第49話

「さっ、あがってあがって」

「……お邪魔します」


 ミカさんの家は鷹宮の家のすぐ近所だった。

 彼女の家より少し大きな一軒家。

 俺は鷹宮の家にあがる時とはまた違った緊張を覚えながら玄関先で靴を脱ぐ。


「いやー、男の人を家にあげるのなんて初めてだからドキドキするなあ」

「全くそんな感じはしませんけど」

「あはは、そう? これでも緊張してるんだよ私も」


 通されたのは入ってすぐ右手にある大きな部屋。

 その中はまるで美容室の一角のように、大きな椅子と鏡があって。

 パーマを当てる機械やハサミたてなんかも揃っていた。


「へえ、すごいな」

「でしょ? パパが昔美容師やってて、その時に趣味で作った部屋なんだ」


 さあ座った座ったと。

 元気よく俺を椅子に座らせてから普段俺が見ることのないオシャレ雑誌を渡し、ネックシャッターを俺にかける。


「お客様、今日はどんな髪型がご希望で?」

「そういうとこまでちゃんとやるんですね」

「あはは、まあね。で、ご要望は?」

「……前髪をさっぱりさせろって」

「あら、彼女さんの希望かしら? ラブラブですねー」

「意地悪ですね案外。そんなんじゃないって知ってるくせに」

「でも、そうなりたいとは思ってるとか?」

「……」

「じゃあ今日は想い人がキュン死にしちゃうような爽やかカットにしちゃいましょうか」


 ハサミを手に持つと、ミカさんは鏡越しにニヤリと笑った。


 そして、俺が何か言う前に早速。

 髪にハサミを入れた。


「ふふっ、男性モデルなんてパパ以外いないから新鮮。それに最近パパも毛量減っちゃったからねー」

「仲良いんですね、お父さんと」

「んー、まあね。二人だけだし、うちの家族」


 豪快に前髪をジョキッと切り落としたところで、そんな話になった。


「……それは聞いてもいい話ですか?」

「言いたくないならこんな話しないよ。ま、リアラの彼氏さんだし特別にね」


 手際よく俺の髪を切りながら、ミカさんはさっきまでより真剣な表情で続ける。


「リアラのお父さんが不倫してたところをあの子が見たって話は聞いたんだよね?」

「ええ、まあ」

「実はそこにね、私もいたんだ」

「……え?」

「ちょうどあの日、リアラの家に遊びに行っててさ。でね、二人でその現場を見ちゃったんだけど。まあ、これが嘘みたいな話でさ、相手の女が私のママだったのよね」

「……は?」

「ほら、動かないで。変な髪になっちゃうよー」


 動揺する俺に対して、なぜかミカさんは淡々としていた。

 俺は言葉が出ずに息を呑んだ。


「ま、そんなことがあったから私とリアラはずっとこんな関係ってわけ。一緒にやばい経験しちゃったもの同士っていうか、同志って感じ?」

「……そんなことが、あったんですね」

「あと、これはリアラにも内緒なんだけど、誘ったのはうちのママらしいのよね。なんかさ、それがずっと罪悪感というかね。私のママがあんなんじゃなかったら、リアラが傷つくこともなかったのかなって。だから私はあの子のためにはなんでもしてあげようって。自分のことはあの子がちゃんとした後でいいかなってね。かっこいいでしょ」

「……ミカさんが気に病む必要も背負う義務も全くないでしょ」

「あはは、やっぱり優しいんだね。そういうところをリアラも気に入ってるのかな」


 すきバサミで俺の髪を整えながら、ミカさんはまた明るい表情に戻った。


「……あの、こんなに切って大丈夫ですか?」

「量が多いから問題ないない。リアラの好きそうな髪にしてあげるから。ま、あの子の好みとか知らないけどー」

「……ミカさんのおかげなんですね、あいつが明るくいられるのは」

「んー、どうかな。私にしてあげられるのはいつもサポートだけ。それに、あの子が家で泣いててもね、私はあの家にはあれ以降怖くて入れないんだ。だから私じゃ肝心な時に助けてあげられない」

「充分でしょ。あとはあいつ自身で克服します、きっと。だからミカさんも自己犠牲なんかやめたらいい」

「あはは、ありがとう。でも、どうかな。私に代わって、そばで支えてくれる人がいてくれたら、私も心置きなくそうできるんだけどねー」


 さあ、シャンプーですよーっと。

 さっぱりした俺の頭を見ながら、椅子を回転させて倒すミカさんは白々しく。


「それを、鷹宮が望んでますか?」

「どうだろね。でも、今もずっとポケットのスマホがブーブーいってるのはなんでかなあ?」

「……あいつは心配性なんですよ」

「なんで心配になるのかな? どうでもいい人のことなんて心配する? そんなに心に余裕があるのかな?」

「案外漫画が好きなんですね」


 そうツッコむと、「なかなかやるじゃん」と言って俺の顔に布をかけた。

 視界が遮られ、頭を洗われる俺にミカさんは「これで終わりだから、ダッシュで行ってあげな」と、頭を洗う手に力をこめた。


 シャンプーが終わると、背もたれをあげてから椅子を元に戻してドライヤーを当てる。


 そして手にワックスをつけてささっと俺の髪を触ると、鏡の前には全くの別人がうつっていた。


「え、すご……」

「ふふっ、びっくりした? 涼風君、元の素材がいいから色々迷ったけどさ。結局リアラはチャラ男より真面目系が好きなのかなって」

「あの、ほんとに上手ですね。なんというか、プロみたいですよ。ほんとにお金いらないんですか?」

「あら、うれしいな。でも、まだまだ。高校出て専門学校行って勉強して、色んなお店で働いていつか独立したいなと思ってる。だからその時はたっぷりもらうからね」

「は、はい」


 鏡の前にうつる爽やか男子にまだ戸惑いを隠せないまま、俺は立ち上がり部屋を出る。


 そして少しスースーする頭を気にしながら靴を履いていると、


「グッドラック。君の気持ちに素直に向き合えば自ずといい結果が訪れるわ」と。


 一礼して、俺はミカさんの家を出た。


 そしてすぐそこの鷹宮の家に向かう前にまず。

 スマホを見た。


「ねえ、髪どんな感じ?」

「ねえねえ、ミカと何してるの? ほんとに散髪してる?」

「ねえねえねえ、なんで連絡くれないの? もう少し返事がなかったら私、ミカのところにいくからね? 浮気してたらただじゃおかないから」


 最後のメッセージが三分前に。

 無数の着信のあと、そう送られてきていた。


「やばっ……」


 急いで電話をかける。

 するとすぐに、


「なにしてるのよ! 今そっち向かうところだから」


 大声で鷹宮が電話に出た。


「ま、待てって。髪切ってただけだから」

「なんで待てなの? 来られたらまずいんでしょ? 今そっちに」


 ちょうど鷹宮の家の前に着いたところで、勢いよく彼女の家の玄関が開いた。


「あ」


 電話から聞こえる声と同じ声で、玄関から飛び出してきた鷹宮は驚いたように。

 そんな様子に俺は呆れていた。


「何バタバタしてんだよ」

「だ、だって……あの、髪、いいじゃん」

「ど、どうも」

「……前髪、ちゃんと切ったんだ」


 イメチェンされた俺を見てなんと言っていいのか戸惑った様子で鷹宮は足元に目を逸らした。


 俺も、そんな彼女を見てどこか照れくさくなって下を向いて。


 互いにスマホを耳に当てたまま、少しの間沈黙してしまっていた。


 


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