波浪と動向 7
「前に言われたからです」
「――なにを?」
「困っている人がいたら……相手に寄り添ってあげて……と言われたからです」
普段から気丈に振る舞う美波が声を震わせている。
それは中学校からの付き合いで、初めて聞いた声だった。
「ライブで暴れる観客がいたら、どうするの?」
「あの……いいですか?」と、頼りなく弱々しい声が間に入る。
腰の後ろで両手を組んで、この場に不釣り合いな室岡が会話に参加しようとした。
「室岡先生は黙っていてください」
眉間と目元の皺、そのトライアングルから生まれる木崎の威厳に、小型犬の瞳では太刀打ちできるわけがない。
美波は学生鞄からファイルを取り出して、新たな用紙を木崎の机上に置いた。
「高校の文化祭で、そこまでの人数が体育館に集まるとも思えませんが……もし、大挙する可能性がある場合には警備員、誘導員によって整理します。
こちらは、生徒のボランティアを募りたいと思います。
当日のライブ中に問題が起こった場合、ライブは直ちに中断します」
「――無理ね。受け付けないわ。文化祭暴動の前例があるから」
聞く耳を持たない木崎は、湯気のあがるコーヒーを啜る。
俺たちの背後から「こんにちは。どうされました?」という声がした。
白髪頭を横に流した中老の男性が立っている。
今年から穴来高校の校長になった人物であって、人柄や素性を俺は知らない。
しかし、美波が事の顛末を語る際の柔和な表情と挙動は、威圧的な木崎と対照的だった。
「――文化祭ライブですか。良いのではないでしょうか、木崎先生」
「しかし……前と同じことが起こりでもしたら……」
「その当時のことを私は存じませんが……問題が起こったとしたら、その時は……その時で対応しましょう。
元々存在していた部活動であれば、新設とはならないので、部員数も特に問題にならないでしょう。
――彼らにとって、学生時代の思い出というのは、かけがえのないものです。
不安要素を追求するだけではなく、教育者である我々が生徒を応援することも大事ですよ」
「しかし……それは……」
「校長の私が責任を持ちます。音楽、バンド。
良いじゃないですか。私はね……ある人に教わったことがあります。
『一人で歩むことは困難、誰かと歩むことは苦楽』
――今できること、今を懸命に歩きたいと生徒が願うことは、とても素晴らしいことです。
私たちも……そうありたいですな」
「……わかりました。校長先生が、そうおっしゃるのであれば、軽音楽部を認めましょう。
その代わり、部室は当時の彼らが使っていた場所を使いなさい」
ロックなんてうるさくてしょうがないんだから、と言って背を向けた木崎に、室岡が反抗の声をぶつけた。
どうやら室岡が根城にしている準備室の奥にある部屋のようだ。
自身の生活をおびやかされると思った室岡の反対も虚しく「使わせてあげてください」と、校長に肩を叩かれている。
俺たちは室岡ではなく、校長に自身の頭頂部を見せた。
「バンド活動、頑張ってください。応援していますよ」
その微笑みが産んだ言葉は、本心で言っているように感じた。
部室となる場所へ向かうことにしたが、職員室を立ち去る際に、懸念していた木崎の追撃があった。
「――その子は、なんで被り物をしているの? 大体、お願いしにくるのに失礼でしょう。何年何組?」
「この子は日焼けが酷くて……顔を見せたくないんですよ。肌が弱い子なんで」と、俺が答えた瞬間に馬が木崎に顔を向けた。
美波と木崎が話している間は、俺の影に隠れていて存在を認識されていなかったようだ。
「わっ! なに……馬……? 馬?」
「父はギャンブルが好きで、競馬もやるから……家にあったものを被ったんです!」
「――ギャンブルとそれは関係ないでしょう! 夏休みだからといって、気を抜いて遊び呆けたりしないで! 特に馬を被っている、あなた!」
「了解でーす! 勉学に励みます!」
生物室の中にある扉を開ける。
奥にある生物準備室、この部屋に入るのは初めてだ。
赤茶色の古ぼけた二人がけのソファー、クリーム色になってしまった冷蔵庫、木製のテーブルにはパソコン、大きなモニターには埃が蓄積している。
さらに木製棚の上には、漫画本やら雑誌が置かれていて、いつ洗ったかわからないコーヒーメーカーがあるし、六個入りのコンビニパンが袋の中で干からびている。
授業の準備室というより、室岡の準備をする部屋だ。
この部屋の奥に以前、軽音楽部の部室となっていた場所があるようだ。
「おお、あんまり見るなよ。こっちだ。こっち」
長年使われていない部屋は、とてもカビ臭いのではないかという不安があったが、予想に反して室内は整然としたものだった。
十二畳程度の部屋、奥には黄ばんだ布がかけられた大きな塊がある。
左右に置かれたメタルラックに何かが置かれていた。
布が被せられて、そこには細々とした塵が積もっている。
「それ、あいつらが置いていったやつだ。使えるか知らないけどな……時々、換気だけはしていたから、まあ……問題ないだろう」
「おー、なんか秘密基地っぽくていいっすねー!」
俺の後に続いて入ってきた悠馬が辺りに目を向けて言った。
「じゃあ、あとは勝手にしてくれ。俺は隣の部屋にいるから。俺の快適な生活を邪魔するなよ」と、馬と美波を押し退ける。
最後尾にいた凛花の肩を粘った触り方をして気怠そうに消えた。
メタルラックを隠している布を外すと、コンパクトエフェクター、シールド、バンドスコアなどが並んでいた。
歪み系、空間系、モジュレーション系のコンパクトエフェクターが全部で一〇個ほどが置かれている。
ボリュームペダルなどもあった。
「おーかっけえっす!」
馬の姿から人型に戻った詩織さんと悠馬がハイタッチをしていた。
「いいねー! ツーバスじゃん!」
久しぶりに姿を見せたドラムセットは、シェル部分が青色、リムとラグが金色という派手なアクリルドラムだった。
隣にはドイツの有名メーカーのギターアンプ、アメリカ製のベースアンプ、日本メーカーのキーボードも立て掛けてある。
ドラムスローンに座った悠馬が何気なく放った一言に驚いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます