誰かの記憶

「少年は、どんな人でも報われるべきだと思う?」

 

 星空の下、駒井さんは小さく呟く。


「まあ、一応は、そう思いますけど」

「私はそうは思わない。だって不公平でしょ。

 ——例えば不登校の子が人並みに幸せになっちゃったら、私はどうなるの? 死にたくなるような思いしながら学校に行って、それでようやく人並みになれたのに、そこから逃げた人に追いつかれると、堪ったもんじゃないよ。

 だって、全部無駄だったんだよ。頑張れないよ。

 脱落者はみっともなく破滅してくれないと、底辺は報われないんだよ」



 ***


 ——すごいこと言ってたな、あの人。

 思い返して、ほくそ笑む。

 十年ぶりのこの街は、俺の知っている地元と大して変わっていない。

 駒井さんはまだこの街に居るだろうか、いいや、きっともういないだろう。あの人なら既に誰かに役割を押し付けて、都会にでも行ってしまっているだろう。

 しかし、彼女がいる可能性のある場所は、できるだけ調べておきたい。

 そして、駒井さんに会うことができたら、俺はようやく満足できる。

 満足して、元に戻れる。


 この街にはナマメスジという場所がある。

 元々はなまめ筋。あらゆる魔物の通る場所。それを封じるために、とある血筋の人間が代々人柱になっている。

 とある血筋というのは、俺の親戚だ。

 今代の人柱は、俺だった。

 魂には21グラムの重さがあるといわれている。その魂を燃料にすれば、超能力まがいのことができる。人柱は、それをシステム化したものだ。意志とは関係なく魂を消耗させる、文字どうりの消耗品として、人間を使う。

 それを変えたのは、駒井さんだった。彼女の提案で、俺はあの場所から抜け出せたんだ。

 それが、あの噂。ナマメスジを通り抜けると願いが叶う。その噂は、俺たち二人が作ったものだった。

 

 ガタガタのアスファルトの上を歩く。時刻は正午、太陽の光は暑いというより痛いほどだ。

 周囲の民家も、遠くに見える山も、記憶と同じ形を保っている。

 ナマメスジが使えるのは夜だけだ。それまで、どこかで時間を潰さないといけないのだけれど。

 実家は……そういえば、無くなったんだっけ。

 風の便りに聞いた話だが、俺の実家のある村は既に廃村になったらしい。確か、あの付近にはなまめ筋の大本があったはずだ。おそらく、今代の人柱が失敗したのだろう。

 遺産関係はどうなるのだろうか。親戚一同全滅したのなら、俺が言ったら屋敷ごと貰えたりしそうなものだけど。まあ、あんな場所にある屋敷をもらっても仕方がない。

 そんなことを考えながら歩いていると、前方に図書館が見えてきた。

 コンクリートでできた公民館は、雑草が生い茂っていたり、設備も古びたものばかりだったりと、相変わらず小汚い場所だった。

 この猛暑の中、外に出ていたら死んでしまう。暫くここで涼んでいこう。

 図書館の中身も、俺が知っているものと大差なかった。

 小説の置いてある棚へと向かう。子供の頃は小難しそうな本が置いてある程度の認識だったが、今見て見ると面白いものだ。特定のジャンルの本がやたらとマイナーな本まで置かれていたり、とある作家の本が既刊ものすべてが揃っていたり、司書の人の趣味なのかもしれない。……そんな好き勝手ができるのかは知らないが。

 とんでもなく珍しい本を見つけてしまったので、思わず本棚から抜き出し、そのまま椅子に座る。入手方法はオークションしかないような、電子版が無く、希少で人気と知名度がある本。それこそ、俺のような金のない学生は図書館ぐらいでしか読む方法がない本だ。

 思わぬ幸運に胸を高鳴らせながらページをめくっていると、いつの間にか閉館時間だったようで、俺は図書館を追い出された。

 午後五時半、日が沈むにはまだ早く、気温は昼から全く落ちていない。

 お金は使いたくなかったのだが、仕方ない。俺は喫茶店を目的地に定め、燃え盛る太陽の下を歩き始めた。

 無駄に大きい道路の脇を歩く。そこを通る車は少なく、時折トラックが通り過ぎていくぐらいだ。

 アスファルト、田んぼ、民家、山。見渡す限りのつまらない景色。時折聞こえるエンジンの音と、常にどこかでなっている虫の声。なんだかこの街は、人気が無いようにも思える。

 

「あれ――」


 喫茶店はのドアは開かない。窓を覗き込んでも仲は薄暗く、内装のほとんどが無くなっていた。

 どうやら、この店はつぶれてしまったらしい。爺さんが採算度外視の趣味でやっているタイプの店だと思っていたのだけれど……。死んだのか。

 仕方がないのでスーパーへ行き、何も買わずに飲食スペースで時間を潰した。


 ——さて、ようやく夜が来た。

 


 ***


「実は私、魔法使いなんだよね」


 セーラー服の少女が人差し指を立てる。


「また言ってるんですか」

「本当よ、ほら」


 駒井さんの足元の雑草が急激に成長していく。


「それは――」


 それは魂を犠牲にした、ある種の魔法のようなものだった。

 マッチがあれば、それを擦るという過程を踏まなくても火をつけることができる。草木は時間を掛けなくても成長できる。その過程を魂の熱量で肩代わりする。

 それは、魂を知覚している人柱にしか許されない行為で、おそらく彼女は、俺に近づきすぎたばかりに――。


「何か、知ってるんでしょ」


 駒井さんはベンチに座りながら、上目遣いでこちらを見る。


「だって、おかしいもんね。毎日私より遅くに帰っていくし……。本当は帰ってないんじゃないの? 学校に行ってる様子もないし、それに、この場所自体が、何かおかしいんだよ。誰に聞いても、こんな場所に公園なんて無いって――」


 これは誤魔化せない。そう思った。それに、ここまで魂を使えるようになった人を何の説明も無しに帰すわけにはいかないと、子供ながらに考えていた。

 俺は自分の知っている限りの知識を駒井さんに伝えた。

 そしたら駒井さんは顔を引きつらせながら。


「——そんなの、おかしいでしょ」


 そう言った。


「まあ、そりゃそうですよね。魂がどうこうとか」

「そうじゃなくて、……ここから出れないんでしょ? 死ぬまで」

「結界ぐらい抜けれますよ」

「でも、学校とか。——やっぱり、おかしいよ。いろんなことをしないとだめ。やりたいことを探さないとだめ。普通に生きないとだめ。

 ——何とかならない?

 ——結界が抜けれるなら、人柱のシステムにも穴があるってことだよね」

「——あ、それなら、なんとかなるかもしれません」



 ***



 ナマメスジを通り抜けると願いが叶う。それは、ある種の儀式だ。願いを思い浮かべながらナマメスジを通り抜けた人物の願いを人柱が叶える。そして、その代償として願いを叶えた人間が人柱なり、今の人柱と入れ替わる。

 それが、今の人柱のシステムだ。結果として人柱自体の拘束は緩まることになったが、人柱の利点である誰がやっても変わらないというメリットはほとんどなくなってしまった。この街から人が減ったように感じるのも、要領の悪い人間が人柱になったからだろう。

 ——それもここまでだ。駒井さんの言う通り、俺はいろんなことをしたのだけれど、結局何をしても大した結果は出なかった。

 まあ、それはいい。けど、俺は自分が何をしたいのかすらわからなかった。

 そうして考えて、俺は気付いた。

 多分、俺は人柱の才能があるのだろう。

 今になって考えて見ると、魂を知覚できるようになった人柱がシステムに介入しようとするのは、人柱というシステムを作った人間も予想していたことだろう。

 それを簡単に、自分としては何の苦労も無く突破できてしまった。

 適材適所というべきか、何もない自分にできることがあるのなら、それがいいだろう。

 それに、ここに残っていれば、いずれ駒井さんに出会えるかもしれない。

 

 深夜、街灯すらない道を、月明かりを頼りに歩いていく。

 小さな川を越える。後は、願いを思い浮かべながら、目の前の道を歩くだけ。


 ——あの場所に、もう一度、行きたい。


 そうして歩いた先に、あの公園は無かった。

 人柱は寝ているのだろうか、それとも、伝達ミスで人柱を他人に押し付ける方法を知らないという可能性もある。

 まあ、どれであろうと構わない。

 瞼を閉じ、あの場所を思い浮かべる。

 小さな公園。雑草がまばらに生え、枯葉が舞うあの場所へ。

 

 目を開けると、その場所は変わらずそこにあった。

 ——その人は、月を背に立っていた。

 長く伸びた髪が風に揺れる。吸い込まれるような瞳と目が合う。

 駒井さんが、そこに立っていた。


「——帰ってたん、ですか」


 駒井さんは何も答えない。


「俺も今日帰ったんですよ……」


 駒井さんは恐る恐ると言った様子で、口を開いた。


「——くん、だよね」

「もう、少年じゃないですからね」

「うん、そうだね」


 駒井さんの表情が和らぐ。それは、あの頃見た表情と変わっていなかった。

 安心したと思う一方、頭の中では別のことを考えている。

 ここに居たのが駒井さんだったのなら、そして寝ているわけでもなかったのなら、なぜ願いを叶えて交代するという儀式は成立しなかったのか。

 俺が来たと分かっているから? 否、それだと拒否したところで侵入される。そのこともわかっているはずだ。


「最近、どうです? 仕事とか」

「ん? まあ、そこそこだよ」


 なら……。人柱の入れ替わりが嫌なのだとしたら。


「——駒井さん、いつからここに居ます?」


 なんて、直球で聞く以外に方法は見つからなかった。


「いつって、昨日からだよ」

「——そんな恰好で?」


 駒井さんが入れ替わりを拒んでいると確信した何よりの理由。それは、彼女があのころと変わらずにセーラー服を着ていたということだ。


「いつだって、心はJKなんだよ」

「もう無理ですよ、さすがに」


 沈黙が辺りを包む。

 ——それもそうか、あの優しい駒井さんが、他人にこんな役割を押し付けるなんてことができるはずがない。

 仕方ない。人柱を乗っ取ってしまおう。

 いや、それじゃあだめだ。彼女の意志を否定したくはない。なら、駒井さんのこの意思自体を変えないと。

 方法は、ある。

 魂は過程を肩代わりすることができるものだ。少年時代の俺が年を重ねるという過程を魂で肩代わりし、記憶だけを手に入れたら、疑似的なタイムリープができる。問題は、少年時代の俺にどうやって干渉するかという話だが――。

 それも、問題ない。




 

 

 

 

 

 

 

 

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