第4話 生きるために殺した男

驟雨の中、一人の男が社を訪れる。

凪はその姿に恐れ慄いた。

頬には武勇の証のような獣の爪痕がある。

凪は無意識に自身が殺されると思い、身を縮こませていた。

「おう、子狐か。お前痩せてんなあ。ちゃんと食ってるか。飯。」

存外柔らかな男の物腰に安心したのも束の間。

凪の目には男の背中にある猟銃が映っていた。

「ん?何で震えてんだ。ああ、こいつか。そりゃあ怖いな。今置くからな。」

男は社から離れた木々の間に猟銃を置いた。

凪の震えが止まる。

「何だか迷っちまってなあ。おまけに色々忘れてる。あの銃も持ってきた記憶ねーんだけど。」

男は厳つい手で凪を撫でる。

『その腰につけているものは何だ。』

男はびくりと身を震わせる。

「こりゃあすげーな。この神社は神が喋んのか。」

凪は驚いた。男は話しているのが凪だと勘違いしなかったのだ。

『その腰につけているものは何だ。』

神は再び問いかける。この男は少々話を聞かない性分らしい。

「ん?腰?…おお、こいつはびっくりだ。これは俺が猟師をしていた時の巾着だ。」

巾着の紐の部分には金属の鎖が巻かれていた。

「あれえ、俺こんなの巻いてたっけな。」

凪は巾着を観察し始めた。


凪は巾着の鎖部分を少し踏んでみた。

すると丸いチャームのような物が開いた。

中には何かはまりそうである。

「んだあこれ。ロケットペンダントかあ?」

丸い部分には写真が入っていたらしい。


長い時間が過ぎた。

凪は途方に暮れていた。丸い部分にはまる物が全く見つからない。

驟雨も止み、日の光が社を照らしていた。

凪は疲れ切っていた。しかし、禰宜としての役割は全うしたい。

「おおい、子狐。探してくれるのはありがたいが疲れんだろうからもういいぜ。」

凪は聞いていない。

「おおい、聞こえねえのか?帰り道なら俺がこの後周り探して見つけてみっからよお。」

凪は聞いていない。とある関門を越えるために。

凪は決心した。“あれ”に近づくと。

神は何も言わない。

「おい、子狐!?どこ行くんだ?」

凪は走る。“あれ”に向かって。

凪は走る。子狐とは思えない速さで。

凪は走る。禰宜として。この社での責務を全うするため。

「お前、はえーなあ。追いつくのがやっとだったぜ。」

凪と追いかけてきた男の前にはまだ濡れた状態の猟銃があった。

これに触れてはいけない。凪の本能は分かっている。

しかし、鍵はここにある。凪の経験がそう語る。

凪は思い切り銃口を蹴った。弾が発射すれば呆気なく凪は死ぬだろう。

「……写真?」

嫌な予感は当たらなかった。

銃口からは弾ではなく楕円形の写真が出てきた。

丁度あのロケットペンダントにはまりそうな。

凪ははめた。自分の直感を信じて。

鎖は綺麗に切れた。

男が袋の中身を探る。

「…子狐。ありがとうなあ。思い出したよ。あいつらのこと。俺のこと。」

男は語り出した。

「あれは俺がまだ猟師だった頃。」


俺の家系は代々猟をしていた。

十五になれば皆自分の猟銃をもらって親父と狩りに行く。

兄貴も俺もそうやって過ごしていた。

近くの山には猪も鹿も沢山いた。

だから沢山仕留めて村の奴らに分けてた。宴をやったことだってあるんだぜ。

でも、俺は掟を破っちまった。

山の主って呼ばれてるやつを仕留めちまったんだ。

親父も兄貴も村の奴らもみんな流行病になっちまってて。動けるのは俺だけだったんだ。

みんなにたらふく食わせてやりたかった。狩りを始めて三十年。俺はみんなの役に立ちたくて必死だったんだ。

俺は山の主を仕留めて自分で捌いて焼いた。そんで焼いた肉を村のみんなに配った。

みんな死んだよ。

掟を破った罰だったんだろうなあ。

山の主を殺してはいけない掟は知ってたさ。

でも主の詳しい特徴は知らなかったんだ。

当たり前だな。山の主をこの目で見たのは村ん中で俺が初めてだったから。

生き残った村人もみんな飢えた。

主の祟りは村の作物を全て枯らした。

俺も、きっと死んでる。

ひでーよなあ。せめて殺すの俺だけじゃダメだったのかね。

でも主にも家族がいたら…なあ。

俺がおふくろと親父、兄貴。村のみんなが死んだときに感じた理不尽さ。

それを感じるだろうよ。

家族の守りてえのは人間も動物も変わんねえだろうしな。

俺は向こうへ行く。あの橋の向こうに親父たちの気配がするんだ。

五感の鋭さはまだ健在だったな。

じゃあな。子狐。達者でいろよ。

俺は…生まれ変わったら農家にでもなろう。

親父にもおふくろにも兄貴にも今度こそたらふく食わせてやんねえと。

いやあその前に親父と村長のゲンコツ受けねえとな。

痛えんだよなあ…。


そんなことを呟きながら男は橋を渡って行った。

神が道を説明する必要も無かった。

『よくやった。殆どお前一人で送ったじゃないか。』

凪は神に尋ねた。

「生きるために殺すのは悪なんでしょうか。」

神は黙った。すぐに答えることは容易では無かった。

『生きるために殺すのは悪であろう。だが守るために殺すのは悪ではなかろう。』

凪は静かに考えた。

「彼の殺しは誰かを守れなかったのでしょうか。」

まだ湿り気の残る猟銃には苔が生えてきていた。

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