第26話


「ねえミカ、どの服がいい? 休日に彼氏の家にお邪魔する時はどういう服装がベスト? ねえ、笑ってないでちゃんと見てよ」

「はいはい、どれでもお似合いですよー」

「もー、ちゃんとしてよー」


 早朝。

 私は涼風君の家にいく前にミカの部屋へ服を持っていき、服装チェックをしてもらっている。

 私は完璧主義だから、いくら偽彼氏の家といってもちゃんとしたい。

 ちゃんとしたいの。


「なにさ色気付いちゃって。いよいよメロメロじゃん」

「メロ……違うわよ!」

「どーせ昨日電話くれたのが嬉しくて舞い上がってたんでしょ」

「……ちゃんと連絡くれたのはまあ、嬉しかったけど」


 昨日、どれくらいの時間スマホと睨めっこしてただろう。


 帰ってからずっと、ずっと待ってた。

 だから電話をくれた時は嬉しかった。

 でも、だから涼風君のことがやっぱり好きだとか、そんな単純な話じゃない。


 ちゃんと私のことを気にしてくれてることは素直に嬉しかったけど、私には誰かを好きになるという気持ちがよくわからない。

 好きになってほしいと思ったこともない。

 だから涼風君に対する気持ちも、単に情が湧いたってだけなのかなって。

 まだ、わからない。


「まあ、長年あんたを見てきた私からすれば、ちゃんと前に進んでて偉いとしか言えないわ。そうさせてくれてるのは間違いなく彼なんだし。いい人選んだじゃん」

「勧めてきたのはミカでしょ」

「そうだっけ? でも、やっぱり最後に選んだのはリアラよ」

「それはそうだけど」

「だから今日も彼との時間を楽しんでくる。それでいいじゃん」

「ん……」


 ミカには言わなかったけど、こうしてる間にも早く彼の家に向かいたかった。

 自分の家が嫌いなのもあるけど、多分それだけじゃない。

 早く、会って話がしたい。

 

 そんな私の気持ちを見透かしたようにミカは「とりあえず派手な格好はダメだからそのシャツとジーパンにしたら?」って、さっさと私の服を選んでくれた。



「おはよーございまーす」


 朝。

 鷹宮がうちにやってきた。

 時刻は午前九時前。

 彼女のことだからもっと早くに来るんじゃないかと身構えていたけど、思ったよりゆっくりだった。


「おはようリアラちゃん。さあ上がって上がって」


 我先にと出迎えた母が鷹宮をリビングに通して、コーヒーをいれに奥に引っ込んでいったのを見てから俺もリビングへ。


「おはよう」

「おはよ、何よ眠そうじゃないわね」

「何時に来るかぐらい聞いておけばよかったよ。おかげで無駄に早起きだ」

「えー、それってもしかして私が来るのが楽しみで?」

「母さんに掃除とかやらされてたんだよ。まあいいや、そこのお菓子好きなの食べて」

「じゃあ遠慮なく。いただきまーす」


 まるで我が家のようにくつろぐ鷹宮は、テーブルの上のクッキーを一枚手にとって、ソファに深く座ってそれを食べながら俺の方をじろっと見た。


「な、なんだよ」

「別に。昨日買ってあげた服着てないんだなって」

「洗濯してるよ。買ってもらったもんだから大事に着ないと」

「ふーん。で、昨日原稿はできたわけ?」

「下書きくらいなら。途中で寝てた」

「そ。でも、頑張ってくれてるんだ」


 嬉しそうにはにかんでクッキーをひとかじりすると、彼女はカバンから何かを取り出した。


「なんだそれ?」

「メンズモデル雑誌。ミカにもらってきたの。これ見て、次髪切る時の髪型決めようかなって」

「いや、まずモデルが違いすぎるだろ」

「そういう問題じゃないの。いいからほら、こっち来なさいよ」


 向かいに座っていた俺を手招いて、自分の隣にクッションを置いてまた俺を見る。


「なに、私の隣に来るのが嫌?」

「そうじゃなくて、母さんもいるし」

「別に今は付き合ってるんだから問題ないでしょ。よそよそしくしてる方が心配させるんじゃない?」

「……ったく」


 言い争っても仕方ないと、彼女の隣に移動する。

 と、そんな時にちょうどコーヒーを持って母が入ってきた。


「あら、邪魔したかしら」

「ふふっ、大丈夫ですよおばさま。今度鏡君の髪を私の友達に切ってもらう予定でして髪型を一緒に考えてたんです」

「へー、いいじゃない。鏡、あんたは身だしなみもだらしないしリアラちゃんにお世話してもらいなさい」


 コーヒーを置いて、母はすぐさま「買い物行ってくるから。ごゆっくり」とリビングを出ていった。

 まあ、ただでさえ鷹宮のこととなると上機嫌な母が、二人で並んで雑誌を読んでるところなんか見たら悶絶ものだろう。

 こんな姿を見たら、とてもあと数週間で別れるなんて思いもしないだろうな。


「……ごめんなさい」

 

 事情を知らない能天気な母に呆れていると。

 隣で、小さく鷹宮がつぶやいた。


「え、なにが?」

「おばさまのこと。私たちが別れたら絶対傷つくってわかってて、こんなことして」

「今更だろ。母さんもわかってくれるって」

「私、おばさまのことは本当にいい人だって思ってる。優しくて、気遣ってくれて。娘ができたみたいだって喜んでくれた。だから私も甘えちゃって……やってることは全部、嘘なのに」

「でも、母さんに対する気持ちまで嘘じゃないんだろ? だったら尚更、わかってくれるさ」

「……そうかな」


 鷹宮は落ち込んだ様子でじっと膝元においた雑誌を見つめていた。


 そして、その大きな瞳は少し涙ぐんでいた。

 

「……うちのことは気にするな。俺と母さんの問題だから」

「うん……でも、おばさまとお料理してるのほんと楽しくて。私、そんなこと家族でしたことなかったし。最初は軽い気持ちだったけど、居心地よくてつい……。だから正直涼風君が羨ましいとも思ってた」

「……」

「あと、同時にちょっとムカついた。こんないい家族がいて、何一人で悲劇の主人公ぶってんだって。でも、昔の話を聞いて、人それぞれ色々あるんだなって。だから、その、色々とごめんなさい」


 いつになく弱々しい彼女の声は、細くて枯れそうなのに俺にはしっかりと届いた。


 俺も、色々思っていたことはあった。

 別れる前提の偽りの交際なのに母さんと仲良くしてみたり、こうして図々しく家に上がりこんでみたり、何考えてんだって。


 でも、多分こいつにも色々あるんだろう。

 そう思うと、昨日までモヤモヤしていたことが少しだけどうでもよくなった。


「色々大変なんだな、お前も」

「……うん」


 隣で小さくなる鷹宮は、開いていた雑誌をまた見つめていた。


 そして少し沈黙があった後、すーっと大きく息を吸ってから「よし」と声を出してパタンと雑誌を閉じた。


「あーもう、辛気臭い話はここまでよ。せっかくの休みなんだから有意義に過ごさなきゃ」

「ああ、そうだな。で、俺の髪型はどうなったんだ?」

「ミカのセンスに任せたらいいわよ。それより、原稿見たいから持ってきてよ」

「いいけど文句言うなよ」

「ダメ出しはするわよ」


 そう言ってお互いの緊張がほぐれたところで母さんが買い物から帰ってきた。


 俺は昨日書きかけた演説の原稿を取りに一度部屋へ戻った。


 そして一人になったところでゆっくり息を吐く。


「……ったく」


 あんな顔するなんて、卑怯だ。

 鷹宮の悲しそうな目を見たら、何も言えなくなる。

 俺が本当の彼氏なら、抱きしめて慰めてやることもできたのかな。


 とか。

 こんなバカみたいなことを考えさせられる自分に嫌気がさしながら。

 

 机に置かれた原稿を手にとって鷹宮のいるリビングへ戻った。


 


 

 

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