第58話


 しばらく感極まって涼風君にベタベタしたあと、ふと我に返って恥ずかしくなって私はまた彼から逃げてきた。


 ほんと、何やってるんだろう。

 でも、これって夢じゃないよね?


「いてて……夢じゃない」

「そんな昔のギャグ漫画みたいなことして、どしたのよ」

「あ、ミカ?」 

 

 頬をつねって夢じゃないことを実感していると、廊下の向こうからミカがやってきた。

 私は思わずミカの方へ走った。


「ミカ、勝ったよわたし! ねえ、なんか勝ったの!」

「へーへー、おめでとう御座います」

「な、なによ嬉しくないの?」

「うれしいけど、別に飛び跳ねるほどのサプライズでもないし」

「……最初から私が勝つってわかってたってこと?」

「私は未来予知まではできないわよ。でも、別に負けるとも思ってなかったけど」

「それは……私を信じてくれてたってこと?」

「んー、そうだよって言いたいところだけどそうでもないかな。普通にあんたたちのことをみんな応援してたのよ」

「でも、男子の票は絶望的だって」

「あんたを諦めていない連中に限っては、ね。でも、それを超えて応援しようって人が多かっただけの話でしょ。推活? いや、カプ推しかな」

「カプ?」

「あはは、まあいいじゃん終わったんだし。とにかく、これから頑張ってね生徒会長様」


 私の頭をぽんぽんとしてから、ミカは自分の教室に戻っていった。



「いやー、昨日の演説よかったなー。キュンキュンしちゃったぜ」

「ねー、私も。リアラちゃんがんばれーって。可愛いよね」

「やっぱりミカエルさんの言う通りだよ。人の幸せを応援するってのも乙なもんだな」


 朝から教室は大盛り上がり。

 話題はもちろん昨日の選挙のことで。

 どうやらみんな、鷹宮の演説に心打たれたというより応援したい気持ちにさせられたといった具合だ。

 そして俺も。

 渦中の人だったから当然だろうけど、時々みんなから視線を送られていた。

 

「……ったく」

 

 みんなは俺と鷹宮が付き合っていると信じて疑わない。 

 まあ、それも当然のことだけど人の気も知らないで周りが浮かれ気分なのは見ていて複雑な気分になる。


 俺はこれから、鷹宮にちゃんと告白をしないといけない立場だし、生徒会という新しい仕事が待っているというのに。

 

「あ、鷹宮さんだ」


 少しして、鷹宮が教室に戻ってくるとみんなが一斉に彼女の方へ。


 そして「おめでとう、頑張ってね!」と、あたたかい声をかけられていて、鷹宮も少し余裕なさげな笑顔で返していた。


 なんか、急にお祝いモードだな。

 ついこの間までは俺と鷹宮が教室で喋ってただけでざわついていたってのに。


 ほんと、不思議なこともあるもんだ。

 確かに俺たちは昨日必死に話をして、神宮寺よりも熱い想いは伝えたつもりだけど。

 それだけでここまで状況が一変するものなのか。

 もしかしたら俺の知らない間にそういう機運が高まっていたのだろうか。

 今となってはもう、知る由もないことだけど。



「ねえ、今日の放課後先生から説明があるんだって」


 昼休み。

 昨日まで散々俺を避けていた鷹宮から「今日はミカとコソコソ会わないでね」とラインが来たので一緒に屋上へ。


 そして二人並んでフェンス際に座った時に鷹宮がそう言いながらカバンをゴソゴソと。

 

「そういえば神宮寺は? 見かけないけど」

「ミカに聞いたんだけど今日は早退したみたい。よほど悔しかったんでしょ。はい、お弁当」

「あ、ありがと。準備してくれてたんだ」

「そりゃあね。わ、私は別に負けるなんて思ってなかったもん」


 強がる彼女は少し顔を赤くしながら自分の弁当を取り出して包みをほどいていた。


 そんな横顔を見ていたら。

 当たり前のように用意された弁当を見ていたら。


 恥ずかしいとか気まずいとか、そんな感情なんかより先に。

 言いたくなった。


「あのさ、鷹宮」

「な、なによ」

「……やっぱり俺、鷹宮のことが好きだ」


 口にするのは二回目だけど。

 昨日はみんなに向かってだったからな。

 それに、それどころじゃなかったってのもある。

 改めて、ちゃんと。

 言った。


「……知ってる。昨日、聞いたもん」

「でも、俺はやっぱり鷹宮との約束はきちんと果たしたいって思ってるんだ」

「そ、それって」

「まあ、聞いてくれよ。連休終わりに約束の期限はくる。だから俺と鷹宮の偽りの交際は終わる。一旦別れる。それはそれでいい」

「……なによそれ」

「でも、そのあともう一度鷹宮に告白してもいいか?」

「え?」

「いや、別にそれだったら約束破るもなにもないのかなって。別れたらお終いみたいに思ってたからさ、どうしたらいいのか俺もずっと迷ってたんだけど。それだったらどうかなって」


 別れるかこのまま付き合うか。

 そんな二択にずっと縛られていたから見えなかったけど。

 これはミカさんのアドバイスのおかげだ。


「……じゃあ、今はそのままってこと?」

「まあ、そうなるかな。でも、ちゃんとまた気持ちを伝える」

「そ、それまでに心変わりしてたら?」

「しない。ていうか来週の話だし」

「わ、わかんないよ? いきなり恋のライバルが現れて涼風君がその子を好きに」

「ならない。ていうかそんなの言ってたら鷹宮だって、今と明日とじゃ答えが変わるかもだろ」


 言い返して横目で鷹宮を見ると彼女は真っ赤になりながら「変わるわけないもん」と。


「じゃあ、その時にまた。弁当、食べていいか?」

「……うん。水族館楽しみだね」


 鷹宮は俺の肩に頭をもたれる。

 俺は弁当を食べようとしたがまた、手を止めた。


 こんな時間がひどく愛おしい。

 ずっとこんな時間が続けばいいなって。

 あんなに明日が来るのが怖かったのに、今じゃ早く週末が来てくれないかなんて思ってる。


 ほんと、一寸先は光だな。

 俺も今日からゴッドミカエルさんの動画ちゃんと見てみよう。



「でへへ、好き、だってえ」

「気持ち悪いわねー。キャラ崩壊してるからやめてよ」

「だ、だだってえ」

「はいはいよかったね。でも、まだちゃんと付き合ってないあたりあんた達らしいわ」

「だ、だってそれは涼風君がそうやって言ってくれたから」

「それで恥ずかしくなって逃げてきたと。さっさと付き合え。リア充爆発しろ」


 我に返って恥ずかしくなり、屋上から先に逃げてきた私はミカのところに来たわけだけど。

 心はもう、ふわふわぽかぽか。

 今日はマリアに絡まれる心配もないし、とにかく選挙は勝ったし、好きだと言ってもらえたし。

 こんなに幸せなことが続くのは怖いくらい。

 ほんと、ずっとこんな日が続いたらいいのにな。



「えー、皆様にお知らせがあります」


 昼休みが終わってすぐのホームルームにて。

 先生がそう話すと見ながら少し静かになった。


 俺はそんなことよりなによりずっと。

 鷹宮を見ながらぼーっとしていた。


 なんか、楽しいな。

 神宮寺に絡まれる心配はないし、選挙には勝ったし、好きだと言えたし。

 こんなにいいことばかり続いてると何かあるんじゃないかと怖くなるくらいだ。

 ま、何もないけどな。


「えー、本日は転校生がきます」


 先生が嬉しそうに言うと、クラスメイトは「おおっ」と一斉に声をあげた。


 なるほど、転校生か。

 高校で、しかもこんな時期なのは珍しいと思うけど、まあ俺には関係ない話だ。

 どんなイケメンだろうと美少女だろうと俺と鷹宮はもう……。


「さあ、入ってきなさい」


 先生が呼ぶと、ガラガラと教室の入り口が開いた。


 そして、少し小柄な女の子が姿を見せた。


 その姿を見て、男子たちがまた、「おおっ」と声をあげた。

 可愛いと綺麗のいいとこ取りをしたような整った顔立ち。

 誰もに優しそうで、誰からも好かれそうな癖のない、それでいて愛嬌のある美人。


 俺はそんな姿を見て、目を丸くした。

 

「うそ、だろ……」


 何かの見間違いかと思った。

 でも、忘れていた記憶が無理矢理引き戻されるように俺の頭の中で再生された。


 俺はその子を知っていた。

 転校生なのに、その子の名前を知っている。


「円城調です。みなさん、よろしくね」


 彼女がニコッと目尻をさげると男子のボルテージは一層あがって。


 でも、俺の周りの空気だけは時間が止まったように静かで冷たくて。

 そんな彼女が先生に案内されて席につこうとこっちに近づいてくる。

 

 俺は固まったまま、ずっと目で彼女を追ってしまっていた。

 脂汗が、額から落ちてきた。


 そして、俺の斜め前の席に着こうとしたその時。


 俺と目が合った彼女は笑いながら小さな声で言った。


「やっと会えたね、鏡君」

 

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