第38話
「……は?」
俺は耳を疑った。
今、泊まるって言った?
「に、二回も言わさないで。ほら、まだ風強いし今日は夜雨だって予報だったしさ」
「……親は?」
「週末はいつも帰ってこないから。どこかで飲んで友達のとこにでも泊まってるんじゃないかな」
ガタガタと揺れる窓を見つめながら鷹宮は当たり前のように。
そう話してから俺を睨む。
「嫌?」
「いや、とかではないけど」
「けど、なに?」
「だから、ほら、うちの親にもどう説明したらいいか」
「それなら大丈夫。さっきね、おばさまには涼風君がうちに来てることラインしといたから」
「……ちなみになんて言ってた?」
「もしお泊まりするなら、うちのバカ息子をよろしくだって。ふふっ、絶対変なこと考えてるよね」
鷹宮はそう言って笑うけど、俺だってその変なことやらが脳裏をよぎらなかったわけではない。
高校生の男女が一つ屋根の下でお泊まり。
それが世間では何を意味するかくらい、恋愛に無縁な俺だって知っている。
もちろん、鷹宮にその気がないのはわかっている。
わかっていたって。
「いや、どうしてもならミカさんを呼んだら」
「ミカはうちには来ないよ」
食い気味に鷹宮は言い切った。
「え? なんで」
「あ、ええと、あの子って自分の家が好きでさ。人の家は落ち着かないからって来てくれないの」
「そ、そうなのか。いや、でも」
「なによ、私と一緒だったら何か困ることでもあるの?」
じめっとした視線が俺に刺さる。
「……別に、ないけど」
「じゃあ決まりね。んー、そうと決まれば夜更かしの準備ね。もっかいコーヒーいれるからお湯沸かしてくるね」
一転、嬉しそうにしながら鷹宮はリビングを出ていった。
一人残された俺は広いリビングを見渡しながら、一際大きな振り子時計を見る。
時刻はもう、夜の十時をとっくに過ぎていた。
それを見て、諦めがついた。
「はあ……困ることなんか山ほどあるってんだよ」
人の気も知らないで。
お前は俺がそばにいたってどうとも思わないのかもしれないけどさ。
俺だって男なんだし。
我慢するのだって、楽じゃないんだぞ。
ほんと、何考えるんだよ。
これがお前の言う完璧主義だというのなら。
彼氏になら。
どこまで、許してくれるつもりがあるんだよ……。
♡
「はあ……死ぬ」
多分ここにミカがいたら笑うんだろうけど。
笑い事じゃない。
涼風君と一晩ずっと一緒なんて。
自分で招いた状況なのに。
望んだことなのに。
心臓が張り裂けそう。
なかなか沸かない片手鍋の中のお湯を眺めながら、呼吸を整える。
「涼風君も、ドキドキしてるのかな……」
全然そんなそぶりは見えなかった。
元々あんまり表情に出ないタイプだからわかりにくいけどさ。
ちょっとくらい、照れたりしてもいいのに。
それとも私みたいな自己中な女のことなんて、やっぱり興味ない?
今、私に付き合ってくれてるのは約束してしまったことへの責任感と義務感?
それとも、それ以上の何かがあるの?
ねえ、私は勇気を出したんだからさ。
たまにはそっちだって……。
♤
「はい、コーヒー」
入れ直したコーヒーを運んできた鷹宮は、なぜか少しだけ不機嫌そうにお盆をテーブルに置いた。
この情緒不安定さはマジでいつまで立ってもわからん。
「なんだよ、コーヒーうまく作れなかったのか?」
「違うし。なによ、人の気も知らないで」
「いや、なんの話だよ」
「別にもういい。それより、せっかく時間あるんだし選挙のこと、話さない? 私もさ、ミカに相談して色々考えがあってさ」
「そうだな。今日はサボってしまったわけだし、今から打ち合わせするか」
選挙のことについて話そうというのは、今の俺にとっても都合がいい。
余計なことを考えずに済む。
「じゃあ早速。私、このままだと負けると思うのよね」
鷹宮はコーヒーを手に取りながら、冷静に言った。
「まあ、俺も同じ意見だ。いくら女子が多いとは言っても、ほぼ半数を占める男子票は壊滅的だからな」
「もちろん上級生なら私のことを知らない人たちもいるし、その人たちは割れる可能性もあるわ」
「じゃあその人たちと女子の票を取りこぼさないように、か。考えるほど無理ゲーだな」
気合いと根性でどうにかなるのは少年漫画の世界だけ。
わかってはいたことだけど、いざ本番が近づくと現実というものを嫌ほど実感させられる。
「はあ……色々喋る内容とか公約も考えたけどパッとしないし。このままマリアの思惑通りになっちゃうのかなあ」
「それだけは勘弁してほしいけどな。あんなのと一緒に生徒会なんて地獄だ。それに俺は目の敵にされるだろうし」
「……ごめん、やっぱり私のせいだ」
「ここで誰かのせいにしたって始まらないだろ。それに俺だって、あんなやつに生徒会長なんかしてほしくない」
暗い雰囲気を振り払うように強く言うと、鷹宮はチラッと俺を流し見た。
「じゃあ、私になってほしいの? 生徒会長」
「まあ、神宮寺なんかよりずっとマシ……いや、俺はお前になってほしいよ」
「な、なんでそこまで言えるのよ……私だって、男嫌いの性格悪い女で有名よ?」
「自覚あるだけマシだよ。それに、鷹宮は自分が辛い経験をしてるから人の痛みがわかる。それって、他の人にはない強みだよ」
過去のトラウマが彼女を男嫌いの気難しい女の子にさせているだけで。
鷹宮は優しいやつだと、俺は思っている。
拗ねたり怒ったりはしゃいだり、感情の起伏が激しいタイプだけど。
なんだかんだ、相手のことを心配できるやつだ。
だから神宮寺は例外として、他に彼女を嫌う声がないのも頷ける。
それがみんなに伝われば。
もしかしたらもしかすると。
「……買い被り過ぎよ。私は、周りの人の気持ちなんか考えたことなかったもん」
「でも、今はそうじゃないだろ? 自分と向き合って、他人の痛みを理解した。なかなかいないよそんな高校生」
「……うん」
褒められて照れくさいのか、少し顔を赤くしながら鷹宮は大人しく頷いた。
そしてコーヒーがちょうどなくなったところで何か飲み物を頼もうとした時、鷹宮が「ふぁーっ」とあくびをした。
時計を見ると、いつの間にか日を跨いでいた。
「いけねっ、もうこんな時間だ。今日はこの辺にしとくか」
「そうね、ふぁーっ。なんか朝から動きっぱなしで疲れちゃったのかも」
眠そうに何度もあくびをしながら鷹宮はぐーっと両手を上に伸ばす。
そして、二人の空になったカップをお盆に乗せながら。
ピタッと動きを止めた。
「どうした? 疲れてるんなら俺が」
「そ、そうじゃなくて。ええと……ここで寝るつもり?」
「ま、まあ他に部屋がないならそうさせてもらおうかなと。ソファもあるし」
「で、でも万が一お母さん帰ってきたらやばいかもだし、その、ええと」
もごもごと、何か言いにくそうにしながら。
鷹宮はまたしばらく固まっていた。
その様子を首を傾げて見ていると。
鷹宮は一言だけ、呟いた。
「……私の部屋、来ない?」
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