ライラック

その翌日に学校を出た私を待っていたのは、

「萌波さん」


衛藤さんだった。


彼の近くには、古めかしいデザインのスポーツカーがあった。


私は衛藤さんのそばに歩み寄ると、

「お仕事、お休みだったんですか?」

と、声をかけた。


「今日は午前中だけ」


私の質問に衛藤さんは微笑んで答えた。


「乗って行くか?


家まで送って行くよ」


「じゃあ、お言葉に甘えて…」


「ーー萌波?」


その声に振り返って顔を見たその瞬間、私の躰は固まった。


「ーー栄樹…」


そこにいたのは、元彼の栄樹と元親友のエミリだった。


「誰だい、君たちは?」


衛藤さんが彼らに問いかけた。


「誰って…あなたこそ、誰なんですか?」


英樹はにらみつけている視線を衛藤さんに向けると問いかけた。


「私は萌波の婚約者、君たちこそ…ああ、萌波と内緒でつきあっていた例の恋人と親友か」


衛藤さんがそう言った瞬間、彼らは驚いたように目を見開いた。


「何で知ってるか、って?


萌波から聞いたんだよ、君たち2人のことを」


衛藤さんはそう言った後で私に視線を向けてきた。


ーー言いたいんだったら言ってやれ


言った訳じゃないのに、彼と目があったらそう言ったように感じた。


「ち…違うのよ、萌波」


動揺していることを隠せないと言うように、エミリは慌てている。


「何が違うんですって?」


私は冷たい声で言うと、彼らを冷たくにらみつけた。


「だから、その…」


英樹は何も言えないと言うように口をモゴモゴとさせていた。


「私が知らないと思ってた?


私が気づかないと思ってた?」


私が言えば言うほど、彼らは震えている。


「ーーご、ごめんなさい…!」


エミリが地面に手をついて謝ったその隣で栄樹も一緒に地面に手をついて謝った。


2人そろって土下座する彼らを私と衛藤さんは見下ろしていた。


「何だ、一体?」


「どうしたんだ?」


この状況に野次馬たちが何事かと言うように集まってきた。


「もういい、顔をあげろ」


衛藤さんに言われた彼らはビクビク震えながら顔をあげた。


エミリなんか、今にも泣きそうな顔で私たちのことを見ていた。


衛藤さんは栄樹と同じ目線にかがみ込むと、

「栄樹くんって言ったな?」


「は、はい…」


英樹が質問に答えたその直後に、乾いた音がこの場に響いた。


「ーーひっ…!」


悲鳴も出せないと言うように、エミリはビクビクと震えている。


その光景に、野次馬たちの顔から血の気が引いた音がザーッと聞こえたような気がした。


バタッと倒れた栄樹を見送ると、衛藤さんは立ちあがった。


「今のは萌波の分だ。


お前たちに裏切られて彼女が泣くほど悲しんでたことをわかってるな?」


そう言った衛藤さんに、エミリはコクコクと首が飛ぶかと思うくらいに何度も縦に振っていた、


「わかったなら金輪際彼女に近づくな、口も聞かなければ目もあわせるな」


首振り人形なのかと思うくらいにエミリは首を何度も縦に振っている。


「萌波、行こう」


「えっ…?」


衛藤さんは手をつかんで私を車に乗せた。


その後で衛藤さんも車に乗ると、車は発車した。


学校が見えなくなると、

「この後、何か予定はある?」


車を運転しながら衛藤さんが聞いてきた。


「ないですけど…?」


だから何だろう?


「少し出かけないか?


気分転換にもなるだろう」


そう言った衛藤さんに私は首を縦に振ってうなずいた。


 *


車から降りた瞬間に感じたのは、甘い香りだった。


ここはどこだろうか?


「私の家だ」


そう思っていたら、隣に衛藤さんがいた。


「家?」


そう聞き返した私に、

「そう言う意味で連れてきた訳じゃない。


理由はこっちの方、ついてきて」


衛藤さんが歩き出したので私は彼の後を追った。


「なかなか広い庭だろ?」


「そうですね」


右を見ても左を見ても、あるのは花ばかりである。


「母が好きでね、いろんな花を育てているんだ」


うっかりしたら、別の世界へと迷ってしまいそうだ。


もう、迷っているのかも知れないけれど。


「でも、君のバラ園にはかなわないかな?」


フフッと笑いながら、衛藤さんが言った。


「君に会うために君の家を訪ねた時、あまりのすごさにビックリした。


そこに君がいたことにもビックリしたけれど」


「ーー私、あの時泣いてましたよね…?」


私がそう言ったら、

「お姫様かと思った」


衛藤さんはそんなことを言った。


「えっ?」


思わぬことを言われたので、私は思わず聞き返した。


お姫様って、私がだよね…?


泣いていたから、顔は相当なまでにひどかったはずなのに…?


一体何を言い出したのだろうかと思っていたら、

「歩いた先に、お姫様がそこにいたんだ。


ビックリしないって言う方が間違ってる」


衛藤さんは言った。


「あー…」


計算なのか天然なのか…どちらにしろ、よくそんなことがサラッと言えるなと私は思った。


本人からして見れば何にも思わないかも知れないけど、言われた当人は恥ずかしくて仕方がない。


そっと周りに視線を向けると、

「あっ」


目立って咲いている花が目に入った。


あれは、何だろうか?


紫色のキレイな花で、そこから漂う甘い香りが鼻を刺激していた。


「ライラックだ」


衛藤さんが言った。


「ライラック?」


視線を向けると、衛藤さんの視線はライラックに向けられていた。


「この時期になると咲くんだ、香りがいいから主に香水に利用されてる」


「へえ…」


「私の好きな花でもあるんだ」


「えっ?」


それは意外だった。


だって、衛藤さんが花を好きなイメージなんてないんだもん。


「よく言われるよ、そんな風に見えないって」


「えっ?」


今、読まれた…?


私が考えていたことを彼に読まれた…?


「顔に出てた、それもはっきりと」


「そ、そうですか…」


それもそれで、何か嫌な理由だ。


衛藤さんは微笑むと、

「ライラックの花言葉を知ってる?」

と、言った。


「知らないです」


私が返事をしたら、

「返事が早いな」


衛藤さんはクスッと笑った。


「もったいぶっているくらいだったら、早く答えてくれませんか?」


そう言った私に、

「ああ、そうだったね。


ごめんごめん」


衛藤さんが気を取り直した。


「ライラックの花言葉は、“初恋”って言うんだ」


「初恋…?」


「そう、“初恋”」


衛藤さんが私に視線を向けてきた。


「30歳を過ぎたって言うのに、遅過ぎるよね?」


フフッと、衛藤さんは笑いながら言った。


「しかも相手は年下、おかしいよね?」


おかしい?


それは、つまり…。

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