第7話 アキラ船長

「アリサログ、サプラメンタル。目的地の空港に到着した。今は屋上の展望デッキにいるが、ターミナル内を移動中に雨が止んだようだ」


 展望デッキに出た時、ちょうど白色の中型旅客機が滑走路を離陸したところだった。

 他に人は両端の3名以外に見当たらない。


「いやー、かっこいいね!」


 アリサの声はウキウキしていた。

 腰の高さほどの柵の上に両手を置いて、腕に自分の体重を預けている格好だ。


「アリサ船長は、飛行機が好きなのですか?」


 俺もアリサの左横に立って、傘の湾曲した持ち手を手すりに引っ掛けた・・・長物なので、斜めにしないといけなかった。

 しかし俺の質問に、なぜかアリサは口を閉じていた。


「・・・どうしました?」


 不審に思った俺が声を掛けると、彼女は何かを思い詰めているかのように顎を引いた。

 なお数秒待っていると、アリサがこちらに顔を向けた。


「は・・・」


 俺は小さく息を呑んだ。

 今日会ったばかりだが、俺を振り回してばかりだった明るい彼女とは思えない、悲痛な表情を浮かべていた。


「私、パイロットが夢なの」


 囁くようなその一言で、俺はさっきの出来事が腑に落ちた。

 即ち、彼女に自転車の運転を交代した時の、あれだ。


 それは俺の得心したような表情となって表れたらしい、


「そ、だから覚えてたの。ま、英語は壊滅的だけどねえ?」


 俺は彼女の自嘲気味な言い方が気に掛かった。

 俺もよく知らないが、それでもこういった仕事には英語力が求められるという事はなんとなく想像がついた。


「どうしたんです、船長らしくありませんよ。あれだけ流暢なら・・・」

「そうじゃないって・・・」


 彼女の声が苦し気に震えた。

 俺もなぜか胸が苦しくなるのを覚えた。

 掛ける言葉が思いつかず次の言葉を待っていると、彼女は喉の奥でつっかえる言葉を絞り出そうと何度か奮闘し、


「そもそも私には無理なんじゃないかって・・・」


 語尾がか細くなった。

 相当言いづらい事を精一杯絞り出したらしい。


「何が無理なんです?」

「家族も、親戚も、みんな否定するの。『絶対無理だ』、『なれっこない』、『賭けてもいい』とか、私の事、無茶苦茶に言って・・・」


 また彼女が俺を見た時、両目の外側に涙が溢れ出していた。

 それは今まで抑えつけていた感情の決壊だった。


「しまいには何を始めたと思う?」

「え・・・」


 俺は絶句した。

『何を始めた』という言葉の中に、彼女の夢を否定してきた者達の悪意ある言動を察したからだ。


「本当に賭けを始めたのよ。私が大人になったら何をしているかカネ賭けてんのよ!」

「嘘だろ・・・」


 俺も動揺して立ち尽くした。

 俺だって知らなかったわけじゃない。

 いつも使うチャット交流系のSNSでも、いわゆる毒親に悩まされている同い年のチャット仲間がいる。

 でもそれはモニターの向こう、文字だけで伝え聞く話でしかなかった。


 人としての尊厳に押し潰され、アリサは手すりに置いた自分の腕に顔を埋めた。


 こういう時、どうしたらいいんだ?

 俺は場違いにもスタートレックシリーズの中から回答を探して、あらゆる場面を頭の中で瞬間的に思い浮かべた。


 が、俺が動くきっかけとなったのはそれとはまったく別で、豪華客船が転覆する映画だった。

 それは、水中で動けなくなったところを助けて引き上げてくれたが、直後に心臓麻痺で亡くなった女性を泣きながら抱き締める主役の牧師のシーンだった。


 俺は静かに彼女を抱き寄せた。

 彼女は俺の背中に両腕を回すと、右肩に顔を埋めて小さな子供のようにむせび泣いた。


 すると急に、あの威厳あるフランス人艦長の姿が脳裏に思い浮かんだ。

 場違いと思われるかもしれないが、彼は相手を諭し激励して前を向かせようとするキャラクターなのだ。


「アリサ、負けちゃダメだ。だからしっかりしてくれ」


 俺の励ましは伝わったようで、アリサが顔を上げて俺を見た。

 俺は力強く頷きかけると、とにかく自分の勘を信じて話し続けた。


「賭けがなんだよ?アリサはアリサだろ。違うかい?」


 気が付くと俺の口調は熱を帯びて、彼女の二の腕に手を掛けて握っていた。

 そう言えばどちらかと言うと、俺の言動は初代シリーズの船長っぽいな。


「ひょっとして、諦めようとしていたのか?」


 彼女は躊躇いがちに小さく頷いた。


「・・・うん」

「耐えられない圧迫を受けたら、もちろん逃げたくなると思う。そうすれば、楽になるからだ」


 アリサは驚いたように俺を見ていた。

 無理もない、俺だって驚いていたのだから。

 まるで誰かが乗り移ったかのように映っていた事だろう。


「でも俺は、君の夢は立派だと思う。会ったばかりだけど、俺は応援するよ。君が・・・夢を諦めていなければだが、どうだい?」


 俺の言葉に心動かされたのか、彼女は何か言おうと口を開きかけ、胸の前で右手を握って長い数秒間を沈黙した。

 彼女の視線は滑走路に向いていた。


 それからアリサは視線を俺に戻した。


「うん、有難う・・・船長」

「え?」


 彼女は笑みを浮かべた。


「船長らしかったよ。見直しちゃった」


 うーん、俺そんなに頼りなく見えたのか?

 何はともあれ、立ち直ってくれて嬉しいけど・・・


「パイロット、目指してみる。少なくとも味方は1人いるし・・・でも今からでもいけるかな?」

「それはアリサ次第じゃないかな?」

「だね・・・あ」

「どうしたの?」

「船長2人になっちゃったね、どうする?」


 俺は両手を腰に当て、


「私を操舵士に降格して下さい。それで万事解決です」

「いーや。副長に任命する」

「光栄です、船長」



 続く



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