第2話 知りたかった少年
「あれ?俺、学校にいたはずなんだけど。」
少年は心底疑問だという表情で佇んでいた。
『其方はここへ来る前のことを覚えているか。』
「うわっ、この狐喋んの!」
少年は目の前の凪が話したと思ったらしい。
「ここに来る前?学校にいたよ。スクバ持ってるし。」
少年はどこか孤独を思わせる顔をしていた。
「数学の時間中だったかな。授業楽しくなくて窓の外見てた。」
少年の顔の孤独は色濃くなっている。
「あれ、なんで俺のスクバ鍵かかってるんだ?」
この鞄には大切な物がある。
そう確信した凪はゆっくりと少年の鞄へ近づいた。
鞄の左側には赤い模様と数字、数字を変える押しボタンがついた南京錠。
右側には何かのモチーフのキーホルダーが付けられていた。
狐である凪には開け方など到底分からなかった。
『それは何だ?』
神は凪の言いたいことを理解したようである。
「このキーホルダーか?トランプの柄だな。不良品みたいだけど。欲しいのか?」
人間の玩具は分からないが、凪はその模様に既視感を感じていた。
丁度自分が飼われていた老人の家で村の子供達が遊んでいたのである。
しかし肝心の番号が分からない。
『この数字は鍵にならないのか。』
神は問う。だが、“Q”は数字ではない。
「これは数字じゃない。アルファベットの“キュー“だ。」
少年は凪に対してそう語る。話している相手は凪ではないことには気付いていない。
「あっでもこれトランプか。じゃあ“12“だな。」
少年は近くにあった枝で“12”と書いてみせる。
凪は南京錠をどうにか操作して地面に書かれた文字を探す。
狐とは賢い生き物である。
△を六回、▽を二回、△を八回押すと音が鳴り、鍵が空いた。
「すげえ!開いた!お前賢いんだな。」
少年は凪を勢いよく撫でた。その皺一つない手で。
「そうか、これは俺のキーホルダーのカードの数字だったんだな。」
少年は鞄を開けた。そこには“数A“と書かれた一冊のノートがあった。
少年の顔には寂寥と共に孤独が戻ってきた。
「これは…借りたノート…あいつの…ああ思い出したよ。」
少年の表情は風に煽られた前髪によって隠されてしまった。
「俺、飛び降りたんだ。学校の教室から。」
少年の聲には苦しさが滲み出ていた。
「狐。お前には好きな奴いるか?」
凪には難しかった。
「狐。俺にはいたんだ。俺の人生を明るくしてくれる奴が。俺に生きる意味を教えてくれる人が。」
分からない、凪はそう思った。
「そいつが一年前教室から飛び降りて死んだ。」
凪には理解できなかった。自ら命を断つ理由が。
「理由は俺も知らない。…何でだったんだろうな。俺はそれを知りたかった。」
少年の目の前の狐は聞くだけである。
神も黙っていた。
「凛、お前が死んでから一年経ったよ。お前に借りたノートは使えない。俺らは“数B”をやってるから。」
少年は誰かに聞いて欲しかった。
「凛、覚えてるか。一緒に旅行に行った時不良品のキーホルダーをお揃いで買ったの。俺はスペード。お前はハート。」
雪が激しくなってきた。
「本当はAを印刷しなきゃいけねえのに“Q“って印刷されたキーホルダー。」
風も激しくなってきた。
「凛!!俺は!自分が飛び降りても!!死んでも!!お前が死んだ意味、分かんねえよ!!」
少年の聲は深い雪の中に吸い込まれていく。
凪は目の前の少年が死んでいるということを唐突に理解した。
雪と風は止みつつあった。
「狐。俺の進む道を教えてくれ。凛に会いに行ってくる。」
その問いに答えられたのは神だけであった。
『この社に背を向けて真っ直ぐ進むと橋がある。そこを渡るといい。』
少年は笑った。
「ありがとう。狐。俺はあいつに死ぬ意味も教わらなきゃあな。」
少年は鞄を持った。返すノートは勿論その中だ。
振り返らず、少年は歩む。
橋の先では少女が微笑んでいた。
凪にはその少女が誰か、分かった気がした。
『凪よ。よくやった。正しい方向へ迷い人を送り届けたのだ。』
神は言った。もう少年の姿は見えなかった。
「彼は本当に知りたかったのでしょうか。それとも…」
『死にたかったのだろう。』
神は凪の言いたいことが分かっていた。
『あのカードには答えではなく、問いが書かれていたのだな。』
Aではなく、“Q”
「答えは何だったのでしょうか。」
雪は完全に止んでいた。
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