究極文士恋華ちゃん
牛盛空蔵
本文
俺の妹――もといハトコよりさらに遠い親戚、恋華。
美を体現するかのごとき、凜とした目。名工の彫像と見まごうばかりの、すらりと際立った肢体。豊かに実っているのは間違いないのに、決して全体の均衡を崩さないバスト。
そして。
「やあ兄、今日も世紀の文士たる私の余興に付き合いたまえ!」
もう果てしなくガッカリする中身。
文士レンカは、文学の得意な女の子なんだろう、ならこれ以上なく立派で知性的な「妹分」じゃないか。
よく知らない人間はそう言う。
しかしそうではない。そうではなかったんだ。
「恋華、『星の王子さま』の作者を教えてほしい」
「なんだ兄、そんなことも分からないのか、ふふん、この私が教えて進ぜよう!」
麗しの馬鹿は、アイビーグリーンのベレー帽をいじりながら、得意満面に。
「二十一世紀生まれの冴えないラノベワナビ以外、考えられないじゃないか。何を迷っているんだ兄よ」
自信バリバリでこれである。
ともあれ、なぜか恋華が文士ぶるのは家の中、それも俺と二人きりのときだけだ。しかもたまにそうするだけで、たいていは「プレテンドウPSS」にソフトカードを挿して遊んでいる。
ダウンロードソフトですらないのかよ。……いや、今更だったな。
何を遊んでいるのか見ると、これまたちょっと古い「スマッシュヒーロー乱戦EX」で遊んでいる。
「フヒ! さすが剣術王子ロルス、ガノングッパを楽々と吹っ飛ばしたぜ!」
これが文士様の発する言葉か?
「フッヒィ! ブラスターのゾンズを……してやったりだぜエェ!」
文士様抜きでもひどい言葉遣いだ。年頃の女子の域すら逸脱している。
俺はさすがに声をかけた。
「なあ恋華」
「ふふ、なんだい兄よ。まさか私のブンガク的な美しさに、つい悩殺されてしまったのかな?」
「いやあの」
「それとも私と外出したいのかい? 残念、いまは『小暑』だ。盛夏の前は陽キャのリア充、もとい、ならず者の沸き上がり始める時節だ。この時季の外は嫌いだね」
小暑なんてよく知っていたな。
あまりにも陰キャなメンタルはちょっと心配だな。
ならず者は言い過ぎでは?
疲れた。もうやだ……。
「とにかく……ああ、悩殺って、あんまり文士の使う言葉じゃないような気が」
おっと、あまり恋華がボケすぎるせいで、当初しようとした話から脱線した。
だが効果はある意味抜群だったようで。
「な、な、な、……カズお兄ちゃん……」
みるみるうちに、恋華の端整なお顔がくしゃくしゃになっていく。
しまった。まさかこれだけでベソかくとは思わなかった。
「文士にしては心が弱すぎないか?」
また失敗した。思ったことをつい口にしてしまった。
「か、か、カズお兄ちゃんの――」
くる!
「ばかあぁあぁ!」
恋華は自室に逃げ込み、しばらく出てこなかった。
が、夕食の時間になると、ケロっとした表情で、実にあっさりと出てきた。
立ち直りも早すぎない?
まあ明日は月曜、つまり高校の授業があるから、早く立ち直ってもらわないと困るけどもな。
……そもそも恋華を泣かせたのは、ほかでもない俺だった。てへ。
ともあれ。
「恋華ちゃん、いつもカズの相手をしてくれてありがとうね」
「ふふ、お兄様はとても立派な人です。私、尊敬しちゃいます」
「ほんとにいい子だね。将来、こういう子がカズのお嫁になってくれればいいんだけどねえ」
「シズナ、私の不肖の息子にはもったいないだろう」
「ふふ、そうでもありませんよ?」
ワッハッハ。
あのさぁ。
いや、俺が恋華の「本性」をバラそうとしたところで、きっと親父とお袋は全く信じてはくれないだろう。もう目に見えるようだ。
なんでこいつ、外見と「振る舞い方」だけはありあまる才能を持っているんだろうな。
……そういえば、なんで恋華はこの家にいるんだっけ?
俺が物心つく頃には、もう同い年の恋華がこの家にいたな。
えっ……なんで恋華は同い年なのに俺を兄扱いしているんだ?
親からはただ、恋華は俺と同学年で、ハトコ以上にものすごく遠い親戚である、ということしか聞いていない。
この際聞いてみよう。
これまで、恋華がごく当たり前のように同居――同棲とかふざけてんのか?――していたので疑問に思っていなかったが、それからしておかしい。
俺は聞いてみた。
「あの、親父、お袋……」
すると。
恋華は確かに遠い親戚だが、それ以上に「親父の親友の娘」という要素が大きい。
恋華の父は、親父の無二の友であり、野球選手である。恋華の母、つまり「恋華の父の妻」は恋華を生んだ直後に早世し、恋華父はその遺言をきっかけに大リーグを目指した。
ところが恋華父の実力では、日本国内チームでの一軍すら難しかった。並々ならぬ鍛錬を重ねたが、大リーグへの移籍は絶望的だった。
そこで恋華父は、まだまだ幼かった恋華を俺の親父に預け、単身渡米、マイナーリーグから立身出世を目指した。
しかし、やがてかなわず引退した。だが本人はアメリカに残り、とある野球チームの監督として、別のやり方で野球の頂点を狙っているという。
なお、恋華は俺と同年生まれの同学年だが、誕生日は二ヶ月ほど俺のほうが先。そういやそうだった。
また、恋華はこの事情をとうの昔に知っている。なんだか悔しい。
俺はただただ驚いた。
そんな事情があったとは。
と同時に、……なんで恋華は野球にもスポーツ全般にも興味を示さず、どうしようもないニワカなのに文士を気取っているんだ、という疑問が湧いた。
しかし、まあ、ここでそれを聞いても答えにはたどり着けないんだろうな。
「そうか。恋華、お前も大変なんだな。ちょっと見直した」
すると恋華は、表面的には上品に。
「ふふ、お兄様からほめられると、なんだかちょっと照れちゃいます」
言いつつ、食卓の下で俺の太ももを、なんかネットリした手つきでなで回し始めた。
あのさぁ。
とはいえ、事情を知ってしまっては、なんだかんだ言って心配にもなる。
翌日、俺は高校の昼休みに、恋華のクラスへ偵察に行った。
俺は特進クラス、恋華は「強化クラス」に属している。
強化クラスというと、なんだかとても成績優秀そうに聞こえるが、……まあ要するに、大学進学すら危うい、成績が非常に心許ない生徒を「強化」するための学級である。
うん、まあ、そういうことだ。
しかも高校二年生でこのクラスなのだから、本当に不安である。
遠すぎる親戚とはいえ一応は妹分だからな。
さりげなく教室をのぞく。
「レンカって、いつも小説を読んでいるよな」
「ふふ、お兄様の影響です」
なんと見た目は上流階級風美人の妹分が、明らかなギャルと普通に話している。
そうか、コミュ力はあったのか。安心……していいのか?
なんであの調子で俺に話せないのか。そしてあの小説は少女向けラノベの一種だ。ブックカバーすらしていないんだ、頼むから周りは気づけ。
などと思っていると。
「でも恋華ちゃん、お兄さん……というか横道くんと成績違いすぎるよね」
ああだめだ、それ以上言っては。
「くっ……いえ、お兄様は私の誇りです。尊敬できる人です。ふふふ、ぐぐ……」
ほら案の定ダメージ受けてる。
「まあそういうところもレンカのかわいいところなんだけどもな。横道好きすぎ」
「くっ……いえ、お兄様は私の憧れです。恋なんてとてもとても」
なんかもう見ていられない。
俺はその場を後にした。
放課後。
「おう恋華。たまには一緒に帰ろう」
なんだか可哀想だったので、玄関で妹分を待っていた。
恋華はしきりに頭のアイビーグリーンのベレー帽を調整している。
そういや昔からあの帽子を着けているな。お気に入りか。どうでもいいか。
「あ、兄……いえ、お兄様。私を待ってくれたんですね。嬉しい」
はぁー、この猫かぶり。頭は超絶悪いのに。
しかし一緒にいると周りの男子から俺に、容赦ない感じのトゲトゲした視線が集まるな。
だから普段はそれぞれで帰っているんだが、しかしあれを知ってしまってはなんか不安にもなる。
「は、早く行こう」
「ふふ、お兄様ったら、ガラにもなく照れているんですね。全然大丈夫ですよ」
勝ち誇ったような笑みを、一瞬見てしまった。
このエセ文士が!
俺は怒りを抑えて「まあいい、行こう」と促した。
家に帰ると、両親はまだ帰ってきていなかった。
ちょうどスマホにメッセが届き、仕事で遅くなる旨の連絡が届いた。
「さて兄よ、この究極文士たる私を迎えに来るとはいい心がけだ。礼に何か遊びに付き合おう。そうだ、なにか文芸で遊ぶのはどうかな」
なんだか絶妙にイラつく態度だったが、ふと妙案が浮かんだ。
ここにA、B、Cの短い文章がある。
文豪の名作の冒頭、芥川賞受賞作の一部抜粋、俺がブンガクっぽく書いた短い駄文、それぞれにアルファベットを振った。
「俺の駄文を選んだらアウト。どうだ」
聞くと、恋華は目を輝かせ。
「フヒヒ楽勝ではないかね。どれ早く読ませたまえ」
普通の人間なら楽勝だろうな。お前じゃ無理だけど。
Aを読む妹分。
「なにこれ……瓦に、ええと、伍する……狷介にして自ら、た、たのむところ、すこぶる……」
俺は努めて平静を装う。
「これはアレだね、気取ったラノベワナビのこねくり回しすぎた駄文だ」
作者が泣くぞ。
Bを読む。
「推しだのアイドルだの、はぁ浮ついている。エスエヌエス、かな……これも駄文だね」
文壇のお偉方にどつき回されるな。
お待ちかねのCだ。
◆◆◆◆
LEDなどというしゃれた文明の証は、この部屋にはない。
赤茶けた畳。ささくれ立った柱。築六十年、新宿駅に近いというだけでかろうじて借家人がつく、つまらないアパートだ。
点滅する時代遅れの白熱電球。数世代前のOSを積んだ、遅くて内蔵容量の小さいパソコン。
この中では一番「文明」のあるスマホのテザリングでネットにつなぎ、おれはやっと得たライティング案件をこなそうとしていた。
文才などない。速さも教養も、どこかのエリート様に先に取られた。
将来の展望はない。いくら続けても、平凡な、まあまあ使えるライターの域にさえ、俺はたどり着けないだろう。
目の前を、邪魔にすら思えない小虫が飛んだ。
◆◆◆◆
恋華は目を輝かせた。
「これだ、これこそが純文学、文士の最高傑作!」
やっぱり馬鹿なんじゃねえかな。
「で、答えは?」
「Cに決まっている。これこそが真の文士の作品だ間違いない!」
俺はついに大笑いした。
「な、なに?」
「残念、Cが俺の駄文だ」
文豪様、芥川賞受賞作家様、申し訳ない。
俺の筆力が高いんじゃなくて、この妹分がどうしようもなく馬鹿なだけなんです。
恋華は硬直、顔面は灰のように白く。
「……ああ……」
そのままあいさつもせず、自分の部屋へ帰っていった。
ちょっと意地悪しすぎた。二度目だ。
◆
私は、大事な黒い黄緑……じゃなくてアイビーグリーンのベレー帽を抱きしめた。
どんなときも、これで落ち着ける。
カズお兄ちゃんから、十歳の誕生日のプレゼントとしてもらったもの。小さくなると大きく仕立て直している。
当時、本好きの少年だったお兄ちゃんは、小説もプレゼントしてくれた。
星……星の……帝王だっけ?
なんか難しくてよく分からなかったけど、だからこそ私は、お兄ちゃんのいるところに手を伸ばそうと頑張った。
そして絶対無理だと知っても、それでも、文士になろうとした。
でも頑張り続ける。
憧れの、尊敬できる、大好きなカズお兄ちゃんのために。
いつか、お兄ちゃんとブライダル用の教会で、……誓いを、交わすんだ。恋華を妻にするって、言ってもらうんだ。
待っててね。ちょっといじわるで、私を日々「悩殺」している、本当の文士であるカズお兄ちゃん。
究極文士恋華ちゃん 牛盛空蔵 @ngenzou
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