恋心と悲哀 3
「そう……」
それ以上、追求することも助言をすることもなかった美波の口元は小さくて、鼻腔からも小さな音を出した。
「まあ、練習すれば叩けるようになるよ! 気にするなー、変態垂れ目小僧!」
巻き肩になってしまった悠馬の首に腕を回した後で、詩織さんはメンバーに顔を向ける。
「――ねえ、みんな。一つ提案があるの」
不敵な笑みを浮かべる詩織さんに「なんですか?」と、俺は眉をひそめて言葉を返した。
「――オリジナル曲を作ろうよ」
人差し指を立てて、詩織さんは部室内を歩き始めた。
「オリジナルですか?」
「うん、せっかくライブやるならコピーじゃないほうが楽しいよ!
コピーバンドも楽しいけど!」
「オリジナル……か」
オリジナル曲の提案を思案する間もなく、美波が詩織さんに現状を告げる。
「まだプログラムは決定していませんが、どれくらいの時間をもらえるか、わかりません。
ライブは二日目になると思います。当日は後夜祭があるので、もらえる時間は三十分程度だと思います」
「そっかー。まあ、ライブまで時間もないし、優詩くん、凛花ちゃん、美波ちゃんの三人で曲を作ってよ! それで三曲だから、時間的にちょうどいいかも!」
俺のことは置いたとしても、先程の演奏を見て美波と凛花が経験者であるとわかっている。
作曲能力を兼ね備えているかをアレンジなどで見抜いたのだろうか。
肩を組まれて顔の血流が目立つ悠馬が、片側に皺を寄せて俺たちの会話を割る。
「ちょっと、姉さん、姉さん! 俺だけ無視されてないっすか?」
「きみは、ドラム練習に専念だよ! それに、私も作らないから……仲間だねー!」
悠馬の頭部をかき回している。
嫌がるふりをする彼の乱れた頭髪に、俺が同情することはなかった。
「でも……美波と凛花ちゃんは大丈夫?」
凛花はできたとしても、様々な仕事があって勉学もしなければならない美波に時間の余裕はあるのだろうか。
「あ……はい……大丈夫です」
「できるけど……私、他のこともしないといけないから……期限は、いつまでですか?」
「うーん。一週間後でどうかな?」
その期限であれば可能であると、美波と凛花は頷いていた。
俺も曲を作るのか……時々、コード進行を作ってメロディラインを考えていたから問題はないと思う。
「じゃあ、オリジナル曲で参加ということで。
あと……合わせるのは、悠馬がもう少しドラムの練習をしてからのほうがいいと思う。
一週間後までに曲を作ってきて、悠馬はドラム練習をしっかりするということで、どうかな?」
「了解っす!」
みんなの賛同を得た後で事件は起こった。
人が揃えば文殊の知恵以外が生まれることもある。
人間関係が密になって、そういうことも起こり得るだろう。
詩織さんが悠馬に基本的なビートを教えている。
彼の手足が連動してしまったり、リズムが走ったりを繰り返していた。
その中で、一つの低音が刻まれていく。
一定のリズムで凛花の指が動いている。
悠馬の手が止まって、低音の弦楽器だけが声を上げていた。
「おい! お前なんだよ!」
「あ……ベース……あったほうが……わかりやすい……かなって」
「邪魔だよ! 俺が姉さんに教えてもらっている時に!」
「悠馬、メトロノームとかで合わせることも基本の練習だから。今は無いから、ベースでリズムキープしてくれたんだよ」
「ドラム……バンドで……重要だから……」
凛花が言うことは的を射ている。
俺はギターを弾くし、その音色が好きだ。
それでもドラムとベースがいなかったら、ポピュラーミュージック、ロックバンドは成り立たない。
ドラムもベースも非常に重要だ。
ベースなんて目立たないし、聴こえないから無くても良い、という声を聞いたことがある。
そのようなことはない。
明瞭に認識できていないだけで、存在していることは身体が認めている。
そこに生まれた発言は、ベース音無しの音源を聴いたことがないからだ。
「なにか……基準の……音が……あったほうが……」
「うるせえよ! なんだよ、てめえ! 自分ができるからって調子に乗るなよ!」
「…………。へ……へた……なくせに……」
普段の凛花からは予想できない言葉が飛び出す。
悠馬はドラムスローンから勢いよく立ち上がった。
「ああ!? お前、調子乗るなよ! いつもは黙ってるだけのくせしやがって!」
ドラムスティックを凛花に投げつけて、虚勢を張った悠馬は彼女の襟元を掴んだ。
俺が止める前に、一人の人物が凛花と悠馬の間に入って空中にある手首を掴んでいる。
「――なにしてるの?」
行動を憐れむというより、非難を全面に押し出した冷たい目をしている。
そして、美波のピアノで鍛えられた指が、悠馬の左頬を弾き飛ばす。
正義の手が彼のプライドと恋心を粉砕した。
「自分の不甲斐なさから他人に八つ当たりして、本当に格好悪い」
「いや、違うんすよ……! こいつがでしゃばるから……!」
「――バンドって、みんなで演奏するものでしょ?
そのために協力してくれたのに、その態度はなに?」
「だって……! 俺……!」
「――腕力で勝てない女の子に、一方的な暴力を振るうなんて最低だよ……」
学生鞄を持たずに、悠馬は部室から飛び出していった。
後を追うために俺は一歩踏み出す。
床に取り残されたドラムスティックを拾った詩織さんが俺に向けて声を出す。
「今は……一人にしてあげたほうがいいかもよー。
よくないことしたのは、変態垂れ目小僧もわかっていると思うから」
「そうです……ね」
「大丈夫? 痛くない?」と、美波は凛花の襟元を直している。
その姿は年上のお姉さんとして正しい姿に映る。
詩織さんも子供っぽいところはあるけれど、年上であることが垣間みえる時があった。
少しばかりの不安が胸に入り込む。
俺はリーダーとして、まとめられているのだろうか……と。
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