First star
空式
魔法使いとマッチ一本の魔法
「私、魔法使いなんだよね」
小さなころ、俺には友達が居た。四つ年上の、高校一年生。彼女は薄ら笑いを浮かべながら、そんなことを言った。
「——そんなの、いるわけないですよ」
当時の俺は小学生ではあったが、彼女のそれは小学生でも簡単に見透かせるような、見え見えの嘘だった。
「ふーん、信じてくれないんだ」
彼女はベンチから立ち上がる。
平日の昼間、山の中の小さな公園には全く人の気配がしない。
「じゃあ、魔法を見せてあげる」
彼女は人差し指を空に向かって立てる。それと逆さの手で、人差し指を一瞬隠し、その手がどけた時、その指先には、小さな炎が灯っていた。
小さく揺れる炎、マッチ程度のか細い光。
「どう、すごいでしょ」
俺はそれを、不思議だとも何とも思わなかった。人差し指を覆い隠したもう片方の手に、何かが握られているのを見たからだ。
「魔法使いより、マジシャンの方がいいんじゃないですか?」
「はは、そうかもね」
これは、何でもない昔の思い出の一幕。一生記憶に残る、アルバムの一ページ。
1/
ナマメスジを無事に通り抜けることができると、願いが叶うらしい。
なんというか、どうしようもなく胡散臭く、馬鹿馬鹿しい話なのだけれど、私はこうでもして理由を作ってやらないと、動くことのできない人間なのだ。
とある小学校の裏手に、ナマメスジと呼ばれるその道はある。
元々は、ナマメと呼ばれる犬ほどの大きさの獣が、夜中に音をたてながら通るというだけの道だった。
それに願いが叶うなどと言う噂が立ったのはいつからだろうか、少なくとも、自分が小学生の頃にはあったのは確かなのだけど。まあ、その正体は大概知れている。肝試しなんかでナマメスジを使う際に、誰かがでっち上げたでたらめだろう。
——というか、私が子供時代にでっち上げたほら話だ。
小さくため息をつく。
本当に、こんなものが論文になるのだろうか。卒論にそこまで高いレベルが求められているわけでは無いのだろうけど、それでも、一定のレベルは超えないといけないはずだ。
電車の中には、自分以外に人はいない。人さえいなければ、電車は素晴らしい交通手段だ。
電車を降りる。
小さな駅だ。かろうじてICカードは使えるが、それ以外には何もない。駅員もいなければ、券売機すら設置されていない。
外に出た瞬間、焼き付くような日差しが降りかかってくる。夏が爽やかだなんて、誰が決めたのだろうか。汗にまみれた、梅雨よりもじめったい季節。一年の内で一番不快な季節。それが夏だ。
広がる田園に、所々にある民家。木陰の一つもない道路を歩いていく。
「——暑い」
生まれてからずいぶんと長いこと、この街で過ごしてきた。昔の記憶は曖昧だが、大して楽しい時期ではなかったことは確かだ。
そんなこの街にわざわざ戻ってきたのは、まあ、卒論だのなんだのといろいろと理由を付けてはいるが、そんなのは詭弁だ。
本音はわかっている。あの頃の思い出、唯一の友達。私はあの人に、会いに来たんだ。
***
「当たり前のことだけど、人生ってのは、死ぬまで終わらないんだよ」
セーラー服を着た少女は穏やかに微笑む。
「そりゃあ、そうでしょう」
「例えテストで0点を取ろうとも、クラスのみんなから嫌われて一人になっても、どうせ人生は終わらない。終わってくれない。逃がしてくれないんだよ」
森の中の、寂れた公園。二人だけの小さな秘密基地。
「——でも、その程度の嫌なことなら、時間が薄めてくれる。ぼんやりとした不幸だけが漂う世界で、まどろむように生きていく。もう飽き飽きだけど、こんなのいつまで続くんだろうって思うけど、死なない限りは終わらない」
「——死ねば?」
「不幸に押しつぶされたなんかが理由じゃない限り、普通は自殺なんかできないんだよ。きちんと思考力のある状態で、ぼんやりとした不幸から逃げ出すための自殺。——それは、とても勇気のいることだよ。でも、それができるなら、そんな勇気と実行力があるなら、楽しく人生を送れるだろうね」
「——はぁ」
「なんてね、冗談だよ」
「そうには聞こえなかったけど……」
「替わりにいいことを教えてあげる。私はね、魔法使いなんだよ」
***
昔から何となく死にそうだと思っていた私も、なんだかんだ生きて、大人になろうとしている。
勇気がないだけなんだろうな。
多分、あれは変な人なんだったんだろうなとは思う。不審者でもあるし、下手すれば事案だったのかもしれない。
というか、普通の人間は「少年」などと言いながらいきなり子供に話しかけたりはしない。
まあ、なんだかんだ言ってはいるが、いい思い出だ。どこかで会えるといいが、会えなくてもいいとも思っている。
きっと、あの人はまともな大人になっているだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、スーパーへと辿り着く。
この暑さだ、水を飲まないと死んでしまう。この田舎でも自販機ぐらいはあるのだが、数十円を惜しんで、結局二十分も歩いてしまった。
二十分で五十円。時給百五十円。完全に馬鹿の行為なのだが、昔から染みついた貧乏性はどうしても抜けてくれない。
「——さて」
ジュースを飲みながら呟く。
とりあえず、今日中に寝床を確保しなければ。少し遠くにホテルがあったような気がするのだが、金がもったいない。
寝袋は用意してあるから、最悪どこでも寝れるのだけれど、この夏にあまり外で寝たくはない。
まずは、実家があった場所へと向かった。
何か別の建物になっていると思っていたのだけど、私の実家は、十二年間過ごしていた我が家は、変わらずそこにあった。
950万円。庭に建てられた看板に書いてあったのは、自分には到底手を出せそうにない金額だ。相場は知らないが、そこまで安くはないのだろう。そもそも、そんな高い金を払ってまでこんな田舎に住みたいとは、誰も思わないと思う。
窓枠などを足場にして一階の屋根によじ登り、ベランダへと侵入する。確か、ここの鍵は壊れていたはずだ。昔、鍵を家に忘れた時は、いつもこうして家に入っていた。
「——まあ、そりゃそうか」
鍵は修理されていた。仕方がないのでベランダから地面へと戻り、玄関へと向かった。
鞄の中から、パンプキーを取り出す。
パンピングは鍵開けの方法のひとつで、ピッキングと違い、高度な技術は必要ない。しかし、鍵に対応するパンプキーを用意しなければならない。
私の場合、鍵のメーカーを覚えていたので、パンプキーの用意は簡単にできた。そして、パンキングは痕跡が残らない。
家の中は空っぽだった。
家の間取りは以前と全く変わっていない。ただ家具が無くなっただけ、ただ人が居なくなっただけ。それだけで、こんなにも変わるものなのか。
すでにそこは、私の見知った家とは違う場所だった。
しかし、寝床としては問題なく使えそうなので、問題はない。
しばらく床に寝転んで、天井を眺めていた。室内でもこの暑さ、床すらも生暖かい。
天井は、あの頃から何も変わっていない。
「——さて」
いつの間にか夜が来ていた。
電気と水道は使えないと思っていたが、問題なく使えるようだ。けれど、あまり派手に使うわけにもいかないから、できるだけ控えめに。
外に出て、コンビニで夕食を買う。スーパーよりも値が張るが、時刻はすでに深夜、スーパーは開いていない。
おにぎりを口に放り込み、紅茶で流す。
そうして歩いていると、目的地にたどり着いた。
私が通っていた小学校の裏手、小さなあぜ道、ナマメスジ。
そこは、街灯の一つもない、完全な闇。
スマホの光を頼りに、一歩一歩進んでいく。
その道のりは、思ったよりずっと単調で、想像以上に一瞬だった。
私はいつの間にか、ナマメスジの終点に立っていた。
「まあ、こんなもんか」
小さく呟く。
特別、何かを期待していたわけでは無い。これでは駄目なのはわかっていた。
2/
翌日、私は図書館へと向かった。
私の記憶だと、祖母がナマメスジについて話していたような気がする。
つまり、ナマメスジ自体は昔からある噂のようだ。なら、郷土資料に記述があってもおかしくはない。
公民館は私の記憶より少し奇麗になっていた。
***
「性善説って、どう思う?」
セーラー服を着た少女は、缶ジュースに口を付ける。
「人間の本質の問題だよ。それが善なのか、悪なのか」
「両方ですよ。そんな一面的な人間はいません」
「そんなこと言ったら元も子もないでしょ。——私は性悪説を信じてる。いじめが無くならないのは、いじめが楽しいからだよ。悪いことをした芸能人がニュースで大々的に取り上げられるのは、悪人を叩くのが楽しいから」
「でも、主観では善行なんですよ」
「だよね。結局、自分がどっちに立つかなんだよ。——君は、善性なんて信じてないはずだよ」
「——」
「——わかるんだよ。だって、私は魔法使いなんだから」
***
絶対的に悪い人間なんて、存在しない。無論、絶対的に善い人間も存在しない。この話は自分がどちらに立つか、いや、どちらに立っていたかの話だ。
私は、多数の善人の中には混ざれなかった。
あの人と知り合ってから、別れるまで、約一年。たったの一年。それでも、あの一年のおかげで、私は今も生きている。
図書室の中に、小さな笑い声が響く。
制服を着た、数人の高校生。どうしても、気にしてしまう。くだらない話の内容を、私とは関係のない笑い声を、気まぐれで向けられた視線を。
分厚い本のページをめくる。
ナマメスジについての文献はいくつか見つかった。その内容は大きく分けて二つ。
一つ目は私が知っていたものと同じ、ナマメという獣が居るという道。
二つ目はなまめ筋。その文献によると、なまめ筋はあらゆる魔物の通るところだという。そこには屋敷が立っていたらしいが、その屋敷では様々な怪奇現象が起こり、さらに病人が続出し、二度も火事にあったのだという。
文献を見る限り、そのなまめ筋と、私の知っているナマメスジは別物のようだ。
——行ってみるか。
スマホで地図を開く。その村はここから北西に三十キロ。
ずいぶんと遠い。それに、その方面には電車もバスも通っていない。
こんな季節でなければ、歩いて向かうのもアリだろうが、今それを実行したら死んでしまう。
タクシーは調べたところ、三十キロで一万円。往復で二万円。払えない額ではないが、とてつもなく痛い出費になる。
小さくため息をつき、背もたれに体を預ける。
——ほどほどに頑張れ。
あの言葉を思い出す。あの人との最後の会話の、最後の言葉。
明日でいっか。
席を立つ。急ぐ必要はない。ほどほどに頑張ろう。
図書館を出る。時刻は正午、一番熱い時間帯だ。
頬を伝う汗をタオルで拭いながら、近くのスーパーまで歩く。パンと飲み物を買い、口に放り込む。
「あ、駒井さん」
後ろから私の名前が聞こえる。
振り返ると、自分と同い年ぐらいの男が立っていた。見た目の若々しさと、表情の大人っぽさ、それぞれが打ち消し合って、同い年という印象になっている。
「えっと……」
どこかで見た気が――。
「あ、日向くん」
「そう、四年ぶりですね」
偶然出会った友人を連れて、私は図書館に戻ることになった。最近の夏はあまりにも暑すぎる。クーラーのない場所にはとてもじゃないが居られない。
昔は八月でも外を出歩けたな……。などと、窓の外の青空を見ながら思う。
空は眩しいほどに青く、その青を遮るものは何もない。まったく、傍迷惑な話だ。たまには隠れてくれないと、人間が生きていけない。
特に目的も無く、図書館の中を歩く。時々、知ってる作家の本が目に入る。それだけで少し楽しかった。こんな田舎の、こんな小さな図書館にも、自分の居場所があるような、そんな錯覚。
小さなころから、本を読むのは好きだった。小さなころは退屈が多いのだ。
***
「少年、早く大人になりたいと思ったことはあるかい?」
少女はセーラー服の上にコートを着込んでいる。
「まあ、うん、あります」
「それはなぜ? たぶん、自由が欲しいからだ。小学生なんて、掃いて捨てるほど時間があるわけだけど、その時間を潰す手段は限られている。それは、自由がないから。
——大人は喉が渇いたら好きなだけジュースを飲める。欲しいゲームは発売日に買える。それが自由だ。でも、大人には時間がない。せっかく好きなだけおもちゃを買えるお金があっても、それで遊ぶ時間がない。さあ、困ったね」
「——さんは、暇そうだけど」
「そうだね、私はそこそこ暇だね。自由もそれなりにある。考えて使えば、退屈はしない。女子高生は便利だよ。大人と子供を都合よく使い分けられる。
——ああ、ずっとこのままで居たいな」
***
大学生になると、高校生の頃より自由も時間も増えた。けど、責任なんて厄介なものがのしかかってくるようになった。
退屈しのぎに一番有効なのは、誰かと過ごすことだ。それは何歳だろうと変わらない。
だから私たちは、貴重な退屈をやり過ごせたんだ。
独りぼっちが二人。自由も時間も半端に持っていて、半端に世界を見て、訳知り顔で人間を語っている。
——人間なんて、自分以外に知らないくせに。
ああ、だから、誰も正しいことは言えないんだ。だから、信じたいことを、信じたい言葉を信じればいい。それが私にとっての、あの人の言葉だ。
3/
——本当は、知っている。どうして私が普通に生活できているか、知っている。ナマメスジがどんなものかも、全部知っている。
あの人が今、どこに居るのかも、知っている。
なら、どうして?
きっと、それはくだらない罪悪感。ただのエゴ。
あの人に会うのが、本当は少し、怖いのです。
◇
今日は朝一で駅前に出向き、タクシーを捕まえた。基本、この場所以外でタクシーは捕まらない。
タクシーのおじさんの言葉を、愛想笑いと共に返す。
これでうまくできてるのかはわからない。けど、多少は上手くなったと、信じたい。
それから40分ほど窓の外を眺めていると、タクシーは目的地へと辿り着いた。
アスファルトの道路。灰色のブロック塀。
村というのだから、もっと古風な、緑以外に何もない場所を想像していたのだけれど、その場所は案外普通だった。
そりゃあ、田舎ではある。だけど探せばどこにあるようなありふれた、良く言えば安心感のある風景だ。
閉塞された村、恐ろしい因習、そんなものを想像していたのだけれど。——別に、落胆はしていない。たとえそんなものに飛び込んだところで、自分が何かできるなんて思ってはいないからだ。
ぼんやりと歩く。目的も無く、理由もなく。
歩く、歩く。木陰で休んで、水を飲んで、また歩く。
***
セーラー服を着た少女は、ぼんやりと空を眺めている。
言葉はなく、遠くから聞こえる車の音だけが耳に届く。
「意味なんてあるのかな? 何か理由が必要なのかな? こうやってぼんやりしているだけでも、時間は過ぎていくのに」
「退屈でしょ、ずっとぼおっとしてたら」
「——そうかな……。なんていうか、これはこれで楽なのかもって、最近思うんだよね。だって、なんにでもなれる時期は終わっちゃったし、無邪気に夢を信じるには、余計なことを知りすぎちゃったし、もう、手遅れって感じ。
——何をしてても、焦りばっかりが募っていく。ずっと不安なんだよ。
なんかどうでもよくなって、もう謎のお姉さんになるしかないって思っちゃった。
——だって、君たちはまだ、何にだって、なれるもんね」
少年は口を開く。
「————」
***
意味はない、無駄でしかない。それでもこうして生きている。
人間である以上、欲望は捨てられない。それに気づいた頃には、なにもかもが手遅れだった。
何かになれるのは、特別な人間だけなんだ。——そんなこと、初めからわかっていた。自分が特別とは程遠いこともわかっている。だから諦めていたのに。どうしても、あの言葉が離れない。
毎朝、鏡を見る。そこに移った誰かは、私を見ている。
誰かは私を見ている。凡庸な誰かがこちらを見ている。黒い瞳が私を見ている。
——目を覚ますと、タクシーは駅前へたどり着いていた。
高い金を支払いタクシーを降りると、私はとある場所に向かって歩き出した。
結局、こんなことをしていても何の意味もない。
目的は初めから決まっていたはずだ。そこにたどり着くはずの道筋もはっきりとしている。
住宅街を離れて、小さな川を越える。川沿いの小さな公園、枯葉の乗ったベンチ。
あの人は、あそこに居るはずだ。
オレンジ色の空を背に、月に向かって歩いていく。
川を越えて、後は少し歩くだけ。
最後のあぜ道。私たちだけの秘密基地へと向かう唯一の道。
それは、本当に願いが叶う道。
——あの人に、会いたい。
そういえば、あの人の名前すら思い出せない。
ふと、正面を向くと、そこにはあの人が居た。
ベンチに腰掛けた、私より三つ年下の彼が、そこに座っていた。
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