第42話


「ねえ鏡、リアラちゃん家に泊まって何してたの?」

「別に、コーヒー飲んで寝ただけだよ」

「へえー、ふーん」


 帰宅してすぐ、母さんに絡まれた。

 想像以上のニヤけ顔で俺のところにやってきて、ずっとこんな調子だ。


 何をした、何をした、ナニをしてたんだろ、と。

 言い訳っぽくなるのも面倒なので適当に返していると。


「ピンポーン」


 玄関のチャイムが鳴った。


「あら、リアラちゃんかしら。ふふっ、私が出迎えちゃおーっと」


 ノリノリの母さんが俺を置いて玄関へ。


「いらっしゃいリアラちゃ……ど、どうしたの?」


 扉を開けた母さんが驚いた声をあげた。

 俺も何事かと慌てて向かうと、そこには確かに鷹宮が立っていた。


 泣きながら。


「ぐすっ……お、おはよう、ござい、ずずっ……あの、鏡君、いまずが……?」

「と、とにかく早く中に入りなさい。鏡、ぼさっとしてないでこっち来なさい」


 取り乱す母さんは俺を呼んだあと、そのままキッチンへ走っていった。


 入れ替わるように鷹宮のところにいくと、涙で顔がぐしゃぐしゃになった彼女がゆっくり俺の方を見た。


「……バカ」

「え?」

「バカ、ばかばかばか! なによ別れるって! 約束破るやつなんか大嫌い!」

「お、落ち着けって。何の話だよ」


 玄関先で大声をあげる鷹宮を宥めながら、とりあえず家の中に。

 そして付き添いながらリビングへ通して、ソファへ座らせると。


 ちょうど飲み物を持って母さんも入ってきた。


「ほらリアラちゃん、あたたかいココアよ。これ飲んで落ち着きなさい」

「あ、ありがとうございますおばさま……ぐずっ」

「鏡、あんたはちょっとこっちに来なさい」

「……はい」


 鷹宮に笑顔で飲み物を渡したあと、鬼のように眉間に皺を寄せる母さんに呼ばれて俺は隣のキッチンへ。


 すぐに母さんは「はあっ」とため息をついてから俺に説教をはじめた。


「鏡、別に彼女と喧嘩しようがどうしようが勝手だし、そこまで干渉するほど過保護に育てようとは思ってないわ。でも、女の子を泣かせたらいけません。ちゃんと話しあって、相手の言い分を聞いてあげなさい」

「……わかってるよ」


 俺だって聞きたいよ。

 家を出る前は普通よりもむしろ機嫌がよかったくらいだったのに。

 なんであんなに取り乱して号泣してるんだ?

 まさかミカさんとも喧嘩を……うーん、どうなんだろう。


 とにかく、母さんは俺が悪いと思い込んでるから話に加えるとややこしくなる。


「俺が行ってくるから」


 一言伝えると、母さんも頷いてそのままキッチンを出て二階へ上がっていった。


 ちょっと一息。

 そしてここからが本番だ。


「……鷹宮?」


 リビングへ戻り、俯いたままの鷹宮に恐る恐る声をかける。


「…………バカ」


 と、鷹宮。

 目を真っ赤にして、今度はなぜか怒っていた。


「ど、どうしたんだ? ミカさんと喧嘩でも」

「しない。ミカとは喧嘩したことない」

「……じゃあ、家族と何か」

「ない。高校に上がってからお母さんと話してない」

「じゃあ、なんで」

「……わかんない」

 

 目を覆って首を横に振って、鷹宮はまた下を向く。


「わかんないって……お前が理由もなく泣いたりするやつには思えないんだけど」

「……ねえ、嘘つかないって約束できる?」

「嘘?」

「できる? ううん、して。嘘、ついたら指切って千本飲ませる」

「……」


 なんて拷問だよそれ。

 と、突っ込むような空気ではもちろんなく。

 

「嘘なんかつかないって」


 そう答えるしかなかった。


「……じゃあ。涼風君、私に話したいこととかない?」

「話したいこと?」

「選挙のこととか。勝つためにどうしようとか。何か考えてなかった?」

「……」


 急に何の話だと、頭を巡らせた。

 鷹宮が泣いていることと選挙の話がどう関係していると……ん、待てよ?

 そういえば、玄関先で別れるとかなんとか言ってなかったか?


 いや、でもそれは俺が勝手に考えていただけの話だ。

 誰にも言ってないし、鷹宮が知っているはずもないこと、なんだけど。


「ねえ、何考えてるの? もしかして、別れるとか言おうとしてない?」


 真っ赤な目で俺をジロッと睨む彼女はなぜかはわからないが、俺が今日話そうとしていたことが何かを知っている。


 いや、なんで?


「あの、なんでそんな話を」

「質問してるのは私。ねえ、別れ話しようとか思ってなかった?」


 もはや確信をもった態度で鷹宮は俺を睨みつけた。

 嘘は、つけそうになかった。


「……思ってた、けど」

「ほら、やっぱり。なんで? ねえ、なんでそんな話しようと思ったの? なんで約束破るの?」

「い、いやだからそれは……ちゃんと話そうと思って」

「ちゃんと話したら約束破ってもいいの? ねえ、どうなの?」

「い、いや、それは……」


 充血した大きな目を見開いて、俺をじっと見つめながら迫る鷹宮の迫力に押されて言葉を失う。


 そして、彼女はまた。

 少し目に涙を溜めて。


「涼風君まで、私との約束を破るの……?」


 かすれた声でそう言った。


「……とにかく、話をしよう。俺も何がなんだか」

「じゃあ別れるって言わない? 言わないって約束できるなら話す」

「……言わないよ」


 とても、そんな話ができる雰囲気ではなかった。

 一旦、その話は忘れよう。  

 俺はゆっくり、彼女の向かいに座ろうとすると、


「隣」

「あ、ああ」


 隣に来いと言われ、慌てて隣に座り直した。


「……で、なんで泣いてたんだ?」


 とにかく、今はその理由を聞かないと話が始まらない。

 問うと、彼女はゆっくりと呼吸を整えてから、口を開く。


「ミカと話してたらね、なんか、涼風君が私に別れ話するんじゃないかって言い出して。その方が選挙に勝てるだろうって。涼風君ならきっとそうするって。それを聞いたらなんか、なんか……」

「……なるほど」


 理由はわかった。

 やはり俺が別れ話をしようとしていたことが原因だった。


 しかし、それがバレた理由はミカさんの推理によるものだったとは。

 あの人、どこまで洞察力が鋭いんだよ。

 ほとんど話したこともないやつの頭の中まで読めるとか、ちょっと普通じゃない。


「ねえ、約束破ったら殺すって言ったよね?」

「それは言われてないような気がするんだけど」

「約束破るのは浮気と一緒なの! だからちゃんと、約束の日までは彼氏でいて」


 さっきからずっと。

 約束約束と、その言葉を連呼する。

 どうせすぐに別れるのに、なぜそこまで約束にこだわるのか俺には理解ができないけど。

 彼女には相当な理由があるようだ。


「……わかった、この話はなしにしよう。でも、なんでそこまで約束に拘るんだ?」


 聞くと、ようやく少し落ち着いたのかココアを一口飲んでハアっと息を漏らしてから。

 鷹宮は静かに語り始めた。


「昔、お母さんに聞いたことがあるの。どうして二人は結婚したのって。そしたらね、「ずっと一緒にいるって約束したからよ」って。そこから、誰かとの約束って素敵な事だなって思うようになって。で、お父さんともね、水族館行こうねって約束したの。なのに、ね。だから、相手と決めたことを守らないのが許せなくて。私との約束なんか誰も守ってくれないんじゃないかって。そう思うと、なんか泣けてきて」


 また、鷹宮が悲しそうな目をする。

 

「……事情はわかった。約束は守るよ」

「ほんと? 絶対ほんと?」

「ああ。でも、選挙のことは振り出しだ」

「……ごめんなさい。でも、何かのために誰かとの約束を破っていいなんて、思えない。ちゃんとこのまま、勝つから」


 鷹宮は力強く言い切って、「ちょっと、洗面所借りるから」と。


 一人でリビングを出て行った。



「……バカ」


 なんで泣いてんのよ私。

 なんで泣かせてんのよ、バカ。


 最悪。

 ほんと最悪。

 頭ではわかってるのに。

 涼風君のために勝たないといけないのに。

 そのためには、そうした方がいいってわかってるのに。


 したくなかった。

 どうせ選挙が終わったあとには別れるのに。

 私は約束を破るつもりはないから、結果は同じなのに。


 私って、こんなに取り乱すタイプじゃなかったのに。

 どうして涼風君のことになると、こんなにイライラしたり辛くなったりするんだろう。


 それに。

 ちゃんと私の話を聞いてくれたらホッとして。

 優しくされたら嬉しくて。

 

 なんで、涼風君の顔を見ると満たされた気分になるんだろう。


 やっぱり私、涼風君のことを……。


 


 

 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る