第40話


「……朝か」


 目を開けると、見慣れない天井がそこにあった。

 そういえば俺、鷹宮の家に泊まってたんだった。

 鷹宮は……いない。

 先に起きたのか。


 いつもと違う寝心地のベッドから身を出すと、ちょうど部屋の扉が開いた。


「あら、起きたんだ」

「あ……おはよ」

「おはよ。ちゃんと眠れた?」

「まあ、一応。ええと、今何時だ?」

「まだ朝の六時よ。朝ごはんできるまで寝てていいわよ」

「いや、大丈夫。おれも手伝うよ」


 立ち上がり、布団を直す。

 さすがに人の部屋で二度寝なんて図々しさは持ち合わせていない。

 でも、不思議なもので。 

 部屋で二人きりというシチュエーションを昨日はあれだけ意識していたのに今は自然体でいられている。

 やっぱり昨夜の昂った気持ちは、状況がそう思わせていただけなのかもしれないと。

 勝手に納得しながら二人で部屋を出た。



「ねえ、その味噌汁美味しいでしょ? おばさまから教えてもらったの」 

「ああ、うまいよ」

「ふふっ、よかった。おかわりもあるからね」


 昨日お邪魔したリビングで鷹宮の作った朝食をいただいているのだけど、鷹宮はいつになく機嫌がよさそうに見える。

 

「何かいいことでもあったのか?」

「え、なんで?」

「いや、なんか楽しそうだなって」

「別に。でも、誰かと朝食食べるのなんていつぶりかな。朝はいつも一人だったから」


 まだ湯気の立ちこめる味噌汁を見つめながら。

 鷹宮は寂しそうな顔になる。


 そんな彼女を見ていると、昨日寝る前にかけられた一言を思い出した。


 来てくれてありがとう。

 その言葉だけは嘘偽りない彼女の本音だったんだと。

 初めて、彼女の心の中を少しだけ垣間見た気がした。

 よほど寂しかったんだろう。

 それをずっと我慢してきたんだと思うと、やっぱり来てよかったと。

 そしてつくづく、軽率な行動をとらなくてよかったと安堵した。


「で、食べたら俺はさすがに帰らないとだけど、どうするんだ?」

「私も行くわ。おばさまにも謝らないと」

「……わかった」


 できれば先に一人で帰宅して、母の誤解を解いておきたかったけど。

 鷹宮と一緒に朝帰りなんて、何もなかったとはいえ気まずい。

 母さんのニヤついた顔が目に浮かぶなあ。


「そういや、結局鷹宮の母親は帰って来なかったのか?」

「みたいね。知らないけど、あんな人のこと」


 吐き捨てるように鷹宮は一蹴した。

 やはり、鷹宮は母親とも何か揉めているみたいだ。

 せっかく朝から機嫌がいい彼女に、そんなことを聞くべきなのかどうか。

 迷っていると、呆れたように彼女が少し笑いながら。


「気になるんでしょ、私とお母さんのこと」

「え、いや、別にそれは」

「気遣わなくていいわよ。別に、お母さんと仲悪いのは本当だし」

「……それも父親の件が原因か?」

「まあ、そうね。でも、私ってつくづく逆恨みされるタイプみたい」

「逆恨み?」

「離婚したのは私が見ちゃったせいだとか、色々とね。まあ、お母さんも他に当たるところがなかったんだろうなって、今ならわかるんだけどさ」


 鷹宮はそんな話をしながらも少し笑っていた。


「……鷹宮は何も悪くないだろ。そんなことを子供に言うなんてどうかしてるよ」

「そ、どうかしてたのよ。そう思って、今は私も怒りとか恨みとかは持たないようにしてる。お母さんも、多分気まずくて私を避けてる。でも、それでいいかなって」


 ずずっと味噌汁を飲んで、彼女はスマホを触る。


「あ、ミカからだ」

「誘い?」

「んーん、違うわ。おはようのライン。ふふっ、仲良しでしょ」

「ああ、羨ましいよ」

「ミカと仲良しなのが? 涼風君、やっぱりミカを」

「やっぱりなわけないだろ。仲のいい友達がいて羨ましいなってことだよ」

「友達、ほしいの?」

「どうだろう。いたら楽しいとは思うけど、そんな理解のある人間なんてそうそういないし」


 悩みを打ち明けられる友人がいたら、俺のモヤモヤも少しは晴れるのかと。

 思うことはここ最近よくある。

 鷹宮はミカさんとどんな話をしているんだろう。

 俺のことも、なんて話しているんだろうか。


「ふーん、なんかちょっと変わったね」

「俺が? そうか?」

「うん。会ったばかりの時なんて、誰とも関わりたくないって顔してたじゃん。てっきり、マザコンの引きこもりを彼氏に選んじゃったって思ったわ」

「それを言うなら鷹宮だって。最初に絡まれた時は自己中なやつに捕まったって嘆いたもんだよ」

「へー、そんなこと思ってたんだ」

「い、今は全然違うけどな」


 調子に乗って言いすぎたと、慌てて訂正する俺を鷹宮はキョトンとした顔で見つめていて。

 ぷっ、と吹き出して笑った。


「な、なんだよ」

「ううん、そんなに慌ててるのがおかしくて。別に私、自己中なことくらい自覚あるし。ミカにもよく言われるから」

「いや、わかってるなら直せよ」

「そんなのお互いさまでしょ。あんただってその陰気くさい前髪とか、ダサい服のセンスどうにかしなさい」 

「……なんとかするよ」

「うん。で、今は全然違うって、どういう意味なの?」 


 鷹宮は目を細めながら俺を真っ直ぐ見た。

 

「た、大した意味はないよ。まあ、思ったより真面目というか、几帳面というか」

「それだけ?」

「……いいやつだなって、思ってるよ」


 俺は、鷹宮に対する気持ちをうまく言葉にはできなかった。

 好き、といえばそうなのかもしれないけどそれがどういう好きなのかも曖昧で。

 一緒にいて楽しい、というのだって俺が今まで孤独だった反動なのかどうかもわからない。

 

 だから無難な言葉でまとめた。

 いいやつ、だもんな。


 少なくとも、俺にとっては。

 こんないいやつ、いないよ。


「……なにそれ」


 鷹宮は、少しつまらなさそうに口を尖らせた。


「何それって言われても」 

「じゃあ、マリアは?」 

「少なくとも俺にとっては悪いやつだ」

「ふふっ、じゃあ許してあげる。ねえ、やっぱり先に帰っててくれる? 私、ミカのところに寄ってから行くわ」 

「あ、ああわかった」

「なによ、着いてきてミカに会おうとか考えてた? ダメだからね」

「だから何もないって……」


 朝食を終えると、気がつけば二時間ほど経っていた。


「じゃあ、そろそろ先に行くから」

「うん。またあとでね」


 俺は先に鷹宮の家を出て、人生初の外泊から帰宅することに。


「ん、眩しいな」


 すっかり昇りきった朝日に目を細める。

 夢のような、時間だった。

 楽しかったとか、幸せだったとか、そんな手放しで喜べるようなひとときではなかったけど。


 振り返り、さっきまで自分が寝ていた鷹宮の家を見上げながら。


 ひとつ、大きく息を吸った。


「……やっぱり、そうするしかないよな」


 昨日からずっと、頭の片隅にはあったけど気がつかないフリをしてきた。

 ほんの少しの間でも、鷹宮と長くいたかったからだ。

 でも、選挙で勝つにはこれが現実的な案。

 厳しい男子票を回復させないと、このままでは負け濃厚だ。

 あいつが、神宮寺なんかに負けるところなんか見たくない。

 俺がどうなるとかそんな話はどうでもよくて。


 鷹宮がみんなに好かれるようなやつであって欲しい。

 あいつに、もっと輝いていてほしい。

 絶対に、勝たせてあげたい。


 もう、充分夢を見させてもらった。

 どうせ、今そうしなくとも十日も経てば同じ結果なんだから。

 タイミングは今の方がいいだろう。

 

 鷹宮に今日。

 ……別れ話をしよう。


 


 

 

 

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