第11話

「あらーリアラちゃんいらっしゃーい」


 玄関先で俺たちを出迎えてくれたのは、まるで宝くじでも当たったかのようにはしゃぐ母さんだった。


「おばさまこんばんは。今日はせっかくだから晩御飯のお手伝いしようかなって」

「もう、悪いわねえ。でも、実はリアラちゃんがいつ来てもいいように食材を多めに買っておいたの。今日はみんなでカレーにしましょ」

「わー、楽しみ。味付け教えてくださいね」


 きゃいきゃい騒ぐ女組をよそに、俺はさっさと靴を脱いで部屋へ逃げ帰った。


「はあ……こんなことあと一カ月もやるのかよ」


 ベッドに横たわり、天井を見上げながらぼやく。

 母さんを喜ばせてくれることに関しては鷹宮に感謝しかないのだが、その後に待っている悲しい現実を想像すると胸が痛い。 

 

 いっそのこと、ほんとに鷹宮と……いや、バカな考えはやめよう。

 ていうか、そもそも俺が望んだところであいつが俺なんかと本当に付き合うわけがないし。

 俺だって、あんな目立ちたがりの女なんかと上手くやっていける自信はないし、そもそも好きでもないわけだし。


 でも、俺に彼女が出来たってだけで母さんはあんなに嬉しいんだな。


 ……ひと段落したら、もうちょっとだけ他人と向き合ってみてもいいのかもしれない。

 鷹宮だって、話す前はお高くとまったギャルだと思ってたけど、案外話してみれば普通の女子だったし。

 

 ま、神宮寺みたいなのは御免だけどな。


「涼風くーん、起きてるー?」


 寝そべったままぼんやりと考え事をしていると、部屋の外から鷹宮の声が聞こえた。


「起きてるけど、なにか?」

「あの、ちょっと扉開けてくれる?」

「え? いや、用事があるならそっち行くけど」

「いいから開けてって」

「……わかったよ」


 渋々扉を開けると、そこにはエプロン姿の鷹宮が料理を乗せたお盆を持って立っていた。


「ちょっと早くどいてよ。重いんだから」

「お、おい勝手に入るなよ」

「ちゃんとおばさまの許可もらってますもんねー。あー重かった」


 俺の部屋の真ん中にあるコタツ机に料理を置いてやれやれと一息をつく鷹宮は当たり前のように俺のベッドに腰掛けた。


「おい、ベッドに座るなよ」

「え、もしかして変なこと考えちゃった? やだ、こわー」

「考えるか。てかそもそも部屋に勝手にあがっておいて警戒すんなよ」

「おばさまがね、なんか邪魔したら悪いから二人で部屋で食べてきなさいって。あんたのために気を利かせてくれたのよ。いいお母さんね」

「……だから余計に心苦しいよ」


 母さんの気持ちが伝われば伝わるほど、胸が痛くなる。

 いっそここにいるのが鷹宮ではなく本当の彼女なら俺もこんな複雑な気持ちにはならなかったのだろうけど。


「……おばさまには悪いなって思ってる。ぬか喜びさせてるのは私のせいだし」

「まあ、否定はしない。でも、あんなに心配性にさせたのは俺のせいだから」

「……昔何かあったの?」


 鷹宮がそう聞いてきた。

 質問は俺がさせたようなものだった。


 別に聞いてほしかったとか、そんなつもりはなかったけど。

 

「まあ、ある女の子にこっぴどくフラれたというか」

「……彼女?」

「いや。ていうか、好きだったのかも今となればよくわからん」


 ふと。

 クラスのみんなが騒ぎ出したあの日のことを思い出した。


 ある女子が俺に気があるらしいぞ、と。

 クラスのマドンナ的存在だった女子。


 隣の席だったから話す機会も多く、俺は確かに淡い好意を抱いていたと思う。


 でも、それが恋なのかどうかはいまだにわからない。

 勝手に担がれて、勝手に期待して、そして。


「……」

「どうしたの涼風君? 顔色悪いよ?」

「え? いや、なんでもない。ていうか、飯冷めるから早く食べよう」

「……そだね」


 何かを察したように、鷹宮は大人しく机の前に座る。

 俺もその向かいに座り、手を合わせてから黙々と夕食を食べた。


 今日はカレーだ。

 母さんは、いいことがあった時はいつもカレーだ。

 そして。

 俺が落ち込んでる時なんかも。

 

 あの日もそういえば。

 

 カレーだったな。


 

「明日はお鍋にしようと思うんだけど、リアラちゃんも一緒にどお?」

「えーいいんですか? じゃあ明日もお邪魔させてもらいますー」


 無言で飯を食べたあと、鷹宮は少し考えこんだ様子で食器を持って部屋を出て行った。


 去り際に彼女は、「そんな子のこと、忘れちゃえばいいのに」と言い残していった。


 彼女なりに気をつかってくれていたのだろう。

 確かに鷹宮の言う通り、いつまでも過去の傷を辛がっていたって始まらない。

 まあ、忘れたくて忘れられるのならこんなに簡単な話はないが、なぜか今日はあの日のことを思い出してもいつもほど苦しくはなかった。


 誰かに話せたから、だろうか。

 鷹宮に礼の一つくらいは伝えてもいいかなと、部屋を出てキッチンへ行くと母さんと仲良さそうに洗い物をしている彼女の姿が扉の向こうに見えた。


 俺は、まるでうちの嫁に来たかのような鷹宮の後ろ姿を見ながら俺は、キッチンへ入ることなく部屋へ戻った。


「ほんと、何考えてんだろあいつ」


 再びベッドに横になりながらため息をつく。

 鷹宮が誰と仲良くしようと彼女の勝手だけど、母さんとこれ以上仲良くなって、俺と別れた後の気まずさとかは考えないのか。


 いや、そうなったら関わらないまでか。

 結局鷹宮は自分の目的のために動いてるだけ。

 俺という偽彼氏との仲を周りに知らしめて、男たちが興醒めするのを期待しているのだ。

 だからああして母さんと仲良くしてるのもその為でしかないのだろう。

 明日学校で「昨日は彼氏のお母さんと料理してたのー」とか大声で言うんだろうな。


 ほんと、つくづく自己中なやつだ。


「鏡ー、リアラちゃん帰るって言ってるわよ。送っていきなさーい」


 母さんが一階から大声で俺を呼んだ。


 俺は気を取り直して部屋を出て一階へ。


 玄関には、靴を履きなが談笑する鷹宮と母さんがいた。


「おばさま、ここでいいですよ」

「だめよ、まだ暗くなるのも早いし、この子だって一応は男の子だから。ほら、送って行きなさい」

「……わかったよ」

 

 俺も急いで靴を履き、鷹宮と一緒に家を出た。


 外は日がくれかけて薄暗くなっていた。


「じゃあ、送るから早く行こう」

「なによその感じ。昔のこと聞いたから怒ってんの?」

「別に。早く部屋に戻ってゆっくりしたいだけだよ」

「ふうん。ま、いいけど」


 夜道を二人で並んで歩く。


 さほど離れていない彼女の家へ向かう間は、お互いに無言だった。


 今は口を開けば過去の話になりそうだから。

 そして彼女も俺の態度を見てか、黙っていた。


 やがて鷹宮の家の前につくと、「じゃあここで。明日またよろしくね」と。


 そう言ってサバサバと家へ入って行く彼女を見届けるまでもなく振り向いて帰路につこうとする俺の耳に。


 鷹宮の独り言のような呟きが聞こえた。


「そんな女、早く忘れたらいいのに……」

 

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