第6話 Cleared for take off

「メルド!」


自転車のチェーンが外れた時、俺はフランス語で悪態を吐いた・・・これも威厳あるフランス人艦長のセリフを真似たものだが、正直言って褒められたものではない。

ただ口癖になってしまっていて、意識しないと直らなさそうだ。


チェーンが外れた衝撃でガクンと揺れたが、アリサはなんとかバランスを保って落ちずに済んだ。

彼女も何が起こったかすぐに把握したらしい。


「ロードサービス呼ぶ?」


膝を屈めてピンと張ったチェーンを見ながらそう言うアリサ。

歩行者やその他自転車の邪魔にならないよう、自転車は歩道の脇に停めてある。

もっとも、ここは周りの民家がまばらで滅多に人が通らず、自動車だけが道路を次々と走り去ってゆく。


「応急処置は出来ます。何度か経験ありますから」

「あたしも1回だけやった事ある。手伝うよ」

「いいですよ。その代わり傘で上をお願いします」


そう、ショッピングモールを出た時より勢いは弱まっていたものの、雨がまだ降っていたのだ。

二人で作業しても良かったが、それでは濡れてしまうからどちらかが傘を掲げておく必要があった。

こういう時の為に軍手をいつも持って来るのだが、今日はどこを探っても見当たらない。


「どうしたの?」

「まずい。軍手がありません」

「あー、なるほどね?」

「どうしようかなあ・・・手が汚れちまうしなあ・・・」

「じゃあ、持ってて」


俺に傘を押し付けると、アリサは一人でチェーンを元に戻す作業を始めた。

彼女はすぐにチェーンが内側に外れている事を確認するとハンドルのギアを最大にして、それからチェーンを手際よく最大のギアに掛け、前輪のギアに残りの部分を引っ掛けたのであった。


「ふー、完了完了」


俺は彼女の手際の良さに感心したが、素手で修理したその手は茶色の錆びで汚れていた。


「あー、えーとですね、アリサ船長」

「これね?」


アリサは自分の手を見た。「汚れちゃったねー?」


「私が引き続き操舵してもいいのですが・・・その・・・」

「そっか。じゃあ船長が操舵するから、アキラ後ろ乗ってよ」

「え」

「船長だって、偶には操縦したいものなの」


彼女はさっさとサドルに跨ってハンドルを握ってこちらに首を回した。「ほら、早く!また船長命令出す?」


「わ、分かりましたよ」


俺はぎこちない動きで後ろに座り、片手で傘をさし、片手を彼女の腰に回した。

彼女は前輪を左右に首振りし、ペダルを何度か踏んで感触を確かめると、


「エンタープライズだっけ?これ」

「そうです」

「番号とかついてる?」

「NCC1701Aです」

「ラジャー」


それから急に流暢な英語で、


「Line up and wait, Runway 16L, Enterprise 1701」


それはまるで誰かと通信を取っているかのようだった。

不意な出来事に呆気に取られていると、彼女は想像上の何かに何度か頷いてから、


「Cleared for take off 16L, Enterprise 1701」


そう言ってペダルを踏む右足に力を込めると、自転車はゆっくりと動き出した。

徐々に加速していくその様はまるで・・・航空機の離陸だ。


・・・そうか、これはパイロットと管制室のやり取りか!

彼女はその後も何か言ったが、上記の事を考えていたせいで殆どを聞き逃し、最後に「Enterprise 1701」と締め括るところしか分からなかった。


「い、今のって空港とかのあれ?」

「そ。ホントはもっと色々やり取りあるんだけど、そこはハッキリ覚えてなくってさ」

「いやいや今のも凄いと思いますよアリサ船長・・・いや、機長?」

「船長でいいわよ。単に猿真似しただけだから」

「アリサ船長、空港に行くと言ったのって、親が働いているからですか?」

「いや・・・」


ついさっきまで楽しそうだったのに急にトーンが落ちた。

俺はまずい事聞いてしまったのかと思い、


「ああ。もし、家族に何かあったのでしたら・・・」

「あいや、そうゆう事じゃないから」

「はあ・・・」

「それよりさ、アキラって空港行った事ある?」

「無いです」

「あたしも初めてなんだよね~」

「じゃあ、さっきのって」

「ネットで見つけたの。色々便利だよね~」

「本当ですね。でもよく覚えたと思いますよ」


俺は実際の通信のやり取りを知っているわけではない。

だが、さっきのは感覚で実際のやり取りの一例?を覚えて来てそれをエンタープライズで応用したのが感じ取れる。


「我ながらまあね~。けど全部は覚えてないし、今のも正確じゃないかも」

「英語ダメダメっぽいですものね」

「アキラ操舵士だってブルースカイズ全然覚えてなかったじゃん」


鼻歌でごまかそうとした事が今になって恥ずかしくなってきた。


「うう・・・全部覚えますから勘弁してください」

「自分のこと棚に上げて人を責めるなんてひどーい」

「すみません」

「素直で宜しい。んじゃあ、また聞かせてね~」

「・・・機会があれば」


操舵士が代わったエンタープライズ号は空港に向けて残りの行程を走った。

幸いチェーンは外れなかったが、今度行きつけの自転車屋さんに持って行こうと脳内のメモ帳にリストアップした。



続く




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