第13話


「……ん」


 朝。

 なぜかいつもより早くに目が覚めた俺は眠気に身を任せて二度寝しようと再び目を閉じたのだけど、その時違和感を覚えた。


 甘い香りがした。

 絶対に俺ではない誰かの香り。

 

「……鷹宮が昨日、部屋にいたからかな」


 男子の部屋にはあまりにも似つかわしくない香りのせいで妙な気分になってしまい、目が冴えてしまった。


 もちろんこんな話、鷹宮本人も含めて誰にも言えないが。

 こんなことで興奮してしまう自分に嫌気がさして、俺はベッドから起きて部屋を出た。


 まだ朝の五時過ぎだ。

 全く、俺の睡眠を返してほしい。

 鷹宮と付き合ってから、こんなことばかりだ。

 などとぼやきながら飲み物をとりにキッチンへいくと。


「あら鏡、おはよう」


 母さんが台所に立っていた。

 鷹宮と二人で。


「おはよ、涼風君」

「……え、なんでいるの!?」


 こんな早朝に家族以外の誰かが家にいればそりゃ大きな声も出るというものだ。

 目の前に当然のようにいる鷹宮に俺は眠気を飛ばして目を丸くしていた。


「もう、そんなに驚かなくてもいいじゃん。朝ごはんと、ついでにお弁当も作っちゃおうかなって思ってね」

「お弁当って……」

「なによ、昨日も食べたでしょ? ちゃんと早起きして作ってるんだからありがたく食べてよね」

 

 卵焼きを器用に焼きながら少し振り向いて俺に話しかける鷹宮の隣で母さんは「ほんと、好き嫌いなんかしたら私が怒るわよ」と言いつつも笑っていた。


 すっかり二人の息はピッタリだ。

 いやしかし、何を考えてるのかはさっぱりだ。

 まさか本当に個人的に母さんと仲良くしたいだけ、なのか? 

 だったら別に俺がとやかく言う資格はないけど。


「鏡、あんたはいいから部屋でゆっくりしてなさい」


 厄介払いされるように母さんは俺を部屋の外に追い出した。


「……なんだよまじで」


 キッチンから聞こえる楽しげな声を聞きながら俺は薄暗い廊下を歩いて洗面所へ向かった。

 

 二度寝するにも眠気はどこかに行ってしまったし、理由はどうあれせっかく早起きしたのだから歯磨きを済ませて散歩でもしてこようかななんて考えていた。


 しかし洗面所の前に立つと、またしても違和感を覚える。


「……この歯ブラシはなんだ?」


 俺の歯ブラシの隣にもう一本、見慣れないピンクの歯ブラシがあった。


 両親のものではないのははっきりしている。

 うちは家の構造が少々特殊で、風呂場の洗面所の他にもう一つ洗面所なるものがある。


 父さんのこだわりとかなんとか聞いたことはあるが、とにかく両親はそっちの洗面所を使うので風呂場のそれは俺が独占しているのだ。

 だというのに他人の歯ブラシがあるとはどういうことだ。


 ……まさか。

 いや、さすがにまさかだ。

 これが鷹宮のものであるはずがない。

 どうせ母さんが間違えてここに置いていったに違いない。


 自分にそう言い聞かせて歯を磨いてから、俺は着替えを取りに部屋へ戻った。


「……甘い」


 自分の部屋なのに、すっかり女子の匂いがする部屋に違和感を覚えながらクローゼットを開ける。


 すると、そこには俺の服以外の服がびっしりとかかっていた。


「……なんだこれは?」


 女物のコート、ジャケット、シャツにワンピース。

 そして、女子の制服。


「あ、部屋いたんだ」

「た、鷹宮? いや、これはどういうことだ?」

「どういうことって何が?」

「だから、この着替えとか」

「あー、ごめん言ってなかったっけ? 昨日の夜に電話でおばさまと話してたら、料理のことで盛り上がっちゃって。でね、毎朝早起きしてご飯作りに来るから着替えとかもある程度持ってきておいたらどうかって話になって。でも他に置くところなかったから借りたの」

「ああ、そういうこと……いや待て、何考えてんだお前?」


 実際には付き合ってすらいない男子の部屋のクローゼットに自分の着替えを置いて帰る女なんか聞いたこともない。

 でも、この様子なら下にあった歯ブラシもきっとこいつのだろう。

 何がなんでもやりすぎだ。

 本当に付き合ってるのだと演出したいのはわかるが度が過ぎる。


 こいつ、普段からこんなに無防備なのか?


「なによ、別にこの家では二人っきりって訳でもないんだしいいでしょ? それとも、私の着替えがあったらドキドキして眠れない?」

「べ、別に。でも、お前大丈夫なのか?」

「何が? 私はあんたが私の着替えを覗いたり服を盗んだりなんてする度胸はないって思ってるし」

「そうじゃなくて。こんなこと、誰にでもしてたらいつか痛い目にあうぞ?」


 こいつのいうとおり、人一倍臆病な俺だから何も起こらないけど。

 他の男はきっとそうもいかない。

 こんな隙だらけなら、勘違いを起こして何されるかわかったもんじゃない。

 もしかしたら、こいつが男共に執拗に迫られて厄介払いしたくなったのも、鷹宮自身の思わせぶりな態度とかに原因があったのかもしれない。


 なんだよ、自業自得じゃないか。

 心配して損した。


 心配、してたのに。

 イラつく。


「わ、私は別に誰にでもなんて」

「じゃあ俺のことが好きだとでも? 違うだろ? 好きでもない男の部屋に、理由はどうあれ無防備にホイホイお邪魔してたら何されるかわかんないぞ。」

「な、なによその言い方……私のことそんな女だって思ってるの?」

「別に俺がどう思ってても関係ないだろ。ほんとに付き合ってるわけじゃないんだし」

「……私、誰にでもこんなことしないもん」

「え?」

「私、男の人の部屋なんか入ったの初めてだもん! 知らない、帰る!」


 今にも泣きそうだった鷹宮が急に怒りだして部屋を出て行った。


 あんな風に声を荒げる彼女を初めて見たせいか、俺はしばらく呆然としていて。


 少し経ってから少し不機嫌なら母さんが部屋にきたところで俺はようやく、鷹宮を怒らせてしまったことへの後悔を自覚した。



「……いない、か」


 どうやら鷹宮はあの後、母さんに一言伝えてから家を出たらしい。

 しかし母さんは鷹宮の様子を見て俺と喧嘩したのだと察していた。

 だから俺がこっぴどく叱られた。

 

「あんた、女の子はデリケートなんだからもっと大切にしてあげなさい」


 普段は俺に甘い母さんがあんな風に俺を叱ったのはいつぶりだろう。

 それほど、鷹宮のことを気に入ってる証拠なのだろうけど。


 とにかく俺は、家にも居づらくなって登校時間より随分と早く家を出た。


 早起きは三文の徳なんて、果たして誰が言ったのか。


 行くあてもなく、いつもの習慣で学校へ足を向けて歩き始めた。

 そして学校の正門が見えてきたところで。


「あ、おはよう涼風君」


 神宮寺に声をかけられた。


 


 


 

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