第9話 アンガー砦の戦い
テファン率いる旧ダーチュワ軍は大雨が降る昼間に進軍をしていた。
大粒の雨は一本の白い糸が降り注ぐように、地面に突き刺さっていく。
足もとの悪い中、歩いていく兵たちと騎馬。
その中央にはテファンが馬車に乗っている。
テファンは呑気に欠伸をしながら、遅い行軍に苛立ちを感じていると、
兵の1人が伝令にやってきた。
「テファン様、まもなく敵のアンガー砦です。
大雨で行軍にも支障がでているようなので、この近辺で今日は布陣をした方が...との意見がでております」
「なにっ??」
兵はただ各将からの意見を伝えただけだったのだが、
テファンは一気に機嫌を悪くして声を荒らげた。
「戯言を...これほどの大雨なら敵も身動きは取れぬし、矢も使えぬであろう!!
勢いを失わずに、砦の近くまで進軍しろと伝えよ!!」
テファンの怒鳴り声は、雨中に響く雷霆のような衝撃を放った。
兵はびっくりしながら、すぐに各将に命令を伝えに行くのだった。
「まったく、どいつもこいつも戦を知らん...」
鼻息を荒くしたテファンは体勢を少し変えて座り直し、
既に目の前に迫る勝利を考えて酔いしれる。
──アンガー砦、ここさえ陥落すれば敵を丸裸にしたも同然よ──
テファンの微笑みと笑いは決して誰にも聞こえない。
そしてテファンにもこの雨の音など聞こえていなかった。
今まで以上に強く降る雨は、テファンの笑い声を殺しているのだ。
◆──ヤウェイの奇襲──◆
将軍ヤウェイは部隊を分け、
アンガー砦を囲む山の頂上にひっそりと陣取っていた。
そして雨で視界が悪い中、ずっと旧ダーチュワ軍がやってくるのを待ち構えている。
「将軍、既に10ゴール圏内に敵軍の先頭を確認しました」
偵察兵からの連絡が、ヤウェイに届く。
「よし、引き続き見張りを頼む」
ヤウェイは雨避けに潜みながら手で合図を送る。
兵はすぐに雨の中に消えていき、仕事に戻った。
「皆に伝えよ、敵の大半を砦の近くに引き寄せるまでは一切手を出すなとな。
そして先陣をいく戦馬の騎馬隊は用意を始めよ」
ヤウェイは近くの大卿に命令すると、
顎に手を当てて頭を使って考える。
──大将軍の狙いは敵を引き寄せてから一網打尽にすることだ、こちらの居場所を知られてはならん──
兵が勇み足となって勝手に攻撃を始めないか心配していたが、
伝達と兵たちの覚悟を信じるしかない。
あれこれ考えているうちに、
本来なら夕暮れの時間に、遂に敵軍が山の麓の細道までやってきたのだ。
ヤウェイ自ら偵察兵たちの集う中腹部に向かい、
敵の進軍具合を確認する。
「いま山道にはいったので全体のどれくらいだ?」
大雨と暗い空でしっかりと見えない状況の中、
ヤウェイが兵に尋ねる。
「まだあれで2割に満たないかと...」
兵は目を凝らしながらヤウェイの質問に答える。
敵軍の薄黒い集団が山道を進んでいくのが見え、
ヤウェイは頭の中で計算を始めた。
──あれほどの数なら、8,9割ほどが山道を抜けた時でよいだろう。
やつらが砦前の平野に出た時こそが勝負、
それまでは決して悟られてはいけないな──
ヤウェイはすぐに兵とともにそっとその場を離れる。
敵に一切動きを見せないよう慎重に、慎重に。
そして奇襲用の部隊まで合流すると、中腹付近までゆっくり進軍し、敵の数を確認する。
「ヤウェイ将軍、合図を出しますか?」
ヤウェイ配下の大卿が、敵の奇襲を始めるか尋ねる。
だがヤウェイは首を縦に振らなかった。
「まだだ、敵がもう少し進軍するまで待て...」
ヤウェイは敵がまだ7割弱程度しか山道を抜けていないと見たのだ。
今攻めては敵を仕留め損ねる心配があった。
「まだですか?!もう敵が砦に着きます」
大卿がヤウェイに焦りながら必死に尋ねる。
「まだだ、もう少し!」
ヤウェイは目を凝らし、敵を眺めている。
そして雨が少し弱まり、足下に大きい水たまりができた頃、
敵の数を確認し終えたヤウェイは、遂に手を挙げた。
「全軍、突撃!!」
手を見た伝達兵がすべての兵に合図を送る。
その瞬間山の中腹から徐々に進めて潜んでいた騎馬兵たちが、
一斉に敵軍に向かって駆け抜けていった。
雨をも切り裂く騎馬の群れが今、襲いかかる。
~~~~~~~~~~~~
「敵襲だー!」
テファンの旧ダーチュワ国軍は、馬と兵の突撃とともに敵の襲来を知った。
戦馬は軍事用で、一般的な馬よりも巨体で、
スピードは劣るが、パワーとスタミナは何段階も上回る。
とてつもない重量の戦馬に跨る騎兵、そしてその集団に続く歩兵の進撃は、雨の中蠢く群れ。
そして雪崩のごとく群れは兵を襲った。
ダーチュワの兵には、刃を交えることなく馬に跳ねられた者もいる。
たとえ馬の突進を避けても、剣や槍が突き刺さっていく。
それだけではない、大雨によって土が柔らかくなって足がとられるダーチュワ兵。
ろくに動けないまま散っていく兵たちとともに、
地上が赤く染まっていく。
「テファン様!!」
突然の敵の襲撃に動揺するテファンの元へ、伝達がやってくる。
「何事なのだ?!」
あたふたと手を動かして尋ねるテファン。
額には大粒の汗が浮かんでいる。
「両側の山より敵が奇襲をかけてきました!
ただいま応戦中ですが、突然の襲撃と大雨で足下が不安定な中で兵の統率が乱れ、右翼側は大半の兵が討ち死にされたとのこと!!」
兵の報告を聞いたテファンは一気に顔が青ざめた。
「馬鹿な、あれほど伏兵がいないか探させたのに...」
テファンが呟くと同時に、傷だらけで全身血塗れのもう1人の伝達兵がやってくる。
「テファン様...アンガー砦から敵の、敵の...援軍が!先頭3部隊を率いていた大将たちは皆、討ち死にされ...まし...た」
報告を終えた兵は、同時に命尽きて倒れた。
流れ出る血を眺め、テファンは震える。
今まで一切感じたことのなかった死という恐怖がついに、テファンの喉元にまで近づいたのだ。
「テファン様、撤退をしなければ兵が全滅します!」
傍にいたテファン専属の護衛兵が進言すると、テファンは目を見開き、何度も頷いたあと、伝達兵に命令を下す。
「撤退だ、リム川の方へ一時撤退し体勢をたてなおす!!」
兵が命令を聞いてすぐ、テファンは誰よりも先に馬に自ら跨って逃げ出した。
戻った山道にも伏兵がいくつか待機しており、
ダーチュワ軍のほとんどが命を落とした。
しかしテファンはなんとか生き残り、200程度の兵だけを引き連れ、
リム川の方へ向かっていったのだった。
大地が深紅の水溜まりで染められた中、雨は霧のように細かくなり、
肌に優しく水滴が触れる。
ヤウェイは馬に乗りながら、さっきまで戦場だった場所を見回っている。
すると1人の少卿が馬に乗ってやってきた。
「ヤウェイ将軍、敵を追撃しますか?」
それは追撃をかけるかどうかという言葉だ。
もちろんヤウェイは首を横に振る。
「我々の仕事は終わった、あとは大将軍の仕掛けた計略がある。
生き残った兵は、戦利品を集め一度砦に行き、
少し休んでから大将軍の元へ帰還する。
よいな?」
ヤウェイが優しい物腰で話すと、少卿は命令を忠実に聞き、
他の兵に指示を伝えた。
ヤウェイは自らの腰にたずさえた剣を引き抜き、一度天に切っ先を向けてから、
鞘にしまう。
「あとは任せましたよジャンス」
そういって砦の方へ馬を歩かせるヤウェイだった。
◆──形勢逆転──◆
小雨の中、生き残ったテファンを含めた200ほどの兵たちは、馬を走らせる者や必死に走ってついてくる者が、
隊列を乱して雨の中を進む。
テファンも今の生き残っている兵たちのことよりも、
自分が生き残ること、そして今後のことを考えながら馬を走らせるのだった。
──ええい、リム川の方へ向かえば安全だ。生き残らなくては...わしさえ生き残れば、またいくらでも機会はくる──
雨粒を上書きするような汗が滴り、混じりながら必死に逃げるテファン。
そして半日ほどほとんど休まず走り、リム川沿いまで遂にやってきた。
──よし、ゴレグリムまではあとすこ──
一度馬を止めてリム川を眺めてひと息つきかけたその時だ。
「敵襲だーー!!」
テファンの引き連れていた兵の1人が大声をあげた。
朝に降る雨の中、現れたのはジャンスやハーマー率いる部隊だ。
万全に待ち構えていたジャンスたちの兵は、
ゆっくりとテファンたちの前に現れる。
「あそこにいるのが敵の首領のテファン・ラルダロッドだ!生け捕れー!!生け捕ったものには褒賞金を与える!!!」
ジャンスが叫ぶと一斉に兵たちはテファンたち旧ダーチュワ軍に向かって襲いかかった。
200ほどの兵の中には、逃走で体力を失い、もはや戦う気力がないものも多かったが、
それでも必死に抗戦を選ぶ。
だが所詮敗走した烏合の衆、統率もろくにとれない中、次々にダーチュワ側の兵は半分まで減らされていった。
テファンは狼狽えながら、なんとか生き延びる方法を探すが、もはや逃げ道がない。
「おのれ、おのれおのれ...これまでか!!」
諦めかけたテファンだったが、囲んでいたジャンスたちの兵たちを越えた向こう側から、
雨音を消すほどの大きい声が近づいて聞こえた。
「テファン様ー、お助けに参りました!!」
やってきたのはゴレグリム城に待機させていたジョーだ。
ジョーはテファンを救うため、ゴレグリムから駆けつけてきたのである。
馬に乗りながら、数少ない兵を率いているジョーはテファンの包囲網を真っ二つにするように突き進んで、横切ろうとしていたのだ。
ジャンスたちも易々とやられる訳にはいかないよう、必死に抵抗する。
抗戦しながら、ジョーの軍勢はなんとかテファンの元までたどり着く。
「ジョー!!」
テファンが驚きと感謝の眼差しでジョーに声を掛ける。
ジョーはそれを察したが、今の優先順位を考え、すぐにテファンに逃げるよう伝える。
「テファン、このまま包囲を突破し、ゴレグリムへ帰還しよう!急げ!!」
「ああ、そうだな!」
合流したテファンとジョーは残り少ない兵で包囲を突破するため、
兵たちを誘導させ、勢いのままに進む。
ジャンスは敵の狙いはわかったが、敵の勢いにどうしても手が尽くせない状態になる。
「チッ、追い込まれた羊は狼を襲うとやらか...なんとしてもテファンを逃がすな!!」
ジャンスの命令は兵たちに聞こえていたのだが、それも虚しく敵は包囲を破り、
遂に逃走を許したのだった。
「おのれ、敗軍の将ごときが小癪な...」
ジャンスは逃げていったテファンたち数十人の兵たちを眺める。
それを見てハーマーが近づいてくる。
「ジャンス将軍、追いかけますか?」
ハーマーが尋ねる。
「ゴレグリムの手前まで追いかけろ!敵に城にはいられたら撤退だ。深追いは禁物だからな」
ジャンスの指示に従い、ハーマーは兵を率いてテファンたちを追っていった。
雨はやみ、曇り空がひろがっていく。
ジャンスは空を見て、次にリム川を見る。
「少しばかり雨が止んだか、だがやがて川の水位が変わるほど大雨が降るだろうな」
ジャンスはそう言い残し、自らは兵に戦利品の回収を命じ、撤退の準備に入った。
~~~~~~~~~~~~
ユリーナは帰還したヤウェイやジャンスたちから報告を聞き終え、
敵がゴレグリム城に籠ったことを知った。
作戦通りだと思ったユリーナは次に別の将軍たちに他の西部の街の反乱を鎮めるように命令した。
そして自ら残った兵を率いてゴレグリム城を包囲したのだった。
テファンがゴレグリムに籠城してから3日後...
雨が3日間振り続け、城を包囲するセイヴローズ軍の本陣でユリーナはハールと向かいあって茶を飲みながら話をしていた。
「敵はでてくるつもりはないようですね」
ハールが茶器を片手に、片膝をつきながらユリーナに言う。
「待っていれば他の西部の街、またはグラスディーンからの救援に望みを託しているのだろう...敵の望みを消さねば、布陣しているこちらの指揮も落ちてしまうだろうな」
ユリーナは椅子に座って茶を一口含み、ひと息つく。
「大将軍、このまま西部の街を取り返すまで待つのですか?」
ハールが茶も飲まずに問いかけると、ユリーナは人差し指を立て、横に振る。
「このままでも勝てはするが、みなが納得しないようなのでな...ひとつ、派手に仕掛けてみよう」
ユリーナが含み笑いをしながら、茶を飲み干した。
ハールはその訳を今は知ることができず、
首を傾げて考え込むしかなかったのだった。
降る雨を見てユリーナはほくそ笑む。
──天からの恵み、存分に使わせてもらうぞ──
(続)
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