第4話 第一の政治
視察から帰ってきたヴィネアはターネスら家臣たちから、
密かに都を出ていたことをきつく注意された。
だが、そんな小言は今のヴィネアには何も聞こえないのと同じだ。
自らのやるべきことを見つけた彼女の、
女王の思考には何人たりとも干渉することなどできないのだから。
◆──救うこと、守るもの──◆
日も昇っていない早朝、
ヴィネアは外で強く振り続ける雨音が耳に入り、眠りから目覚めた。
一粒一粒の雨音が一切ききとれない豪雨、
その音を耳に流し込み、
ベッドで寝転がったまま目を開ける。
──なぜ、雨は降るのか?そしてなにをもたらすのか?──
幼い頃から、考えてきたことでもある。
雨を天からの恵というものもいれば、
天の悲しみの涙と言ったりする。
雨は日照りの時は生命を救い、人々の命を繋ぐ。
だが、雨は振り続けると河川は氾濫し、洪水などの災害をもたらし、
人々の命を呑み込む。
雨は正義なのか、悪なのか、
どちらか決めることなどできないと思っているのが、
ヴィネアの結論だった。
かつてこの考えを、姉に話したことがある。
…姉上は雨について、どう思われます?…
…私か?そうだな...私にとって雨は、一つの問題提起にしか過ぎないのだ。
戦でも雨はつきものだが、雨を利用できた者は勝利し、利用できなかった者は敗者となりやすい。
たとえ天が怒りで雨を降らせ、災害が起こったとしても、どこかでその雨が恵になる者がいる。
天の恵か、災いかなど、当人たちが決め、いかにそう見せるかなのだ…
姉の言葉を思い出し、ヴィネアはゆっくり瞳を閉じる。
──雨が恵になるか災いになるか、私次第──
頭の中で様々な思考をめぐらせ、
今日の議論の場のことを考える。
そうこうしている間に、ヴィネアは知らず知らずのうちに、
2度目の短い眠りの世界に落ちていった。
~~~~~~~~~~~~
議事堂では文官武官たちが集まり、王が座するのを待っている。
人によっては小声で世間話をしている中、
女王がやってくる気配を感じ、
全員が黙って頭を下げだした。
王の足音と小雨の音だけが議事堂に響く。
玉座にヴィネアが座ると、
皆がおもてをあげる。
それを見計らったヴィネアは話し出した。
「まず初めに、今日の議論の内容について私から話があります」
威風堂々とした顔と座り構え、芯の通った声に、
重臣たちは「なにごとだ?」と響めく。
「皆も知っているとおり、私は密かに視察を行い、民の暮らしを少しばかりでも知ることができました。
その中で、身分によって苦しむ者や利権を独占する者たによる惨状を目の当たりにし、
心が痛むできごともあったのです。
そこで、私はある政策を考え、皆に提案する」
ヴィネアが政策を言いきる前に、
重臣たちがざわつき出す。
「皆静まらぬか、まだ陛下のお言葉の途中である!」
ターネスが代表して他の重臣たちを諌め、
静かになったらヴィネアは頷き、
話を続ける。
「私が提案することは...独占商人たちの独占を止めさせ、身分に関わらず商いをできるというものです!」
議事堂に響き渡るほど大きい声と、その内容に、
ほとんどの重臣が驚く。
ユリーナはヴィネアの顔を見て、
瞳の琥珀が力強い光を放っているように感じ、
決意の固さを知る。
議事堂内が少しざわついた後、
「陛下、それは納得いたしかねます!」
と声を発する者がいた。
その声の主は、五大司長の一人であり、
建設に関わる【建土司長】のクロカート・ダートンだ。
つり上がった目と、顔の大きい丸顔に圧力を感じる見た目が特徴的だった。
「国の経済の大半を支える高族の独占商人を一気に取り締まってしまうのは、経済に大きな影響が生まれてしまいます!」
クロカートがヴィネアに対して、反対する意見を述べる。
すると今度は同じく五大司長の一人【刑法司長】のバロッサ・エーベヘインが口を開く。
「私も建土司長と同じ意見です。経済だけでなく、高族の商人全てが不満を募らせ、国を揺るがします!
陛下、どうかお考え直ください!!」
やせ細く、身長の高いバロッサの見た目に合わない、低く野太い声で反論してくる。
それと同時にほとんどの重臣が
「お考え直しください!!」
と同調する。
ヴィネアはその様子を見て、苛立ちを感じ、両手の拳を強く握りしめた。
なぜこうも皆反論するのか、苦しむ民のことをなぜ考えないのかと、
優しさから込み上げる怒りだった。
この様子を見ていたターネスは、
ヴィネアの意見を肯定することも否定することもなく、ため息をついて考え込む。
それからしばらく議論は続いたのだが、
話は一切進まず、ただ時間だけが過ぎていったのだった。
◆──思惑の政治──◆
議論が終わり、王宮に戻ったヴィネアは椅子に座りながら、頬杖をついていた。
「はぁ...反対は予想してたけど、こんな大反対なんて」
反対の声がないとは思わなかった、だがほとんど全ての重臣が反対するのは困った。
それに少し恐ろしかった。
ともに視察に行ったユリーナもなにも言わずに黙り込んでいた。
武官のユリーナにとっては関わる余地はなかったかもしれないが、
少しくらい意見は言ってくれてもよかったのに、
と思ってしまう。
──でも、誰か一人くらいは賛同してくれても──
王として振る舞う時の緊張だけではない疲れを感じながら、色々考えていると、
護衛官がやってくる。
「失礼します、陛下!」
だらしない顔と姿勢を急いで正し、
王の振る舞いをつくった。
「な、何事ですか?」
「大司長が謁見を求めています」
「タ...大司長がですか?」
大司長のターネスの謁見、これは驚きもあるが、ヴィネアにとってはちょうど話を聞きたいと思っていたところだった。
議論中は反対派の意見に同調することもなく、
徹底して黙りをきめていたからだ。
その理由を聞きたいと思っていたのである。
「すぐに通しなさい」
護衛官は命令を聞き、急いで下がった。
そしてすぐにターネスが険しい顔をしてやってきたのである。
頭を下げて礼をするターネスの表情は一切変わらない。
ヴィネアはそれを見て、すぐに近くの椅子に座らせるように促した。
ゆっくりと腰をかけたターネスに、ヴィネアは王としての立ち振る舞いを少し解いtw、自身の考えていたことを聞きだしていく。
「大司長...いや、ここは2人しかいないのでターネスと呼ばさせてもらいます。
ずっと気になっていたのです。
議論中あなたは、
私だけでなく他の重臣たちの肩をもつことはありませんでしたね?」
ヴィネアは幼い頃、勉学の師としてのターネスに声をかける。
その声音は王としての気迫ではなく、
単純な優しさに満ちた音だとターネスも気づき、
険しい顔を少し緩めた。
「私はあなたの考えが知りたいのですターネス、教えていただけませんか?」
「そんな...いただくなど私には勿体ないお言葉です──」
ターネスはいかに今は2人きりの話だろうと、
主と臣の越えてはいけない壁を、しっかり守ろうとしている。
ヴィネアにとってはターネスの忠義心を知るのと同時に、
懐かしさを喪失したような、少し寂しい気持ちを覚えたが、
口には出さなかった。
「──私がなにも口を出さなかった理由、
それはどちらの体面も保つためです」
ターネスの発した言葉を即座に考える。
どちらのというのは恐らく自分と他の司長たちだろう。
だが体面を保つというのがいまいち完全に理解しかねる。
「どのような体面...なのです?」
なにかを恐れるように尋ねてみると、
ターネスは少し横を向き、上を見上げてから再度話し始める。
「陛下のお考えは理解しました。
確かに独占商人と高族たちの利権が、多くの民たちにとって苦となるのは、ずっと問題になっておりました。
先王のラヴィア様も大変お悩みになられていたのです」
ターネスの言葉で、姉も同じことを考えていたのだと知り、
ヴィネアは驚くと同時に少し嬉しい気持ちが生まれた。
だがすぐに、その気持ちはターネスの言葉で、薄れていくことになる。
「陛下は解決策として、高族の利権を全てなくす旨を伝えますたが、私はそれは完全には納得はできないのです」
「そ、それはなぜ?」
「他の重臣たちの言う通り、国の経済を支える高族の不満が生まれるというのもありますが、冷静にお考え下さい。
その高族たちを贔屓にしているのは誰かということを」
「!?!?」
ヴィネアはここまで言われ、全てを察した。
なぜ重臣たちが反対していたのかも。
ヴィネアが全てを悟った表情を見せると、
ターネスは一度こくりと頷き、さらに話を続けた。
「そうです、高族の商人たちの利益は、家臣たちのの利益になるのです。
その利益が正当なものか、そうでないかは定かではありませんが...独占商人の後ろ盾は他の司長たちや、他の要職に就くような者なのです。
商人の不満は、他の家臣たちの後ろ盾を剣に変え、
矛先を陛下や賎人たちに向かれる可能性もあるのです」
「その通り...ですね」
ヴィネアでも納得してしまう当たり前のことだった。
商人たちと家臣たちの繋がりに無頓着だったことに、自分が恥ずかしくなる。
だから姉も簡単に決断できなかったことなのだと。
「ではターネスは、私が過ちを犯していることを示すために?」
「いえ、そんな大逸れたことは言いませぬ。
私もいずれ独占商人の問題は解決せねばならないと考えているのです。
しかし、物事には順序が必要、方法と時を選ばねば...」
「方法と時ですか?」
「はい、他の家臣たちを敵にすることは、朝廷と国の混乱を招くことになります。
ラヴィア様もそれを回避するために、熟慮されておられたのです。
今全てを叩こうとすれば、彼らは陛下を敵視し、国の崩壊を招きます」
ターネスは真剣な表情で、ヴィネアを諭すように話し続けた。
ヴィネア自身も、自らを見つめ返すような表情をして、真剣に聞いていた。
それはまさにかつての師と弟子のように。
「では、私がどこまで譲歩すれば他の重臣たちは食い下がるのですか?」
話を聞いたヴィネアにとって、
まず解決したいのは不和である。
そのためにどこが彼らの許容範囲かを知る必要があった。
そしてターネスは一切の躊躇いなく、結論を述べ出す。
「独占商人を取り締まるのはお取り下げ下さい。そして賎人でもできる商いをいくつか選ぶ...それしか道はありませぬ。
そこまで譲歩なされれば、家臣たちも納得し、朝廷の波乱も回避でき、賎人たちに明るい兆しができるでしょう。
これが政治なのです...」
ターネスの言葉を聞き、ヴィネアは下唇を噛み、静かにため息をついた。
それが果たしてやむを得ない意味なのか、なにかに対する憤りなのか、ターネスには知ることはなかったのである。
~~~~~~~~~~~~
ターネスとの会話を終え、1人になったヴィネアは夜に王宮の庭を眺めていた。
ため息をつき、悩みぬく姿をお付きの者にさえ知られぬように、
後ろに手を組んで、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
そして雨も止み、静かな暗闇を見て、視察で出会った賎人階級の者たちを思い出した。
悲しそうな顔の者、苦しむ者、生気すら失った者までいた。
──政治か......すまない、全ての者たちを今の私は救えない......許してください──
ヴィネアは瞳を閉じ、近くのお付きの者を通じて、王命を記録する司長【伝命司長】を呼ぶのだった。
~~~~~~~~~~~~
翌日、議論の場で決定された法案は
『賎人階級の者でも、自ら栽培した農作物は、特定の場所以外でならどこでも販売してよい』
というものだった。
もちろんこの特定の場所というのはもちろん、
独占商人の手が届きにくい場所である。
ヴィネアの方が今回は積極的に譲歩し、事は収まった。
しかし議論後、王宮の庭で空を眺めるヴィネアは決して晴れ晴れした気持ちではなかった。
曇り空から、小雨が降り出す。
お付きの者は中に入れと言うが、ヴィネアは小雨にあたってなお空を見上げ続けた。
──私にとってはこの政治こそが雨なのだな──
瞳を閉じ、微かな風を感じ、この雨の冷たさの感覚を体に染み込ませる。
──この雨を忘れはしない、必ずこの政治に打ち勝ってみせる!──
ヴィネアは1人決心し、両腕を広げる。
空には雨が降っているのに、なぜか雲の間からかすかに光が射すのだった。
◆──エピローグ──◆
セイヴローズ西部の街・タルナカム、
河川と海と砂漠が近くにあるこの街は、貿易が盛んであり、都に匹敵する人で溢れている。
タルナカムのとある豪邸にて、
真夜中の静けさに紛れ込むように、屋敷の前に輿がとまる。
そしてゆっくりと輿から降りてきたのは、白髪に、胸の位置までの長さの髭を蓄えた、
高族階級の男だった。
男は屋敷の召使いに木で作られた札を見せる。
召使いはそれを確認し、屋敷の中の大きい広間へ案内した。
男が広間に入った時、
「テファン様、おいでになられましたか!!」
と広間で既に待ち構えていた男たちが、20人ほどテファンに声をかける。
テファンは手を振って挨拶をすると、
広間の上座の部分の席に座り、咳払いをしてから口を開いた。
「皆、よく集まってくれた。未だ我らが祖国【ダーチュワ】に忠誠を誓う者がこれほどいること、誇りに思うぞ。
早速だが、皆に伝えたいことはただ1つ、決起の時がまもなくやってくる」
テファンが髭を撫でながら喋ると、
他の男たちは皆興奮しだす。
「ついにきたのですね!」
「我々の戦いがついに再開できるのですか?!」
「このときを首を長くして待ち望んでいました!!」
奮い立つ同志の様子を見て、テファンは満足気に、誇らしげな表情をする。
この夜、彼らの会合は長く続き、
セイヴローズに大きな嵐を起こしかけていた。
(続)
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