5. Those days are like gentle hell/その日々は優しい地獄のように

5-1

 塔の上での生活は地獄だ。

 数日過ごしたエルヴィスはそう感じた。地獄の定義は人によって異なるだろうが、エルヴィスにとっては退屈がそのまま地獄であり、一番きつい罰を与えようと言った王の言葉は正しかったと思い知ることになった。

 元々好奇心が旺盛であるからこそ、科学者として〈人〉の宮廷魔術師の座に在った彼にとって、低刺激な日々はひどく長く感じられた。

 そしてぼんやりと考えるのは、これまでの日々だ。

 王族として生まれ、八つで母を亡くし、十六で番を持った。十二~十五歳で初めてのヒートを迎えて番うことが一般的だが、エルヴィスの初めてのヒートが少し遅めだったことに起因する。しかし、番う相手が二つ年下だったことも関係しているのではないかとエルヴィスは思う。

(……改めて考えるとまだ子供と言ってもおかしくない歳だったはずだが、随分と腹の座った男だったな)

 オーエンを初めて見た日のことをエルヴィスは覚えている。光をあびてキラキラと光る銀色の髪と浅黒い肌が美しく調和している子供だった。そして、琥珀の瞳が真っ直ぐに見つめてくる。捕食者の目だ、と思ったことも覚えている。まだ少しだけ子供特有の柔らかさが残っていたが、青年へと続く階段をすぐに駆け上がり、あっという間に美しくなるだろうと容易に想像できた。だからこそ、エルヴィスは「おまえが嫌なら番関係は持たなくていい」と言ったが、その言葉をオーエンは一蹴した。そして今も、あれだけ傷つけたにも関わらず、番の関係は変わらず継続していた。

(てっきり番を解除されてしまうものだと思っていたが、不思議だ)

 エルヴィスは首の後ろを触る。随分前に傷自体は消えているが、番として契約をするための噛み痕があった場所だ。

 番を解除されたことのあるオメガはみな、口をそろえて、今までに感じたことない寂しさを感じた、と言う。足元に突然穴が空いて、落ちて行くような不安定な感覚を覚えると言う人々の言葉が正しいとすれば、現在のエルヴィスには当てはまらない。

(いや、わたしが気づいていないだけの可能性もあるな……)

 現に塔に幽閉されている状態で、退屈こそ感じるが、寂しさを感じたことはないエルヴィスである。

 なお外に出ることは禁じられているが、訪ねてくる者と話をすることは禁じられていない。もっともエルヴィスを訪ねてくるのは侍従長のエラのみで、他に訪ねてくる者はいない。エルヴィスが親しくしていた人間は多くない上、みな社会的な地位もある。罪人とされたエルヴィスに白昼堂々会うのは憚られるのだろう。

 こんなことになるならもっと早くオーエンに謝っておけばよかった、と後悔する。

(……だが、仕方のないことだ)

 エルヴィスが自己嫌悪に苛まれていると、来客を告げるランプがぼんやりと点灯した。物理的にも魔術的にも鍵をかけられているこの部屋は、来客があると会話用にドアの一部が透けるようになっていた。いつもの通り、エラが来たのだろうと思いながらドアに向かったエルヴィスは思わず足を止めた。

 ドアの向こうにいたのは王の側室であるオメガだった。なぜ彼がこんなところに来るのかと警戒しながらエルヴィスが近づくと、彼はにこり、と笑った。

「こうして話すのは初めてですね、ご機嫌麗しゅう」

 エルヴィスは、こんなところにいるのに機嫌が麗しいわけないだろう、と言いたいのをぐっとこらえて

「……やはり話せないというのは同情を引くための小芝居だったな」

 と返した。数か月の間、接していて態度に不自然な点はなかったが、どうにも拭いきれない違和感があった。

「芝居も疲れますけどね。あなたみたいな人の前では特に」

「褒め言葉として受け取っておこうか。で、何の用だ。今となってはわたしに用などないだろう?」

「用ならありますよ。あなたも私に訊きたいことがたくさんあると思いますし、せっかくなのでこうして出向いて差し上げたわけです。何をお知りになりたいですか?」

 彼はわずかに目を細めて口角を上げた。エルヴィスは静かに訊ねた。

「おまえの故郷は隣国だろう。この国に来て、わざわざ陛下に取り入るような真似をしたのはなぜだ? そんなに隣国の状態は悪いのか」

「……賢い人だと聞いてはいましたけど、私がどこから来高も含めて、大体すべてご存知でしたか」

「おまえの礼儀作法の端々に隣国の作法が残っている。見る者が見れば一目瞭然だ」

 喋れないふりをしていたのは、わずかに残る隣国の訛りを隠すためだというのもこの数分で理解できた。

「そこまでご存知なら私がここにやってきた目的はあなたが想像する通りです。同じような地形なのに、私の祖国の領海に豊富な資源はなく、ただ貧しい。でも貧しいなりに他国から奪うための技術を大いに発展させた国です」

「だろうな」

 アーロム帝国よりも圧倒的に平地が少なく、農耕には向かない国だ。細々と塩と魚介類の生産を続けるしかない。そして虎視眈々と戦闘魔術を磨き、他国から資源を奪える機会を狙っていた。

「私が送りこまれたのはたまたまです。別に私でなくともオメガで諜報活動ができる者なら誰でもよかった。ただ、私が少し稀有なフェロモンを出せる体質だから選ばれただけです」

「番がいるアルファでも誘惑できる、ということか」

「その通り。さすが元〈人〉の宮廷魔術師殿ですね。頭の回転が早くていらっしゃる」

 にこやかに言う彼が本気で言っているのか、嫌味を言っているのかをエルヴィスは図りかねた。

「産業大臣はどうやって仲間に引き入れた?」

「簡単ですよ。今の金資源の取引価格に不満を持っているのはすぐにわかりましたから、為政者とともに変えましょうと声をかけたんです。すぐに乗ってくれましたよ。加えてあの人は息子を〈人〉の宮廷魔術師の地位につけたかったみたいで、元々あなたの監視もしていたみたいですね。今回たまたまそれが私にも味方してくれましたけど」

 彼の答えにエルヴィスは舌打ちをした。

金の価格は近隣国の物価指標にも使われるものであり、帝国だけで勝手に変えられるものではない。知っていてなお、産業大臣は口車に乗ったのだろう、と考えてエルヴィスは暗澹たる気分になった。

「万が一諜報がうまく行かなくても子どもができれば私たちの勝ち、だったんですけど。あなたはそれを邪魔しようとしたんですよね」

「ああ。残念ながらこの通り失敗したが」

 エルヴィスが開き直ると、彼は一瞬きょとん、としたのちに笑い出した。

「ふ、ははは、意外と潔い人なんですね。もう少しあなたが賢くなくて、才能を持たなかったら私のそばにずっと置いておきたいくらいだったのに」

「願い下げだ」

「ん、ふふふ、あなたならそう言うと思っていました。でももう私たちの勝ちは決まったも同然です。だから、あなたはこの国の一番高いところから国が滅びゆく様をじっくり見ていてくださいね。特等席ですよ」

 彼は笑いすぎて滲んだ涙を拭いながら言った。

「今日の一番の用ですけどね、私からあなたに仕置きをしてもいい、と陛下に許可をいただいたんですよ。私にはその権利がある、とね」

 そう言って彼は嬉しそうに笑って、手の中の装置を見せた。ボタンが一つだけついているそれは、エルヴィスも見たことがないものだった。

「この部屋、広くはないですけど、一見快適で何の変哲もなくて、牢獄だとは思えないですよね。でもちゃんと機能があるんだって教えていただきました」

「……なるほど」

 隠密に処刑や拷問をするための機能がある、ということをエルヴィスは察する。そしてその機能を余すことなく知った上で彼に教えられるのは王しかない。

「なんだ、理解されてたんですか。じゃあ、話が早いですね」

 彼がボタンを押す。カチ、と小さな音がすると同時に部屋の隅からわずかに空気の入るような音がし始めた。

「毒殺でもする気か」

「いいえ。殺すなんてとんでもない。私はあなたと違って優しい人間です。それと一応、あなたには感謝しているんですよ。きちんと私の体調管理をしてくださったことは、事実ですから」

「だったら、これは、」

 一体なんだ、と問いかけようとして、エルヴィスはぐらり、と自分の身体が傾くのを感じた。身体を起こしていられないほどの倦怠感に柳眉をひそめる。

「ああ、効きも早いですね。さすが〈人〉の宮廷魔術師様が調合してくださったヒート促進剤」

「……趣味が、わるい」

「あなたにとって、これがきつい罰になるのはわかっていましたからね。ヒートの期間を番なしに迎えるのはきついでしょう? あなたの番、あなたに甘そうでしたし」

 ふふ、と彼は王を誘惑した顔で笑い、

「それでは、私はこれで。あなたの侍従にも伝えておきますので、しばらくは一人にして差し上げます」

 来客を告げていたランプが消える。エルヴィスはぼんやりとかすむ視界の中、透けていたドアの一部がじわじわともとに戻っていくのを見つめていた。

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