金庫

 司と雄馬はキッチンの扉を勢いよく開ける。


 扉を開けると、蛇口から流れ出る水に、手で作った器を入れようとしている剛がいた。


 雄馬はその剛の姿を見て、剛に思いきり突っ込んでいく。そして、剛の腹にタックルをした。剛は雄馬のタックルにバランスを崩して、倒れ込む。


 司はその瞬間を後ろから見ていたが、剛の手に毒の水が触れているようなことは無かった。そして、幸いにも2人が倒れこんだ場所は、樹里のこぼした水がかかる場所ではなかった。


 司はそれを確認すると、流れでる蛇口の水を止めた。


「な、なんだよ! いきなり!」

「いや、もうすぐで蛇口の水に手が触れそうになっていたので、こうするしかなかったんです。」

「蛇口の水を飲んで何が悪い?」

「先輩に伝え損ねたんですけど、毒が含まれていたのは、蛇口の水だったんです。」

「えっ!? コップの方じゃなかったのか?」

「はい、銀が変色したので、蛇口の水の方に何かしらの毒が仕込まれていたことが分かりました。」

「……そうか。」

「なので、水は少し我慢していただくしかないですね。」

「……そうするしかないみたいだな。」

「ちなみにですけど、俺達が持ってきた水の量って、明らかに夏の登山にしては少なかったですよね。


 これはなぜですか?」

「……それは、ここの水道は通じていると聞いていたし、この洋館の近くには川が流れていると聞いたから、1日分の水でいいかと思っただけだ。」

「……そうですか? 水は荷物としてはかさばりますしね。」

「もういいか? 水が飲めないなら、部屋に戻る。」

「上の階の部屋へですか?」

「そうだが?」

「下の階へ移ったらどうですか?


 おそらくですけど、上は火事があったから、熱がこもっているんですよ。だから、暑くなりやすいんだと思いますよ。


 それに、あまり匂いがよろしくないでしょう。焦げ臭さや煙臭さだけじゃなく


 ……人の焼けた匂いもするじゃないですか?」

「だからこそだ。」

「だからこそ?」

「だって、今は4人しかいないんだから、誰かは2階にいなくちゃならないだろう。それはリーダーである俺がする。」

「……でも、先輩は大丈夫ですか? 俺達はまだ心も体も疲れ切っていないですけど、先輩はどっちも疲れているように見えますよ。」

「そんなことは無い!」


 剛は叫んだ。まるで、自分にそう言い聞かせているようだった。


「……とりあえず、2階の部屋には俺が行く。」


 剛はそう言って、2人を押しのけてキッチンを出た。そして、2階への階段を上っていった。


「絶対大丈夫じゃないだろうな。」

「剛先輩はだいぶ追い込まれてるみたいだね。」

「でも、あの様子だと剛先輩も犯人じゃないみたいじゃないか?」

「そうだな。この蛇口の水を躊躇なく飲もうとしていたからな。


 剛先輩が犯人なら、あんなことはしないな。だって、俺達が剛先輩を止めなかったら、剛先輩は本当にあの水を飲んでいたぞ。


 俺達がキッチンの扉を開けた瞬間に、ちゃんと蛇口から流れる水に手を近づけていた。とても俺達がキッチンに入って来るタイミングを見計らったようじゃなかった。


 それに、犯人に思われないための演技にしてはリスクが高い。だって、床には未だ毒水が撒き散らされているから、俺が上手いこと毒水に体を浸けないように抑え込むか分かったものじゃないからな。」

「だが、犯人の可能性が消えたわけじゃない。」

「全くその通りだ。


 俺達は決定的に犯人である証拠はまだ誰にも見いだせていない。推論ばかりだ。だから、とりあえず犯人捜しは保留して、誰かが殺されるのを待つしかないな。」

「冗談が大胆になってきたな。」

「冗談だと思ってくれて良かった。他の2人だったら、非難轟轟ごうごうだったろうな。」

「だが、この連続殺人の犯人は相当やり手だ。致命的な証拠も、姿形も何もかも残すことなく、淡々と1人1人殺している。


 それに、俺達は優秀な探偵とは言わないが、それなりにいい推理はしていると思うんだがな。まだ犯人の核心に触れているような気がしないんだよな。」

「……本当に実体のない亡霊のようだな。」

「それが結末なら、また面白いんだがな。」


 雄馬はそう言った後、司の服を見る。


「司、その服は着替えないのか?」


 司は雄馬がなぜそんなことを言うのだろうと思っていたが、自分の服を改めて見ると、自分の服が血糊で汚れていることを思いだした。


「忘れてた! 血糊のナイフで汚したんだった!」

「まあ、血糊で汚した後に、火事やら、毒殺やらが立て続けにあったからしょうがないのもあるが、着替えた方がいいと思うぜ。


 それに、少なくとも1年以上血糊ナイフは放置されてたんだろう? 中の血糊と隠さっているんじゃないか?」

「大丈夫だよ。何年たっても血糊が固まらないようにして、万が一口に入っていいように、防腐剤も入っているってさ。雫が言っていたよ。」

「なるほどな。だから、そんな新鮮な血糊が出るわけだ。」

「知らないけど、ヒルから抽出した成分を入れているんだと。」

「だから、血が固まらないわけか。」

「そうらしい。」

「でも、とりあえず着替えて来いよ。そのままじゃ、ここに警察が来た時に、真っ先に司が逮捕されるぞ。」

「確かにそうだな。服に血を着けているとやばいな。」

「そうだ。」

「荷物は2階の1番手前の部屋に置きっぱなしだったけ?」

「そうだな。」

「本当は着替えるついでに、シャワーでも浴びたいんだがな。」

「死にたかったらいいんじゃないか?」

「シャワーも水道に通じているから、そうなるよな。


 ……でも、この洋館は水道しか通じていないんだよな。なら、何もなかったとしても、俺達は全員水風呂ないし、水シャワーを浴びる羽目になっていたってことか?」

「まあ、夏だから温水が無くてもいいだろう。」

「それもそうか。」


 司は納得すると、2階へと向かった。2階はまだ火事場の嫌な空気が漂っていたが、もう鼻が少し慣れてきた。


 司は一番手前の部屋に入ると、ベットの上に置かれた自分の荷物を探り、着替えのTシャツを着る。


 そして、司は部屋を出た。すると、その後に、一番奥の部屋で鍵がかかる音が聞こえた。おそらく、剛が扉の鍵を閉めたのだろう。


 司は、なぜ剛が今になって扉を閉めたのかは分からなかった。司はそのことを深く考えることもなく、1階に下りた。すると、1階では、スコップを肩に乗せている雄馬の姿があった。


「スコップを戻すのか?」

「ああ、物置にな。」

「もう必要ないからな。」

「……ところで、司は物置にあった金庫を見たか?」

「ああ、でっかい金庫だったな。何が入っているか知らないけどな。」

「……もしかしたら、隠し通路があるかもな。」

「隠し通路?」

「実は、あの金庫を開けた先は、地下洞窟に繋がっていて、この洋館から脱出が可能だったりするかもしれないな。」

「そうだと良いがな。」

「もしくは、6つの個室に通じる隠し通路かな。それを使って、美空の部屋に入って、密室のような状況を作り出したとかな。」

「馬鹿言えよ。この家はどこも不自然な空間は無いじゃないか?


 1つの部屋だけが狭かったり、隣同士に空洞のあるような隙間もなさそうだぜ。」

「言ってみただけだよ。」

「でも、金庫の中身は何が入っているんだろうな?」

「それは、雫の遺書が入っているんじゃないか?」

「……なるほど、それはあり得るな。」

「普通に考えれば、そうなるだろう。


 そこに、この事件の裏に隠されている動機が書かれているはずさ。」

「じゃあ、一度、開かずの金庫破りに挑戦してみるか?」

「そうだな。遺書さえ見れば、犯人も分かるかもしれん。」


 雄馬はそう言うと、物置の部屋に向かった。司もそれに続いて行く。雄馬は物置の部屋の扉を開ける。もちろん、部屋の奥には金庫がある。


 金庫は司の腰ほどの高さで、頑丈そうな金属の扉に、金の取っ手と数字のダイヤルが付いている。鍵穴などは無く、ダイヤルだけで開く仕組みのようだ。


「思い当たる数字はあるか? 司?」

「雫の誕生日は12月13日だけどな。」

「じゃあ、1213か。」


 雄馬はダイヤルを回し、取っ手を回すが、金庫は開かない。


「じゃあ、冴島雫の語呂合わせで、3449とかか?」


 雄馬はまたダイヤルを回すが、金庫は開かない。


 その後、雫に関連する4桁の数字だけでなく、登山サークルに関わる4桁の数字を入れてみるが、金庫は開かなかった。


「無理だな。」

「金庫破りの道は長いな。」

「そもそも金庫破りは、金庫の音を聞いて、開けるだろう?」

「そんな芸当はできるはずがないな。」

「まあ、しらみ潰しに数字を消していってもいいんじゃないか? どうせ、やることなんてないんだし。」

「そうだ……。」


 雄馬がそう言おうとした瞬間だった。何かが破裂するような音が聞こえた。


 司と雄馬はそれが銃声だと即座に気が付いた。


 2人はすぐに物置部屋を飛び出す。すると、1階の手前の部屋から来実が飛び出してきた。


「何? 今の音?」

「おそらく銃声だよ。」


 司と雄馬は来実が生きていることを確認すると、すぐに2階に向かった。そして、個室の一番奥の部屋に向かう。そして、雄馬は部屋の扉を強く叩く。


「先輩! 何かありましたか? 先輩!」


 雄馬はそう言って、扉を叩くが、返事はない。雄馬は事を急ぐと思い、ドアノブをひねるが、扉は開かない。


「駄目だ! 鍵がかかってる。」

「隣の部屋の窓から侵入してみようか?」

「出来るのか?」

「多分。」

「じゃあ、やってくれ。」


 司はすぐに、隣の部屋に入った。中はすすで真っ黒で、煙と死体の臭気が籠っていた。司はそれを気にせずに、部屋の窓から外を覗き込む。


 辺りはもう暗くなっていたが、かろうじて、月明かりで雨どいが見える。この雨どいに足を引っかければ、隣の窓まで向かうことができるだろう。


 司はそう考えると、すぐに窓から飛び出し、雨どいに足をかける。下からは風が強く吹き込んでいるが、司には関係なかった。司は雨どいはぎしぎしと音を立てて、進んでいくが、雨どいは壊れそうな感じではなかった。司はそのまま雨どいを伝って、剛の部屋の窓に向かう。


 ふと剛の部屋の窓を見ると、窓は血でべっとりと赤くなっている。


 司はこの先の結末を悟りながらも、雨どいを渡り、赤い血の隙間から部屋の中を覗き込む。


 部屋の中には、頭から大量に出血をして、力なく椅子に座っている剛がいた。

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