第30話
ミカ。
その名前は嫌というほど鷹宮から聞いていたので、彼女が誰なのかはすぐにわかった。
「ああ、君がミカさんか」
「さん付けなんていいよ同級生なんだし」
「で、何の用?」
「あはは、そんな警戒しないでよ。私もさ、ちょっと君と話してみたかったんだ」
初対面なのにそれを感じさせない慣れた様子で彼女は俺の隣にゆっくりと座る。
「……鷹宮には言ってあるのか?」
「別にー。あ、もしかしてこんなとこリアラに見られたら怒られるかもって? あはは、よくわかってるじゃんさすが彼氏さんだ」
「俺と鷹宮がそういう関係じゃないって、ミカさんは知ってるんだろ?」
「まあ、最初にこの計画を提案したの私だから。ムカついた?」
「別に。少し前なら顔も見たくなかったけど」
この人のせいで、俺の穏やかな日常はめちゃくちゃになった。
だからいつか話す機会があったら文句の一つでも言ってやろうと思っていた。
でも、今は少し違う。
「で、そろそろ用件を言ったらどうなんだ? 鷹宮のことだろ」
「そういうとこは鋭いんだね。で、早速聞くけどリアラのことどう思ってる?」
「どうって……最初はめんどくさいやつだと思ってたけど、悪いやつじゃないかなって」
「なるほどねー。こんな話を私がする立場じゃないってわかった上で言うけど、リアラと別れなくて済むならそうしたい?」
いつの間にか手に持っていた箸で「いただき」と言って弁当のおかずの唐揚げを一つ奪いながら、飄々とそんなことを彼女は聞いた。
「約束を反故にするつもりはないから。そんな質問は無意味だろ」
「んー、別にそんなに意地を張る必要ないんじゃないかなって。最初は好きじゃなくても、色々とお互いのことを知っていって、気が変わるってこともあるかもだし」
「俺も大体のことは話したし、鷹宮のことも大体は聞いたつもりだけど」
俺の過去のトラウマ。
彼女の過去のトラウマ。
俺の家族のこと。
彼女の家族のこと。
趣味。
交友関係。
全てではないけど、それなりに。
お互い話してきたはずだ。
そういう意味では確かに鷹宮とは以前より近しい関係になったとは思うけど。
そんなことくらいで鷹宮が俺みたいなのに惚れたりはしないだろう。
俺だって。
誰かを好きになる気持ちなんて、まだよくわかっていないのに。
「ふうん、本当に? リアラは自分のことちゃんと話してた?」
「父親のことだろ? 話してるのが辛そうだったから最後までは聞かなかったけど」
「んー、そっか。父親のこと、ねえ」
含みのある言い方をして、ミカさんは立ち上がった。
「なんか気になる言い方だな」
「別にー。でも、一応これだけは言っておこうかなって思ってさ」
ぐーっと両手を上に伸ばして背伸びすると、ミカさんはゆっくり歩き出しながら振り向きざまに言った。
「演説文見たけどさ、全然涼風君の気持ちが入ってないよ」
◇
「すんすん……ねえ、誰かいた?」
ミカさんが去ったあと、しばらく一人で弁当を食べていたら鷹宮が戻ってきて。
俺の周りを嗅ぎながら顔をしかめる。
「……いないって」
ミカさんは去り際にもう一言「そうそう、今日のことは内緒ね」と言い残していった。
だから俺も嘘をついたのだけど。
「なんか、ミカの匂いがする」
「き、気のせいだろ」
「んー、そうかな? 嘘ついてない? ねえ、嘘ついたら指切るから」
「なんか違う気がするんだけどそれ」
それにしてもこいつの嗅覚はどうなってんだ?
なんで女の人の匂いがそこまで正確にわかるんだ?
ミカさん、香水なんかつけてなかったと思うけど。
「とにかく、本当に誰もいなかったのね?」
「い、いないって。誰もこんなとこ来ないだろ」
「ふーん、まあいいわ。でも、嘘だったら殺すわよ」
「……」
指じゃなかったのかよ。
なんてツッコミができる空気ではなかった。
こいつならやりかねないと思わせる迫力を見せた後、フッと力が抜けたように座り込んだ。
「はあ、疲れた」
「神宮寺と何かあったのか?」
「別に。お互い嫌味をちょっと言い合ったくらいよ。でも、やっぱりあの子には負けたくない。あんなやつに、負けない」
両膝を抱えてじっと一点を見つめる彼女の瞳は、いつになくギラついていた。
「勝てばいいだろ」
「まあ、そうだけど。そのためにはあんたの力も必要なの。演説、ちゃんとしてね」
「そういやミカさんに見てもらったんだろ? 何か言ってたか?」
さっきミカさんが言い残した言葉。
俺の気持ちが入っていない。
その意味が知りたくて、何も聞いてないフリをして鷹宮に問うた。
「んー、文章自体はまとまってるけど、感情がないとか言ってたっけ。もっと素直な言葉の方が相手に刺さるかもーって」
「感情、ねえ。まあ、そもそも偽りの関係に気持ちも何もないだろうけど」
俺が鷹宮の本当の彼氏なら。
彼女に対する熱い想いの一つくらいあるのかもしれないが。
この関係でどう気持ちを込めればいいのかなんてわかるはずもない。
「……私のこと、どう思ってるかとか」
「どうって言われてもなあ。ま、第一印象よりか悪い奴じゃなかったとは思ってるよ」
「バカ」
「え?」
「もういい。とりあえず今日からは毎日作文だから。あんたのだけじゃなくて私自身の分も考えないとだし」
そんな話をしていると、鷹宮の腹がくうっと鳴った。
「あ……そういえば何も食べてなかったっけ」
「自分の弁当ないのか?」
「ミカと夜更かしして朝寝坊したから。でも気にしなくていいわよ、私のせいだし」
もうすぐ昼休みも終わる。
今から食堂に行っても間に合わないし、購買のパンも売り切れだろう。
俺だけ弁当を作ってもらって、彼女は昼飯抜きなんてさすがに申し訳ないと。
焦っていたところで、思い出した。
「……あのさ、これよかったら食べろよ」
「え、いいの? ていうかなんでこんなものあるのよ。私が弁当作ってこないと思ってたわけ?」
「……もし話が長引いて鷹宮がお昼食べる時間がなかったらと思ってさっき買ってきてたんだよ」
俺は嘘をついた。
鷹宮にまた怒られるのが嫌だったのもあったけど。
多分、それだけが理由じゃない。
いいところを見せたくてつい、口から出まかせを言った。
「ふ、ふうん。そ、気が利くじゃん。ほんとにもらっていいの?」
「当たり前だろ。それ食べたら教室戻るぞ」
「何よ、ちょっと褒められたくらいで偉そうにして」
そう言いながら、手に取ったあんぱんを嬉しそうに食べていた。
今日は嘘をついてばかりだ。
嘘は嫌いだし、バレたら命が危ないからつきたくもないのだけど。
「ふふっ、美味しい。ありがとね、涼風君」
鷹宮の幸せそうな顔が見れたのだから、危険を犯した甲斐があったのかもしれない。
もう、嘘なんて懲り懲りだけど。
今日くらい、許してもらおう。
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