波浪と動向 6
しばらくすると、美波が「お待たせ」と言って現れたが、少しばかり首を傾げた。
馬から人になっている詩織さんが部外者であると悟ったからであろうか。
清廉潔白にみえる美波が、生徒会の立場や文化祭実行委員として、何らかの苦言を呈すると思っていた。
しかし、彼女は深く追求することはしなかった。
「そう。部員は三名……顧問は室岡先生」
「俺は無理矢理だ」と、下唇を出した室岡は悪態をついた。
「生徒会として受理するわ。すぐに活動したいなら、今から木崎先生に提出するけど……」
「ああ、ありがとう。そうしてくれると助かる」
「四宮先輩、今日もかわいいっす!」
悠馬が美波を褒め称える言葉を次々と並べたところで、彼女の怪訝な表情と不快感は健在だ。
詩織さんは「そんなんじゃ女心はくすぐれないよー」と、笑みをこぼしながら凛花の顎を持つ。
「今日もかわいいね。これくらいやらないと!」
男装した女子を彷彿とさせる表情で実践してみせたが、凛花は「ひいい……!」とだけ叫ぶ。
三人のコントに表情を変えない美波は話を続ける。
「じゃあ、木崎先生のところに行くけど……みんなはどうする? 来たほうが実情を知るのにいいと思うけど」
「行く行くー!」
一番行ってはいけない詩織さんが乗り気で、再び馬の姿へと変わった。
それを見ても眉一つ動かさない美波が、どこか位の高い人物におもえる。
下々の遊びには、我関せずといったところだろうか。
六人で歩いている廊下は、生徒がまったくいないから普段と違う顔を見せている。
生徒が談話する声も移動教室に向かう者もトイレに向かう者もいない。
美波が先頭を歩いて、次に詩織さんと悠馬が猫のようにじゃれ合っていて、俺と室岡の後ろに凛花がいる。
「さっき……言っていましたけど、木崎先生となんかあるんですか?」
「ん? あのババアは俺のこと敵視してくるからな」
「なんでですか?」
「あのババア、俺が準備室を私物化しているとか言って、教頭と校長に告げ口したんだ。他にも女子生徒からセクハラの相談を受けたとか言ってきやがって……」
それは真実だろう。
室岡が準備室は俺のパラダイス、と言っていたことを耳にしたことがあるし、女子生徒から彼を批判する声もあがっていた。
「顧問は嫌だが……あのババアとやりあうなら、お前らの手助けをしてやる。
どうにかして、ババアを失墜させたいんだ」
詩織さんに脅迫された時よりも、奥歯を噛み締めていることが彼の頬の動きからわかった。
教室よりも広くて、俺にとって馴染みのない職員室には数名の教師と目的の木崎がいた。
コーヒーの香りが漂っていて、目をつぶればカフェと間違うようである。
生徒に理解ある教師です、と立ち振る舞う者は、生徒にコーヒーを与えることもあった。
薄い信頼の対価にしては、ずいぶんと安上がりで香ばしいものだ。
「木崎先生、お時間よろしいですか?」
背後から声をかけた美波に「あら、四宮さん。なにかしら?」と、細目の横にある皺を満遍なく寄せている
つり上がった目が縁無しの丸眼鏡の中にある。
年齢は五十代前半にみえて、偽りの黒髪はショートカットだ。
担当している教科は、現代文や古典であった気がするが、俺のクラスを担当していないから詳しくは知らない。
「こちら、部活動の申請書です」
「これ……この間、四宮さんが持ってきた話は……この子たちのことだったのね」
「はい。顧問の先生も彼らは必死で見つけました」
そこまで必死ではなかったけれど……など野暮なことは言わない。
交渉人の美波に、すべてを託したほうが良いと思った。
「部員の人数が足りないようだけど? 部活を作るには五名からと校則で決まっているのよ」
「承知しています。ですが、部として一名の部員と一名の顧問で成り立っている部活動も存在します。
廃部になるのは部員がいなくなった時です」
「それは既存の部活だからよ。新たに作る部活動と比較してはだめよ」
「――部活動が乱立しないためのルールということはわかります。
なにかを行いたいという生徒の行動する機会と自主性を奪ってよいのでしょうか」
「奪うって人聞きが悪いわね……。大体、四宮さんはメンバーに名前がないようだけど、そこまでこだわる理由は……なんなの?」
「私は生徒会役員です。生徒会として、生徒が困っていたら助けたいと思っています」
「そう……素晴らしい心がけね。でもね、問題が起こったらどうするの?」
「問題ですか?」
「そうよ、私はそれを危惧しているの。十年くらい前になるかしら。あったのよ、軽音楽部。ねえ、室岡先生」
「ああ……そ、そうですね」
話を振られた室岡は、廊下での意気込みは焙煎されたコーヒーの湯気と共に天井に貼り付いている。
横目で彼の様子を伺うと、蛇に睨まれた蛙だった。
「……彼らは老人ホームの慰問や市のイベントに参加したりして活動費を募っていたわ。体裁よく資金集め……つまり、大義名分ね。それで、高額な機材などを買っていたわ」
「その行動が間違っているということですか? 市民にも老人の方々にも喜んでいただけたなら、不幸になっている人はいないと思います。
当校の評判だって良くなったはずです」
「――問題は文化祭でのライブよ」
「なにかあったんですか?」
「一般の方も来訪するから、その中に素行の悪い連中も来ていてね。ライブ終盤に暴動が起こったのよ。バンドメンバーや観客との大乱闘……警察や救急車も来て大変だったんだから」
「それは、その時の話です。詳しい事情はわかりませんが、暴れた人が悪いだけです。彼らが今現在、真摯に取り組むことと関係ありません」
「結局は、そういう音楽ってことでしょ? 当時の彼らはパンクだのロックだの言っていたけど、学校に迷惑をかけているじゃない。
人に迷惑をかけているじゃない」
「彼らが同様の問題を起こすとは考えにくいです」
俺たちを一瞥した美波は、木崎の剣幕に引かない。
「希望的観測ね」
「問題が起こると決めつけていることも憶測でしかありません」
「ねえ……どうしたの? 成績優秀で日本有数の大学に進学ができる、あなたがそこまでして関わることなの?」
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