Valkyrie Engage/ZERO

サファイア

Episode.0:終わりから未来へ―――



西暦2022年 4月 1日 深夜 00:12。


 カタカタカタ――……。


 ここはとある高層ビルの一室。あるゲーム会社のワンフロア。

 広いフロアの一角にだけ蛍光灯が点き、その下でPCのキーボードを叩いている男がいた。

 このフロアの社員は全員が帰宅し、彼一人だけが残業中だ。

 時折手を休めてコーヒーを飲みながら、週末に迫った新作ゲームのプレゼン資料の最終チェックを行っている。


 カタカタカタ――――タン!


 彼は区切りがついたところで気持ちよくキーを叩いてファイルを保存し、背もたれに寄りかかった。


「ふぅー、なんとか今回も間に合いそうだな。しかし……」


 彼は誰もいないオフィスを見渡し、溜息をつきながら一人物思いに耽る。


(企画課長も鈴木も高橋も……頭がおかしいんじゃないのか? この状態で発表なんかしたら会社の笑い者になるだろ。どうしてこれで通ると思うんだ?)


 彼は資料のプレビューが流れるPC画面を見ながら、周囲の甘い考えにイラ立ちを覚え、どんどん怒りが沸いてきた。

 点検、修正した箇所までは正常に表示されて資料と一致しているものの、途中から徐々に表示がずれ始め、見当違いなグラフや画像が表示された為だ。


(おかしいだろ、あきらかに!! こんな状態で定時退社はおかしいだろ!? プレゼンは明後日だぞ!? 俺だって帰りてぇーよ! なにが最終防衛ラインだ! 俺はお前らのお守り係じゃねぇ!!)


 彼の怒りは最高潮だった。

 そう、彼の一人残業は常態化していたのだ。それも、上司や同僚のミスの尻ぬぐいとして。

 彼はこのゲーム会社のプログラムエンジニアとして雇われている。給料も同僚とさほど変わらない。にもかかわらず、彼の能力に頼りきってこの『企画』部署は動いている。彼がいなければ部署ごと解体され、再編されているだろう。

 しかし彼の本職は『プログラムエンジニア』であって企画ではない。プレゼン資料の動作確認の為だけに応援に呼ばれたはずなのに、一般の企画の人間以上に重要な仕事をやらされていた。


「ふぅ、辞めようかな、こんなクソ会社……」


 彼はまだ20代後半。

 趣味の一つや二つあるし、定時で帰宅して趣味に没頭したいとも考えている。

 彼が就活していた頃のこの企業広告には、ホワイト企業、残業なしと記載があった。しかしいざ入社してみると、その実態は彼のような人柱を利用しての残業なしだったのだ。彼がブチ切れるのも無理はなかった。


(時間は……もう0時を回ってるのか……。ちょっとアレを見てみるかな。どうせ今日も泊まりだし、少し休憩しても罰は当たらないだろう)


 足元のバッグから私物のタブレットを出し、各SNSや色々な企業のサイトを巡回していく。

 彼の趣味の一つに『ネットのイベントを全力で楽しむ』というものがある。

 今日は4月1日、エイプリルフール。

 今では様々な企業が面白可笑しい情報をネットに発信する日になっていた。

 ネット上には、嘘だと分かるような商品やイベントの情報が飛び交う。

 中には精巧に出来すぎていて炎上するものや、後に実現したようなものもある。

 彼は10万人のフォロワーを持つ動画配信者。インフルエンサーの端くれとして各企業の情報に乗り、その情報の拡散や盛り上げ役のような事もしていた。

 彼自身も毎年のように画像や動画を作って配信、一緒に盛り上がっていた――が、今年は完全に乗り遅れた形だった。


「はは、これはねーよ、炎上確定だ。こっちは……いいね。こういう、嘘だと一発で分かって、軽く笑えるのがいいんだよ」


 嘘確定の画像は、ハンバーガーチェーンの画像だ。養殖に成功した恐竜肉を100%使っているらしく、ティラノバーガーという新商品だった。原始人と漫画肉の絵がすごくシュールで、彼も見た瞬間に苦笑いしてしまう。

 逆に彼が炎上確定だと思ったのはとあるニュースサイト。

 いつもは中立的で正確な報道をしているニュースサイトだ。これまではエイプリルフールに参加してこなかったが世間の流れに勝てなかったのだろう。しかし、初めての嘘記事だったので加減がわからなかったのか、嘘にしては記事内容が酷過ぎた。


(これ、苦情が凄そうだよな……)


 公式SNSに投稿された見出しは『緊急速報。巨人出現。死傷者多数』というもので、実在の住所や被害情報が詳細に報じられていた。

 投稿されたのは4月1日、0時8分。

 企業のエイプリルフールネタとしては遅刻気味に思えるが許容範囲ともいえる。

 しかし、記事内容が不謹慎すぎると感じた。

 彼からしてみたら実在の住所を使っているのはアウトだし、死傷者多数というのも完全にアウトだ。

 現場写真としてアップしている数点の画像もアウトだ。完全に現地の写真だし、合成している巨人が精巧すぎる。

 彼は加工写真などを見れば一発で判別できるのだが、彼の見た限りでは加工された箇所が見当たらない。処理が完璧すぎるように見えたのだ。

 巨人にモザイクはなかった。しかし、散乱した死体と思われる個所のモザイク処理が完璧すぎるし、倒壊、炎上している家屋も実写と見分けがつかないので、一流の技術者が関与していると考える。

 それらの画像は、彼からしたら技術の無駄遣いに思えた。


(こんなに凝った処理したら、本職だったら勘違いするかもしれないだろ――)


 ――本物だと。


(巨人もリアルすぎてドン引きレベルだし、子供が見たらトラウマになるだろうが……)


 写真はかなりの望遠レンズで撮られた画像のようだった。

 近くに写っている民家との比較になるが、この巨人は30メートル近いと思われる。

 太った緑色の体にボロボロの腰布だけの巨人。よくゲームで見るような『トロール』と呼ばれているような姿だ。


(……もしもあの望遠機材を使って撮ったとしたら、この風景と巨人の画像に矛盾点はないが……無駄に凝り過ぎだろ、アホじゃないのか?)


 散乱死体(仮)はモザイクのおかげで普通に見られるが、巨人の口元や胸部に付着している血や肉片っぽい物は本物に見えた。食人系のファンタジー巨人を表現したかったのだろうが、グロ注意のタグをつけるべきだと内心で注文を付ける。


(こんなに高レベルなものを作る暇があるなら、グロ画像作ってないで俺を手伝ってほしい……)


 彼の本職はプログラムエンジニアだが、CGモデリングやグラフィックデザインも行えるので、各部署の応援として何度も駆り出されていた。

 そんな彼からしたら、こんなに精巧な画像を作成できる人材であれば是非とも同僚に欲しいし、友達になってほしいとも思う。

 一日だけのエイプリルフールにここまでの技術は無駄でしかない。

 しかも、実在の住所を詳細に報じていて死傷者云々と記載しているので、不謹慎だと叩かれて100%炎上するだろう。企業的にはマイナス効果しかない。実際にSNSのコメント欄には不謹慎がどうのといったコメントが多い。

 エイプリルフールは『恐竜バーガー』みたいなものが丁度いいと彼は思っているので、これはやり過ぎだ。


(それにしても、今年は個人のネタ投稿が多いな……)


 例年であれば、有名企業のネタに隠れてあまり目にすることない個人ネタ。今年はSNS上にそれが溢れていた。

 流暢な日本語で挨拶してくる動物の動画とか、赤いオーロラ。UFOやUMA、宇宙人やモンスターっぽい動画も多数ある。

 そして、そのどれもがとても精巧に作られていて、彼から見ても本物に見えるレベルだった。エイプリルフールでなかったら一瞬信じてしまうだろう。


(今年はずいぶん盛り上がってるな……平日の深夜1時だぞ、みんな暇すぎだろ……)


 例年なら有名企業の投稿に対して楽しむだけの人がほとんどだが、今年はネット全体がお祭り騒ぎのようになっていた。

 笑えるネタ、笑えないネタ、不謹慎なネタ……多種多様な画像や動画がいくつもアップされている。

彼から見たら、それはまるでゲームの設定合戦のように見えた。


(……みんなは全力でイベントを楽しんでるな。本当なら俺も……)


 彼の自宅PCには、エイプリルフール用に作った配信用の動画が眠っていた。有名な動画配信者とコラボしたビックリ動画だ。


「はぁーーー……」


 彼はお祭り騒ぎのSNSを見ながら深いため息をつく。

 秘蔵のコラボ動画がお蔵入りになった事実とお祭り騒ぎのSNS。そして目の前に広がる虚無なオフィスとミスだらけのプレゼン資料。その落差がたまらなく虚しく、疲れた体と心に堪えたのだ。


「続き、やるか……」


 彼はタブレットをバッグに戻し、再びPCと向き合う。


 カタカタカタ―――。



4月 1日 早朝 04:54


「んん…………うるせーーー……なんだよ、この音は…………」


 彼は4時頃に作業の区切りをつけ、デスク下に寝袋を敷いて仮眠をとっていた。

 目が覚めたのは、パトカーや救急車のサイレン音が多数聞こえたせいだ。

 彼がいるのは30階建て高層ビルの12階。普段はあまり聞こえないサイレン音だが、あまりにも大きく聞こえるので目が覚めてしまった。


(近くで火事か……?)


 以前も近くの雑居ビル4階に入っているラーメン店でボヤ騒ぎがあった。

 単なるボヤだったが、当時はパトカーや消防車、特殊車両など、20台近くの車両が詰め掛けて大騒ぎだった。

 だが、今は当時以上の騒がしさだ。

 サイレン音は勿論、ヘリの音までかすかに聞こえる。


(……なんだ? よほどの大事件でも起きたのか? こんな早朝に?)


 あまりの騒ぎに、彼は外を確認しようと窓に近寄る。


「――ツっ!?」


 彼が窓に近寄った瞬間、窓の前を大きな物体が横切り、思わず身が引けた。


「な、なんだよ、あれ……」


 彼は目の前を横切り、ビルの間を駆け抜けていく物体――鳥を呆然と見続けた。

 それは鳥――ではなかった。

 恐竜だ。

 映画や図鑑でしか見たことないが、それが『プテラノドン』と呼ばれる恐竜に似ていることに気づく。

 プテラノドンはそのまま急上昇し、上空にいるヘリに体当たりして一緒に落ちてくる。

 ヘリはテレビ局のロゴが入っていたので、おそらく報道ヘリだと思われた。

 恐竜とヘリが落下するのを見続けていると、次第に地上の様子が目に飛び込んでくる。


「……」


 地上――道路は大渋滞が発生していた。いや、大渋滞というより大混乱に近い状態だ。

 車は車線も交差点も関係なくジグザグに入り乱れており、人の波も凄いことになっている。都心にあるオフィス街が、早朝にも関わらず乱痴気騒ぎのパニック状態だ。

 信号も止まっていて、警察官や自衛隊員が拡声器を使いながら誘導しているのがここからでも見える。

 恐竜とヘリは渋滞の中に落下して大きな爆発を起こしたが、プテラノドンは起き上がり、何事もなかったように飛び去った。周囲はさらに混沌とした状況になり、逃げ惑う人々で更に被害が拡大しているようだ。


「あ、え、な、なんだ、これ………………あ、ニュ、ニュースを!」


 スマホを取り出し、スリープを解除する。


(……は? 通知件数、99+…………?)


 連絡手段に使っている各種アプリの通知件数が全て最大値になっていた。

 仕事中は集中するために全ての通知を切ってサイレントモードにしているため、このありえない件数に全く気が付かなかった様だ。

 

(…………落ち着け。まずはニュース確認だ…………)


 スマホのニュースアプリを立ち上げ、最新ニュースを確認しようとするが――。


「ん? ネットが繋がってない? え? キャリア回線も圏外? 全部?」


 彼はスマホを2台持っており、4つの番号を3キャリアに分けて登録していたのだが、通信大手3社のキャリア回線、その全てが圏外になっていた。

 会社のWi-Fiも通信が切れており、ビルのフリーWi-Fiも切れているのでネット回線は全滅だ。

 ネットの使えないスマホは単なる置物となる。カメラや簡易メディアプレイヤーとしてしか機能しない。


(……どうすれば……あ、1階の警備室なら、非常用のラジオとかあるんじゃないか?)


 このビルには24時間、数人の警備員が常駐している。

 1時過ぎにも定時巡回の警備員と挨拶を交わしたので、いつも通りであればこの時間であっても誰かがいるはずだ。

 彼は念のためにバッグに手荷物を入れて肩にかけ、1階へと向かう。


「はぁ、はぁ、はぁ……エレベーター使えないとか……寝起きの、12階は、地獄すぎる……」


 今は停電中のようで、非常用の案内板や電灯が薄暗く点いているだけだ。エレベーターも動いてないので非常階段を使うしかなかった。

 

「…………なんで、誰もいなんだよ…………?」


 警備室はもぬけの殻だった。明かりも消えており、普段はいるはずの窓口に誰もいない。


(――というか、人の気配が全く感じられないな。ありえないだろ……?)


 このビルには彼の会社以外にも複数の企業が入っている。全ての会社が休業なんてあり得ない。彼自身も、こんなにも静かな状況は入社してから初めての経験だった。

 聞こえてくるのは外の喧騒だけ。彼は呆然としながら出入口を見る。


(シャッターが…………)


 出入口の格子シャッターが降りていた。完全に閉鎖状態だ。

 2重の自動ドアは手動で開けることができたが、シャッターの開け方は全く分からなかった。

 そして、2重の自動ドアをくぐったおかげで外の喧騒がはっきりと聞こえる。


「早く行ってよ!」

「邪魔だ!!」

「いてぇっ!! 誰だ! 押しやがったのは!?」


 聞こえてきたのは怒号と悲鳴。

 緊急車両のサイレンもあり得ないぐらいたくさん聞こえる。

 明らかな異常事態で非日常だ。よほどの緊急事態が発生していると思えた。


(……いや、そうだよな、異常事態……だよな。なんせ、プテラノドンが飛んでいてヘリと事故ってるんだ、普通じゃない。このパニック具合から考えるに、異常事態はあのプテラノドンだけではないだろう。もしかしたら……)


 彼の脳裏に、SNSで見た数々のエイプリルフールネタが思い出される。

 食人の巨人、UFO、宇宙人、UMA、ファンタジーな現象……。それらは一地域だけではなく、全国から情報が上がっていたはずだ。


(もしも全部本物なら……………………日本、ヤバくないか?)


 目の前に広がる光景だけでも『首都崩壊』の言葉が彼の頭をよぎる。

 人食い巨人に狂暴プテラノドン。そんな怪物に自衛隊が通用するのか?

 ほかにもUFOやUMA、宇宙人やモンスターっぽいのが多数目撃されているし、フィクションでしか見ないような現象も日本全国で起きていたようだった。

 そんな存在・現象を前にして、平和慣れした日本人に何ができるというのか?

 この混乱具合を見るに、避難警報が遅かったか、情報を信じない、楽観視している人が多かったのだろう。

 彼だってSNSの怪情報をまったく信じていなかった。

 エイプリルフール=全て嘘の情報――そう思い込んでいた。

 だからこそ、明後日のプレゼンに備えて朝まで作業していた。

 日常は当然のように続くし、明後日にはプレゼン、同僚はのんきに定時出社、愚痴をこぼしながらもプレゼン成功、そして別部署に応援に呼ばれる……そういう未来を想像していたのだ。


――この騒ぎと、プテラノドンを見るまでは。


 格子シャッター越しに見える光景は地獄だった。

 目の前には悲鳴を上げながら逃げ惑う人々と転がされている人々。車はあちらこちらで事故を起こし、火を噴いている車もある。遠くを見れば、ビルの隙間からいくつもの黒煙が立ち上っているのが見えた。

 首都直下型の巨大地震を想定した動画がネットにアップされていたが、それに近い光景だ。違いといえるのは、津波と建物の崩壊具合だろう。


(……よくわからんけど、俺も避難したほうがいいよな。だけど、こんな状況で外に出たら……)


 彼は逃げ惑う人々の足元を見る。

 転倒した人々が相当数おり、現在進行形で数が増え続けていた。そして逃げる人々の群れに蹴られ、踏まれている。うずくまりながら必死に身を守っているが……時間の問題だろう。

 実際に、血だまりに沈み、ぐったりしている人もいる。いや、それはもう人の形をなしていなかった。身体はグチャグチャに潰されており、内臓も飛び出して散乱している。素人目に見ても間違いなく死亡していた。

 

(……ああ・・はなりたくないよな。落ち着くまではここに籠ってやり過ごすか……)


 彼はロビーの一角にある飲食スペースに座り、自分の手荷物を確認する。


(ミネラルウォーターもあるし栄養ドリンクも2本ある。夜までは十分だな。あとは非常口も確認しとくか。近くの避難所は……たぶん、あの大学だよな? 歩いて30分ぐらいか? ……はぁ、大変なことになったな。もうプレゼンとか言ってる場合じゃないよな、これ……)

 

 彼は冷静だった。

 恐竜を見ても、爆発を見ても、パニックを見ても、人が肉塊になって死んでいるのを見ても……。

 それにはいくつかの理由があった。

 シャッター越しに光景を見たせいでもあるが、それに加えて連日の残業疲れと、似たような状況のゲーム開発経験、そして、こういった世紀末系のR18ゲームを好んでいるせいでもある。


 しかし一番の大きな理由は――――正確な情報を知らないから。


 彼は気づかなかったが、群衆が逃げてきた方向にはファンタジー生物――モンスター集団がいた。

 子供サイズのゴブリンや身長2メートルを超えるオーク、黒い泥のような物が蠢くスライム。それらが数十匹単位で混在し、人々を襲って喰らっていた。

 人がパニックになるには十分過ぎる状況だ。

 警察と自衛隊が共同で大きなバリケードを張って銃火器による応戦をしているが、状況は全く好転していなかった。子供サイズのゴブリンですら一匹も殺せてない――否、傷すら負わせられていないのだ。

 警察官の持つ拳銃は煩わしそうにされるだけであり、自衛隊の持つ機関銃は相手を怒らせるだけの効果しかなかった。

 怒ったゴブリンやオークは喰いかけの死体を隊員たちに投げつけて襲い掛かり、今度はその者たちを殺して喰らっていく。そしてそれを見た群衆は更に恐慌状態に陥った。

 

 そして、その恐慌状態はここだけ――日本だけの話ではなかった。


 最初にこれらの怪異現象に遭遇したのはイギリスだった。

 各地で紫の雨が降り、黒い雪が降り、空には赤いオーロラがかかり、未知の生物が目撃される。

 現地の放送局はすぐにこれらの異常気象や謎の生物を報道したが、4月1日の……エイプリルフールのネタとして捉えられた。

 そしてその数分後、全長100メートルの赤いドラゴンが地方都市の一つを襲った。

 この速報も当初はエイプリルフールネタとして捉えられたが、大統領府が国家非常事態宣言を発令し、国連と同盟国に援軍を要請したことで、国民には真実として受けとめられた。

 非常識な――ありえない事態に対して援軍を求められた国連と同盟国は情報確認と対応の協議をすぐに始めたが――――全ては遅すぎた。

 まるで時差を考慮し、各国の4月1日0時を待っていたかのように、怪異現象が各国を襲い始めた。

 もはや、国連とか同盟国などと言っている状況ではなくなったのだ。

 世界全体が様々な怪異現象を前にして、自国の治安維持に注力せざるを得なくなっていた。

 そして小さな国が複数滅び、未知の敵性生物には通常の現代兵器が通用しないと判断した国連はある決断をする。

 イギリスや周辺国を壊滅寸前まで追い込んでおり、最も危険度が高い敵性生物『レッドドラゴン』。

 各国上層部は「最も危険な生物を排除できれば、この事態も好転するのではないか?」と考えた。

 そして、ある兵器の使用許可が下される。

 最後の手段であり、最悪の兵器であり、人類の最後の砦である――核ミサイルが放たれた。


『グルルルル……』


 大都市や周辺の都市を犠牲にした核の炎を中から、レッドドラゴンが悠然と姿を見せる。

 無傷。

 各国の偵察機や監視衛星が捉えた姿は、攻撃前と変わらずにそこにあった。


『ガアッ――!!』


 レッドドラゴンの口からレーザーのような炎が放たれる。

 炎は核兵器の範囲を超えてその先の国を貫き、首振りによってその国は焼き尽くされた。

 人類は悟る。


 ――世界の終わりが来た、と。


 世界の終末を悟った人類は、怪異存在・現象への対処を諦め、少しでも長く生き残れるように息を潜めることを選択した。

 怪異へは干渉せず、とにかく逃げ延び、残された備蓄で僅かでも……少しでも長く生き残る。

 各国はそれぞれに自給自足が可能なシェルターを多数建造し、そこを新たな生存圏として生活していくことを決定。

 新たな生活基盤が築かれるまでに失われた人命は、約2,500,000,000人。世界人口の三分の一が失われた。

 意図的なのか偶然なのか――奇跡的にも、レッドドラゴンに代表される怪異存在はシェルターを攻撃してこなかった。が、自給自足が可能なシェルターといっても現代の技術には限界があった。石油やガスなどの燃料補給の為に、定期的に外に出る必要があったのだ。

 人類では勝てない怪異生物が闊歩する世界を出歩くのは命懸けだったが、多数を生かすために少数を犠牲にするという方針は各国で共通しており、犠牲を出し続けながらも人類は辛うじて存続した。

 そして、2022年4月1日の怪異発生から8年が経過したある日のこと――。


 西暦2030年9月2日。日本各地に点在するとあるシェルターの一つ。


 世界の総人口は怪異発生前の半数以下まで減少し、衛生環境や食糧事情も悪化していたが、シェルター内ではある程度の平穏が訪れていた。

 逃げ遅れていたプログラムエンジニアの『彼』も無事にシェルターに入る事ができ、シェルターの基幹プログラムのメンテナス要員として働いている。

 そんな彼は、避難所への移動中に助けた女性と結婚して一人の子供を授かり、今の世界では平均的な生活を送っていた。


「いってらっしゃい、あなた」

「ああ、行ってくる。未来みくは……今日は遠足だったか?」

「ええ。昨日は遅くまで準備してたわね。楽しみで眠れなかったのか、夜中に何度も起きていたけど」

「そうか……。まあ、気を付けて行ってこいと言っておいてくれ。こんな世の中だからな」

「分かったわ」


 彼の一人娘である『未来みく』は現在6歳。

 今日は新一年生の遠足がある日だった。

 遠足といってもシェルターの外ではなく、シェルター外壁の手前にある食料エリアまでである。

 これは今年から始まった学校行事であり、新一年生にとってはとても楽しみなイベントだった。

 食料の関係施設は本来であれば重要施設であり、関係者以外は近寄ることができない。

 この学校行事は、子供のうちから食料の重要さを実感してもらおうと、行政府と教育委員会の提案により実施される初の試みだった。


「お母さん、いってきまーす!」

「いってらっしゃい。未来、忘れ物はない? 気を付けて行動するのよ。先生の言うことはしっかり聞いて――」

「はーい! いってきまーーーす!」


 彼の娘の未来は、明るい性格で行動的な元気な女の子だった。

 シェルター生まれのシェルター育ちの子供たちは、外の状況や人類の置かれた状況をはっきり把握していない。そのため、この閉ざされた空間であっても緊張感はなく、子供らしい、明るく前向きな子供が多い。

 大人たちもこの絶望的な状況を積極的に伝えることを忌避し、今だけは――子供のうちだけは、絶望を知らずに育ってほしいと願っていた。


「ほんとにもう。お母さんは「いってきます」がいっつも長いんだから……」

「あ、おはよう、みくちゃん! いっしょにいこー!」

「おはよう! うん、いっしょにいこー!」


 未来は友達と合流して一緒に登校し、母親の「いってきます」が今日も長かったと笑いながら話すのだった。

 

「よーし、揃ったな。点呼とるぞー。一番、相沢から」


 校門前に一年生、全24名が並び、最前列の担任教師が点呼を呼びかける。

 教諭は4名。担任である男性教諭と女性の副担任1名は生徒の最前列から確認し、残りの副担任2名は列の最後方から点呼と人数を確認していた。

 一クラスに教師が四人。多いように思えるが、これにも理由があった。

 全国にシェルターは複数存在するが、特徴の一つとして子供の少なさがあげられる。

 これは、避難時のパニックに巻き込まれ、身重な妊婦や、無力な子供の多数が死亡した為だ。そのため、各シェルターでは子供を徹底的に監視し、保護することが義務付けられていた。

 このシェルターでも、小学生に限っていえば一年生が一番多い。それでも学年に一クラスのみであり、24名しかいない。

 だからこそ、その24名を大切に教育し、保護するために4人もの教師が担当している――が、実はそのうち二人は正規の教員ではなく、現役の女性警察官と男性自衛隊員である。役割は子供達の安全確保。当然ながら拳銃と小銃を腰に下げており、独自の裁量で発砲することが許されていた。

 そんな大人たちに守られ、遠足にわくわくしているのは、男子が9名、女子が15名である。

 大人たちはへらへらとした笑顔で生徒たちと接しているが、内心では緊張しており、軽く冷や汗を搔いている者もいた。

 大人たちは知っているからだ。壁に近づくことの意味を。その向こうにある地獄を……。


「たのしみだねー。畑って、本でしかみたことないから」

「うん。それに、お魚さんが泳いでるところも見られるらしいから、すっごく楽しみだよ」


 大人の緊張とは裏腹に、子供たちの楽し気な声とともに遠足は始まった。

 彼の住むシェルターは騒動の初期に急ピッチで建造された物であり、全国平均よりも小規模で、直径にして5kmしかない。なので、遠足といっても学校から3kmほどしか歩かない。しかし、子供たちの生活圏は中心から1km程度の狭い範囲に留まるため、3kmでも十分な遠出であった。


「これから建物に入るが、列は乱さず、大声でおしゃべりしないこと。お仕事の邪魔になるからなー」

「「 はーーーい! 」」


 目的の施設に到着したのは午前11時30分過ぎ。

 周囲の安全を確認した担任教師は注意事項を述べ、生徒たちは手を挙げて元気よく返事をする。

 この遠足に関しては事前に十分な準備がされており、教師も生徒も全体の工程や注意事項をしっかりと把握していた。なので、担任の注意は形式的なものだ。

 子供たちの返事も「わかってます!」といった表情で、当然のように笑顔で頷いていた。

 教師たち4人は入り口で受付を済ませ、来賓を示すためのリストバンドを自分たちと生徒の人数分受け取る。

 このリストバンド、見た目は簡易的な赤色のシリコン素材なのだが、内部にはここの情報管理センター(IMC)で来賓者の情報をリアルタイムで確認できるよう、許可ID情報、居場所を示すセンサーチップ、装着者のバイタル情報を確認できる生体センサーが搭載されていた。


「全員に行き渡ったか? 学校でも言ったが、ここにいる間は、これを右手か左手、どちらかの手首につけておくこと。絶対に外さないように」

「「 はーーーい! 」」


 生徒たちのテンションはすでにMAXだった。

 見たことのない立派で大きい建物、入り口にあった探知ゲート、重装備に身を包んだ警備員、見たことのないリストバンド……興奮するなといった方が無茶な話だった。生徒たちはわいわい騒ぎながらリストバンドを手首に付け、お互いに見せ合って喜んでいた。


「静かにしろー。騒がしい奴はこのお兄さんに捕まるからなー」


 担任教師は、全身を防弾装備に身を包み、機関銃で警備にあたる大柄な人物を指さす。

 指をさされて意図を察した警備員(自衛隊員)は、生徒たちの方を向いて無言のプレッシャーを与える。


「「 ………… 」」


 大柄な男性からのプレッシャーは効果抜群だった。

 生徒たちは一斉に口を閉じて青ざめ、直立不動なる。置物になったとは正にこのことだ。


「その調子だ。まずは休憩所でお昼ご飯を食べ、そのあとに色々な場所を見学させてもらう。休憩所では騒いでもいいが、ほかの場所では静かにするように」

「「 (コクコクコク!!) 」」


 生徒たち青ざめたまま、無言で頭を縦にブンブン振る。

 無言で見続けてくる警備員が怖くてしかたないのだ。中には少し涙目の生徒もいた。

 

「よし、行くぞー。2列になって、はぐれないように先生に付いてくるように」

「「 (コクコクコク!!) 」」


 生徒たちは訓練された軍隊のごとく素早く2列になり、担任の後に続いて歩き出す。

 最後尾の副担任(自衛隊員)は警備員に笑顔で敬礼し、無言の感謝を伝える。

 警備員は「お互いに大変だな」といった様子で笑顔の敬礼を返し、業務に戻るのだった。

 生徒たちは軍隊の行進のごとくキビキビした動きで担任の後について歩き出し、すぐに休憩所に到着。担任が片手を挙げて注目を集め、全員に聞こえるように到着を告げる。


「よーし、もう喋ってもいいぞ、お昼休憩だ」

「「 はーーーい!! 」」


 休憩所はいくつかあるが、一番近い場所は入り口から50メートルと離れていない。

 恐怖(警備員)から解放された生徒たちはハチの巣を突いた様な大騒ぎを始める。全員が「あの警備員さんが怖かった!」といった話であった。

 ここまでのわくわく体験は記憶から吹き飛び、あの警備員の恐怖ばかりが昼食の話題に上がる。

 担任達は少しやり過ぎたと後悔しつつ、遠足本来の目的に沿うように注意を促す。


「怖い警備員さんの話もいいが、この後のこともしっかり予習しておくように。来週には今日の感想文を提出してもらうからな」

「「 はーーーい! 」」


 生徒たちは昼食を食べ終え、班ごとに作成したパンフを見せ合いながら施設の予習を始めた。

 教師達はその様子を見てほっと一息つき、生徒たちに交じって談笑を始める――。


 ――壁の先にある恐怖から、不安から、現実逃避するかのように……。


 昼食を食べ終え、しっかりと休憩をとった後に施設の見学が始まった。

 施設職員の案内のもと、順調に見学は進む。

 農園施設、畜産施設、海洋施設、貯蔵施設……それぞれの施設を、生徒たちはわいわいはしゃぎながら回る。

 初めて見る農園、生きた牛や豚、水槽を泳ぐ魚を見た生徒たちは大喜びだった。

 沢山の土に触っての収穫体験、畜産動物との触れ合い体験、魚の餌やり体験……生徒たちはメモを取るのも忘れ、ただただその体験を楽しむ。

 そして全ての見学を終え、休憩時間を挟んでから退館する時間になった。担任教師と副担任一人を先頭に、300メートル先の出入口向かって移動を始める。

 順調に移動していた一行だったが、途中で一人の女子生徒が手を上げた。


「せんせー」

「ん? どうした、渡瀬?」

「トイレに行きたいです」

「トイレ、か……」


 担任教師は考える。

 学校内であれば問題なく許可できるのだが、ここは行政府の最重要施設であり、一教師の一存では簡単に許可できない。

 それに、一番近いトイレは少し道を戻ることになる。事前申請した行動には含まれていないので、自分たちの行動を監視している情報管理センター(IMC)に不審に思われる可能性もある。施設内ではトイレ休憩を何度も取っていたし、注意事項の一つとして「急なトイレは避けるように」と生徒たちには伝えていた。

 だが、6歳の子供にそんな大人の事情が分かるはずもなく、学校と同じ軽い感覚で「トイレに行きたい」と言っているに過ぎない。

 担任教師が少し考え込んでいると、最後尾にいた副担任(女性警察官)から助け舟が出される。


「柴崎先生。私が未来ちゃんに付き添います。先生方は休憩所で待っていて下さい」


 副担任はハンドサインで「許可が下りました」とサインを送る。

 女子生徒がトイレと言い出してすぐにIMCに連絡を送り、許可を取っていたのだ。


「分かりました。よろしくお願いします、大井先生」

「はい。それじゃ行こうか、未来ちゃん」

「はい!」

「ほかにトイレを我慢してる人はいない? 今が最後のチャンスだよ」

「あ、わたしも!」


 手を挙げたのは未来の親友の一人だった。


「ほかには……いないわね。それじゃ3人で行こうか、未来ちゃん、亜美ちゃん」

「「 はい! 」」


 3人は手を繋ぎ、廊下を逆戻りしていく。


 ――その頃、情報管理センター(IMC)では――


「大井警視、女子生徒2名を連れ、第一衛生室に移動開始。教諭3名と生徒22名、第一待機所に移動開始。バイタル情報に異常なし」


 若い男性管理官がモニター画面に映る監視カメラと各種センサーを確認して報告し、最高責任者である初老の司令官は溜息をつきつつモニター画面を確認する。


「ふぅ。子供というのは、やはり予定通りに動いてはくれないか……」

「そうですね。無知であるが故の無邪気さ。可愛いと思いますよ」

「そう、だな……」


 IMC司令官と管理官の一人は苦笑いを浮かべ、3人の情報が映るモニターを見る。

 3人を映す監視カメラに異常はなく、バイタル情報にも異常は見られない。

 女子生徒二人は楽しそうにしているが、大井警視と呼ばれた副担任の視線や足取りは周囲の警戒を十分に行っていた。

 そして、そんな元部下を見ながら司令官は物思いに耽る。


(彼女もこんな世の中にならなければ、今頃は警視庁のトップクラスだったろうに。エリート警視が小学生の副担任、か……本当に、人生はわからんものだな……)


 司令官は彼女が警視庁にいた頃の元上司であり、2020年に定年退職した身だった。

 しかし、怪異災害により多数の警察官が死亡した為、現場指揮能力に定評のあった彼がここの司令官として任命されたのだ。


(こんな老いぼれを担ぎ出すほど私達――人類は追い込まれている。シェルターもあと何年もつか……。あいつらを前にした人類は全くの無力だった。なにか決定的な打開策がなければ人類の滅亡は遠くないだろう。なにかないものか……核兵器を超えるような……あいつらを倒せるような兵器が……)


 無論、そんなものは存在しないのは分かっている。

 あるのであれば人類はここまで追い詰められていない。

 核兵器が無効だと判明した後も、シェルターの建造と並行して様々な可能性が検討され、実行されてきた。ただ、全てが通用しなかっただけだ。

 武力を用いた作戦はもちろん、無理を承知で対話や餌付けなども行われた。藁にもすがる思いでオカルト的な手法も数多試されたが無駄に終わった。

 司令官一人が何かを考えてどうこう出来る時間はとっくに過ぎている。これは単なる現実逃避だ。近い将来確実に起こる、人類滅亡という、最悪の結末を考えないようにするための……。


「司令官。大井警視と女子生徒2名、第一衛生室を出ます」

「ん? ああ、そうか……。問題はないようだな」

「はい。問題なく第一待機所に移動を開始して――ッ!?」

 

 管理官の言葉が途中で詰まり、驚きの声を上げる。

 監視カメラに映る3人から少し離れた後方、衛生室付近に、通路を塞ぐような形で2メートルほどの半円状のモヤが突如出現したためだ。

 半円状のモヤは紫色をしており、明らかに異質で、その場にはありえないものだった。

 しかし、ここにいる大人たちは『それ』が何かを知っている。それから始まる惨劇が全世界を襲っているのだから――。


「か、怪異門です! 小規模怪異門が第一衛生室前に出現!」

「隔壁を1から10まで閉鎖! 全域に怪異緊急警報を出せ! 特異対策チームに召集要請だ!」

「え、あ、りょ、了解!」


 IMC司令官は迷いなく指示を出すが、命令を受けた管理官はわずかに戸惑ってしまう。

 この施設には隔壁と呼ばれる侵入者を防ぐ昇降式の壁が200ヵ所近くあるが、隔壁1から10は「この施設の入り口から200メートルの範囲にある全て」である。それが意味するところは、その中にいる全てのものを見捨てて閉じ込めるということだ。

 IMC司令官は苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。それは隔壁の操作をした管理官も同様だ。

 先ほどまで微笑ましく見守っていた存在を、全て見捨てる決断をしたのだから……。

 

 ――ドンという音と共に、大井警視と二人の生徒の前に壁が落ちてきた。そして鳴り響く警報音。


(これはまさか……!?)

 

 大井警視はこの事態になにが起こったのかすぐに思い当たった。

 このシェルターが稼働を始めた当日に同じようなことがあったためだ。

 あの日はシェルターの完成セレモニーが終わり、彼女は要人の護衛としてこの施設の案内に同行していた。

 そして案内が終わりに迫った時、同じようなことが起きたのだ。

 目の前に隔壁が現れ、後方に発生した紫色のモヤから『奴ら』が現れた。

 しかし、『奴ら』は殺戮行為や純粋な破壊行為は行わなかった。慌てふためく人類を嘲笑うように、1トン近い隔壁を楽々持ち上げて開放し、シェルターの外に去っていったのだ。

 ――彼女はあの時の行動を再現するように振り返り、そしてモヤを――怪異門を発見してしまう。


(また奴らが……)

 

 今回も同じように去ってくれるのではないかという考えが一瞬頭をよぎるが、それは甘い考えだとすぐに思い直す。

 外の世界は地獄そのものであり、人類は奴らにとっては餌であり玩具でしかないのだ。

 一部の識者の考えとして、「シェルターが襲われないのは、奴らがここを『餌の繁殖所』と考えているからではないか?」というものがある。その考えには彼女も含めてそれなりの賛同者がおり、その割合は目の前で親しい者たちを殺された者ほど多い。

 人型の怪異生物はあきらかに面白がって人を殺し、美味しそうに喰らっていた。

 彼女も同僚だった婚約者を目の前で喰われている一人だ。その光景は昨日のように思いだせる。そして復讐を誓っていたが、再び目にしたあの時は恐怖で身体が動かなかった。どうしても、婚約者が喰われていく記憶が彼女を縛るのだ。

 今回も同様だった。身体が動かない――動かせないのだ。

 怪異門が揺らぎ、奴らが出てこようとしているのに、彼女は思考を放棄していた。

 動けば喰われる。動かなければ大丈夫。

 人間は弱い。

 追い詰められると楽観的に考え、楽な方に逃げたくなるのが普通の心理だ。

 彼女は「今回も何もせずに去ってくれるに違いない」と思い込み始める――。


「せ、せんせー!! なにこれ!?」

「!?」


 声がした方を見ると、自身の腰にしがみつき、不安そうな表情で見つめてくる二人の少女がいた。


(……私は何を考えてる? 守らなきゃいけない、この子たちを。私はこの子たちの「先生」なのだから)


 彼女は甘い考えを捨て、生き残る可能性を探る。


(……通路には何もなし。衛生室は怪異門の奥。待機所とも切り離された。この様子だと周辺の隔壁は全部降りてる。うん、あの人なら絶対にそうする。私達を――少数を見捨ててでも時間を稼いで生き残る道を探る……そういう人だからここの司令官を任されてる。なら、私にできることは……)


 彼女は生き残る道を必死に考える。

 これまでに判明している怪異生物の性質や性格、行動パターン。

 あの怪異門は小規模のもの。判明していることの一つとして、門より大型の生物は出てこないことが分かっている。ならば、出てくるのはゴブリン系や小動物系の怪異生物。

 分かっていることは少ない。それでも、自身にすがる子供たちは絶対に守り切らなければならない。

 そして、彼女が出した答えは……。


「よく聞いて、未来ちゃん、亜美ちゃん」

「「 はい…… 」」

「あのモヤモヤからおっかない生き物が出てくるの。二人はあそこで――通路の隅っこで、お互いにくっついてしゃがんでて。両手で耳をふさいで、目をつぶって、喋らない。そして、先生がいいと言うまでじっとしていること。分かった?」

「は、はい」


 女子生徒の一人である亜美は力なくうなずく。

 閉じ込められた通路や、鳴り響く警報音で頭が真っ白なのだ。ただ言われたことにうなずくことしかできない。

 

「亜美ちゃんは良い子ね。未来ちゃんは? 分かったかな?」

「……大井先生は? おっかない生き物が出てくるんでしょ? 一緒に固まってた方が……」

「先生はおっかい生き物が来ても大丈夫、コレで倒しちゃうから」


 彼女は腰にある拳銃を手に取り、未来に見せる。


「でもね、ちょっと大きな音がして危ないから、二人はさっき言った通りにすること。分かった?」

「……はい」

「良い子ね。はい、急いで。もうすぐ出てくるよ」


 彼女は二人の背中を押し、怪異門から最も離れた通路の角に追いやる。

 未来と亜美は言われた通りに身を寄せ合ってしゃがみ、両手で耳をふさぐ。

 彼女は怪異門に向き直り、出てきた怪異生物を確認する。


(……ゴブリン系が2匹。あの時のように人類を見下してる感じはしない。あいつを食べてる時のような表情。間違いなく私を餌としてみてる。だったら、生き残れる可能性はある……)


 彼女は自身の幸運に感謝する。

 これがもしも小動物系なら生き残れる可能性はゼロだった。小動物系の怪異生物は本能のままに生物を喰らう。生きていようが死んでいようがお構いなしに貪る。しかし、ゴブリン系は違う。

 ゴブリン系に代表される人型の怪異生物はある程度の拘り――ルールがあるのか、自分で殺した生物しか喰らわないし、興味を示さない妙な習性がある。

 ――死体には目もくれずに生者を襲う。

 だからこそ、二人・・が生き残れるチャンスが僅かでも生まれる。


(……喰われて死ぬなんて絶対にお断り。あいつは私を守ってこいつらに喰われた。だったらせめて、喰われないように死ぬのが私の務め。私の命一つで子供二人が助かるならそれで充分。いい最期よね――)


 彼女はゴブリン二匹の間――背後に向けて発砲する。

 ゴブリン二匹は不思議そうに後ろ向き、何を狙ったのか考える素振りを見せていた。銃を持った彼女の存在より、何を撃ったのかが気なったのだ。ゴブリンの意識が彼女から外れた瞬間だった。

 彼女は狙い通りに事が運んだことに感謝する。

 ゴブリンの意識が自身から外れた瞬間、うずくまっている少女たちに覆い被さり――――銃のトリガーを引いたのだった。


『グガ? ギ? ガガギギガギィ?』

『ギィ! ガガ、ギィ!!』


 ゴブリンは彼女の死体にイラ立ちを見せて何度か蹴った後、死体を放置し、隔壁を持ち上げて出入口に向かう。


 ――彼女の最後を監視カメラ越しに見守っていたIMCでは――


「大井警視のバイタル反応、消失しました」

「……二人の子供の状況は?」

「発砲音による心拍数の乱れはありますが、正常範囲内です」

「そうか……。残りの隔壁が突破される時間を計算しろ。特異対策チームが到着するまでは施設内に留めるぞ。警備の配置を見直し、時間を稼ぐ」

「了解」


 彼女――大井警視は、ゴブリンの「死体に興味は示さない」という習性を利用し、自身の死体を使うことで二人の存在を隠すことを考え、実行したのだ。

 目論見はほぼ的中し、彼女の死体に不満をぶつけたものの、少女たちに気づかずに通り過ぎた。だが……。


(子供たちのメンタルが心配だな。大好きな先生が自分たちを抱きながら頭を撃ち抜き、自殺したんだ。大人でもトラウマになるのは間違いない。それが無垢な子供の場合はどうなるか……。子供二人の命を守るためとはいえ、大変な仕事を残してくれたな、大井。天国で会ったらたっぷり愚痴らせてもらうぞ……)


 司令官は彼女の遺体が映るモニター画面に最敬礼し、短く黙祷を捧げたのだった。


 ――――音がした。大きな音が2回。そして体に重いものが乗っかってきて、また音がした。それから体をゆすられて…………静かになった。


(……重い。なんだろう? なにが乗っかってるんだろう?)


 未来たちは大井先生に言われた通りにじっとしていた。

 大きな音がしても、ゆすぶられても、大井先生が「もういいよ」と言うまで。


(……まだかな? 大きな音って、大井先生があの武器を使った音だよね? 怖い生き物はもういない……よね? ん? なに? 水が手に……)


 大井警視は二人に覆いかぶさった状態で自分の頭を撃ち抜いた。未来が『水』と思っているのは彼女の血である。銃痕から血が流れだし、未来の手に垂れてきたのだ。


(……なんかぞわぞわする。まだかな……え? もういいんですか? 怖い生き物は……いなくなった? よかったー。ありがとう、大井先生!)


 大井先生の許可を得られた未来は目を開けて立ち上がろうとするが、重いものが乗っているせいでうまく立ち会がれない。


「んっ、しょ! なにが乗って………………」


 未来は自分に覆い被さっているものを勢いよく跳ね除け、立ち上がって『ソレ』を目にする。


「…………大井、せん、せー…………」


 ――その時、IMCでは――


「村上大尉のバイタル消失。目標は第二隔壁突破」

「長瀬中尉と泉少尉を第一区画ポイントⅡに配置。第一休憩所に近づかせるな。全ての緊急ゲートを使い、目標を第二区画へ誘導だ」

「了解」


 ゴブリン二匹は悠々と進む。

 一トン以上ある隔壁を楽々持ち上げ、重装備の警備兵を喰い殺しながら。

 IMC司令官がやっているのは退治ではなく単なる進路誘導であり、時間稼ぎだ。

 いかにして被害を少なくし、目標――ゴブリンをシェルターの外に誘導できるか。

 召集を要請している『特異対策チーム』も立派なチーム名こそついているが、出来ることは誘導のみである。言い方を変えると、彼等は人柱のプロだ。命を捨てて連携しながら怪異生物を誘導するプロ。それだけの存在。

 人類では、核兵器を使ってもドラゴンはおろか、ゴブリン一匹殺せないのだ。

 人柱を使いながらシェルターの外まで誘導し、そのまま去ってもらうのを願うのみ。全てはゴブリン次第であり、運を天に任せるしかない。

 それが、世界にはびこる怪異生物の唯一の対処方法になっていた。


「長瀬中尉のバイタル消失。目標は泉少尉を追跡し、第二区画へ移動を開始。――特異対策チーム現着まであと五分」

「よし。桜田大佐を第二区画ポイントⅢに配置。全ての兵器の使用を許可する。持ちこたえろ」

「了解。――――え?」

「どうした?」


 事務的に命令に従い、各方面に連絡を送っていた管理官の一人が突然驚きの声を上げる。


「大井警視が救った少女二名のうち、一人のバイタルが消失しました」

「!?」

「ですが、監視カメラでの生存を確認、発信機は健在です。少女の手首に付いていることが確認できます。他の情報は送られてくるのですが、バイタル情報のみ消失。その他の異常は認められません」

「……」


 司令官は少女の姿が映されている――大井警視の遺体のある画面を見る。

 もう一人の少女はうずくまったままだ。両手で耳を塞ぎ、しゃがんでいた。しかし、もう一人の少女は立ち上がり、大井警視の死体を見つめながら呆然としていた。その少女のバイタル情報が消失したらしい。


(……ショックが大きいのは分かる。だが、バイタル情報の消失とはどういう意味だ?)


 司令官が発信機の故障も含めた様々な可能性を考えていると、少女が大井警視の持っていた拳銃を手に取り、まるで幽鬼のようにフラフラと歩き出す。

 ゴブリンがこじ開けた隔壁の先――ゴブリンへと向かって……。


「ッ!? 止めろ! 誰でもいい! あの少女の身柄を即時確保だ!」

「りょ、了解!」


 管理官は慌てた様子で、少女に一番近い職員に少女の身柄確保の連絡を送る。

 連絡を受けた職員は現場に急行し、少女の身柄を確保――保護しようとするが……。


「……私は……夢でも見てるのか……?」

「……いえ。確保に向かった宮城巡査長、意識消失。防弾チョッキの破損を確認しました」

「……」


 少女の確保に向かったのは宮城巡査長。全日本男子柔道大会で2位になったこともある、大柄で武闘派の警察官だ。

 その宮城巡査長が少女に声をかけ、手を伸ばした瞬間……彼は撃たれた。少女の持つ拳銃で。

 だが、実弾ではない。6歳の少女に軍用の拳銃の使い方が分かるはずがないし、出来たとしても姿勢制御すらできずにまともな発砲はできないだろう。

 少女は銃を向けて、たた何かを呟いただけ。それだけで大柄な男性が吹き飛ばされた。まるで、至近距離から強力なショットガンでも浴びたように。

 実際に宮城巡査は意識を失い、防弾チョッキも破損している。攻撃されたことは間違いないが、どのような攻撃がされたのかが全く分からなかった。


(……なんだ、あの少女は? まるで、ゲームや漫画のような攻撃を……)


 司令官は考えるが、まともな考えが浮かぶはずもない。

 常識では考えられないことが起きたのだ。

 少女が未知の攻撃で成人男性を吹き飛ばした――分かることはこれだけだった。

 少女の目的は? どんな武器を使った? なぜ人を攻撃した? なぜ歩みを止めない?


「……司令官、指示を。あの少女はどのように処分しますか?」


 思考中の司令官に管理官の一人が声をかける。

 管理官はあえて保護とは言わず、処分という厳しい言葉を使う。

 未知の力をもって人類に害をなす存在……それに人類は追い詰められ、現在進行形で侵略を受けている。真っ当な危機感を持つ人間であれば、騒動の芽は早いうちに摘んでおきたい――殺処分したいと考えて当然だった。


「……」


 しかし、司令官はすぐに答えられなかった。

 あの少女は危険だ。それは分かっている。だが、その少女の命を己が命を捨てて守ったのは、司令官が信頼していた元部下だ。

 彼女は正義感が強く、優しい女性だった。どこまでも己に厳しく、どこまでも子供に優しかった。

 彼女の遺体をみれば綺麗な笑顔で亡くなっている。

 自身の選択に満足し、子供を守って逝くことに何の後悔もなかったのだろう。

 ならば、彼女が救った命を最後まで守ることが、元上司としての――人としての義務ではないか?

 だが、管理官たちの表情は今すぐに殺処分すべきと訴えている。司令官にもその気持ちは痛いほど分かる。

 少女は明らかに普通ではない。謎の力を使ったことは勿論だが、歩く姿が幽鬼のような雰囲気をまとっており、この世の者とは思えない。まるで、少女の形をした怪異生物のようにも思えるのだ。

 理性では殺処分が正しいと訴えている。しかし、司令官にはその命令を直接出すことができなかった。


「……少女は注視に留め、対応はしない。今は怪異生物への対処が最優先だ」

「まもなく目標との戦闘エリアに入ります。少女と目標が接触して不測の事態が発生する可能性も――」

「構わん。全責任は私がとる。それと、あの少女の情報を至急集めろ。不測の事態に備え、判断材料が少しでも欲しい」

「……了解」


 管理官は完全に納得した訳ではなかったが、与えられた命令をこなしていくのだった。

 

 ――――――なんで、じゃま、するの……?


 未来は倒れている宮城巡査長を見下ろし、考える。


(……未来は……大井先生が……正しいって……教えたい……のに……)


 大井先生は言った。

 『先生はおっかい生き物が来ても大丈夫、コレで倒しちゃうから』、と。

 未来は右手に握る拳銃を見る。

 

(大井先生は。かっこいいし。やさしいし。いつも遊んでくれるし。いろいろ教えてくれるし。未来たちを守ってくれる、正義のヒーロー。大井先生は嘘をつかないんだよ? だからこれで……『奴ら』をやっつけて。正しいって。みんなに教えたい。それだけなのに……止めるから……悪いんだよ……)


 未来は倒した『悪者』から視線を上げ、通路の先を見る。

 少し先の通路は隔壁によって左直角に曲がっており、未来の位置からはその先が全く見えない。見えるのは、左から右に向かって流れる無数の銃弾だけだ。

 常人であれば逃げ出すであろう銃弾の嵐とけたたましい銃撃音。しかし未来は微笑む。常人であれば見えないはずの曲がり角の先を見ながら。


(……いた。あれだよね。大井先生に暴力ふるったのは……?)


 未来は進む。通路の先へ、銃弾の嵐の中へ――――。


「なんだ!?」

「子供!?」


 ゴブリン二匹の奥にいるのは桜田大佐と泉少尉の二人。

 二人ともアサルトライフルを持ってゴブリンと対峙していたが、未来の姿を見て銃撃を止める。しかしそれも一瞬のことだった。二人はすぐにお互いの意思を確認し、ゴブリン達に向けて銃撃を再開する。

 IMCからの連絡は何もない。命令はあらゆる武器を使い時間を稼ぐこと。それだけであり、子供の保護などは命令されていない。それに、曲がり角から姿が見えた瞬間に銃撃を止めたとはいえ、一瞬は多数の銃弾を浴びたはず。だが、少女は平然とした様子でこちらに――ゴブリンに向かって歩いてくる。どう考えても普通の少女ではない。


(あの少女はなんだ!? 新種のゴブリンか!?)


 アサルトライフルの銃撃の中を平然と歩いてくる生物は怪異生物以外にはありえない。

 二人には、ゴブリンも少女も同じ存在にしか思えなかった。

 二人は通路を後退しつつ、手持ちの武器、通路にある予備武器、非常用の高火力武器……全てを使って応戦する。

 アサルトライフルだけではなく、地雷やグレネード、対戦車ライフルにミサイルランチャー……文字通り、全ての銃火器を使用して応戦した。

 怪異生物に通用しないのは分かっている。これは時間稼ぎであり、注意を引くための攻撃に過ぎない。施設の一部が崩壊しても仕方ないといえる。基幹部さえ無事ならば多少は生きながらえる。

 炎と硝煙で通路の視界はゼロになった。二人は手持ちの残弾が少なくなってきたところで攻撃を止め、通路の陰に隠れる。


「……大佐、あの少女は何者でしょう?」

「分からん。だが、人でないことは間違いない。新種の怪異生物かもしれんが……。IMC、指示を頼む」


 IMCから即座に応答はなかった。

 二人が顔を見合わせて疑問に思い、もう一度呼びかけようとしたところで通信が入った。


「IMC司令官の柳だ」

「……ん? 柳司令官?」


 先ほどまでの通信監理官でないことに疑問を覚えた二人だったが、続く司令官の言葉に思考が停止することになる。


「状況はクリアになった。事後処理に入る。二人は目の前の少女、渡瀬未来わたせ みくを保護せよ。対象は極度の混乱状態にあり、Unknown Gunを所持している。その点に留意し、慎重に対応せよ。なお、ゴブリンの死骸には一切触れるな。予測不能の事態が発生する可能性がある。すぐに応援部隊を送るので、到着までは保護対象である渡瀬未来の…………子守を頼む。以上だ」

「…………」


 桜田大佐と泉少尉はお互いに顔を見あってフリーズする。

 ヘルメット越しでも分かる程お互いに混乱していた。ありえない情報が多すぎて心の整理がつかないのだ。

 しかし、二人の混乱をよそに炎は落ち着き、硝煙が晴れてくる。

 二人は通路の陰に隠れたまま、ゴブリンと少女がいる地点の様子をうかがう。

 司令官の言葉は理解できるが納得できないのだ。

 ゴブリンは核兵器ですら殺せない化け物であり、少女は銃弾の嵐の中を平然と歩いてくる存在。

 だが司令官は『ゴブリンの死骸』と言った。そして未知の銃を装備した、人ではない少女を保護し、子守をしろと言う。素直に納得するには無理があり過ぎる。

 銃口こそ向けないものの、二人は晴れてきた硝煙に注意を向けた。


(ゴブリンどもは……確かに倒れているな。信じられないが、頭部がなくなっているように見える。普通の生物であれば間違いなく死んでいる。そして保護対象の少女――渡瀬未来といったか。司令官はUnknown Gun を所持していると言っていたが、あれはどうみても軍用ベレッタだ。なぜ、未知の銃などと言った?)


 桜田大佐は棒立ち状態の少女をくまなく観察する。


(……見た目は普通の子供だな。今日は小学生の施設見学があると言っていたのでその内の一人だろう。しかし何故こんな所に一人でいる? どこでベレッタを手に入れた? ……不可解な点は幾つもあるが……まさか、あのベレッタでゴブリン二匹を殺したのか? ありえないだろ?)


 ゴブリンなどの怪異生物に現代兵器は通用しない。それが世界の常識だ。それを、軍用とはいえ拳銃一つで倒すのはありえない。そもそも、怪異生物を殺せたのは人類史上初の出来事ではないだろうか?


(不可解な点を上げればキリがないな……。しかし、ゴブリンを排除出来たのは最悪の状況から脱したともいえる。ここは柳司令官の命令通り、あの少女、渡瀬未来の保護が優先されると考えていいだろう。極度の混乱状態にあると言っていたので相応の対応が必要か? よし――)


 しかし、桜田大佐が動くよりも早く少女が動いた。

 少女はゴブリンの死体を乗り越え、駆け足気味に二人に近寄る。

 その動きで緊張の糸が切れたのか、はたまた未知の存在への恐怖が勝ったのか、泉少尉が銃口を少女に向けてしまう。

 軍人としては咄嗟の動きだった。

 桜田大佐も状況を整理してなければ同じ動きをしていただろう。

 マズイと直感した桜田大佐は泉少尉の銃口を下げようとするが――遅かった。


悪者わるものは邪魔」


 その一言で少女のベレッタを向けられた泉少尉は吹き飛び、壁に激突。死んではいないようだが気を失ったらしく、ぐったりと倒れ込む。


「……」


 桜田大佐は司令官の言葉の意味を知る。

 あれはベレッタであってベレッタではない。まさしくUnknown Gun (未知の銃)だ。

 極度の混乱状態というのも納得だ。普通の子供は銃を人に向けないし攻撃したりはしない。

 いや、そもそもが片手で軍用ベレッタを持ち上げ、銃身を固定することは小さな子供には不可能だ。

 混乱状態に加えて未知の身体能力、攻撃……非常に危険な存在だと桜田大佐は再認識する。

 『これ』は人の皮を被った化け物だ。対応を誤ればゴブリン以上の脅威になる。

 様々な可能性が桜田大佐の頭をよぎった。しかし、ここで柳司令官の一言が思いだされる。

 『子守を頼む』と……。

 少女の表情は悪いことをしたとは欠片も思っていない。普通の子供らしい不機嫌な顔だ。

 なにを思って少女が「悪者は邪魔」として泉少尉を攻撃したのかはわからない。だからこそ、ここは慎重に……怒った子供をあやすような優しい対応が必要だ。


「ごめんな、お嬢ちゃん。おじさんたちが悪かったよ。本当にすまない」


 桜田大佐は武器を壁際に放り投げ、ヘルメットを脱いで少女に笑顔で謝罪する。

 少女はその態度に満足したのか、わずかながら不機嫌な顔が治まった。


「おじさんは、未来の話をちゃんと聞いてくれる?」

「もちろんだ、なんでも聞こうじゃないか。言ってごらん」

「大井先生は嘘つきじゃないよね?」

「……ああ、嘘つきじゃないさ」

「そうだよね! 大井先生は――」


 ここにきて、桜田大佐はこの少女に何が起こったのかを察する。

 

(この少女が来た方向からゴブリンは来た。そしてその先には衛生室がある。時間的にはすでに見学を終えている時間だが、この少女と大井先生とやらは別行動で衛生室――トイレに行ったのだろう。そこでこの事態に遭遇。大井先生とやらは自衛隊員か警察官であり、ゴブリンを銃で倒すと約束したがこの少女を守って死亡。どうやってゴブリンの目を誤魔化したかは分からないが、この少女は助かり、大井先生の持っていた銃を持ち出して敵討ち――先生の言っていたことは正しいと証明しに来た……そんなところか。混乱、錯乱状態になるには十分な理由だな。未知の力だけは意味が分からないが……)


 桜田大佐は状況を冷静に分析しながら少女の話に相打ちをうっていた。

 

「あ、それでね!」

「――うん?」

「大井先生が怪我しちゃってるの! おじさん、助けて!」

「……そうか、それは大変だな。すぐに大井先生を助けに行こうか」

「ありがとう、おじさん!」


 桜田大佐の予想では大井先生という人物は十中八九死亡している。そうでなければ、この少女が銃を持っているはずがないのだ。

 しかし、そんなことをこの少女に言えばどうなるか……火を見るより明らかである。

 少女は暴走し、自身も攻撃されるのは間違いない。危険は避けるべきだった。


「早く!」

「ああ……」


 桜田大佐は少女に手を引かれて破壊痕の激しい通路を進む。

 爆破により崩壊した壁に焼け焦げた天井。大佐と少尉の攻撃がどれだけ容赦なかったのかがわかる破壊痕だった。そしてその中に存在するゴブリンの死体。

 ゴブリンの死体に銃火器による傷は一切なかった。しかし、致命傷は間違いなく頭部への攻撃だと分かる。なにせ、首から上の頭部が綺麗に丸ごと無くなっているのだ。これが致命傷なのは間違いない。


(ゴブリンの頭部はどこだ? 未知の力で切断、爆破したところでどこかに肉片ぐらいはあるだろう? それらが一切ない理由はなんだ?)


 桜田大佐は少女に手を引かれながらもゴブリンの頭部を探すがどこにもそれらしいものは見当たらない。破壊痕の様子だけが生々しく残っているだけだ。

 そこで桜田大佐は気づく。

 この少女は、この破壊に巻き込まれながらも傷一つ――服すらも破損していない、と。


(……この少女は本当に何者なんだ? 新種の怪異生物が人類の味方として現れた……という線は薄いか……)


 シェルターでは人数が少ない分、徹底した戸籍管理をしている。部外者が入り込む余地はゼロだった。

 

(柳司令官が名前を呼んでいたという事は身元確認が取れているはず。ならばこの少女はシェルターの人間として登録されている。だが、この少女は怪異生物に似た性質を持ち、怪異生物を殺せる力を持つ……)


 手を引く少女は見た目も言動も普通に見えた。だからこそ余計に混乱する。


(分からんな……。俺は研究者じゃない。この子のことはその道の専門家に任せよう。俺の任務はこの少女の子守り。今、この場での機嫌を損ねないようにするだけでいい)


「大井先生ーーー! 大人の人、連れてきたよーーー!」

「……」


 ある程度の予想はしていた桜田大佐だったが、予想外の光景に言葉を失う。

 

(まさか自殺とは……。なるほど、合点がいった。命を懸けて少女……達を守ったのか。貴女の勇気と知恵、その愛情は称賛に値する。安らかに眠ってくれ――)


 桜田大佐は思わず遺体に対して敬礼しそうになるが、少女の言葉により途中で手が止まる。


「おじさん。大井先生、大丈夫だよね?」

「……ああ、大丈夫だとも」

「よかった!」


 彼女はどう見ても死亡している。

 頭を軍用拳銃で撃ち抜いて生きているはずがない。

 こめかみには右から左にかけて大きな穴が開いており、そこから脳や血がたれ流れている。表情は笑顔だが血色はすでに青白く、死人の様相だった。誰が見ても――子供が見ても死んでいると気づくレベルだ。

 しかし少女は彼女の死を受け入れられないのか、ただの怪我だと認識していた。


(極度の混乱状態とはよくいったものだな。この子のメンタルや将来が心配だ……いや、この子に限っていえばそれ以前の問題か……)


「おじさん?」

「ん? なんだ?」

「早く大井先生の怪我を治してあげて。苦しそう」

「あ、ああ、そうだな。おじさん一人じゃちょっと大変だから、看護師さんたちをすぐに呼ぼう。IMC、どうぞ――」


 桜田大佐はIMCに彼女の救護要請を出す。

 IMCでは当然ながら救護は無駄だと分かっている。だが、少女のメンタルを考慮して救護要請を受諾。すぐに救護部隊が派遣される見込みとなった。


「看護師さんたちを呼んだのでもう大丈夫だ。そちらの子供も一緒に診察してもらおうか。怪我とかしてたら大変だからね」

「はい! ありがとうございます! 亜美ちゃん、亜美ちゃん。もう大丈夫だよ」


 少女が座り込んでいるもう一人声にかけながら体をゆさぶる。

 そして立ち上がって目を開けた瞬間――――。


「ヒウッ!!」


 短い悲鳴をあげて気絶してしまう。

 目を開けた瞬間、血だらけで脳を垂れ流す死体を見て相当なショックを受けたと思われた。


(しまった。彼女の遺体を搬送してから声をかけさせるべきだったか……。だが、これが普通の反応。この少女が普通ではないだけだ。しかし、極度の混乱状態、か……本当にそれだけが理由か?)


 初めて見た時の少女は確かに異様な雰囲気をまとっていた。

 まるで心霊映画の中ら出てきた亡霊のような雰囲気をまとっていたのだ。

 しかし、ゴブリンを殺した後の雰囲気は普通の子供にしか見えず、今も普通に見えた。むしろ、普通の子供よりも明るいぐらいだ。現場の状況やここに至るまでの経緯を知らなければ普通に接してしまってもおかしくない。


「亜美ちゃん!? だ、大丈夫!?」

「大丈夫、疲れて眠っただけだ。看護師さんにも見てもらうし、心配はいらない」

「ほんとうですか……え?」

「ん? どうかしたか?」

「大井先生も大丈夫っていうから、大丈夫ですよね!」

「……は?」


 少女は遺体と、その横――空中に向かって何かを話していた。

 まるで大井先生の遺体が喋っていて、その横に別の大井先生がいるかのように、『二人の大井先生』を相手に会話していた。


(……柳司令官、この子は俺の手に余ります。早く応援を……)


 桜田大佐は少女に気づかれないよう、静かに応援要請をするのだった。


 ――その一連の流れを監視していたIMCでは――


「桜田大佐から至急の応援要請です。渡瀬未来の相手は手に余る、と」

「ふっ、流石の桜田大佐でもあの少女の相手は重荷だったか」

「笑い事じゃないですよ、司令官。笑いたくなる気持ちもわかりますが」


 IMCは明るい雰囲気に包まれていた。こんなにも明るい雰囲気は創設以来初めてではないかと思われるぐらいに活気に満ち、管理官同士での笑い声も聞こえている。

 ゴブリンが館内に出現した当初は混乱していた。

 隊員が次々に殺されている時は悲壮な雰囲気があった。

 渡瀬未来が不思議な力で隊員を攻撃したときは猜疑心に満ちていた。

 しかし、渡瀬未来がゴブリン二匹を瞬殺したとき――――歓声に包まれた。

 ある者はガッツポーズし、ある者は抱き合い、ある者は泣いていた。

 泉少尉が渡瀬未来に攻撃された時には一瞬静まり返ったが、その後の桜田大佐とのやり取りでIMCには安堵感が広がる。

 渡瀬未来は未知の力を持つ不思議で不安定な存在だが、それ以外は普通の子供であり、人類の脅威ではなく救世主――人類の希望であると。

 緊張の糸が切れ、ほっとしていたIMCに笑いが生まれたのは桜田大佐のせいだった。

 普段は口数が少なく機械のような正確さで淡々と仕事をこなすだけの彼が、子供の言動に振り回されてあたふたしているのだ。彼をよく知る同僚たちはそのギャップに耐え切れなくなり吹き出し、現在に至る。

 すでに応援部隊や救護部隊は向かっているが、管理官は各部隊に「なるべく急いで下さい」と付け加えるのだった。


「いや、私も桜田大佐を笑えんな。同じ状況なら私も似たような反応だったかもしれん。カメラ越しに見ているからこそ笑えるというものだな」

「そうですね。私は桜田大佐以上に混乱してる自信があります」

「…………それで。君たち――上の連中は渡瀬未来をどうするのかな?」


 司令官が管理官ではなく、自身の隣に立つ女性に語り掛ける。


「すでに彼女に対する調査チームの立ち上げが決定しています。彼女の通う学校に調査員を配置、自宅付近に監視室と研究室を兼ねた施設を至急用意する予定です」

「隊員を攻撃したことによる逮捕、拘束はしないと?」

「……現在の彼女は諸刃の剣です。司令官もお判りでしょう? 下手をすればシェルターの存亡にかかわると。怪異生物の――ゴブリンの頭を『消し去る』ような存在に、私たちが武力で対抗できますか?」

 

 女性が端末の一つを操作し、監視カメラの録画映像を再生する。

 録画は大井警視が自殺した場面から始まった。その後に保護に向かった宮城巡査長が攻撃され、少女が銃弾の嵐と爆炎の中を平然と歩く様子が映し出される。

 その様子を見て、司令官は心の中でぼやく。


(この時点で、すでに我々の――人類の手には負えんな……)


 そしてゴブリンと少女が接触する。といっても、ゴブリンどもは少女の存在に気付いていなかった。少女がゴブリンの背後から頭部に向けて銃口を向け、何かを呟いた瞬間……ゴブリンの頭部が消えた。

 切り飛ばされた訳でもなく、爆散した訳でもない。突然、首から上が無くなったのだ。

 仲間が殺されてからやっともう一匹のゴブリンが少女に気付く。

 ゴブリンは奇声を上げながら少女に右手を振り下ろす。

 スピード自体は子供の振り下ろしだが、その威力は完全武装した成人男性も容易く潰す――いや、戦車すらも破壊する振り下ろしだ。しかし少女は受けためた。左手一本で、触れることなく。ゴブリンの拳は少女の広げた左手、その5センチほど手前で止まっていた。

 そして、少女がそのゴブリンの頭部を銃で消滅させたことであっさり片が付いた。周囲を破壊し続けている銃弾や爆発をその身に浴びながら。

 そして泉少尉が攻撃され、桜田大佐が少女に話しかけたところで画面が止まる。


「彼女は怪異生物の変異種、又は上位種なのかもしれません。もしくは第3のナニカ、でしょうか。どちらにしても放置は出来ません。幸いにも、彼女は我々に対して明確な敵意を示していません。調査や研究に関しても授業の一環だと言えば協力してくれるでしょう。研究が進めば――」

「私には難しいことは分からんな」

「……そうですか。ですが――」

「ただ……」


 司令官が女性の言葉を遮り、厳しい口調で続ける。


「渡瀬未来を――子供たちを不幸にしたら許さん。あの少女を含めた全ての子供たちは我々の光なのだ。それを弁えたうえでことに当たってほしい」

「……勿論です。子供たちは我々の希望であり光です。そして、彼女の光は世界を照らす可能性があります。安心してください。政府が全面的にバックアップして彼女の成長を――――」


 司令官は女性――防衛省幹部の言葉を聞きながら内心でため息をつく。


(……今の省幹部はこんな連中ばかりだな。人類の状況はまさに地獄だし、そこにお釈迦様のクモの糸が垂らされれば縋りたくなる気持ちも分かるが……事務的過ぎて私には合わん。せめて、あの子がこいつらによって道を誤らんよう、陰ながらサポートでもするか? それぐらいはしても罰は当たらんだろう。あいつが命を賭して守った命だ、私にも見届ける責任がある。そうだよな、大井……)


 司令官は救護部隊によって運ばれる大井警視の遺体を見送りながら、横に映る少女――渡瀬未来を見守り続ける決意をするのだった。




To be continued ―――。

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Valkyrie Engage/ZERO サファイア @Konotame

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