恋心と悲哀 4

 詩織さんが悠馬の代わりにドラムを叩く。

課題曲を歌無しで合わせていると、美波が離脱する時間を迎える。

結局、悠馬の姿が部室に戻ることはなかった。


「じゃあ、悪いけど私は行くね。それと――」


 雰囲気を悪くしてごめんなさい、悠馬の一件で頭を下げている。

両手で空気を掬い上げて、彼女の頭を元の位置に戻す。


「オリジナル曲お願いねー」


 ドラムスティックを左右に振っている詩織さんに会釈して、美波は部室から出ていく。

話している時の寂しげな目は、怒ったことを少しばかり後悔しているようにみえた。

詩織さんは首を陽気に揺らして、シンバルを細やかに小さく鳴らす。


「ふふー、いいね」


「なにがですか?」


「青春って……感じでー」


 バスドラムがキックされる。

振動が部室から外壁へと逃げていく。


「――さっきの喧嘩のことですか?」


「うん」


「よくないと思いますけど」


「お互いが成長できるからねー。時には争うことも大事だよ」


「そう……ですか」


「まあ、今回は悠馬くんがほとんど悪いけどー。でも……凛花ちゃんも下手って言ったのは、よくなかったと思うよ」


 打音にスネアも入ってきて、会話を邪魔する8ビートが俺と凛花に突き刺さる。


「……ごめん……なさい……」


 どんどんと小さく丸まっていく凛花の背骨が、ブラウスから浮き出てきそうだ。

前屈みになっている彼女の何かが、背骨だけを残して飛び出していってしまうのではないか。


「大丈夫だよ。メンバーなんだから、言い返したっていいじゃん。

悠馬も意地になっただけで、本当に怒っているわけじゃないよ。それに、あいつからしたら――」


 美波の言葉と叩かれたことに心を乱しているから、凛花のことは気にしてないと思う、と伝える。

しかし、凛花の顔は俺の視界に入らない。

自身の世界へと彼女は放浪していく。

止めないと。奥へ奥へと入り込むのはよくない。


「――このギター、弾いてみる?」


 唐突に話題を変えると、すぐに顔を上げた凛花の眼差しは輝いてみえた。


「い……いいんですか……?」


「いいよ」


 凛花はベースをスタンドに立て掛ける。

先程まで折れそうだった彼女の首にストラップを回してあげた。

小柄な凛花であるから、背後に回り込んでストラップの長さを調整する。

ロックギタリストのように低めの位置で設定した。

腰付近で低く構えるギタリストは、長年の歪みが身体に蓄積して、その不調を嘆くことが多い。

最後は胸元までギターボディを上げる人もいる。

もちろん、高い位置のほうが演奏性も良い。

見た目の格好良さ、というものを捨てたとして。


「わ……すごいです……本物なんですよね?」


「そう、職人さんが作った一本だよ」


「感動……です」と、新しいおもちゃを与えられた子供のようだ。


「弾いて……いいですか?」


「いいよ。適当に弾いてくれて、大丈夫だよ」


 彼女はアンプのつまみを回して、軽く歪んだクランチサウンドにした。

グランジの先駆けとして知られるバンドのギターリフを奏でる。

簡易な動きであっても、弾いているという感覚が強く残る有名なギターリフだ。

適度なブラッシングが心地よい。


 俺のほうを一瞥してから、凛花はアンプのつまみを時計回りに大きく回す。

今度は重低音の効いたセッティングだ。

スラッシュメタル四天王の一角、彼らのギターリフをダウンピッキングで弾いた。

雷鳴が轟いた後、台風の中を通り魔に追いかけられるような音が鳴る。

ギターも弾ける彼女の腕前に感心した。

彼女が好きだと言っていた、シルクハットを被るギタリストの名リフを奏でる。

ガラス玉を反発させてから、餅にぶつけて引き伸ばしたようなギターリフが素敵だ。


「――気持ちいいです……雑味がない……というか」と、音色に身体を預けていた凛花は恍惚とした表情をしている。


 高校生の女の子が弾くギターリフとは思えない。

その選択が彼女の音楽好きを教えてくれた。


「すごいねー! ギターもそんなに弾けるなんて!」


「ひいい……!」


 その日は解散して、約束の期日まで曲作りや個人練習する日々が続いた。

無人の教室や公園で作曲したり、俺は黙々と練習する。

一週間の日々で、あの時の親子に会うこともあった。

子供が喜びそうな日本で有名なアニメの旋律を奏でる。

その度に女の子は、報酬として飴玉を俺に与えてくれた。

一粒一粒が隠している心を太陽の下に歩みださせてくれる気がする。


 高校三年生。

夏休みの一週間は、驚くほど早く過ぎていく。

止めたくても止まらない。

時の流れは、怖いものだった。


          *


「おはよー! 曲はできた?」


 俺、美波、凛花の三人に真夏の暑さを吹き飛ばす声が爽やかに響く。


「曲は……できましたけど、歌詞はまだです」


「私は歌詞もありますけど、バンドアレンジは、みんなで考えてください」


「わ……私……一応、アレンジも……やってあります」


「そっかー。じゃあ、あとは変態垂れ目小僧を待つだけだねー」


「――もう、いますよ。ほら」


 俺が指差す方向には、スネアに側頭部を預けた悠馬がいる。

彼の意識は、どこか遠くの国で遊んでいるにちがいない。


「えっ! うそ!? 負けたー、変態に負けたー!」


「――私が来た時には、もういました」


 美波が鍵盤を見ながら答えた。


 俺は悠馬が早い理由を知っている。

その理由は彼にとって、誇りを守るためだったのかもしれない。

人には見せない想いが存在している。

そこに一種の美徳があるのだと、俺は何となく理解していた。


「おい、起きろよー! 練習始めるよー!」


 悠馬の耳に息を吹きかけているが、彼の身体は一向に動きをみせない。

死人にでもなってしまったのか。

床方向に垂れた彼の腕をスキージャンプくらい持ち上げてみても反応がない。

彼女が悠馬の身体を弄んでいると、凛花がドラムスティックを手に持つ。

何をするのかと思ったら、スティックの先端を彼のつむじに叩きつける。


 ゴルフの打音よりは鈍い音がした。

この間のことを……恨んでいるのだろうか。


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