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 宮廷中枢部の大広間には国王と伴侶および側室、国政を担当する大臣や側近、そして今日の警備を担当するウォルターが率いている小隊の隊員が集められていた。国の中枢を担う者ばかりだ。大広間に足を踏み入れたエルヴィスが最初に見たのは、見ている方が気の毒になるほど顔を青くしているエレノアだった。

(……無理もないな。わたしを自分の部屋から送り出して一時間もしないうちにこんなことになっているのだから)

 それにしても、とエルヴィスは冷ややかに王座を眺める。

 王の右側にエレノアが座しているのは正室の席であるから当然だとして、左側の側室の並びはいかがなものだろうか、と思う。通常であれば、側室として長い期間過ごしているものから順に王の近くに席を与えられるものだが、王の左隣にはオメガの男が座っている。長い間、エレノアとともに王に献身的に尽くしてきたベータの側室の女が気の毒だ、とエルヴィスは思った。

 大広間の重厚な扉が閉じられる。

 エルヴィスは王座の前の床に椅子もないまま座らされた。大広間に入る前に、両腕を背に回した状態で両手の親指を固定された。簡易かつ小さな拘束具ではあるが、両腕の自由を奪えるため、強力な部類に入るものだ。両手だけであれば触れても禁忌を犯すことはないと判断されて使用された。

「さて、そちがなぜ呼ばれたか、理解しておるな?」

 王からの問いかけをエルヴィスは無視した。これが呼んだという扱いになるのであれば、もう一度初等教育からやり直すよう進言してやろうか、と思うが口には出さない。

「余の問いかけに答えよ」

 少し苛立ちを声に乗せた王が命ずる。エルヴィスは首を横に振った。少なくともまだここで理解をしているように振舞うべきではない。おそらくこの場にいる人間の中にエルヴィスの部屋を荒らし、罪をかぶせようとしている者がいる。

「心当たりがないと申すのか」

「ええ、わたしは自らの仕事を全うしているだけでございます」

「そうか、これをそちの仕事の範囲と申すのか。余の側室の暗殺を企んでおきながら。聞けばこの劇薬は余の側室に合わせて調合されているというではないか」

 王は先ほどウォルターが見せた紙の束を指でたたく。帝国のオメガの健康管理も一手に引き受けるエルヴィスであれば、側室のオメガの血液、尿などあらゆるサンプルを手に入れることができるため、王の言葉も信憑性が増すというものだ。

(余計なことを言いやがって……)

 口にも顔にも出さず、内心で悪態をつきながらエルヴィスは王に訊ねた。

「おそれながら、内容は誰が確認したのでしょう。この短時間で解読し、わたしを捕らえる材料にできるのであれば、さぞ優秀な人材で雇われたのではありませんか?」

 王の人選を褒めつつ訊ねると、王は少し気を良くして答えた。

「産業大臣の息子だ。若いが優秀な学者だ。次の〈人〉の宮廷魔術師の候補でもあるな」

「さようでございましたか」

 そう言われてエルヴィスは産業大臣の息子の年齢を思い浮かべた。学者としては優秀であることも、若い部類に入ることはエルヴィスも知っている。何度か話をしたことがあるが、エルヴィスの話が通じる稀有な相手だった。しかし、エルヴィスより七つか八つ年上だったはずだ、というところまで思い出して、やはりこの王に人を見る目はないな、と呆れた。

 そして横目にちらり、と産業大臣を見る。豊かな体型の彼女は、厚く赤いくちびるをわずかに吊り上げていた。

(あれが手引きしたな……)

 以前オーエンは王から、側室のオメガとは宮廷の庭で出会ったという話を聞きだしている。誰かが手引きをしなければ、宮廷に入るのは難しいのではないか、と二人で訝しんだが、おそらく手引きをしたのは彼女だ。

 産業大臣という座につく者は、この国の産業のことを一通り把握しているため、隣国が攻め入るにあたって篭絡しておくべき人物でもある。また、産業補助の魔術研究を一手に引き受ける組織の長も兼任しており、エルヴィスの部屋に何らかの仕掛けをするのは朝飯前だっただろう。

(辻褄こそ合うが、証拠がない)

 一旦おとなしく捕まるしかないか、とエルヴィスは腹を決めた。

「して、陛下。わたしを捕らえていかがなさるおつもりですか」

「余は疑わしいものは罰しておくべきだと考えている。そちは余の側室に危害を加えようとした国賊である。したがって、〈人〉の宮廷魔術師の座を剥奪し、そちにとって一番きつい罰を与えよう。命を奪わぬのは、ひとえにそちが王族だからだ。自分の血に感謝するがよい」

 王の言葉に、やはりそうきたか、とエルヴィスは思う。命を奪わないだけいいと思え、と恩情を見せることで、情け深さをアピールするという魂胆が透けて見えた。

「他に何か申し開きがあれば聞こう」

 王がそう言った瞬間、大広間の扉が開く音がした。エルヴィスが身体ごと振り返ると、肩で息をしているオーエンがいた。オーエンの姿を見た王はエルヴィスに問う。

「それとも番の言葉を聞いた方がよいか?」

「いえ、その必要はございません」

 オーエンに聞こえるようにエルヴィスははっきりとした声で宣言をした。オーエンにまで咎が及ぶことは何としてでも避けたい、とエルヴィスは考える。

「はっきりと申し上げておきますが、わたしの番に紙束の中身は理解できません」

「そちが語って聞かせればよい話であろう?」

「語って聞かせる時間が無駄です。そんな時間があるならばわたしは自分の仕事を進めます」

 オーエンからしてみると、せっかく急いでやってきたというのに、いきなり貶されるのだから災難だが、そこは我慢してもらうしかない、とエルヴィスは話を続けた。ただし、話し過ぎないように慎重に。

「ま、そちはそういう人間よな」

 伊達に王と付き合いが長いわけではない。比較的あっさりと引き下がられてエルヴィスは安堵した。しかし、背後にオーエンの怒りの気配を察して、エルヴィスは大きく息を吐いた。早くなる鼓動を抑えるようになるべく深い呼吸をする。

 これが、自分にも背負わせろ、と言ったオーエンを裏切る行為だということはわかっていた。エルヴィスがひとり罪をかぶることは、信頼をしてほしいと訴えていたオーエンの気持ちをひどく傷つけることになる。

 しかし、ここで共倒れするわけにはいかない。

「もうよろしいでしょうか。これ以上わたしから申し上げることはございませんが」

 なんとかオーエンが口を挟む前にけりをつけたい、とエルヴィスは会話をたたむことを試みた。それは王も同じだったようで、

「うむ。では、連れてゆけ」

 王の命令によって、近衛兵がエルヴィスを取り囲んだ。行き先は王族を幽閉するために使われる高い塔の最上部だ。牢とは異なり、必要最低限の人間的な生活ができるよう整えられている。そこであれば、生きていくことが可能であり、なんとか現状を打開する方法が編み出せるかもしれない、と考えてのことだ。

「エルヴィス」

 大広間を出る瞬間、オーエンから名を呼ばれたが、エルヴィスはその呼びかけを無視した。余計な疑いをかけられる行為は一切しない、という決意の表れだった。

「何かそちから言うておくべきことがあるか」

 エルヴィスがいなくなった大広間で王はオーエンに向かって問いかけた。エルヴィスがオーエンと共倒れにならないように最大限の行動をしたことはオーエンにも理解できていた。収まりきらない感情こそあるが。

「いえ、何も。エルヴィスの言う通り、残念ながら俺ではあいつの話を理解してやれませんので、今回の件について言えることはございません」

「左様か」

 それならばもうよい、と言って王は大広間に集合した全員に解散を言い渡した。

 オーエンが大広間を出る瞬間、ぱちっと目が合ったのはエレノアだった。彼女はオーエンから目をそらすと、エルヴィスが座っていたあとに残されたほどけた赤いリボンを見て、再びオーエンを見つめた。強い意思を宿した深い青色の目をしっかりと見つめ返して、オーエンは大広間をあとにした。どうすれば、エルヴィスのあとを引き継いで、良くない方向に転がり出したこの国を止められるだろうか、と考えながら。

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