第8話 反撃の雨

◆──天からの機──◆

 ベルラートでの戦いから5日、セイヴローズは防戦が続いていた。

一部の部隊や砦は戦闘を経てから撤退し、敵の勢いがさらに強まる気配があったのだ。

兵たちも度重なる敗戦と、続く持久戦に少しずつ不満を漏らす者も現れている。

ルナーイの街に滞在するユリーナは、

相変わらず動く気配はない。

そして、

別の砦から撤退してきた将軍ジャンスは帰還早々、苛立ちながらユリーナの待つ街の役所の部屋に向かっていった。


「大将軍、いつまでこんな戦いを続けるのだ!!」


部屋に入ったジャンスは、挨拶も省いて怒鳴るようにユリーナに詰め寄る。

それも胸ぐらをつかむ勢いで。

ユリーナは顔色ひとつ崩さず、ジャンスの目を見つめていた。


「もう、敵の総攻撃に想定していた半分以上の砦もやられた。

機が熟していないと、他のものにも言っているようだが、

その機とはいつ熟すのだ!!」


鬼の形相をし、唾がユリーナの顔ににかかるくらいの怒号。

他の護衛兵などは、怖くなって震えている。

ユリーナは眉ひとつ動かさず、そっと顔にかかった唾を拭き取る。


「間もなくくるだろう。それまで待て...」 


感情を全て隠した鉄仮面の表情のユリーナを睨むジャンス。

しばらく無音の状態が続いたこの空間では、

遂にジャンスが根負けしたかのように、

怒ってユリーナに背を向けた。

去り際に飾ってあった陶器を手で殴り落とし、

陶器の割れた音だけが部屋の中に響いていた。


その日の夜


ユリーナは護衛兵数名とハールを連れて、

街を囲む塀につながる塔の上で、

月を見ながら酒を呑んでいた。


「大将軍、月見酒もよいですが、このままでは兵たちの指揮が...」


ハールはユリーナの器に果実酒を注ぎながら、話しかけている。

ユリーナは爽やかな夜風を感じながら、

注がれた酒を一口だけ含む。


「だからこうして夜にわざわざ外に出ているのだ。

ハール、お前に私の考えが読めるか?」


器を片手で月に向かって掲げるユリーナ。

その姿に少し見惚れていたハールは、急いで答える。


「大将軍は......《雨》を待っておられるのでは?

雨が降って雨季になれば、野営戦を繰り返す敵の勢いは弱まります。

また、雨季がない西部の国の者は風土に馴染まないことで、病人を出させるためでしょう?陛下を説得する際にも言っていたかと...」


質問に答え、ハールは自分の酒を飲み干した。

どうやら答えるのに喉が喉が渇いてしまったらしい。

それを見たユリーナは少しだけ優しく微笑む。


「さすが私の弟子だ、及第点だな。

だがいくつか足りないところもある」

「足りない...ですか?」

「ああ、なにも雨そのものを待っているだけではない。

人は雨が降ったばかりでは病には罹らん。

病を流行らすには時が罹りすぎる...それを少しでも手っ取り早く進める用意を待っているのだ」


ユリーナは説き伏せるような優しくも厳しい、

大将軍ではなく師としての声になっていた。

ハールもユリーナの話を聞き、

さらに自分で考え出した。

ハールが考える間に、ユリーナは月の光だけを頼りに空を眺める。

雲の量、流れなどを懸命に見たのだ。


──あと少しだな、あと少し──


少しでも早くその時がくることを、

ユリーナは望んでやまない。


~~~~~~~~~~~~

ベルラートの戦いから7日


あれから砦がさらに攻め落とされ、

ジャンスをはじめとした諸将たちからは不満が爆発しそうだった。

敵軍とルナーイまでに残る砦は山間部のディアーの関所と、低地の湿地帯にあるアンガー砦だけだった。


その日の夜、ユリーナは部屋で横になって目を閉じて休んでいる時、

突如肌寒くなって目が覚めた。


──こ、これはまさか──


急いで立ち上がって外に出ると、外の空気が今までより冷たく感じるようになった。

それに、土の香りが風に流れてやってくる。


「ああ、遂に来た!!」


ユリーナがそう言って外の庭まで出て、空を見上げると一滴の雫がユリーナの頬に当たって弾けたのだ。


「よし、いいぞ!遂に天が我々に味方してくれた!!」


ユリーナは近くの護衛兵と伝令兵を呼ぶ。


「諸将に伝令、至急我が命を伝える!!」


兵たちは急いで各将に伝えに行き、緊急の会議が始まったのだった。


◆──始まりの雨──◆


 もう一般市民が眠るような時間、小雨が降り出した夜中に将たちが集う。

緊急会議で集められた将軍や大卿たちは何事かと思いながら、

ユリーナとともにテーブルを囲んで座った。

テーブルの上の大きな燭台の揺れる火が、

揺らめきながら諸将の顔を照らす。

全員が揃ったところで、

ユリーナはそれぞれの顔を見る。

困惑する顔の者より、不満を持った顔をした者がほとんどだ。


「よく集まってくれた皆──」

「なんだ、また防衛戦をして撤退しろと?」


満を持して声を発したユリーナだったが、 

それを途中で邪魔するジャンス。

荒んだ言葉遣いを横で窘める将軍ヤウェイ。

よい、と言わんばかりの手でユリーナはそれを無言で制した。


「此度はそうではない。遂に反撃の時がきた」


ユリーナがこの言葉を言い終えた時、

不満めいた場の空気は歓喜に変わる。


「おお!」

「やっとですか!!」

「待ちわびましたぞ!」


諸将が声を発する中、ジャンスだけフンッとだけしか言わないが、雰囲気で少し喜んでいることが長い付き合いのものたちならわかる。


「皆も知っているだろう、今小雨が降っていることを。

時はきた、ヤウェイ将軍は8000の兵を率い、アンガー砦を囲む山に兵を2つに分けて陣を構えよ。

そして敵軍すべての侵攻を確認した後、敵を挟み撃ちにするのだ。

そして直ちに出陣せよ」


ユリーナは壁にかけてあったアンガー砦周囲の地図を指さしながら、

ヤウェイに言う。

ヤウェイは命令を聞いてとても驚いていた。


「たっ、直ちに出陣ですか?小雨の中を?!」


ヤウェイが疑問を述べると、ユリーナは大きく頷く。


「ああ。

それに、雨が降る中の方が動きを悟られにくい。

山を登る時は慎重にだ、敵に位置を知られぬようにな。

さあ、行くのだ!!」


ユリーナに言われ、ヤウェイは席から立ち上がり、

一礼をしてから兵を動かす札を預かり、部屋から去っていった。

次にユリーナはジャンスの方を見る。


「ジャンス将軍、アンガー砦からリム川の方角に分隊を待機させ、敵が逃げてきたら追撃をかけるのだ」


ユリーナは地図で配置する場所を次々と指さし、

札を各将に渡していった。

ジャンスは札を無言で奪うように受け取り、その場から去っていく。

その後全員がすぐに出撃し、雨の中進軍していったのだ。


~~~~~~~~~~~~


 諸将の出陣でユリーナだけになった部屋にハールはたった1人で入ってきた。

雨が降る窓の外を眺めながら、足音だけでハール入ってきたとわかったユリーナは大きく息を吸って、小さく吐いた。


「どうしたハール?」


傍に近づいたハールに声をかける。


「大将軍は、ようやく雨が降ったというのに喜んでおられませんね?」


ハールは背中と、漂わせるオーラだけでユリーナの心情がなんとなく読めるようになっていた。

師と弟子として過ごした中で、ハールが身につけた人間観察の賜物ともいえよう。

だが、その声は師の心を案じる儚さを纏わせており、

ユリーナ自身も声音だけでハールが自分を心配しているのだとすぐにわかった。


「雨季が近いなら、雨はいつかは降るものだ。だが戦は時の運ともいう、決して順調にいくとは限らないのだ。

常に緊急事態が起こったことの想定を二手三手考えねばならない。

戦が終わるまで、安堵する時など訪れないのだ、まだ始まったばかりなのでな...」


ユリーナはずっと外の雨を眺めていた。

木で作られた窓をから見える雨と外の風景はまるで動く絵画のよう。

ハールは言葉を聞き、まだ本心を隠しているとわかり、尋ねる。


「本当にそれだけですか?」


するとユリーナは大きくため息をついて瞳を閉じた。


「我が軍の兵の中には数百人と防衛のために命を落とした。

そしてこの戦いでも、敵の総勢力を叩くのだ。

被害が出ないことはないだろう...この雨は惜しくも散っていった同胞の血と涙なのだ、

そしてこれから散るものへの、手向けとなるだろう」


ユリーナの思いを聞き、ハールは切なくなった。

兵から不満は出ていたが、誰よりも皆のことを思いやっているのは大将軍本人なのだと。

雨を眺めながら語るユリーナを見て、

まるでその雨が彼女の心を表しているように。

彼女たちがこうして話している間も、

セイヴローズ軍は来る戦いにむけ、急いで行軍していたのだった。


(続)


◆──番外・母の功──◆


 ルナーイで雨が降る前日、セイヴローズの王都の中心部から離れた場所にある、

自然に囲まれた屋敷にて、女王ヴィネアは母ヴェルと庭でお茶会をしながら、話をしていた。


「そうですか...未だ防戦一方ですか」


陶器で茶を飲みながら、ヴェルは呟いた。


「母上にご挨拶しにきて、このようなことを言うのも申し訳ないですが、私は不安なのです」


ヴィネアはお茶を飲まずに、ずっと器を握って小さいため息を何度もついている。

娘の不安な様子を見た母は、ヴィネアの近くに寄り添い、その手を握る。


「信じなさいヴィネア。

ラヴィア亡き今、ユリーナはそなたの唯一の義姉あねなのです。

それは私の娘同然、ユリーナは何度もラヴィアと死地を共に歩み、我ら家族を手助けしてくれた一番の忠臣。

そなたが信じれないなら、もう誰も信用できなくなるでしょう?」


勇気づけるような、母の力強い言葉にヴィネアは安堵した。


「確かにその通りですね。義姉上と少し離れて、王宮での生活も大変で、心を乱しかけてしまいそうでした。

ありがとうございます母上」

「よいのですヴィネア」


ヴィネアは久しぶりに母にあえて嬉しかった。

そして常に気を揉むことになる城より、

こうして気兼ねなく話せる人がいて心が安らぐ。


「母上も、宮殿に住めるのにどうしてこんな離れに...私はそばにいてほしいです」


ヴィネアは少し不貞腐れたような、いじけた声で言うと、

ヴェルは儚げに笑った。


「これはそなたのためなのですよ」

「私のためですか?」

「ええ」


ヴェルに自分のためといわれ、納得できないヴィネア。

ヴィネアからすれば、そばにいることの方が、自分のためだと感じていたからだ。

それを察したのか、ヴェルは真剣な顔でヴィネアを見つめて話し出す。


「私も、そなたの顔を毎いていたいくらいだが...世の中の立場は難しいもの。

私が城にいれば、権力を求める者が近づいたり、私の立場を利用するものも近寄ってくるでしょう。

王より、王の家族が力を持ってしまっては王の威厳も損なわれ、国が滅ぶ...これは過去の歴史が証明しているのです」


ヴェルは指先からそっとヴィネアの腕を撫で、

頬に触れて瞳をじっと見つめた。


「あなたはあなたらしく王として国を治めなさい。

王として過ごすことが辛ければ、たまにこうして母と子として会いましょう」


ヴィネアはこの言葉を聞いた瞬間、堪えきれなくなり、瞳から涙が溢れた。

強くあらなければいけない自分と、本当は強くない自分の心が離れかけていた。

それを母がしっかりと繋いでいてくれていることに、感謝の気持ちが溢れて止まらない。


「母...上......」


自分の頬を触る母の手をそっと握りしめ、

子どもとしてそのひとときを過ごしていくのだった。




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