第37話
♤
水族館から帰宅すると、母に土産を渡して鷹宮はすぐに帰っていった。
嬉しそうに「このあとミカとご飯だから」って。
浮き足立つ彼女を見送りながら、寂しさ以上にやっぱりどこか安心した。
一度、少し話しただけだがミカさんはとてもいい人そうだったし。
何より、鷹宮のことを一番に考えているのがよく伝わった。
あんな子がそばにいてくれたら、下手な彼氏なんか必要ないだろう。
だから今は彼女の心配というより、自分の心配をしないと。
選挙のことだ。
鷹宮が意地でも神宮寺に勝ちたいって気持ちに応えてやりたいという前に、負ければ俺の学校生活が地獄と化す。
神宮寺マリア。
あんな一方的な我儘女の下で生徒会副会長をすることになったら俺の三年間は終わりだ。
なんとしても勝たないと。
でも、正直な話、勝ち筋が見えない。
俺と鷹宮が付き合っているという話は、かなりの範囲で広まっているはずだ。
だとすれば、男子からの票は望みが薄い。
寧ろ、彼氏である俺が応援なんて藪蛇でしかない。
だから女子の人気に賭けるしかないわけだけど。
神宮寺みたいなタイプは敵も多そうだけど影響力という面では鷹宮より上に見える。
彼女の呼びかけに応じる連中も多いだろうし、何より男子の人気はこの間まで鷹宮と互角だったと聞く。
そんな人気者に、果たして勝つ方法なんてあるのか?
「……ミカさんは何か案がありそうな雰囲気だったけど」
俺の気持ちがどうのって。
そう言っていたけど、果たしてそうすれば本当に勝てるのか。
俺の本当の気持ち。
鷹宮への、気持ち。
それを全校生徒の前で……。
「ん?」
筆を止めてふとスマホを見るとラインが一件。
部屋で選挙の戦い方と原稿作りに没頭していたせいで、ラインに気づかなかった。
まさかと思い慌てて開くと、鷹宮から。
「会い、たい?」
一言「会いたい」と。
絵文字も何もないぶっきらぼうなメッセージに俺は目を丸くした。
そしてすぐに、不安が襲う。
急にどうしたんだ?
まさか家で何かあったとか?
そもそも、今は家にいるのか?
色んな想像が交錯しながらも、俺は返事をする前に体が動いていた。
上着を羽織り、部屋を飛び出した。
「あら、鏡どうしたの?」
「ちょっと買い物!」
リビングでテレビを見ていた母さんに声をかけて、急いで家を出た。
そして鷹宮の家の方へ向かいながら電話をかけた。
「……あ、もしもし鷹宮?」
「も、もしもし? あの、どうしたの?」
「どうしたのはこっちの台詞だろ。何かあったのか?」
「ええと、その……今、家?」
「外だよ。もうすぐ家の前に着くけど、いるのか?」
「う、うそ? な、なんで?」
「いや、なんでって言われても」
お前が会いたいなんて急にラインしてきたからだろ。
と、言いかけたところでふと前を見ると。
鷹宮の家に到着していた。
「……とにかく、家着いたんだけど」
そう伝えると、電話がブチっと切れた。
「な、なんだよあいつ……ったく」
どうすればいいかわからず家の前で待っていると、玄関の扉が勢いよく開いた。
「す、涼風君? あ、こ、こんばんは」
「……とりあえず無事みたいだな」
スウェット姿で飛び出してきた鷹宮の姿を見て、まずはホッと胸を撫で下ろした。
「え、ええと、そんなに慌ててどうしたの?」
「どうしたもこうしたもないだろ。なんだよさっきのラインは。何かあったのかって、その、心配、してきたんだよ」
俺の気も知らずにきょとんとする鷹宮にそんなことを言うのは癪だったけど。
こんなに息を切らして飛び出してきておいて、強がる方が馬鹿らしい。
「……心配してくれてたんだ」
「そりゃ、急にあんなラインきたら誰だって心配するだろ。で、何かあったのか?」
「別に……」
鷹宮は、後ろに手を組んで足元を見ながらなぜかつまらなさそうに呟く。
その時、ちょうど季節外れの冷たい風がヒュウっと吹いた。
「ううっ、さぶっ。そういや、今夜は冷えるとか言ってたっけ」
「……入る?」
「え?」
「こ、こんな時間に外で立ち話も変だしさ。別に誰もいないから、入りなさいよ」
玄関の扉を開けて俺を手招きする彼女は口調こそいつもの偉そうな鷹宮だったけど。
声は少し震えていた。
「……じゃあ、寒いしお邪魔するよ」
何も事情を聞かないまま帰るなんてことも出来るはずもなく、俺は少し緊張しながらも彼女の家にあがった。
◇
「はい、コーヒー。あったかい飲み物これしかないんだけど飲める?」
「ああ、ありがと」
鷹宮の家の中は、俺の家なんかよりずっと広くて綺麗だった。
通された一階のリビングは高級そうなソファや家具が置かれ、床にはこれまた高そうな絨毯が敷かれていた。
大きな振り子時計も、漫画くらいでしか見たことのないような人間サイズの年季が入ったもので、振り子の音がずっとカチカチと、リビングに響いていた。
こうして訪れたのは知り合った日以来だが、あの時は緊張しすぎて何も覚えておらず、改めてというか、初めてお邪魔したような感覚だ。
「なんかすごい部屋だな」
「お父さんとお母さんが離婚した当時のままかな。ごめんね、客間がもうここしかなくて」
「夜分にお邪魔してるのはこっちなんだから気にするなよ」
「……呼んだのは私だから」
俺の向かいの椅子に腰掛け、ガラステーブルにコーヒーを置くと鷹宮はふうっと息を吐いた。
「なあ、この時間でも普段から一人なのか?」
「そうね。お母さん、仕事終わっても帰ってこなかったりすること多いから」
「昔から仲良くないのか?」
「どうだったっけ。忘れちゃった」
とぼけたように言って、コーヒーをフーフーと冷ましながら一口飲んだ後で鷹宮は俺の方を見ながら笑う。
「ふふっ」
「何がおかしいんだよ」
「んーん、なんでもない」
「なあ、なんであんなライン送ってきたんだ?」
会いたい、なんて。
まるで本当の彼女のような言葉をなんで俺なんかに。
「……会いたかったんだもん」
「え?」
「なによ、慌てて飛んできたくせに。そっちこそ寂しかったんじゃないの?」
「寂しかったのか?」
「……だって」
鷹宮は少し赤くした頬を膨らませながら続ける。
「今まではミカといる時以外はほとんど一人だったのに。最近、その、誰かと一緒なのに慣れちゃったというか。一人で家にいたら怖くなって」
「そういうことか。今日は風も強いからな」
「うん、そゆこと……」
恥ずかしさを堪えて言葉を振り絞る彼女に、それ以上の理由は求めなかった。
たとえどんな理由だとしても、寂しい時に俺のことを思い出してくれたんだと思うと嬉しくて。
それだけで、ここに来た意味があったと思えた。
「さてと、もう大丈夫か?」
「うん、まあ。落ち着いた」
「じゃあ、コーヒー飲んだら帰るかな。遅くなる前に」
もうすぐ夜の十時を回る。
高校生は深夜の外出は禁止されているし、親に心配をかけるわけにも。
「ねえ」
俺がグッとコーヒーを飲み干していると。
鷹宮は両膝を抱えて丸まりながら。
俺の目も見ずに、言った。
「今日、泊まっていかない?」
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