第59話

「ねっ、早く先生のところ行くわよ」

「あ、ああ」

「どうしたの?」

「あ、いや……行こっか」


 放課後、鷹宮が俺を呼びにきて二人で教室を出た。

 俺は突然の転校生の登場から今までずっと、上の空だった。

 鷹宮の声かけがなければ多分、放課後になってもずっと席で放心状態だったと思う。

 むしろ、あの時倒れずに正気を保っていられたのが不思議なくらい。

 額も汗でベタベタしてる。

 それだけ、衝撃的な出来事だった。


 円城調。

 俺の初恋だったかもしれない人。

 俺のトラウマ。


 あの後、円城調はこちらを見ることも話しかけてくることもなかった。


 でも、あれは聞き間違いなんがじゃない。

 やっと会えたと。

 彼女は俺にそう言った。


 俺は円城が転校してきたことよりも寧ろ、その発言がずっと気になっていた。


 一体なんのつもりでそんなことを言ったのか。

 俺を拒絶した彼女がなぜそんなことを……。

 それに、あの口ぶりだと俺がこの学校にいることを知って転校してきたようにも聞こえるけど。

 一体何がなんだか……。


「ちょっと涼風君」


 職員室に向かう途中で、鷹宮が足を止めて俺を呼んだ。


「ど、どうした?」

「……ずっとうわの空だから。ねえ、あの転校生知り合い?」

「え?」

「やっぱり。なによ、授業中もチラチラあの子のこと見てたし。ねえ、可愛いから気になるの? 好きなタイプなの? ねえ」


 鷹宮の目が曇った。

 そして俺にジリジリと詰め寄る。


「ねえ、まさか」

「え……」

「一目惚れした? ほら、気持ちは変わらないとか言っておいて浮気するじゃん」

「ち、違うって! 違うからそのシャーペンをおろせ」


 どこからか取り出したシャーペンの先を俺に向けながら睨みつける彼女に必死な弁明をした。


「ほんと? 嘘ついてない?」

「つ、ついてない。俺は鷹宮が好きなんだって」

「す、好き……そ、そんなに軽々しく言わないでよね」

「ご、ごめん」

「……まあ、いいけど。でも、なんかあの女むかつくから喋らないでね」


 シャーペンを刺されなかった代わりにしっかりと釘をさされてこの話は終わった。


 しかし職員室へ向かう間もずっと考えてはいた。

 鷹宮が目をつけたあの転校生こそが俺のトラウマの元凶なのだと、正直に話すべきかどうか。


 聞かれていないので嘘はついていないけど、いつかバレた時になんで隠していたんだって怒られるのは明白だ。

 かといって、言ったら鷹宮がそれこそ円城をシャーペンで刺すんじゃないかとも思ってしまう。

 果たしてどちらが正解なのか。

 その答えは出ないまま、職員室に到着した。



「……というわけだから、明日から三階の生徒会室は自由に使ってください。あと、経費の相談などは門脇先生まで。以上です」


 学年主任の先生から今後の生徒会の運営についての大雑把な説明がされた。

 そして会長の欄に鷹宮の、副会長のところには俺の名前を書いて。

 空白になっている書記のところにはまだ名前を書かず、俺たちは職員室を出た。


「なんか、ほんとざっとした説明だったわね」

「まあ、前の生徒会がやらかしたせいで権限も結構取り上げられてるみたいだし。それより、書記は誰にするんだ? 明日までに決めてこいって言われたけどさ」


 説明によると、書記の人は会計係も兼任するそうで。

 予算を管理する重要な役目だから早めに決めてこいとのことだった。

 しかしいくらなんでも明日というのは無理がある気がするけど。

 

「んー、誰かいない?」

「それこそミカさんはダメなのか?」

「ミカはやらないでしょうね。表に出るのは頑なに拒否ってるし」

「んー」


 ちなみに誰もいないなら先生の方で選任するとのことだったけど。 


「私がやりますよ」


 二人でうーんと唸りながら廊下を歩いていると、後ろから涼しげな声が聞こえた。


「あ、君は確か」

「どうもです。時任さなえです」


 大きな丸い眼鏡をクイッと持ち上げながら淡々と名乗る時任さんに対して、すぐに鷹宮が詰め寄った。


「ちょっと、涼風君と馴れ馴れしくしないで。あと、あなたってマリアの応援してた人でしょ?」

「覚えていただいていて光栄です、鷹宮生徒会長」

「か、会長って……なんかむず痒いわね」

「確かに私はマリアさんの応援をしていましたが、戦いが終われば同じ学友同士、ノーサイドというものではないでしょうか」


 時任さんは眉ひとつ動かさず淡々と。

 

「そ、そんなこと言ったって……あなたはマリアの味方でしょ?」

「私は別に誰の味方でもないですよ。マリアさんには応援を依頼されたからやったまでです」

「そんな言葉鵜呑みにできないわよ。ほんとはマリアに頼まれて生徒会に入ろうとしてるんじゃないの? 私たちの邪魔をするために」


 鷹宮が時任さんを睨む。

 俺も当然、同じことを考えていた。

 あの神宮寺がこのまま大人しく引き下がるとは思えない。

 時任さんを生徒会にスパイとして放り込むなんてことは普通に考えそうだ。

 しかし、


「私が入らなかったら、マリアさんが生徒会に入っちゃいますよ?」


 澄ました顔で時任さんが言った。


「は? あ、あんなの入れるわけないでしょ」

「でも、明日までに候補者なんか探せますか? もう放課後ですし」

「そ、それはまあ、なんとかするのよ。それに、どうしてマリアが生徒会に入る話になるのよ」

「マリアさん、先生方からの評判はいいですからね。どうも今朝泣きついたみたいで、書記が決まらなかったらマリアさんが推薦されるようにお願いしたみたいなんです」

「は、はあ? なんでそんなこと」

「さきほどご自身で仰ってた通りですよ。内側からあなた方を邪魔するつもりなのでしょうね」


 表情を崩さないまま、時任さんはわかりきったことのようにそう言った。


「……だったら、なんであなたはそんなマリアの邪魔をするの?」

「私的にはマリアさんのためにもなる行動だと思うのですが、まあ、結果的には邪魔してることになるのでしょうね」

「な、何が目的なの?」


 少しパニックになりかけの鷹宮が焦ったように聞くと、時任さんはほんの少しだけ。

 メガネの奥の大きな瞳を細めながら言った。


「時任書記って、呼ばれてみたいのです」

「……はい?」

「かっこよくないですか? 私、そう呼ばれるためにならたとえ火の中水の中、死んでも働く所存ですから」


 ふざけたようなことを真顔で。

 しかし時任さんが真剣なのはなんとなく伝わってくる。


「……ねえ涼風君、どうする?」

「どうするって……でも、このまま明日になって神宮寺を先生たちに推薦されたらそれこそ何のために勝ったのかわかんないし」

「そうね。じゃあ時任さん、一度あなたを信用してみるわ。その代わり、裏切ったら即」

 

 燃やすから。

 鷹宮が睨みつけると、時任さんは「仰せのままに」と頭を下げた。


 なし崩し的に、書記が決まった。

 時任さなえ。

 少し小柄で、大きなメガネが特徴的な学年二位の頭脳を持つ秀才。

 そして彼女は「会長、早速先生の方には私から報告しておきますのでお二人は気をつけておかえりください」と。


 鷹宮を会長と持ち上げ、ひざまづいた。


「え、ええと、うん。じゃあお願いします、時任さん」

「時任書記とお呼びください」

「……時任書記」

「はい、仰せのままに」


 立ち上がり、そのまま彼女は職員室の方へゆっくり歩いていった。


 俺も鷹宮も顔を見合わせて首を傾げた。

 言葉はなかったが、言いたいことは二人とも同じだったと思う。


 なんか変な人だ。

 それが時任さなえに対する率直な感想だった。

 


 

 

 

 

 

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