第39話

「……」


 心臓が口から飛び出しそうなんて表現は少々大袈裟すぎて昔から嫌いだったのだけど。


 今、まさにその例えが俺には相応しい。

 

 俺は今、鷹宮の部屋にいる。

 俺の部屋と同じくらいの広さの、一人用の部屋。

 ベッドと机が置かれた、何の変哲もない部屋。

 だけど、紛れもなく彼女の部屋だ。


 人生で初めて、女の子の部屋に来た。

 それも、こんな夜中に。

 鷹宮は俺を部屋に通したあと、一度部屋を出て行ったがすぐ戻ると言っていた。


 俺は床に置かれたクッションに正座して、借りてきた猫のようにじっとしている。


「……何考えてんだよ」   


 絶対にやらしいことではないのは確かだけど。

 もしかして俺を試しているのか?

 一緒に生徒会長選挙を闘う上で、下心がないかテストされているとか……いや、だとしても鷹宮にリスクが高すぎる。


 ほんと、どういうつもりで……。


「ただいま。よいしょっと」


 戻ってきた鷹宮は両手いっぱいに布団を抱えていて、部屋に入るとそれを床にどさっと投げた。


「あ、すまんわざわざ」

「何言ってるのよ。同じベッドで寝るわけにはいかないでしょ?」

「わ、わかってるよそんなこと」

「……じゃあ、そろそろ寝よっか」


 サバサバと寝支度を整える鷹宮とは対象目にに、持ってきた布団を敷く時もまだ、俺は変なことばかり考えていた。


 もしここで俺が迫ったとして、完璧主義の彼女は彼氏である俺の求めに応じるのだろうかって。


「……」


 でも、何か話そうとしても声がでなかった。

 まるで喉の奥を誰かに掴まれたかのように、何も言えなくなる。

 それで、そもそも俺にそんなことを迫る勇気なんてないことに気づく。

 今まで人と関わることにすら怯えていたというのに。

 ちょっと親しくなっただけで無駄に心配や期待ばかりして、ほんと笑わせる。

 あきれて、自然と肩の力が抜けて冷静になっていった。


 俺たちはまだ手も繋いで……いや、一応繋いだけど。

 そもそも本当は付き合ってもいない。

 鷹宮みたいに警戒心の強い女が、付き合ってもいない男にそこまで許すはずがない。


 それになにより。

 そんな男性不審なはずの鷹宮が俺を呼んでくれたという事実を無碍にできるはずがない。


 こんな俺を信用してくれたんだ。

 頼ってくれたんだ。

 だから鷹宮を。

 俺は裏切れない。

 はっきりと自覚した時、ようやく体の熱が下がった気がした。


「じゃあ、布団借りるよ」

「何言ってるの? 私がこっち。あんたはベッドよ」

「え? いや、でもこれはお前の」

「この布団、昔ミカが泊まりに来た時に使ったきりなのよ。だから私がこっち」

「……どういう意味だ?」

「な、なによミカが寝た布団で寝たいっていうの? 変態。それは絶対ダメ」

「……ちなみにそれ、いつの話だ?」

「えと、小学生の頃かな」

「あ、そ……」


 一体なんの話をしてるのやら。

 しかしこの間にも何度かあくびをする彼女を見かねて、俺は恐る恐る鷹宮のベッドに入る。


「じゃあ、おやすみ」 

「うん、おやすみ」


 鷹宮が部屋の明かりを消した。


 部屋は真っ暗で、鷹宮の姿も見えない。

 自分が今どこにいるのかもわからない。

 目を開けているのか閉じてるのかも。


 このまま何も考えずに眠れば、やがて朝は来る。

 無心になろうと深く呼吸をした時。


「ねえ」


 鷹宮の声がした。


「なんだよ、寝るんじゃなかったのか?」

「わかってる。でも、これだけは言っておきたかったの」


 鷹宮は少し沈黙を経て。

 小さく言った。


「今日は来てくれて嬉しかった。ありがと」


 そのあと、鷹宮はまた静かになった。


 でも、俺の心臓がまた、飛び出そうなほど激しく脈打った。


 さっきまで引っ込めていた気持ちが一緒に飛び出しそうになる。


 見えないけど、手を伸ばせば届くところに彼女がいる。

 もし、俺が一歩踏み出せば俺たちの関係は偽物じゃなくなるかもしれないなんて。


 考えないようにするほど、俺の体はまた熱くなっていく。


「鷹宮、俺は……」


 この気持ちを伝えたら。

 そう思って声を振り絞った。


 だけど。


「……鷹宮?」

「すう……」


 彼女の静かな寝息が暗闇から聞こえた。

 どうやら、寝たみたいだ。


「……よかった」


 声にならない声で独り言を呟いて、目を閉じた。

 危うく、雰囲気に負けるところだった。

 鷹宮が寝ていなかったら、俺は……。


「……おやすみ、鷹宮」


 気持ちを噛み殺すように布団を被った。

 いつもと違う、どこか甘い香りに包まれながらまた熱くなる体をぐっと丸めて。


 目を閉じた。



「意気地なし……」


 涼風君の意気地なし。

 そのまま、続けて言ってくれたらよかったのに。


 ううん、私だ。

 私の方が、意気地なしだ。

 

 聞きたいのに、聞いたら引き返せない気がして。

 寝たフリなんて、バカみたい。

 部屋まで呼んで、彼に言わそうとしておいて。

 

 でも、やっぱり怖い。

 もし、私が期待してることを彼が言ってくれたとして。


 私がそれに応える自信がない。

 覚悟がない。

 なにもないのに、こんなことして。


 ほんと、バカだ。

 こんな歪な関係にしたのは、私なのに。


 終わらせたいのに。

 終わらせたくない。

 

「ねえ、涼風君……」


 もう、すっかり眠ってしまった彼に向かって。

 卑怯な私は、返事がこないとわかって聞いた。


「……私のこと、どう思ってる?」

 

 

 

 

 

 

 


 

 

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