第32話
「ねえ、電車まだかな。あ、ジュース飲む?」
「少しは落ち着けよ」
「な、なによ子供扱いしないで。楽しみなんだからしょうがないでしょ」
駅のホームで一人ソワソワと落ち着かない鷹宮はいつになく爛々と目を輝かせていた。
よほど水族館が好きなんだろうけど、それにしたってはしゃぎすぎだ。
「今日の本来の目的を忘れるなよ」
「わ、わかってるわよ。ちゃんと本当の自分を見つけてみせるわ」
「なんの話してんだ。いい文章書くための気晴らしなんだから、帰って作業できないほど遊ぶなよって」
「わ、わかってるわよそんなの。あんたこそ、その煮詰まった頭をさっぱりさせなさいよ」
睨み合っていると、大きな音と共に電車がホームに入ってきた。
何を隠そう俺は電車に乗るのは人生初。
だから少し胸が高鳴った。
「うわあ、すごい人だな」
「こんなに人がいたら痴漢が怖いわね。ほら、ちゃんと私を守ってよね」
「はいはい」
中はもちろん満席で、俺たちは扉付近の手すりに捕まって立ったままの乗車となった。
電車が発進すると、強い揺れで乗客が一斉な同じ方向に傾いた。
その時、スーツ姿の男性がバランスを崩して俺たちの方にもたれかかってきたので、咄嗟に鷹宮の前に立って足を踏ん張った。
「おっと」
男性に少し押されて、鷹宮と体がぶつかった。
「わ、悪い。大丈夫か?」
「……だいじょぶ」
「そ、そっか。でも、ちょっと動けないかも」
早く離れたいのに、人混みに押されて体が言うことをきかない。
鷹宮の肩が俺の体にピタッとついたまま。
また、心臓が強く脈打った。
「……狭いね」
「みんな水族館目当てなのかな」
「……かもね」
「まあ、一駅で着くからもうちょっと我慢してくれ」
「……うん」
人混みが苦手なのか、鷹宮はいつになく大人しく。
さっきまでのはしゃぎっぷりが嘘のようにずっと、じっと固まっていた。
またガタンと電車が揺れて、少し彼女にもたれかかってしまい「ごめん」と声をかけた時も。
彼女は小さく何かを呟いていたけど、何も聞き取れなかった。
♡
「もうちょっと、このまま……」
意外と、体はがっちりしてるんだ。
なんか心臓がバクバクしてるけど、それって人混みに緊張してるから?
それとも、私と体がくっついてるから?
涼風君のその胸の内は、私にはわからない。
こんなに近いのに、遠い。
私の胸の内は彼には届かない。
こんなに近いのに、やっぱり遠い。
でも、もう少しこのままだったら。
彼の心の声も聞こえるかな。
もう少し、このままだったら……。
♤
「はあ、やっと着いた」
「ほら、まだ入場もしてないのにバテないでよね」
満員電車に揺られて、隣町に到着した。
やはり水族館目当ての乗客が多かったのか、目的の駅に着くと大勢の人が流れるように下車していき、俺たちもその波にのまれるように電車を降りた。
「さてと、チケット買わないと」
「もうネットで買ってあるわよ。ほら、このQRコード翳したら入れるの」
「そういうとこは仕事が早いな」
「なによ嫌味? 今日はリフレッシュというちゃんとした業務の一環なんだから。モタモタしてる間はないわよ」
人混みから解放されると、鷹宮は水を得た魚のようにいつもの調子を取り戻していた。
そんな彼女と、ホームを出て人の流れに沿って歩いていると、広い道を挟んだ反対側に大きな建物の姿が見えた。
「あれか。でっかいなあ」
「田舎者みたいだからやめてよね。もしかしてこの辺くるの初めて?」
「まあ。ていうか電車乗ったのも初めてだった」
「嘘、マジ?」
「別にそこまで驚くことないだろ。そういう鷹宮はよく出かけたらするのか?」
と、なんとなく聞き返すと。
鷹宮の顔が真っ赤になった。
「……私も、電車は初めてだけど」
「なんだよそれ、一緒じゃんか。まあ、用事ないと普段乗らないもんな」
「……バカにしないの?」
「お互い様なのにバカにできるかよ。ま、知らないことを経験するのも悪くないな」
「そ、そうね。よし、それじゃいくわよ」
よほど恥ずかしかったのか、しばらくもじもじと照れる彼女にそれ以上何も聞かなかった。
やがて水族館に到着して、入場ゲートの前で並んでいる時に、自分の分のチケット代を渡そうとすると、なぜかムスッとされた。
「いらない」
「いや、さすがにそれは悪いって。そんなに安くないんだし」
「私が誘ったんだから私が出して当然でしょ? それとも、私なんかに奢られたくないわけ?」
「そこまで言ってないだろ」
「だったらその財布しまって。お互い様とはいえ、一応演説をお願いしてるのは私なんだし、その報酬ってことにしたら納得でしょ?」
「……じゃあそうするよ」
俺は渋々財布をひっこめた。
今日は鷹宮と出かけると母さんに伝えた時に、こっそりとお小遣いをもらって「女の子にお金出させたらダメよ」と言われていたんだけど。
まあ、俺たちの実際の関係を考えたら別にいいのかなと。
少しだけ寂しい気持ちになりながらゲートをくぐった。
◇
「わー、見て見て! ペンギンさんこっち見てる! ほら、目があった!」
入ってすぐ、鷹宮のテンションは一気に上がった。
屋外のペンギンコーナーに釘付けになり、人集りを背に最前列で飛び跳ねていた。
「いや、気のせいだろ」
「うわー夢ない奴。せっかく来たんだから楽しまないと損よ。ほら、写真撮ってよ」
俺にスマホを渡して、ペンギンを背にこっちを向いてピースをする。
半ば呆れながらも、今日は彼女の奢りだから好きにさせてやろうかとシャッターを切っていると。
後ろにいた女性に声をかけられた。
「あの、よかったら写真とりましょうか?」
その女性はどうやら家族で来ているようで、その後ろにいた子供を抱えた旦那さんが笑いながら「できればそのあと、僕たちのもお願いしたいです」と。
「い、いえ。彼女が撮りたいだけなんで終わったらすぐ避けさせますので」
「いいのいいの。ほら、せっかくの記念なんだし」
「いや、俺は……」
どう断ったらいいか迷っていると、そんな押し問答に気づいた鷹宮がこっちにきて俺からスマホを奪ってその人に渡してから。
俺を引っ張ってペンギンの前まで連れてきた。
「お、おい何して」
「撮るわよ」
「は? べつに写真なんて」
「まだ学校で私に言い寄ってくるやつはゼロじゃないし、そんなやつらにはツーショット見せてやるの。いいお守りになるわ」
そう言って鷹宮は俺の隣に立って肩を寄せる。
俺が少し距離を撮ろうとすると、「ぎこちない写真になって、関係疑われたらどうすんのよ」と。
俺の腕に抱きついて、本物の彼女さながらに嬉しそうな笑顔を見せる。
俺も観念して前をむくと、スマホをこっちに構える女性もまた、嬉しそうに笑っていた。
「はい、チーズ」
写真を撮った時の俺の表情はよくわからない。
でも、隣の鷹宮は頬を赤くして、本当に幸せそうに微笑んでいた。
この写真も全部、偽物なのに。
そこに写る彼女の笑顔は本物なのかなって。
もしそうだったらいいなって。
また、いらぬ期待をさせられてしまっていた。
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