消えた犯人

「駄目だ。脈が無い。」


 司は首にある脈の位置が分からなかったので、美空の手首の脈を取った。


「美空……。」


 樹里は部屋の外から悲しそうな声を上げる。雄馬も部屋の外でやりきれない顔をしている。


「中に入ってもいいか?」

「入ってもいいが、扉はそれ以上開けない方がいい。美空の腕が扉につっかえているみたいなんだ。」

「分かった。」

「それと、部屋中に返り血が飛び散って、凄惨な現場だから、覚悟しておいた方がいい。」

「……分かった。」


 雄馬は扉の隙間に体を横にして、部屋の中に入った。


「これはひどいな。」


 雄馬がそう呟いてしまうほど、部屋の中は悲惨だった。部屋中に美空の血が飛び散っていて、四方の壁に血飛沫が付いている。もちろん、ベットや窓ガラスにも血飛沫が付いている。


 そして、肝心の死体は、ひっくり返ったチェストの横にあり、腕が扉に伸びていた。美空の背中には、深く刺さったナイフがあった。ナイフが刺さった位置は、おそらく心臓のある位置だと推定される。


 だから、これほどの出血があり、悲鳴からすぐに駆け付けたのにもかかわらず、既に死んでいたのだろう。


「これで、圭人の死は事故よりも殺人の線の方が濃くなったな。」

「ああ。」

「これはどう考えても、他殺だ。自分で背中にナイフを刺すことは出来ないからな。だから、犯人は美空の背中を刺して、どこかに逃げた。その扉は美空の腕が邪魔になって開かなかったし、扉から出たら樹里が気が付くはずだ。


 だから、この窓から出たことになるな。」


 雄馬は閉まってあった窓を開けてそう言った。窓は6つの長方形の隙間がある木枠に、窓ガラスをはめ込んだもので、両開きだった。鍵は細長い留め金を反対の取っ手に掛けるようなものだったが、今回は鍵はかかっていなかった。


「だけど、窓の外は奈落だがな。」


 雄馬は窓の下を指差した。司はその指の先を窓から覗いてみると、窓の下は、底の見えない断崖絶壁だった。崖の下からは風が強く吹いていて、司は一瞬落ちるんじゃないかと思ってしまった。


 そして、下には人の乗ることのできる場所はなく、洋館の壁と岩の壁が一直線につながっていた。


「つまり、この窓から外に出ることは出来ないってことか?」

「いや、窓の下に雨どいがあるから、そこに足を掛ければ、隣の部屋の窓に渡ることをできるし、雨どいにぶら下がれば、下の部屋の窓に入れないこともない。」

「でも、それだと……。」

「窓が閉まっていたのは不自然だな。


 俺らは美空の悲鳴が聞こえてから、すぐに駆け付けた。だから、犯人が美空を刺してから、この部屋から逃げ出す時間はなかったはずだ。


 もし、犯人がこの窓を使って、逃げたものだとすると、犯人は時間に追いつめられていたはずだから、わざわざ窓ガラスを閉める理由はない。」

「だから、窓から出ていないとでもいうのか?」

「……どうとも言い切れないな。」

「まあ、窓から出ていないとなると、犯人はこの部屋の中で消えたことになるからな。」

「……鍵のかかっていない密室か。」

「いや、犯人が窓から出た後、律義に窓を閉めたと考えるべきだろう。


 それが一番自然な帰結だ。」

「ああ、そうだな。」


 司はまた現場を見渡すと、全方向に飛び散っていた血飛沫がチェストの上にだけ付いていなかった。


「チェストの上にだけ血飛沫が付いてないな。」

「ああ、この飛び散り具合から、美空がチェストに覆いかぶさってる状態の時に後ろから背中にナイフを突き刺したんだろうな。」

「なぜ、美空はチェストに覆いかぶさっていたんだ? この感じだと、覆いかぶさっていたというより、チェストを抱きかかえていたような感じじゃないか?」

「確かに、チェストが本来の位置からずれてるし、チェストの裏側に腕を回していたような感じだな。」

「美空は何をしていたんだ?」


「おい、本当に美空は死んでいるのか?」


 扉の隙間からは、怯えている剛の顔が見えていた。その後ろに、来実の顔も見える。


「はい、背中をナイフで一突きでやられてます。」

「……そうか。」

「とりあえず、俺らも出よう。一応、現場保存しておくべきだろう。」

「まあ、もう床に飛び散った血飛沫を踏みまくってるけどな。」

「それはしょうがないだろう。」

 

 司がそう言うと、雄馬は最後に美空の死体を拝んだ。すると、雄馬は何か気付いたような表情をする。


「何か気が付いたか?」

「まあ、一応……。」


 雄馬はそう言って、美空の背中に突き刺さったナイフを指差した。そして、何も喋ることなく、部屋を出て行った。


 司は雄馬が指差したナイフを見た。すると、ナイフの柄には血でスタンプされた犯人の手形が残っていた。


 司は気が付いた。


 犯人は左利きだ。

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