旋律の邂逅 7

 下駄箱に向かうと、一人の女子生徒が立っていた。

その人物は学年が違うから、三年生の下駄箱にいることを不審に感じる。

木組みの口が何個も開いていて、女子生徒は薄暗い周囲に溶け込んでいる。

隣にそびえ立つ物質から生まれた影を己に吸い込んでいるようだ。

校内の喜びの声とは相反している。

静まりかえった下駄箱で俯いている様子は、ホラー映画の恐ろしさもあり、美しくもあった。


「あ……せんぱ……優詩先輩……」


 昨日の公園でフェンス越しに、こちらを見ていた人物だ。

島崎凛花しまざきりんか

彼女は俺の一つ下の学年で、のんびりとした印象が強い。

前髪が切り揃えられて、黒髪を束ねたポニーテール。小ぶりな鼻、小さい目元は縁無し眼鏡をかけた女の子だ。

小柄な体躯で俯いていることが多いから、彼女の表情を伺うことは困難である。

目の前に立たれたこと、会話することも久しぶりといってよいのだろうか。


「ああ……久しぶり。といっても、昨日いたよね?」


「あ……はい。あの……昨日は、すみ……ませんでした」


「え? ああ、別に気にしてないよ」


「あの……」


 彼女の言葉は、次が出てこない。


「どうしたの? なにか……用でもある?」


「き……昨日の人……一緒に……いた、女の人……」


 彼女の頭部が静かに揺れている。


「――うん……なに?」


「あの……あの人って……」


「せんぱーい! 優詩せんぱーい!」


 静かな会話が騒がしさに一瞬で奪い取られる。

完全に振り向かなくても声の主はわかっていた。

声変わりした青年というよりも少年時代の声を残している。

黒髪の短髪で垂れた細い目。鱈子のように厚い唇にアヒル口。

常にニヤけていて、女子生徒からの評判と信用が良いとはいえない男子生徒だ。

金本悠馬かねもとゆうま

凛花と同じ学年で、俺の中学生時代の後輩だ。

この高校に彼が入れたことは奇跡だと思っている。

それくらいに偏差値も低いし、幼稚というか……人間として軽い人物だ。

もちろん、それが彼の良さであって、憎めない部分でもある。


「なんだよ、大声出すな。うるさい」


「いやー、教室に行ったら先輩たちに帰ったよって言われて焦ったっす!」


「――それで?」


「先輩! 俺、決めたっす! 文化祭でライブやりたいっす!」


「ライブ……? お笑いの?」


「ちょっと、ちょっとー! 先輩! 勘弁してださいよー! 俺のどこにお笑いの要素があるっていうんすか!」


 あるだろう。それしかないだろうと思うくらいだ。

悠馬は頭に手を当てて、台風に襲われる樹木のように背中を動かしている。

ボケをかましてツッコミを待ち望んでいる芸人にしか見えない。


「いや、俺決めたんすよ! バンドを組んでライブやりたいんすよ!」


「バンド……」


「そうっす。優詩先輩、ギターやってるっすよね? 俺、ドラムやるんでバンド組んでほしいっす!」


 ドラム……。そもそも悠馬がドラムを叩いているなんて話は、今まで一度も聞いたことがない。

彼は思いつきで行動するタイプの人間であるから、何らかの影響を受けて言っているのだと推察する。

中学生時代には俺たちがしていた喧嘩に憧れて、格闘技を始めてみたものの三日と続かずに辞めている。

いや……三日どころではない、確か三〇分で辞めたはずだ。

一年ほど前には、有名コーヒー店で働く女の子と近付きたいからと店舗に面接へ行ったが、その場で不採用を言い渡されたと怒っていた。

飲料を口にした足で履歴書を購入、写真撮影を済ませて、一時間後には店舗に戻って面接を受けたという行動力は認めている。


「ギターは弾いているけど……な」


「そうっすよね! それなら話は早いっす! バンドやりましょう!」


「なんで?」と、悪戯な心が働いて悠馬に問いかけてしまう。


「モテたいからっす! この前、動画でドラムセットを破壊している人を見て、俺もこれやりたいって――」


 悠馬の話を聞いてみると、彼の憧れた人物は世界的に有名なロックバンドのドラマーで、ピアニストでもある。

日本における一つのシーンを創ったバンドのリーダーでドラマー。

演奏技術を見せつけるのではなく、その一瞬……生という刹那を切り取る演奏がとても魅力的だった。

破壊衝動、攻撃的な演奏の中に見える儚い美しさ。

相反する感情を混合して、引き裂いたような演奏。

アクリルドラムを導入して、パフォーマンスを魅せるドラマーとなった人物だ。

彼の創る壮大で偉大な楽曲は、後世に残るべきである。


「そっか……」


「えー! なんすか、その反応? お願いしますよ! 俺、バンドやりたいんすよ!」


「いや……俺は……」と、言いかけたところで一つの言葉が背後から聞こえた気がした。

それは、凛花の声ではない。


「――――――――」


 その言葉と共に一考した後で、悠馬の誘いに乗る……いや、自身がバンドで演奏してみたいと思った。

今までは踏み出す勇気と行動に伴う確信がなかった。

しかし、そのようなものは自身を防衛するための言い訳だ。

昨日の詩織さんの歌声が脳内に残って、夏色に染まる音楽が流れる。

 

「いいよ。バンド……やるか」


「マジっすか? よかったー! 断られたらどうしようかと思ったっす!

あとのメンバーどうします?」


「悠馬が発案したバンドなんだから、悠馬が――」と、言いかけたところで一人になってしまった凛花に視線を向ける。

彼女は俺たちの会話に聴覚だけで参加していて、視覚は誰かの靴が納まる暗穴に向けられていた。

両の手を海中にいるクラゲのように擦り合わせている。


「てか、なんで島崎がいるの?」

悠馬は俺の隣をすり抜けて、凛花の顔をニヤけた顔で覗き込む。

相手の心理を気遣うことのない悠馬は、彼女が戸惑って答えられないことに気付いていない。


「なに、なに。もしかして……告白か! お前、優詩先輩のこと好きだったの? いやー熱いねー!」


 小学生の煽り文句を並べて、凛花の顔は下へ下へと向かっていく。

暴言を止めようとしたけれど、流石に深く物事を考えない切り替えの早い男であった。


「あとは……ベースとボーカルっすね! 誰かいないっすか?」


「ベースを弾ける子なら知っている。多分だけど」


「えー、誰っすか?」


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