旋律の邂逅 2

 演奏を終えた女性は、顔を下方向に落とす。

夏の香りと夏の風を同時に吸い込んだ女性は、何を考えて何を感じているのだろう。

ギターは俺の元に帰ってきたが、彼女の表情は声をかけてきた時より哀愁を含んでいる。


「――良いギターだね」


「――どうも」


「弾いていると身体に響いてくる振動が心地いい」


「賛否両論ありますけどね」


「え? どういうこと?」


「エレキギターは生音が響きすぎると良くない……とか」


「ふーん。君は、そのギター……好きじゃないの?」


「好き……ですよ」


「えー! いきなり、私に愛の告白?」


「違います、ギターの話でしょ」


「冗談だよー、冗談!」


 女性は木陰に細足を伸ばす。

水分を奪われた乾きに足の裏を当てている。

夏に吹く風が彼女の髪を揺らして、どことなく儚げな表情を助長させた。

横顔の彼女を見ていると、素直に綺麗な人だと思った。

隣に座ってきて、ギターを半ば強引に奪ったりと、迷惑なことにかわりはないけれど。

彼女の横顔と地面を往復させていると、彼女は地面から俺へと目の置き場を移動させた。


「君、名前は? 私は詩織しおり。詩集の詩に織りなすって書くんだよ」


「……外村とのむらです」


「下は?」


優詩ゆうしです」


「そこはさー、私が漢字を教えたんだから……君も言わないと!」


「――優は、人偏に憂鬱の憂……詩は言偏に寺です」


「人に憂い……優しい。言偏?に寺? そっかーって……私と一緒じゃん!」


 詩織さんは桃色の唇を開いてから、両手を上げて一時停止している。

反応せずに視線を虚空に預けていると、行き場を失った手のひらは、小刻みに何度も俺の肩や胸を反復する。

触れられたこと……いや、叩かれたことで恥ずかしさと胸が熱くなることは生体反応にも似ていた。


「反応が悪いねー、私に恥をかかせないでよ。

いつもそんな感じなの?」


「怒りましたか?」


「ううん、人に流されない強さも大事だって思うよー」


「……人に流されない強さっていうのは、どういうことですか?」


「んー、人生相談みたいなことを言うね」


「話を振ってきたのは、あなたです」


「――気遣いや思いやりで協調することは、とても大事だよ。でも……嫌なことに同調する必要はないと思う。

そこには、自身を貫ける信念が必要かもね」


「……そうですか」


「優詩くんは、持っていそうだけどね」


「え……?」


「生きていく信念」


「ないですよ」


「そうかなー、ありそうだけどね。まあ……無いなら、これから探していけばいいよ」


 信念というものが何を指しているのか……わからない。

自身の置かれている状況もわからない。

俺と同じ高校三年生は、これからの人生をどのように歩んでいくのか……明確な意志と道標があるのだろうか。

不安と孤独は、音楽が慰めてくれるとギターを奏でていた。

俺は考えている。

今という瞬間に何をするべきで、何をしないべきなのか。


「ねえ……もう一曲、なにか弾いてよ」と、俺の顔を覗き込んで口角を上げている詩織さん。

口元から覗く白い歯が白い肌に同化していくようだ。

彼女の容姿やホワイトアッシュの髪色も相まって、どことなく現実離れしているように思えた。

俺の知らない世界から飛び出してきた存在。

鼓動の早まりを抑えようとして、戸惑いの一声を出すのが精一杯だった。

そうして、俺は一考する。

導き出された答えは、現在の俺がするべきことで確かなもの。


「一緒に……やってくれるなら」


「あ……優詩くんって、見かけによらず変態なんだねー。正統派の格好良さを出しながら、演奏の対価に身体を求めて、公園でいきなりやらせろって……」


「違いますよ……! 演奏を! セッションってことですよ」


「セッション……?」


「歌ってください」


「え……でも、私……歌えない」


「どうして……ですか? さっき口ずさんでいたから歌えますよね」


「うーん……なんでかな。少し怖い……かな」


「誰も……聞いてないですよ」


 砂場の親子とベンチで寝転ぶサラリーマンを一瞥した。


「うん……でも……」


「………………」


 急に声の張りを失っていく詩織さんに、問い詰めるようなことはしたくなかった。

歌えない……歌ってほしい。

俺の想いと他の想いが交錯する。


「大丈夫です……歌えますよ」


 詩織さんは伸ばしていた細足を畳んで、背中を丸めた。

自身の手を撫でた後で、手のひらを見つめて何かがあるように握り締める。

沈黙の間で憐憫な風が俺たちを包むと、彼女は意を決したように小さく頭部を揺らす。

横顔は……力のない哀しげな笑顔だった。


「じゃあ……歌ってみる。あっ! 身体の関係は無しだからね」


「だから、それは勘違いですって」


「ふーん、どうかなー?」


「いいから、やりましょうよ」


「えー、なにを?」


「セッションです!」


「ん……? だから、なんの曲をやるの?」


「…………。さっき、あなたが弾いていたコード進行って――」


 先程、詩織さんの奏でていたコード進行とコードストロークは聞き覚えがあるし、彼女が微かに口ずさんでいた歌を知っている。

九十年代に活躍した英国ブリットポップバンドの世界中から愛されている代表曲だ。

俺と同年代で聴いている人は少ないだろう。

題名を直訳すると『怒って振り向かないで』

詩織さんに確認すると、やはり同曲であった。


 ポピュラーミュージックにおける歌詞の意味であったり、解釈は聞き手に委ねられていることがほとんどだと思う。

いや、芸術作品のすべてがそうなのだろう。

見た者、聞いた者、感じた者に作品の解釈は与えられている。

この曲は男女の恋愛と喪失を描いた歌詞だ。

二人は心のすれ違いで、別れてしまう。

かつて存在した想いは本物なのだから、別れたことによって思い出を怒りに変えないで、楽しかった思い出までも哀しくしないで、という歌に聞こえる。

俺は歌詞の解釈に加えて、自身の考えを付け足していた。


『どのような道を歩んだとしても、過去は間違いなく存在している。

記憶の中に、愛した人が待っていてくれる。

いつでも会えるから、大丈夫。

振り返れば、いつでも待っているよ』


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