7話「少年は負傷し、幼馴染は怒る」
勇気達一行が酒川の運転する車へと戻って乗り込むと、後部座席は既に満席状態となり多少の息苦しさが生まれたが誰もその事について文句をいう者達は居なかった。
そして全員が車へと乗り込んだ事で酒川が何も言わずにアクセルペダルを踏み込むとエンジン部分から聞いたこともないような甲高い音が鳴り響いたが、彼女は特に気に留める様子もなく一気に校門を通過すると勇気達を乗せた車は校外へと脱出することに成功した。
「ふぅ……これで一先ず安心だな!」
無事に学校から脱出できたことで玲士は安堵したのか声色が穏やかなものである。
「そ、そうだな。……うぐっ」
「お、おい大丈夫か? さっきも様子が可笑しかったが……お前まさか何処か怪我したのか!?」
勇気の苦悶とした声を訊いて玲士は表情を強張らせると視線を彼に向けたまま離そうとしなかった。
「「「えっ!?」」」
だがそんな彼の言葉はこの状況では一段と緊張感を増幅させるものであり、全員が同じ声を出すと共に車内の空気は一気に張り詰めたものへと変わる。
「ははっ、滅多なことを言うなよ玲士。あれだ……俺が教室から脱出した際にカーテンの摩擦でちょっとばかし火傷をな……」
取り敢えず勇気は自身が感染していないことを証明する為に、自身の身に何が起こっているのかという説明を行うと両の手のひらを向けて確認させた。
「お前……そんな状態であんなに傘を振り回してたのかよ!?」
すると玲士の反応は彼が想像していたものと違い、先程まで強張っていた表情は心配と怒りが入り乱れたような複雑なものとなっていた。
「あ、ああまあな。でもあの状況ならきっとお前も同じことをしている筈だぜ」
「勇気……お前ってやつは……」
玲士には彼の言葉の意味が深く理解できたのか、それとも勇気の性格を知っているからこそ、これ以上の言葉は無粋と考えたのか口を閉じていた。
「ん、これ使いなさい。簡易的な応急用具よ」
そして全部座席の方では酒川はダッシュボードを開けて応急用具を取り出していたようで、左手に赤色の小さなポーチバッグを持ったまま後部座席の方へと向けてきた。
「あっ、酒川先生……どうもすみま――」
「あたしが手当するから勇気は大人しくしていろっ!」
突如として希望が声を荒らげて勇気がバッグを受け取ろうと伸ばしていた手を無理やり止めさせると、彼女が代わりに酒川に感謝の言葉を述べて応急用具が詰め込まれたバッグを受け取っていた。
「の、希望?」
「まったく、お前というやつは何でそう無茶をするんだ! 手が火傷しているのなら他の者を頼ればよかっただろ!」
怒りを顕にしながら彼女はバッグから医療道具を取り出すと、最初に塗り薬のようなものを手に取り勇気の患部へと塗り始めた。しかし希望の手が自身の手に触れるというのは、何だか恥ずかしいようなむず痒い気分が勇気の中で込み上げてくる。
「ッ! ご、ごめんよ勇気くん……」
「ん、急にどうした康大? なんでお前が謝るんだよ?」
勇気は前部座席から聞こえてくる謝罪の言葉を耳にすると、彼に突拍子もない行為に疑問が頭に募るばかりであった。
「だってその……希望さんが……」
康大が振り返りながら顔を向けてくると、彼の視線はまるで魚のように泳いでいて心情が伺えた。恐らく生徒会長を助けに行くとき本来ならば自身も名乗りでないといけなかったと気に病んでいるのだろうと勇気は予想する。
「別にそんなこと一々気にしなくていいぞ。コイツは感情的になると考えるよりも先に言葉が出るタイプだからな。あははっ――痛ってええぇ!?」
康大に変な重圧を掛けないようにする為に希望を使って場を和ませようとするが今度は逆にそれが彼女の逆鱗に触れたらしく、患部に塗り薬を施していた手に力が入り込むと彼は激痛を手のひらで感じて叫び声を上げた。
「無駄口を叩くな。あと少しで包帯が巻き終わるから、そのままじっとしていろ」
「は、はい……」
冷たい声色でそういう希望だがしっかりと包帯を巻いてくれる辺り、本当に優しい幼馴染だと勇気は弱々しく返事をしながら思う。
「あー……そう言えばずっと気になってたんだが、どうして生徒会長はあんなゾンビに囲まれていたんだ?」
ふとタイミングを見計らうように玲士が口を開くと、話題は生徒会長が校門の前で大量のゾンビに囲まれていた先程の出来事に変わったようである。
「あっ、それ僕も気になるかも」
彼の疑問に康大も同じことを思っていたらしく視線を生徒会長に向けていた。
「そうですか? 答えは簡単なことですよ。私が生徒会長だからです」
二人からの疑問に答えるように彼女は反応すると淡々とした口調でそう言い切る。
「「「…………」」」
余りの説明不足ぶりに車内には呆然とした空気が立ち込め始めた。
「いや、それじゃあ答えになってないわよ……」
そして酒川がなんとも言えない表情をバックミラーに反射させて口を開くと、その声に車内でほぼ同時に全員が小さく頷いていた。
「そうですか……ちょっと飛躍しすぎましたね失敬。実は校内で生徒同士の乱闘……いえ、人が人を何の躊躇いもなく噛み付いて食べるという異様な光景がそこかしこで起き始めて、私は急いで生徒達を避難させるために校門の前で誘導をしていたのです」
どうやら生徒会長は生き残った者達を校内から逃がすために、自らが危険とも言える避難誘導をあの場で行っていたらしい。けれど普通そういうことは生徒会長だけではなく、教師陣が率先してやるべきことではないかと勇気は思案する。
しかし彼が思案すると直ぐに幾つかの答えが脳裏に浮かんだ。
一つ目は教師陣が、その頃にはもう既に手遅れで全滅していたか。
二つ目は彼女が言っているように生徒同士の乱闘と勘違いして止めに入って殺られたか。
三つ目は……そう思いたくはないが教師陣達が一目散に逃げたか。
「つまり生き残った者たちを脱出させていたら、ゾンビに囲まれたってことか?」
玲士が端的に話を纏めた様子で生徒会長に尋ねていた。一方で勇気は今更過ぎたことを考えていても仕方ないとして思案する行為を辞めて目の前の話に集中する。
「そういうことです。……しかしやはりあれが噂に聞くゾンビという者なんですね。あまりテレビを見ないものなので実態が掴めませんでしたが納得です」
生徒会長は彼の解釈に間違いないとして言葉を返すと矢継ぎ早に自分が相手をしていた者の正体が、なんなのか分からなかったようでゾンビという単語を訊くと腑に落ちた様子であった。
「テレビを見ないって……一体何時代の人だよ……」
「まあ別に問題ないだろ。うちにはゾンビに詳しい康大博士がいるからな」
玲士の気の抜けた声を他所に勇気は彼の名を口にすると、生徒会長の視線が勢い良く康大の元へと注がれた。
「ひょえっ!? ぼ、僕かい? た、確かにゾンビ映画やドラマは好きでよく見てるけど……」
その余りにも突然の出来事に当の本人は困惑しているようだが、ゾンビに詳しいという部分に関しては否定するような素振りを見せてはいなかった。
「でしたらお願いします。私にゾンビとはどういう者かを全て教えて下さい」
康大に顔を勢い良く近づけると生徒会長はゾンビについて、ありとあらゆる情報を得ようとしてるようで頼み込んでいた。
「ひっ……わ、分かりました……」
彼女に顔を近づけられて圧倒されたのか彼は情けない声を出しながら了承していた。
しかし康大は女性と余り接点を持たないことから妙に顔が赤くなっている。
「ありがとうございます康大さん。……にしてもこの車を運転しているのが酒川先生というのは些か不安ですね」
情報を得られるとして生徒会長は安心したのか頬が少し緩むが、視線を尖らせると運転席の方へと向けて小言を漏らしていた。
「ちょっと! それは一体どういう意味かしらぁ!?」
彼女の言葉に反応して酒川は高い声を出すとハンドルを持つ手がぶれたらしく、車は大きく横に逸れるが慌ててハンドルを切り直すと何とか勇気達は大事には至らずに済むのであった。
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