4-2

「エルヴィス様!」

 エレノアの部屋を辞し、自室に向かって歩いていると向こうから血相を変えたエラが走って来た。侍従から王族まで、誰であっても宮廷内を走らないように、と第一に躾けられる。例外は有事の際だ。

「そんなに慌ててどうした?」

 普段は主人であるエルヴィスに対しても物おじせず、冷静に意見を述べるエラが、ここまで慌てているのを見たことがなかった。息を切らしたエラは切れ切れに言う。

「エルヴィス様、お部屋が、」

「部屋?」

「とにかく、お部屋まで、戻ってください」

 と言うエラに引きずられるようにしてエルヴィスは部屋の前まで歩き、部屋を見て――絶句した。

 ドアは斧か何かで叩き壊されており、至るところにささくれだった木くずが散らばっていた。金属製のドアであればここまで破壊されることもなかっただろうが、あいにくエルヴィスの部屋のドアは木製であり、表面に金で装飾を施すこともしていなかった。部屋の中も紙や布、そして寝具から散らばったと思しき羽毛が散乱していた。

「私が戻ったときには、すでにこのような有様で……」

 申し訳ございません、と謝罪をするエラにエルヴィスは首を横に振った。

「いや、逆におまえが部屋に居なくてよかった」

 ここまで徹底して部屋を荒らしているのであれば、誰か人が居れば間違いなく危害を加えられていただろう。エルヴィスはなるべく木くずを踏まないように慎重に部屋に入る。ひと際ひどく荒らされているのがエルヴィスの作業用デスクの周辺だ。木製のデスクも見るも無残に壊されていた。

「……ない」

 デスクの一番下の引き出しにいれていたはずの実験結果を記載した紙がすべて持ち去られていた。デスクを壊したのはこれが目当てだったか、と冷静な部分で考えたが、それと同時に嫌な汗をかいた。

 ――いったい誰が。

 エルヴィスが何か集中して研究しているらしい、ということは宮廷にいればわかる。しかし、具体的な研究内容を知っている人物は限られている。その人物でないとすれば、部屋のどこかに、魔術を利用したカメラか盗聴器が仕込まれていると考えるべきだろう。魔術は使えば気配が残るというが、魔術に関して造詣が深くないエルヴィスはそれを感じ取ることができない。

「エラ」

「なんでございましょう」

「オーエンのところに行ってくれるか」

 魔術の気配を感じ取れない以上、エルヴィスは地道に可能性を潰すしかない。エルヴィスとエラが部屋を開けていた時間にオーエンがどこにいたかが判明すれば、可能性を一つ消せるはずだ。

「かしこまりました」

「一応これを持って行ってくれ」

 そう言うとエルヴィスは足首に着けていた純金のアンクレットを外した。エルヴィスの父の形見の一つであり、以前宮廷お抱えの職人だった者によって丁寧に仕上げられた貴重な品だった。

 代々受け継がれていくアンクレットを誰かに託すときはその命が儚くなったときだけである。つまり、これをオーエンに見せるというのは命を懸けた話をするという意思表示だ。

「これを出せばおそらく話くらいは聞いてくれるはずだ」

「何もそこまでなさらなくても……」

「いや、ここまでしないとだめだ」

 想定以上に良くないことが起きるとエルヴィスの直感が告げていた。部屋を開けていた時間、研究結果の収納場所が侵入者に伝わっている以上、この場にエルヴィス以外の人間をとどまらせるのは得策ではない。

「なるべく早く、頼むぞ」

 エルヴィスの頼みにエラはうなずいてその場を去った。

 その足音が消えてから数分後、エルヴィスが再度部屋を出ようとしたところで、その動きは阻まれた。

「〈人〉の宮廷魔術師、エルヴィス・サリヴァン」

 物々しく呼ばれた名に敬称がついていないことにエルヴィスは不審さを覚えた。王族であるエルヴィスを呼ぶ以上、その名に敬称をつけるのは至極当然だ。近衛小隊の一隊長が呼び捨てにできるものではない。

「どういうつもりだ?」

 エルヴィスはオーエンの同僚である男へ冷ややかに問いかけた。王の警護はいくつかの近衛小隊が分担して行う。そのうちの一つの隊を束ねるのが口髭を生やした四十がらみの男・ウォルターだ。

「国王陛下ならびにご側室の暗殺を企てた罪により、身柄を拘束いたします。覚えがないとは言わせませぬぞ」

 証拠の文書はこちらにございまますので、と言ってウォルターはエルヴィスの研究結果が書き連ねられた紙の束を掲げた。エルヴィスはしまった、と臍を噛む。今の段階の研究結果を読み解かれてしまえば、毒殺をするつもりだったと嫌疑をかけられてもおかしくない。

 一体誰が結果を読み解いたのか気になるところだが、一方で彼がその文書を手にしていることに、エルヴィスは安堵する。少なくともこれでオーエンが部屋荒らしに関与している可能性はほぼなくなった。

「人の部屋に勝手に押し入って得た文書を得意げに掲げられても困る。一体、誰の差し金だ?」

「緊急事態でございましたので、お部屋についてはご容赦を。そして罪人の質問にお答えする義理はございませぬな。ああ、部屋付きの侍従たちも一緒に連れていけということでしたらご要望をお聞きしますが?」

「ふん、侍従風情を連れていってどうするつもりだ? わたしの仕事の内容を理解しているわけがないだろう」

 あくまで仕事の一環だという立場を崩さずエルヴィスは言う。そしてなるべく自分以外には疑いの目が向かないよう、逆に言葉を選んだ。

「さようでございますか」

 連れて行け、と男は部下に命令し、部下はエルヴィスに縄を巻こうと手首に触れかけた。

「……気安く触れていいものと思うてか」

 王族に触れたとて法律上の罪に問われることはないが、慣習として侍従や配偶者以外が触れることは禁忌とされている(握手等の挨拶に使われる手首より先は例外の部位だ)。エルヴィスの地を這うような声に近衛兵は思わず手を引っこめた。

「自分の足で歩く。先導は任せた」

「お逃げになるつもりで?」

 どこからか発せられた声の方を一瞥してエルヴィスは答える。

「一度は聞かなかったことにする。二度目はないぞ」

 逃げようが逃げまいが、エルヴィスに嫌疑がかかっていることは変わらない。王の前で申し開きをさせられるのだから、現状を変えるとすればそのタイミングだった。

 行くぞ、とウォルターが声をかける。散らかったままの部屋を横目にエルヴィスは、無事にエラはオーエンを見つけられただろうか、と考えた。




 一方、エルヴィスによって遣いに出された――実際には逃がされた――エラは近衛小隊の詰所に足を運んでいた。休みでなければ、訓練、もしくはどこかの警備に配置されているオーエンの居場所を確認するにはここが一番確実だ。受付をしている中年女性に確認すると、今日は訓練日ということだった。訓練日であれば、小隊長を務めているオーエンが訓練場を離れることはない。エルヴィスの心配は晴れることだろう、とエラも安堵した。

 オーエンに急ぎ話したいことがある、と告げれば、彼女は訓練場までオーエンを呼びに行ってくれた。

「どうした?」

 数分で詰所裏の訓練場から戻ってきたオーエンが、普通に話しかけてくれることに心底安堵して、エラはエルヴィスの部屋が荒らされたことを話した。そしてエルヴィスから託されたアンクレットをオーエンに手渡した。

「これは?」

「エルヴィス様から託されました。その、もし話を聞いてもらえそうになかったら出すように、と」

 エラの答えを聞いてオーエンはしばらく考えていたが、アンクレットは受け取らずエラに再び手渡した。

「これは、俺が持っておくべきではない。大事に持っていてやってくれ」

「私のような侍従には不相応でございます」

 固辞するエラにオーエンは重ねて言う。

「そう言うな。あいつの気遣いが無駄になる。薄々察しているだろうが、あいつはお前を逃がしたんだ」

 オーエンの言葉にエラは「やはりそうでしたか」と力なくつぶやいた。

「おそらく適当な罪で引っ張るつもりだろう。罪人となればこの装飾も取り上げられるだろうから、お前が大事に持っておいてくれ」

「……はい」

 項垂れたまま返事をするエラに、オーエンは「しっかりしろ」と声をかけた。

「訓練は中止して、着替えたら中枢部に向かう。だから心配をするな。お前はエルヴィスの部屋を元通りになるように整えてやってくれ」

「かしこまりました」

 誰が部屋を荒らしたか、ということはおそらく有耶無耶にされてしまう。近衛兵以外にも存在を知られないまま王を守護する人間は多い。それらを相手に犯人捜しをするよりは現状復帰をした方がずっと生産的だ。

「オーエン様、一つだけ」

 エルヴィスの部屋に戻りかけたエラが立ち止まってオーエンを振り返った。

「なんだ?」

「エルヴィス様のことを心配してくださってありがとうございます。もう、一切エルヴィス様に関わるおつもりがないのかと思っておりましたので」

 エルヴィスがどこまでエラに話したのかはオーエンにはわからなかったが、エラなりに関係性を心配していたのだと理解して、苦い気持ちになる。

「心配をかけて悪かった。先日言ったことは撤回する。あいつにも直接言うつもりだ」

「はい」

 エラはもう一度慇懃に頭を下げると、小走りで去って行った。オーエンは訓練着で乱暴に汗を拭うと、副官に指揮権を預けた。なるべく小ぎれいな身なりでなければ中枢部へ立ち入ることは許されない。

(……どこまで時間をかけずに支度ができるかだな)

 オーエンはぎゅっとくちびるを引き結ぶと、訓練場に併設されているシャワー室に向かった。

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