毒はどこから?

「……死んでる。」


 司は樹里の手首に指を当てて、脈がないことを確認した。司がそう言うと、来実は状況が飲み込めていないような表情だった。そして、来実は樹里の体に手を近づけようとした。司はその樹里の手を掴んで止める。


「おそらく毒殺だから、樹里の死体には触らないようにしよう。」

「そんな……、そんなことって……。」


 来実はそう言うと、その場で泣き始めた。


 一気に3人も友達が死んだのだから、普通の人間には無理もないことだった。


「おい! どうし……。」


 雄馬は言い終わる前に、青ざめて生気の失われた樹里の顔を見て、状況を察した。


「樹里は死んでるのか?」

「ああ、おそらく毒を飲んでしまったんだろう。」

「……そうか。一旦、来実はここを出ようか。」


 雄馬はそう言うと、来実の背中に手を当てた。来実はまだ目に涙を浮かべたままだった。雄馬は来実の背中をさすって、慰めた。来実はそれに後押しされて、ゆっくりと立ち上がった。


「司はここがまた燃やされてもいいように、今の状況を目に焼き付けておいてくれ。」

「ああ、分かった。」


 司がそう言うと、雄馬は来実と一緒にキッチンを離れていった。


 司は来実が離れたことを確認すると、キッチンの状況を確認する。さっき消火する時に覗いた時と違っている所はほとんどなかった。強いて言うなら、流し台が濡れていることくらいだ。


 そして、司は樹里の死体に目を移す。樹里は口から吐瀉物を吐いて、首元に両手を当てている。表情は苦しんだままで固定されていて、目は飛び出しそうなほど見開いている。


 そして、樹里の体の横には白いコーヒーカップがあり、そこから水がこぼれ出ていた。こぼれ出ている水の量はコップの中の半分程度だった。


 おそらく、このコーヒーカップに入った水に毒が入っていたのだろう。


 司はキッチンのコンロに目を移し、コンロのスイッチを入れてみる。しかし、コンロは点火しない。どうやら、水を熱したりはしなかったようだ。つまり、蛇口から直接コップに水を入れたということだ。


 ということは、毒の侵入経路は、コップに仕込まれていたか、水道に仕掛けられていたかの2択だ。


 司はキッチンをもう一度見渡した。すると、キッチンのゴミ箱には、樹里が持っていたものと同じコーヒーカップが捨てられていた。


 それは、司が消火の際に割ってしまったものだった。おそらく、来実か樹里のどちらかが片付けて捨てたものだろう。


 司はここまで考えると、もう一度樹里の死体を見る。運悪く、樹里の飛び出しそうな目玉と目が合ってしまう。司はすぐに目を逸らすが、とても嫌な気分になった。


 そして、司は樹里の顔に布をかけるために、流し台の下の棚を開けた。棚の中には、ちょうど何かにかぶさるように、白い布が掛けられていた。


 司はその白い布を取った。すると、布の下からは、銀で出来たグラスが6つほど並んでいた。


 布は埃をかぶっていて、少し汚かった。しかし、蛇口が毒に犯されている可能性がある以上、布を水で濡らして絞ることができなかった。なので、布の埃を手で掃った後、樹里の顔に布をかけた。


 最後に見えた樹里の目が布をかけた今も司の頭の中に刻み込まれていた。司は今になって、樹里が死んだことを実感し始めていた。そう感じると、キッチンに立ち込める吐瀉物の匂いが生々しいものとして感じられる。


 確実に犯人を突き止めないといけない。


 司はそう心に誓った。


 それは3人を殺した犯人への怒りと同時に、自分が殺されてしまうという恐怖もあった。


 残った雄馬、来実、剛先輩の中に犯人がいる。


 だが、美空と来実が殺された時に、司と雄馬は一緒にいた。だから、犯行は不可能にだろう。


 そうなると、来実と剛先輩のどちらかだ。どちらも美空が殺された時に、遅れてやってきた。


 剛先輩は隣の部屋で、美空の悲鳴を聞いているのにもかかわらずに、すぐに駆け付けることはなかった。何かあった時のために、奥の部屋を取った人間の心理として、そんな非常時に動き出さないのはどうなんだ。


 それに、樹里が殺された時の来実の悲鳴もなかなか大きかったが、剛先輩が駆けつけることはなかった。


 誰が殺されるか分からない状況で、誰が殺されたかの確認に遅れることがあるのだろうか? 


 それに、さっきの疑惑もある。


 まあ、半分眉唾物だが、筋の通った推測ではある。恋愛絡みで雫を追い詰めた可能性はある。


 ノーベルもアインシュタインも尊敬するが、好きではない。


 雫が死ぬ前に呟いていた言葉だ。


 色々考えたが、科学の失敗か、恋愛の失敗かのどちらかだと推測した。もし、剛先輩のレイプが本当だとすれば、後者の意味なのかもしれない。


 だが、ノーベルとアインシュタインの恋愛の種類が違う気がすることは引っ掛かるところだ。


 ノーベルは少ない恋愛経験で、良い女性に出会えなかった上、最後にはダイナマイトで稼いだお金を脅し取られる失敗をした。


 アインシュタインは大学時代に出来ちゃった結婚するが、ノーベル賞の賞金を担保にして離婚した。そして、血のつながるいとこと結婚し、その娘を溺愛した。さらに、その結婚中にもいくらもの浮気をした。


 確かにどちらも恋愛で失敗しているように見えるが、ノーベルは思うようにいかない恋愛の失敗で、アインシュタインは思うように行ったゆえの恋愛の失敗だから、失敗の種類が違うような気がする。


 それよりかは、科学での失敗の方が納得がいく。


 だって、ノーベルはトンネル工事などの土木工事で使いやすいようにダイナマイトを作ったが、それは後に、戦争で人を殺す道具として転用されるようになった。それは、ノーベルが望んだ使われ方ではなかった。


 そして、アインシュタインは相対性理論の質量とエネルギーの変換式を作ったが、それは後に、核兵器の開発を後押ししたとされる。結果、日本に2度の核兵器が落とされた。それを親日家のアインシュタインは悲しんだ。


 こちらの方が、自分が良かれと思ったことが、望まぬ方向に使われてしまったという点で共通していて、失敗の道筋が似ている。


 だからと言って、雫の開発した建築技術が悪い方向に使われたなんてことは聞かない。少なくとも、人を殺すような失敗はしていないだろう。


 だから、これが雫を殺した理由となり得るとも思えない。


 結局、恋愛絡みの失敗なのか? それとも、ノーベルとアインシュタインに別の共通点があるのだろうか?


 ……駄目だ。何も思いつかない。


 物理学科だから、アインシュタインを詳しく調べた時期はあるが、ノーベルは化学の分野だから、あまり詳しく調べたことはない。


 少しは化学も勉強しておくべきだったかな。


 司はそう思っていると、頭の中で受験勉強で覚えた化学の知識が頭の中に思い返される。


 その時、司はあることを思いだした。


 銀食器は毒を検出できる。


 確か、西洋の貴族が銀食器を使っていた理由は、飲食物に混入された毒物を銀は変色によって、検出することができるからと聞いたことがある。


 銀は安定した物質ではないから、不純物と反応し、すぐに化学反応を起こしてしまう。確か、高校時代の化学の先生が言っていたような気がする。


 司はそれを思い当たると、流し台の下の棚をもう一度開ける。そして、6つの並んだ銀のグラスを1つ持った。


 その銀のグラスを蛇口のすぐ下の流し台に置いた。そして、流れ出た水の水滴が跳ね返って、自分の口の中に入らないように、蛇口から水を少量出した。蛇口から出た水は銀のグラスの中にゆっくりと溜まっていく。


 もし、銀のグラスが変色すれば、蛇口からの水に毒が含まれていることになる。そして、銀のグラスが変色しなければ、コップの方に毒が塗られていたということだ。


 しばらく見ていると、グラスの中には並々の水が入っており、グラスの縁から水が溢れ出ていた。


 司はグラスの中を覗き込むと、銀のグラスは黒色に変色していた。

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