切口を挟みませんので、ご了承ください」


掴まれた肩の手をどかし、逆にその手を自分が掴み返す女。

返答を聞いて兄はにっこりと笑った。


「そうか、よかった。では待っているぞ!!」


兄はそう言い残し、神殿から去っていった。

そして兄がいなくなると、アトレーナはため息をつき、

少し呆れ顔。


「全く、困った兄上だ。この国を治める王なのですから、もっと堂々としてほしいものです」


少しはにかんでボヤきながら、神殿の中心で佇んでいると、

時間経過で神殿内の光が一斉にアトレーナを照らす。

そしてアトレーナは光のカーテンに包まれながら、

神殿を出ていくのだった。



◆──ヴィネア出立──◆


 ヴィネアはセイヴローズの護衛兵たちを率い、

セイヴローズの国境付近へとやってきていた。

馬車の中でも冷たさを服の上から感じるこの頃の気候。

冬が近づいているのを感じながら、

揺られた車内で常に何が起こっても大丈夫なよう、全身に力を入れている。

すると、外から誰かが馬に乗りながら近づいてくる。

馬車についている、木製の小さい物見の窓をゆっくり開けると、

近づいていたのは今回の護衛の総指揮官であるハールだ。


「陛下、まもなく国境です。送られた書状通りであれば、

グラスディーンの護衛兵たちが待っているはずです。

もし、あったとしても動けるようにしておいてください。

馬も用意しているので...」


ハールはギリギリ聞こえるくらいの小さい声で、

ヴィネアに告げる。

ヴィネアもそれを聞き、真剣な眼差しで


「わかりました」


と答えた。

グラスディーンの都【クァルマッキ】に到着するまで、

3つの街を寄るのだと事前に話を聞いていた。

国境を越えてからこそが重要なのだ。

緊張するヴィネアだけでなく、ハールも事の重大さを知りえている。

そして馬上で出発前に、ユリーナから賜った命令を思い出していた。


~~~~~~~~~~~~


ヴィネアが出発する半月ほど前、

王宮内の武官たちの仕事場、

武衛宮にて。

ユリーナとハールは2人きりで、

テーブルでウォーレニア大陸の地図をみながら、

向かい合って話をしていた。


「ヴィネア様がクライエル王の戴冠式への出席を了承されたのは知っているだろう、

そこで今回の護衛の総指揮官をお前に託したい」


ユリーナはハールの目を見て、

流すように話す。

ハールはユリーナが軽く話すことは、信頼とあくまでも前提だけだということを知っている。

そのためハールはただ「はい、承ります」といって頷いた。


「うん、そしてそれをグラスディーン側に伝え、先日書状で日程などを提案し、大まかに決まっていることがある」

「はい」

「グラスディーン側は国境を越えた後、7日をかけ、3つの街と3つの関所に停泊させてから都のクァルマッキへと誘う予定らしい。

そこで、お前に策を授けたい」


ユリーナは地図のグラスディーンの国内の部分を指さす。


「策...ですか?」

「ああ、主に3つの街でだが、

相手の出方や様子を伺う術も授ける。

私はヴィネア様がいない間に兵を鍛え、万一に備え待機している故、

ヴィネア様をそなたに任せる。

しっかりと守り抜くのだ、そなたの命にかえても.........」


~~~~~~~~~~~~


──私の命にかえても──


ハールは馬上で自らの胸に手を当てながら、

改めて己自身とユリーナ、そしてヴィネアに誓うのだった。

そしてそれと同時に国境までやってくると、

そこにはグラスディーンの護衛部隊と、

ヴィネアを説得に赴いた使者となっていたパラインが馬上で出迎えていたのだった。


◆──第一の策・噂──◆


 グラスディーンの外交副大臣・パライン率いる護衛部隊と、

ハールが率いる護衛部隊がヴィネアを警護しながら、

国境を越えてグラスディーンの領内に入っていった。

そして空が暗くなり、凍えるような風が吹き始めた頃、

グラスディーン国内で最も風景が美しいとされるラモン山の近くにある、

ペル・ラモンの関所へとやってきた。

関所は宿場町として栄えており、

人々の活気にあふれている。

ヴィネアはグラスディーン側が用意した大きな豪邸に客人として宿泊することになり、

豪邸の管理人である、地方官ゴート・デルウェロに挨拶をしていた。


「賢く嶺麗しいヴィネア女王陛下にお目にかかれて光栄です。

私は地方官のゴート・デルウェロと申します。

以後お見知りおきを願います」

「こちらこそ、よろしくお願い致します。このような立派な屋敷を使わせていただき、クライエル王をはじめ、皆様のお心遣いに感謝を申し上げます」


ヴィネアは白髪に長い白髭をたくわえたゴートという高齢の男を見て、

どこかターネスに近い雰囲気を感じる。

そしてそれがなぜか安心感に繋がったのだ。

豪邸もセイヴローズの重臣たちが住むような屋敷に引けを取らない、

立派なものだ。

ゴートが謙遜をしながら礼をしていると、

横からパラインがやってくる。


「本日はヴィネア女王陛下のために特別な宴をご用意しております。

お疲れかとは思いますが、少し休まれてから、会場にお越しください!」


パラインは宴の誘いだけを告げ、

話を終えるとゴートとともに後ろへ下がった。

その様子を見て、ハールは警戒しながらヴィネアの傍に寄る。


「毒味、警護全て警戒しておきます。どうかご安心を」


小声で言うハールに、ヴィネアも僅かな安心感を振り払い、


「ええ」


と小声で言って頷く。

そんな様子を、パラインはゴートと世間話をしながら横目見ていた。


──さすがに警戒心は強い...ということか。まずは様子見だな──


パラインの思考は決して誰のも読めない。

横にいたゴートでさえ。

そしてヴィネアはその後、宴に出席して何の問題もなく1日を終えるのだった。


~~~~~~~~~~~~


宴を終えた翌日、ヴィネアたちは半日日をかけ、

次に停泊する水の街【パーナス・トラム】へとやってきた。

近くの大きな運河を利用した、交易の街でもあり、

人の出入りも多い。

ペル・ラモンとパーナス・トラムとはまた少し

打って変わった賑わいのある街だ。

そして到着早々、パラインはヴィネアたちを宿泊先に案内しようとしたが、

街を少し見て回る時間がほしいと言って、

僅かな時間の猶予をもらった。


ヴィネアとハールを含めた護衛部隊は街を散策する。

そしてヴィネアとハールは2人並んで、小声で話をしていた。


「陛下、昨夜お伝えたように動きます。よいですね?」

「はい、お願いします」


ハールが承諾を得ると、それぞれの兵たちに命令を下し、

最低限の護衛兵だけを残して、

街のあらゆる場所へ消えていった。


パーナス・トラムの街中の酒場にて。

セイヴローズの護衛兵たちが店内に入ると、

店主の目の前のカウンターに向かう。


「なあそこの主人、ここで最も高い酒を私たちにくれ。それとここにいる客皆にも、我々の奢りで振る舞うのだ」


男の兵士が店の主人の目の前に、

大量の金貨を渡す。


「はっ、はい!かしこまりましたー!!」


気の弱そうな店主が急いで酒の準備をすると、

兵の声が聞こえていたカウンターに座っていた、小太りの商人の男が兵に向かって声をかけてくる。


「あんたら、随分気前がいいな?なにかいいことでもあったのかい?」


発酵酒をがぶ飲みしながら、大きい態度で兵に言う。


「このようなこと、大したことではない。我らが主君のヴィネア女王は自他国構わず、民たちにとても思慮深い。

此度クライエル王の戴冠式に出世をなされる際、この街に寄っているのだ。

そしてヴィネア様はこの酒場にいる皆に奢れと命令なさった、

皆のものも聞こえていよう?今日は盛大に飲むがよい!!」


兵は大声で店内に響くように話し、

酒場にいた人は皆盛り上がった。


「へ〜セイヴローズの女王様は、なんて得の高い人なんだ!」


小太りの商人も、喜びながら酒を飲む。

この様子を見て、

兵士も計算通りにことが運んだ事に満足した。

一方、反物屋ではまた別の兵たちが、店の反物を買い占めようとしていた。


「ヴィネア女王陛下は、気前がよく太っ腹な方だ。

ここで買うものはクライエル王への王位継承の祝いの品も兼ねている、

心して包んでくれ!」


兵はわざと大声で民衆たちに聞こえるよう、

店主に言う。

店主はめでたいことだと言いながら、

笑顔で受け答えしていた。

他にも様々な店でこのように、兵たちはヴィネアの名を出しながら、

気前よく奢ったり、品物を買い占めていく。

その間ヴィネアとハールは2人で料亭に入りながら、

時が経つのを待っていたのだ。

この街の特産品である、乾物などを茶葉と一緒に淹れたにごちゃというものを飲んでいた。


「わかっていますが、大きい声でこんなに私の名前を出されると、少し胸がくすぐったい気がします」


茶の熱さなど気にならないほど緊張していたヴィネアを見て、

ハールは微笑む。


「安心なさってください、全て大将軍の策通りに進んでおります」


そう言って、一生懸命茶に息を吹きかける。


「ハールは熱いものは苦手なのですか?」


少し悪戯ご心で尋ねるヴィネア。

するとハールは


「に、苦手という訳では...その、幼い時に火傷したことがありまして、そこから注意しているのです」


と必死に言い訳をしている。

そこが少し可愛いと思いながら、ヴィネアは少し気が緩んで笑顔になる。

ハールは少し困った顔をしながら、

昨夜のヴィネアとの会話を思い出していた。


~~~~~~~~~~~~


 昨晩、夜も更けて深夜真っ只中の頃、ペル・ラモンの屋敷内のヴィネアの泊まる部屋にて、

侍女たちをさがらせ、周囲に誰にも会話が聞かれないように警戒しながら、

ハールはヴィネアにとある話をしにいった。

ロングテーブルに座るヴィネアに向かって、

ハールは片膝を床につけてしゃがみ、

小声で話す。


「ヴィネア様、明日のパーナス・トラムの街に滞在する折、大将軍からの策があり、

陛下に話をしたいのです」

「大将軍からですか、一体どのような?」


ヴィネアは髪を少し気にしながら、尋ねると、

ハールに見られていることを思い出し、

慌てて女王の威厳を取り繕う。

ハールはそんなことを気にすることなく、淡々と話を続ける。


「パーナス・トラムの街についたら、街を散策する時間を少しいただくのです。

そして、街中のあらゆる店でヴィネア様の名を出して民に酒や料理を振る舞うことや、

店の品を買え、とのことでした」

「その理由は?」

「ヴィネア様に対する偏見を拭い去るためです」

「へっ、偏見?!私、変に思われているのですか??」


いきなり驚いた声を出すヴィネア、

それに気づいたハールは急いで声を小さくするように手振りで伝える。

ヴィネアも我に返り、小声で偏見について尋ねる。

一体どのような偏見なのか。


「落ち着いてください、偏見と言ってもセイヴローズ国の王に対する偏見です。

休戦中とはいえ、セイヴローズとグラスディーンは陛下のお父上の時代からの敵国。

人によってはよくない印象を持つものや、敵に対する憎悪を植え付けられている可能性もあるのです」


ハールの言葉を聞き、ヴィネアは確かに納得した。

自分は身の回りしか考えていなかったのに、民の心まで考えているユリーナの頭脳に、

ただただ感服するしかない。


「そこでヴィネア様の寛大さや、国に対する恨みを少しでも減らすため、

このようなことが必要なのです。これもなのです…」

...」


ヴィネアはそれを聞いてすぐに了承した。

そしてその直後、ハールは力強い瞳で


「このことはどうかご内密に願います。決して他のものに、特にあのパラインとかいう男には悟られぬように...」


と述べてから、部屋を去っていった。

ヴィネアにはなぜか許可をとる時よりも、ハールが緊張した面持ちだったのが気にかかったが、

明日にやるべきことが決まり、

今はただ英気を養うしかない。


~~~~~~~~~~~~


現在 パーナス・トラムにて


ハールはヴィネアとの会話を思い出したあと、茶を飲み終えたヴィネアの笑顔を見る。


「グラスディーンにもこのような茶があるとは驚きです。甘茶とも普通の茶とも違う、香ばしく、料理の一品のように味が深いなんて」


ハールに向かって言っているのか、ひとりごとなのかは分からない。

だが、ハールはなぜか自然とそれに答えるため、口を開いた。


「土地それぞれによって、文かも違えば風習も違うものですから。

陛下にとって当然なことが、当然でない者もいる。

我々にとって珍しいものが、当たり前な者もいるということですよ。

物事を一方から見るのと、他方から見るのでは全く違う、前から見たら後ろが隠れているように...」


ハールが少し優しげな顔で言うと、ヴィネアは


「やっと表情が優しくなりましたね、ハール」


と言って微笑んでくれた。

ハールはその笑顔を見て少しだけ心が痛むことがあった。


──言えないのです、ヴィネア様。まだ裏のことは──


そう思い、時間が過ぎて夜になっていく。


~~~~~~~~~~~~


夜、宴でヴィネアはパラインに声をかけられた。

最初は旅の疲れや街の感想を聞くものだったが、

話題をとあることに変えてきたのはパライン。


「そういえば、ヴィネア女王陛下は街の者たちに酒や料理などの店の品を買い占め、民に分け与えたりしたと聞きましたが、本当でしょうか?」

「ええ本当です」

「そうでしたか、それはそれは...なんともお心が広い方だ。

クライエル王に変わり、私からも感謝を」


そう言って献杯し、酒を飲むパライン。

そしてその後にひとこと。


「なにかお考えでもあるのかと思いました」


笑顔でパラインは呟いた。

その笑顔を見て、ヴィネアは少しだけ背筋が凍るような感覚だ。

それは、優しさの笑顔ではなく、仮面でとってつけたような薄っぺらな表情だと、

本能で知った。

パラインは少しだけヴィネアの琥珀の瞳を覗いたあと、

ヴィネアから離れていく。

そして背を向けた時、笑顔は無表情に変化する。


──あの顔では、考えてのことか天然なのか判別はつかんな──


パラインはヴィネアの近くで酒をちびちび飲んでいたハールを振り向いて見る。


──あの者の差し金か...それはどうでもよいか、だが民の心を掴もうとするとは、そちらも随分狡猾ではないか──


パラインは自軍の者に少し風に当たると言って部屋を出ていく。

その足取りはいかにも重そうだ。

そして冷たい夜風に当たっていると、

とある仮面をつけた兵士がこっそりパラインの近くにきて、跪く。


「準備はどうだ?」


パラインは空を見上げたまま、小さい声で尋ねる。


「仰せのままに、兵を動かしました」


兵士が答える。

するとすぐにパラインは


「わかった、仕事に戻れ」


と言って下がらせる。

そして空の月を見上げ、周囲の星々を見渡す。


「そちらが狡猾ならば、こちらにも文句は言えまい、と言うように、お互い様だろう」


温もりを感じない、夜風にも似た声で呟くパラインの声は、

誰にも聞かれず、ただ夜の闇に紛れていった。


(続)

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