恋心と悲哀 7

 美波は耳に髪をかけ直して奥の席に座る。

その隣に凛花がすぐに座ったのは、悠馬の絡みから彼女を救いたかったのかもしれない。


「泣くなよー、変態垂れ目小僧。私が一緒に座ってあげるから」


「ね……姉さん!」


 詩織さんに両手を広げた瞬間、俺は悠馬の襟元を掴んで気持ちだけを前に進ませた。

そして、悠馬の後頭部に軽い頭突きを食らわせる。

彼は悲鳴に近い声を上げていたけれど、俺は聞く耳を持たずに女の子二人の前に座った。


「私……回転寿司って初めて来たわ。こういう感じなのね」と、ピアノで慣らされた指先でタッチパネルを操作している。


 話を聞いてみれば、俺たちが踵を返した店などで普段から食べているようだ。

才色兼備で裕福な家庭の彼女らしい。


 こうしてみると、回転寿司などは好みがわかりやすいと感じる。

寿司を食べたいと言っていたはずの悠馬は、サイドメニューばかり食べている。

美波は白身魚、貝類、赤身など満遍なく選んでいるが、凛花はエンガワと玉子だけを食べている。

詩織さんにいたっては、デザートだけしか食べていないようにみえた。


「――なあ、美波ごめんな」


「え? なにが?」


「練習も長くなったし、今も……」


 美波は首を横に二回振った。


「ううん、嬉しかった。私……食事に誘われたりしないから」


 彼女は同級生から気難しい人間と、誤解されている節がある。

色々と影で言われているようだが、それは彼女の容姿であったり、成績優秀であることも大いに関係しているだろう。

嫉妬が張り巡らされる中で、強くあり続けることは並大抵のことではない。


「勉強も大変でしょ? バンドだってあるし」


「そうね……でも、いい息抜きになるから。外村くんは? 勉強は進んでいるの?」


「俺……? してないよ」


「え……してないの?」


「まったく……してないよ」


「進学……? するんだよね?」


「んー、多分ね。わからない」


 不思議な生物を目撃したように、美波の大きな目がさらに開かれている。

この時期に進路が決定していないことへの驚きが隠しきれていない。

しかし、簡単に決められることでもない。

進学することは金銭が絡むからだ。

何となくという理由で進学することは、両親に対して不義理なことであると感じている。


「あの……私も……一緒……です」


「え?」


「私も……進路……決まって……ないです」


「ああ、凛花ちゃんは二年だから、まだ大丈夫だよ」


「二年生だからでしょ。島崎さんは、早めに進路を決めたほうがいいわよ。目の前にいるニート予備軍の仲間にならないでね」


 イカを口に含んだ美波の俺に対する視線は、とても鋭かった。


 楽しい食事を終えて詩織さんが会計をしていると、店外から怒号が聞こえた。

先に出ていた悠馬の身を案じて扉を開ける。

店の薄汚れた壁に追い詰められている彼の下半身が目に入った。

三人の男に囲まれて、子犬のように足が小さく震えている。


「おい……!」と、取り囲む人物たちに声をかける。


 彼らの隙間から、泣きそうになっている悠馬の顔が見えた。

スキンヘッドで眉無しの肩幅の広い男、黒髪のオールバックに顎ひげを蓄えた細身の男がいる。

もう一人の男は知った顔だ。

サイドを刈り上げて、金色の短髪を逆立てている。

特徴的な鷲鼻、目は大きく垂れ目であって、顔面の右側、首筋から額にかけて幾何学模様の入れ墨を入れている。


 スキンヘッドの男が突進してきて、俺の胸ぐらを掴む。


「なに見てんだ、このやろう! お前もそこのガキみたいにボコしてやろうか!? ああ!?」


「やれるもんなら、やってみろよ。このハゲ」


「てめえ……!」


 スキンヘッドの男が拳を振り上げたが、俺の身体に届くことはなかった。

鷲鼻の男がスキンヘッドの右肘に、自身の右肘を交差せさせて止めたからだ。


「なにすんだよ!」


「――お前じゃ……こいつには勝てねえよ。

久しぶり……だな、優詩」


「久しぶりだな……尋也」


 真木尋也まきひろや

俺とかなめとは幼なじみである。

現在は、反社会勢力に傾倒しているようで悪い噂しか聞こえない。

最近、少年院からでてきたが、残虐性をもって暴力の限りを尽くしているそうだ。


「なあ、優詩……俺とまた一緒に暴れようぜ。かなめも一緒によ。退屈だろ?」


「俺は……やらない」


「ああ? なんだよ……真面目なふりすんなよ」


 俺が携えたギターに、尋也は顎を上げて「それ」と疑問をぶつけてくる。


「ギターか? バンドでもやってんのか?」


「そうだよ」


「そうか……」


 先程まで力強く見開いた尋也の目は、瞼の隙間を少しばかり減らした。


「――なんで悠馬に絡んだんだよ」


「ああ……このガキ、中学の時から優詩のこと慕ってただろ? だから、優詩のこと聞いたら……知らねえ、教えねえっていいやがるからだよ」


 詩織さん、美波、凛花の三人が店から出てくると同時に、オールバック男が悠馬の髪を引っ張り上げた。

オールバック男の膝が悠馬の顔面に埋まる。

鈍い音とうめき声が駐車場に流れた。


「ちょっと……! なにしてるの……!?」


 その場に倒れ込んだ悠馬に駆け寄ったのは美波だった。


 オールバックの男は悪びれる様子などなくて、薄ら笑いを浮かべている。

自慢であろう顎ひげを弄んで、悠馬の口元にハンカチを押し当てる美波を見ていた。


「おお、いい女だねえ。これから、俺たちと遊ぼうぜ」


 血を吸ったハンカチが地面に落ちる。

美波の手首を掴み上げたオールバックの男は、力で屈服させることを至上の喜びとしているようにみえる。


「離して……!」


 俺は尋也の隣を素早くすり抜けて、オールバック男の左の脇腹めがけて前蹴りを当てる。

不意打ちが決まって、男の身体は地面からも攻撃を受けた。

蹴る直前に美波の腕を俺が掴んでいたから、彼女が巻き込まれることはない。

蹴り飛ばされて地面に伏しているオールバック男は、攻撃された箇所に急激な筋肉の収縮が起こる。

横隔膜の痙攣によって、正しい呼吸ができていない。


「てめえ! このガキが!」と、スキンヘッド男が俺に左拳で殴りかかってきた。

右側後ろに身体を引いて攻撃を回避する。

左手に持ったギターの遠心力を利用して、無防備になった彼の右頬に強烈な右フックで殴りつけた。


 店前にいる詩織さんは拍手をして「おー! ダウン!」と、嬉しそうに声を上げている。


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