第43話

「さっきはごめんなさい。もう大丈夫だから」


 まだ少し赤く腫れた目の周りをこすりながら、鷹宮は戻ってきた。


「俺の方こそ、あの、なんていうか」

「いいわよ謝らなくて。おばさまにもちゃんと私から言っておくわ」

「そっか。でも、ミカさんってほんとすごいんだな」  

「ミカが? どうして?」

「だって、ろくに会ったこともない俺の考えまでズバリ当てちゃうなんて、なかなかできないだろ」

「ろくに? 会ったことあるみたいな言い方だけど」

「え、いや、ほら、学校ですれ違ったりしてるかも知らないじゃんか。俺はもちろん気づかないけど」

「あ、そういうこと? ならいいんだけど」


 何がよかったのかさっぱりわからないが、一瞬怖い顔をしてまた元に戻った鷹宮は、今度はため息をついた。


「はあ」

「なんだよ、らしくない」

「だって、いよいよ選挙間近じゃない。どうしたら勝てるのかなって。ねえ、私に彼氏がいたらそんなに悪いことなのかしら」

「興味ないやつもいるだろ。でも、確実にそこを攻撃してくるのが神宮寺ってやつだ。やっぱり男子の大半は敵に回してると思っといた方がいい」

「そっか。うん、だけど頑張らないと」


 鷹宮が両手で顔を軽く叩いて気合いを入れた。

 と、その時。

 彼女のスマホからぽろんと通知音が鳴る。


「あ」 

「なんだ?」

「ううん、ただの通知。私の好きなVtuberさんなんだけど、ここ最近更新が止まってて。久しぶりに動画アップしたみたい」

「ふーん。そういうの見るんだな」

「意外だった? まあ、家じゃ一人で暇だし。それに、この人の話ってすごく的確というか、なんか共感すごくて。うちの学校でも結構流行ってるわよ」

「そうなんだ。なんて言う人?」

「ゴッドミカエルさん。知らない?」

「……知らん」


 なんだそのとっ散らかった名前は。

 本当に面白いのか?


「ま、あとで見てみたらいいわ。それより、おばさまは?」

「さっき玄関の方で音がしてたからどっか出かけたんだろ」

「ふーん。じゃあお昼はどうする? 私、お腹空いちゃった」

「とはいっても母さんいないし。何か食べに行くか」

「そだね。じゃあ、いこっか」


 コップを片付けて、二人で家を出た。


 こうして一緒に出かけるのも何度目だろうか。

 ついこの間までは、休日の日中に外出することすら稀だったのに。

 ここ数週間で、随分といろんなことが変わった。

 学校での過ごし方も。

 休日の過ごし方も。

 鷹宮との関係性も。

 俺自身も。


「んー、何食べようかなー」

「またカフェか?」

「なによ、女子はカフェが好きなの。でもまあ、今日はラーメンとかでもいいかな」

「あ、それなら駅前のとこは? 豚骨ラーメンだけど」

「豚骨いいじゃん。じゃあそこにしましょ」


 歩きながら互いに顔も見ずに会話が続く。

 でも、なんとなく鷹宮がどんな表情をしているか想像がつく。


 せっかく、仲良くなれた気がするのに。

 あと十日ほどか。

 もっと一緒にいたいけど。

 あんな話聞かされたらな。


 約束は絶対に守る。

 つまり、俺と鷹宮の約束も絶対に破られることはないってことだ。


 残念、だな。

 鷹宮が泣いてくれた時、ちょっと期待したんだけど。


 完璧主義だもんな、こいつ。


 

「ここだよ、今は空いてるみたいだ」

「へえ、初めてだなあ」


 二人で駅前のラーメン屋に来た。

 ミカは豚骨ラーメンとか嫌いだから、実は行くのも初めてだけど。


 食べてみたかったんだ。

 一人でラーメン屋なんて入る勇気もないし、こういう時って涼風君と一緒だと色んなところにいけていいなって思う。


 なんか、もっと色んなところに行ってみたいな。

 

「いらっしゃいませー」


 元気のいい店員さんの声にビクッとすると、「そんなに驚くなよ」と彼は笑っていた。

 

「お、驚いてないわよ。ほら、早く座りましょ」


 私は簡単に言えば世間知らずである。

 涼風君のことをよく引きこもりだとか陰キャだとバカにしていたけど、私の方がよほどそれに近い。

 自分の見た目が悪くない自覚はあるけど、それのおかげで少しチヤホヤされてきただけの何も中身がない人間。

 それが私。

 勉強もスポーツもほどほどで、ミカ以外の人はみんな上辺だけの付き合いで。

 ずっと男の人が嫌いで仕方なかったから恋人もいなかったし。

 行きたいところも、やりたいことも、達成したい目標もなかった。

 なかった、けど。


「ここのさ、醤油豚骨がおすすめらしいけど。それ二つにするか?」

「んー、でも私はこっちの味噌も気になるかも。ねっ、わけっこしない?」

「じゃあそうするか。すみませーん」


 店員を呼んで注文をしてくれる彼の姿がとても頼り甲斐があるように見えた。

 以前は、目つきの悪い陰キャにしか見えなかったのに。

 私が買ってあげた服のおかげかな。

 でも、彼といると不思議と今まで考えなかったことがたくさん頭に浮かぶ。


 行きたいところも。

 食べてみたいものも。

 やってみたいことだって。

 

「なあ鷹宮、飯食べたら家に戻るだろ?」

「でも、やっぱり休日は気晴らししないと。駅の方まできたついでだし、甘いもの買いに行きたいかも」

「甘いものねえ。ほんと女子ってそういうの好きなんだな」

「なによ、いけない?」

「いや。俺も甘いものは好きだし」

「ふふっ、じゃあ決まりね」


 そんな話をしていると、ラーメンが運ばれてきた。


「お、いい匂い。じゃあ、取り皿にわけとくよ」


 彼の頼んだ醤油豚骨ラーメンを取り皿に分けてくれた。


 私も、自分の頼んだ味噌ラーメンを取り分けて彼に渡す。


 まるで恋人みたいなやりとりに、少し照れ臭くなる。

 

「ん、美味しい。ここのラーメン好きかも」

「うん、久しぶりだけどうまいなやっぱり。なっ、ここにしてよかったろ?」

「なによ、別にあんたがすごいわけじゃないのに威張らないで」


 でも、得意そうな彼を見てると楽しくなる。

 

 黙々とラーメンをすする彼の表情も、汗をふく仕草も。

 ずっと、目が離せない。


「そういやさ、ミカさんのカットの日は決まったのか?」

「あ、忘れてた。今日聞いとく」

「でも本当に大丈夫かな? 俺、目つき悪いのに」

「別にそうでもないわよ。目つきが悪いのって鬱陶しい前髪のせいじゃない?」

「んー、どうなんだろ。長いこと切ったことないし」

「何事もチャレンジよ。やってみなきゃわかんないでしょ」


 自分を棚にあげたようなことを口にして、ちょっと胸が締め付けられた。

 何事にもチャレンジしてこなかった私が。

 やる前から結果をわかったつもりでいた私が。

 そんなことを誰かに言うようになるなんて。


「……」

「ん、何か俺の顔についてるのか?」

「な、なんでもない。それより、早く食べましょ」


 私は視線を解いてまたラーメンをすする。

 その間もずっと、頭の中でぐるぐると思考が巡る。


 もう少し、こうしていたい。

 もっと、こうしていたい。

 ずっと、こうしていたい。


 でも、言えない。

 涼風君との約束を簡単に破ろうとしてしまう自分が怖い。

 言った時に、約束が違うだろと否定されるのが怖い。

 

 言いたいのに。

 ちゃんと。


 完璧主義だなんて言って、ちゃんとした恋人を演じようとしていたのは、半分はほんとだけど途中からは違うんだよって。


 涼風君と、恋人らしいことをしてみたかったんだよって。

 約束を守らない人は嫌いって、確かにずっとそう思ってきてたけど。


 泣いたのは、そんなことが理由なんかじゃないよって。


「ふう、ご馳走さま。じゃあ、次行くか」

「うん」


 さっと立ち上がり伝票を持ってレジへ行く彼の背中を見ながら言葉を飲み込んだ。


 やっぱり言えない。

 でも、自覚できた。


 あんなに気持ち悪いとしか思わなかった男の人の手に、今は触れたいと思ってる。

 涼風君なら、いいって思ってる。


 会計をする彼に笑顔で対応する店員の女性に腹が立つ。

 それに笑顔で応える涼風君にも。


 嫉妬、してる。

 私、あなたのこと。


「はあ、うまかったな。 なんだかんだ、鷹宮も好きだったろ?」


 店を出たところで、やっぱり自分の手柄みたいに嬉しそうに聞いてくる君。

 うん、よかった。

 猫背っぽいのに、私より少し背は高くて男っぽくて。

 無愛想なのになんだかんだ優しくて。

 いつも私のわがままに付き合ってくれた。

 そんな君を選んで。

 よかった。

 私は涼風くんのことが。


「……好き、だよ」

 


 

 


 


 

 

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