4. The collapse creeps toward us/崩壊の足音はそこに
4-1
オーエンがエルヴィスのもとを訪れなくなって二週間が経った。
初めは「喧嘩をされたのなら早く仲直りなさってください」と小言を言っていたエラも、オーエンの訪問がない期間が長くなるにつれて何も言わなくなった。時折、もの言いたげな視線を向けられるが、エルヴィスはそれをすべて無視していた。
一方、進めていた新薬開発も九割完成していたが、そこで暗礁に乗り上げてしまった。ラットに服用させる実験では効果が得られるが、人間用に量を増やそうとすると薬の効果が出る前に死に至る。つまり、現時点では人間が服用したとしても、薬としての効能より毒としての効能が強く出てしまう。国家の治安を脅かしかねない人間を相手にするとはいえ、命を奪うのはエルヴィスの望むところではなかった。
「少し息抜きなさってはいかがですか?」
眉間にしわを寄せたまま実験結果をにらみつけているエルヴィスにエラが声をかけた。エルヴィスはため息をついて実験結果をデスクに戻した。焦燥感に苛まれて、空回りをしている自覚はあった。
「〈天〉の宮廷魔術師様からお茶会のご招待を預かっております」
「エレノアから?」
「ええ。エルヴィス様に直接お話されませんかと申し上げましたが、邪魔をしたくないとおっしゃってこちらを置いて行かれましたよ」
どうぞ、と言ってエラはエルヴィスに白い封筒を手渡した。宮廷内の伝達は魔術を用いたメッセージ交換が主流であり、紙で伝達をすることは多くない。機密度が高い内容の場合は例外で、口頭で直接、もしくは文書で伝達される。エレノアがエラに託した封筒を開けると、今日の午後の茶会の誘いだった。
エルヴィスはちらり、とデスクの上を見て考える。山積みになった実験結果はエルヴィスの焦りを象徴していた。
一度研究から離れてみることで何かいいアイディアが浮かぶかもしれない、と考えてエルヴィスはエレノアへ是と返した。メッセージ送付用の魔術をかけられた金メッキの小鳥が部屋を出て行く。
「エラ、おまえもずっとここにいては滅入るだろう。午後はしばらく出ていて構わない」
「かしこまりました。ちょうど、買い足したいものがございますので、外出しても?」
「ああ」
部屋の掃除と身の回りの世話ばかりをさせていたことにエルヴィス自身もやや罪悪感があったため、せめてもの気晴らしになれば、と声をかける。声こそは普段と同じトーンだったが、目に見えてうきうきとし始めたエラに、もう少しこまめに外出できるように取り計らってやればよかった、とエルヴィスは反省した。
エレノアに指定された時間になる少し前、エルヴィスは部屋に施錠をした。整理整頓は得意ではないエルヴィスだが、外出する際には研究結果をきちんと整理し、鍵がついた引き出しの中にしまうことを習慣にしている。エルヴィス以外の人間が研究結果を見たところで到底真似はできないものだが、万が一を考えると厳重に管理せざるを得なかった。
エルヴィスの部屋からエレノアの部屋までは歩いて五分ほどで着く。ドアをノックして声をかけると、どうぞ、と侍従が部屋の中へと招いてくれた。
久しぶりに訪れるエレノアの部屋は以前と変わりなく、質素だが重厚感にあふれていた。変わらない様相にエルヴィスはホッとする。
「ようこそ、エルヴィス。忙しいのにお誘いしてごめんなさいね」
「いや、わたしもちょうど……行き詰っていたので助かった」
エルヴィスの言葉にエレノアはそうなの? と首を傾げたのち、椅子に腰かけるよう勧めた。
「あなたが行き詰っている様子なんて、初めて見るかも」
「そうか?」
「ええ、ずっと涼しい顔で仕事をこなしていたわよ」
どうぞ、と言ってエレノアはエルヴィスに茶と菓子を勧めた。カップに入った茶に口をつけて、エルヴィスは過去を思い返した。
「エレノアに見せていなかっただけかもしれない」
「何を?」
「行き詰ったときのわたしを」
エルヴィスの日常の姿を一番見ているのは侍従長のエラだ。エレノアはにこにことしながらエルヴィスの話を聞いた。
「ふうん、なるほどね。エラやオーエンの方があなたの身近にいるものね」
「……そうだな」
オーエンの名前を出されて、エルヴィスの声のトーンは落ちた。それに気づいたエレノアが訊ねる。
「どうかした? もしかして、オーエンと喧嘩でもしたの?」
あれを喧嘩と呼んでいいものか迷って、エルヴィスは曖昧な返事をした。
「あなたとオーエンが揉めるのがうまく想像できないわ。あなたたちは穏やかに番関係を維持していると思っていたから」
「穏やか……だったのか、あれは」
エルヴィスは首を傾げた。
「少なくとも、王位継承権を放棄したあなたに文句の一つも言わないで番になったでしょう? 私はあれを見て、オーエンは権力に目をくらませない誠実な人だと思ったの。これでエルヴィスも平穏な生活ができる、って」
確かにエレノアの言う通りだった。おかげでエルヴィスはこの十年、自分の好きな仕事をのびのびとすることができた。
「それで、何があったの?」
再度エレノアに訊ねられて、エルヴィスは二週間前の最後の会話をかいつまんで話した。エルヴィスの話を黙って最後まで聞いたエレノアは苦い表情を浮かべた。
「これを言ったらおしまい、って線を越えたことを言ってしまったってことね。まあでも、あなたが感じたことは私にも覚えがあるわ」
「……贅沢なことを言っているとは思わないか」
「思わないわ。私はオーエンのことを知っているから、彼があなたをばかにしたり、蔑ろにしたりするためにそういうことを言わないのもわかる。でも、だからこそ傷つくことはあると思うの。いっそ悪気があってくれた方がエルヴィスはうまく対処できたでしょう?」
エレノアの問いかけにエルヴィスは黙ってうなずいた。純粋な心配だったからこそ、傷ついた言葉は少しずつ、砂のように心の中に堆積していた。それが霧散したのが、二週間前だ。
その場で言いすぎに気づいたのは気づいて謝罪はしたが、とても許されたとは思えないうえ、今後一切の関係を絶つ、と宣言されてしまったことも付け加える。
「それは……またややこしいわね。そう言ってしまった以上、オーエンからの歩み寄りはまず期待できないでしょうし」
「わたしもそう思う」
「で、逆にあなたから歩み寄ろうにも、変に冷却期間を置きすぎてしまって難しい、ということね?」
エレノアの的確な分析にエルヴィスは頭を縦に振った。
「揉めると意外に面倒くさかったのね、あなたたち。あ、いえ、逆ね。揉めたことがないから、そんなふうになっちゃうんだわ」
「……否定はしない」
エルヴィスの記憶にある限り、あそこまでオーエンが感情の抜け落ちた顔をして、突き放すような言い方をしたのは初めてだった。これまでは、衝突をするのが面倒で互いにその手前でブレーキをかけていたのだと思い知った。
「私はしょっちゅう陛下と言い争いをするわよ。だってあの人、世間を知らなさすぎるんですもの」
「わたしたちも世間を知らない方ではあると思うが、陛下は筋金入りだからな……」
宮廷で育てられるのはメリットの多い制度だが、少ないデメリットの一つが市井を知らないまま育ってしまう、という点だった。その中でも、エレノアやエルヴィスは比較的想像力が働く方だ。
「でも、私たちはすぐに仲直りすることに決めているの」
「一応、仲直りの方法を訊いても?」
期待するような返事ではないだろうな、と思いつつエルヴィスが訊ねるとエレノアは悪い顔をして笑った。
「『言いすぎたわ、ごめんなさい』って言って甘えるの。そうね、一番簡単なのは、頬にキスすることかしら。確実に喜んで許してくれるわね」
想像通りの返事にエルヴィスは黙りこんだ。エレノアと王の関係であればその謝罪は有効だろうが、果たして自分とオーエンではどうだろうか。
その不安が顔に出ていたのか、エレノアは微笑んだ。
「大丈夫よ。キスまで求めないけど、もう一度あなたが謝罪をしたらオーエンはきっと許してくれるわ。これまであなたに十年付き合った人なんだもの。……念のため確認しておくけど、番の解除はされていないわよね?」
「されていない……が、十年付き合ったからこそ、今度こそ愛想を尽かしてもおかしくない。わたしの方が年上だから立ててくれていたところもあるだろうし」
「そもそもあなたに愛想を尽かすならもっと前だと思うわ。心配なら私が『視』ることもできるけど、どうする?」
エレノアの提案にエルヴィスは首を横に振った。
「わたしの個人的なことに〈天〉の宮廷魔術師の力を借りるのは、気が進まない」
「そうよね。あなたはそういう人だと思ってた。がんばってね」
エルヴィスの回答を聞いて満足したようにエレノアは微笑んだ。エルヴィスは焼き菓子をつまみながら「別件で一つ」とエレノアに訊ねた。
「以前『視』たと言ってくれた炎の話だが、今でも『視』ることはあるだろうか」
不確定だと言っていたことも、続けて『視』るとなれば確実性が増す。
「ええ。『視』るわ。『視』えた回数が三回を超えたところで、陛下にも側近にも伝えたからなにか動きはあると思うのだけれど」
「そうか。伝えられたのならよかった」
彼女が『視』たことは変えられないが、少しでも止める手立てが生まれる方向に動いていると判明してエルヴィスはホッと胸をなでおろした。だが、エレノアは厳しい顔をしたままだった。
「今日エルヴィスを呼んだのは、〈天〉の宮廷魔術師として一つ言いたいことがあったからだったの。本題に入るのが遅くなってごめんなさい」
「いや、それはわたしのせいでもあるから、謝罪は不要だ」
エルヴィスがオーエンとの揉め事を話さなければ、もう少し早くエレノアも本題を切り出せたはずだ。
「――気をつけてね。具体的に何か起きるのが『視』えたわけじゃないけど、最近あなたの姿をよく『視』るの。姿だけならいいけど、陽炎みたいにすぐに消えてしまうから心配になって。抽象的な物言いになるけど、どうしても伝えておきたくて」
「ああ、ありがとう」
杞憂であればいい、とエレノアが願っているのが強く伝わってきた。彼女の心配を軽くするためにも、早めにオーエンとの関係を修復するべきだな、とエルヴィスは思う。
「まずはオーエンに謝りに行く。これで、エレノアの少しは心配も和らぐだろうか」
「ええ、そうね。ひとりで行動するよりはオーエンの傍にいてもらえた方が私も安心」
そう言ってエレノアは立ち上がり、引き出しの中から幅の細いリボンを取り出した。エルヴィスの左手を取って、小指に絹でできた赤いリボンを巻きつけた。蝶の形をした結び方を見て、エルヴィスは顔をほころばせた。
「懐かしいでしょ? ちょっとしたおまじないね」
「そうだな」
何か叶えたい願いがあるときに左手の小指に赤いリボンもしくは糸を巻く、という可愛らしい願掛けが子どものころに流行った。もちろんオーエンもその流行りを知っている。
「ちゃんと仲直りしてね」
「ああ、ありがとう。おかげでようやく腹が決まった」
エレノアの応援にこたえるためにも、夜にオーエンを自室に招こう、と決めてエルヴィスはもう一つ焼き菓子に手を伸ばした。
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