抱きしめる理由はいらない

ーー衛藤さん、気を悪くしちゃったかな。


ベッドのうえで体育座りをしながら、私はそんなことを思っていた。


夜もだいぶ更けてきたこの時間はメッセージを送ったり、電話をしたりするのだけど、昨日からなくなった。


スマートフォンは近くに置いてあるのだけど、それが音を立てることはなかった


そりゃそうよね、今頃の彼らは夜を共に過ごしてる…だから、いつも習慣だったメッセージも電話もしないのだ。


なのに…心のどこかでは本当は違うんじゃないかと私は期待をしていた。


2人のキスシーンは私の単なる見間違いで、本当は別の誰かがしていたんじゃないか…と。


それをたまたま通りかかった私が見てしまっただけなんだ、と。


けれど、現実は違っていた。


親友のフリをして、恋人のフリをして、彼と彼女は私に隠れて秘密にしてつきあっていた。


「――寂しい…」


そう思ったら耐えられなくて、私は思わず呟いた。


「萌波?」


その声に視線を向けると、

「衛藤さん…?」


何故か衛藤さんが窓枠に座っていた。


閉めたはずのその窓は開いていて、冷たい夜風が部屋の中に入ってきていた。


どうして、衛藤さんがここにいるの…?


そう思っていたら、衛藤さんは部屋の中に入ってきた。


「ーーあの、どうして…?」


呼んだ訳じゃないのに、どうしてきたの?


「ーー“寂しい”って、言ったでしょ?」


衛藤さんはベッドに腰を下ろすと、私と視線をあわせた。


言ったと言えば、確かに言った。


「本当は、理由があるんでしょ?


自分のことに手がいっぱいだって言ってたけど、本当は他に理由があるんでしょ?」


顔を覗き込むと、

「そうなんでしょ、萌波」

と、衛藤さんは言った。


隠せないと思った。


少し茶色がかった彼の瞳に対して嘘はつけないと思ったし、隠すことはできないと思った。


どんなに言い訳を並べても、思いつくままに嘘を言っても…彼には、隠すことができない。


「そうよ」


そう言った後で、私は逃げるようにその瞳から目をそらした。


「他に理由があるわ、どうしてもつきあいたくない理由が」


受け止めたくない、信じたくない、思い出したくない。


ふっと、私の前に腕が伸びてきた。


その腕の主に視線を向けると、

「ーー衛藤さん…?」


衛藤さんだった。


ーー私、衛藤さんに抱きしめられてる…?


「離して」


口では言うけれど、抵抗はしない。


いや、抵抗できなかったと言った方がいいのかも知れない。


どうしてだかわからないけど、この腕にも彼にも抵抗することができなかった。


今すぐこの腕を振り払って、部屋を飛び出して、誰かを呼べばいい。


でも、できなかった。


どうしてなのかわからないけれど、それができなかった。


「理由なんていらないと思う」


衛藤さんが言った。


「私が萌波を抱きしめる理由なんていらない」


どうして優しいのだろう…?


どうして、あなたはこんなにも優しいのだろうか?


「――失くしたの…」


私は言った。


「ーー恋人と親友、そのふたつを失くしたの…」


そう言った私の声は、震えていた。


話したって仕方がない…けれど唇は、衛藤さんにわかって欲しいと言うように勝手に動いた。


「親友が恋人とつきあってたの…私、彼女と彼がキスしているところを見たの…」


私の目から涙がこぼれ落ちた。


「ーーもういいよ」


衛藤さんがそっと、涙をぬぐった。


「萌波」


そっと、まるで大事なものを抱えるように、衛藤さんは私を抱きしめている腕の力を強くした。


「萌波が寂しい時、私がそばにいる。


こうして、私が萌波を抱きしめるから」


衛藤さんが私に、優しく微笑みかけてきた。


温かい体温に、意識を手放しそうになる。


その微笑みを眺めながら、私は目を閉じた。


温かい体温を肌に感じながら、私は意識を手放した。

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