第28話 一年越しの来訪者

 シルヴィアと直人が順調にゲーム開発を続けていた最中、アノマリス王国の宮廷魔術師団団長であるフローラが悪魔の森へと足を踏み入れていた。


 天気が良く木漏れ日と吹き付ける穏やかな向かい風の具合が丁度良いので、場所が場所でなければピクニックには最適だっただろう。ザク、ザクと土を踏む度に背中を伝う汗の量と恐怖感は増していき、それに比例するように警戒度も上がっていった。


 ザザッ! 上空の木の枝と葉が擦れる音で咄嗟に身構え、視線を周囲に巡らせていく。ほんの些細な澪としもないように隈なく注意を分散させ、安全であることを確認すると再び進行を開始する。


「……これではまるで、精神攻撃のようだな。こちらに踏み入ってから既に三時間、こんな状況が続けば否が応でも疲労は蓄積される。だが、気を緩めるわけにもいかん」


 幸い、魔物にはまだ遭遇してはいないが、それもまだ森の浅いところだからに過ぎないとフローラは考えている。できるだけ森の奥へ、奥へと招き入れた方が獲物は逃げにくく、あちらは環境的優位性を利用した狩りを実行できる。


 獲物が疲弊することを辛抱強く待つのもまた、この森に住む魔物たちの生存戦略なのだろう。故に、フローラは気を抜きたい気持ちを抑えて気を引き締め、目的地まで黙々と歩いて向かう。


 彼女が空を飛ぶでもなく、走るでもなく、歩きを選んでいるのには理由があった。これもまた、悪魔の森に住まう魔物たちの独特な生態系による妨害があることが調査で分かっているからだ。


(この森の上空には、ワイルドハンターが縄張りを持っている。うっかり住処に踏み入るようなことをすれば、たちまち襲われてしまう……。それが無ければ、結構楽ができたのだがな)


 ワイルドハンターというのは、直人がこの森にやってきた直後で襲ってきた大型の鷲の魔物だ。彼らは森の木々の上に住処を構えており、いつもは同じ鳥型の魔物か木の上に住む小動物を襲って生活している。


 ただ、偶に餌が取れていなかったり、空腹だったりすると地上の獲物に目を付けて空から強襲することがある。直人は運悪く、腹ペコの鷲に目を付けられてしまったのだ。


「どの道、魔力の無駄遣いをすることはできんか……。どんな魔物がいるかもある程度は調査してきたが、正直、どれも一筋縄ではいかなそうな相手だ」


 フローラの実力を改めて評価すると、その階級は魔法階位一級というものに値する。これは人族の基準で、魔物一匹あたり一人で対処することができると認められている証だ。


 だが、この基準はあくまでも人族を基準としたものであり、魔法階位一級があるからと言って、魔物に必ず勝てることを保証するものでもなければ、万能に全ての魔法を扱うことができるということでもない。


 当然、フローラはこの称号の上に胡坐をかいたことなど一度たりともないが、逆に言えば自分ほどの実力者が攻略できない森を他の構成員が足を踏み入れたところで足手まといになってしまうということも重々理解していた。


「ソウとツイはまだ入団したばかりの新人、ラーダは割と古参ではあるが物理攻撃に特化し過ぎて応用が利かないところがある。唯一、シャナは私に最も近い実力はあるが、それでもまだ魔法階位二級の称号で留まっている。改めて考えると、うちもかなりの人手不足だな」


 他の構成員たちは別の任務のために国外へと出ていて呼び戻すことも難しく、結果としてこの森に踏み入るのに一年以上も時間を費やしてしまった。ただ、その甲斐もあって魔物に遭遇したときの対策は勿論、エルフと青年に会った時の交渉材料も持ってきている。


 その交渉材料と言うのが、彼女が今背負っているリュックの中に入っている。


「これであの二人が満足してくれると良いのだが……。果たして……」


「キチキチキチキチキチキチ!」


「……っ! とうとう現れたか!」


 まるで見計らったかのように、蜘蛛の形をした巨大な魔物が四匹も出現した。二匹はフローラの前方と後方を塞ぐ形で身構えており、残りの二匹は左右の木々に張り付いて顎を鳴らしながら威嚇を続けている。


「デモンスパイダーの群れか……。嫌なのに遭遇したか。本当は魔力を温存できればと考えていたが、致し方ない。『赤き炎の槍よ・其の導きに従い・かの者らを差し穿て』! 『フレイムランス』!」


 刹那、赤く輝く炎の槍が形成されたかと思うと弾丸の如く即座に射出された。オレンジ色の火花が空中に奇跡を描くころには目の前にいたデモンスパイダーの頭部を貫通しており、体を通り抜ける瞬間にフローラが指を鳴らすと特大の花火を上げた。


「まさか一撃とはな……。それなりに魔力を込めたが、この程度で済むならありがたい! 残りの奴らも、遠慮なく狩らせてもらう! 『赤き炎の槍よ・其の導きに従い・かの者らを差し穿て』!」


 次の魔法発動を察知したデモンスパイダーたちが彼女に向かって一斉に口から粘着質の白い糸を発射する。一度囚われると抜け出すことが難しい彼らの必殺技の一つとも言えるが、一足先に放たれたフローラの炎の槍が背後のデモンスパイダ―の糸を灰へと帰しながら貫いた。


 彼女は同時に炎の軌跡を追うようにしてバックステップを踏み左右からの糸攻撃を回避し、続けて二匹のデモンスパイダーにもフレイムランスをお見舞いした。爆ぜる火花と共に彼らは灰となり、後には木の幹で轟々と燃え盛るオレンジの揺らめきが森の景色に新たな色彩を加えた。


「ふう、何とか処理できたが魔力を消費が激しいな……。この騒ぎで他の魔物がやって来ないとも限らないし、早く場所を移動して……」


「キチキチキチキチキチキチ!」


「っ! しまった、もう一匹いたのか!」


 フローラの背後、その木の上にもう一匹のデモンスパイダーが隠れ潜んでいた。その一匹は口から極太の白い糸を射出しまんまとフローラがガードした右腕に取りつくことに成功した。


「クソ、早く糸を斬らなければ……! 『赤き炎の槍よ・其の導きに従い……」


「キチキチキチキチキチキチ!」


 フローラは再びフレイムランスの詠唱に入ったが、それよりも早くデモンスパイダ―の上側に折りたたまれた尻尾の先から紫色の光線が放たれた。それでも詠唱を続けてはいたが、この速度ではどう考えても間に合うはずもない。


(すまない、皆……。どうやら、私はここまでのようだ……!)


 一瞬の油断が命取りになる……。あれだけ気を付けていたはずなのに足元を掬われた結果がこの有様である。


 もはや後悔する暇すらも与えられず、紫の極光は彼女の全身を飲みこもうとして……。


「人族の娘、貴様もまだまだ修行が足りんな」


「キチキチキチキチキチキチ……!」


 突如、フローラの前に降り立った彼は右手から流星の如く青色の光線を放つと、あっという間に紫の極光を押し返した。まるで空間ごと削り取ったかのように、青い軌跡が通った先にはどこまでも澄んだ晴天が広がっていたのだった。


「……ふん。まさか、こんなところで会うとはな。二年前の世界会議以来か」


「お前は……。魔王アウスか」


 アウスは退屈そうな仏頂面で彼女の前に降り立ち、ふぁと大きな欠伸をした。その態度はあまりにも無礼極まりないように感じる一方で、こんな森の中ですらも中庭くらいの気持ちでしかいない強者たる余裕の表れとも捉えることができた。


「何故、私を助けた? ここで私を助けなければ、世界情勢としては魔族側が一歩リードすることもできたはずだろうに」


「助けた理由か……。ふむ……」


 アウスは右手を自分の顎へと添え、人差し指をトントンとゆっくりとした拍子で叩いて考え込む。あまり満足の行く答えが見つからなかったのか、結局は「知らん」と素っ気なく答えるに至った。


「俺は、割と気まぐれな性格なのでな。何故助けたかと問われても、それは台風に対して何故自分たちの街を襲わなかったのかと聞くようなものだ。意志なき破壊、意図せぬ暴虐、それこそが魔王の持ちうる資質とも言える。何なら、今ここでお前を消し飛ばしたところで何もおかしなことはないというもの」


「なら、お前は私を殺すのか?」


 フローラは冷や汗を額から垂らしながらも、怯えた様子だけは一切見せずに強気な口調で問い返した。いくらフローラであっても、魔族の王である魔王を相手にすることなどできはしない。


 そもそも、魔族と人族では身体能力や魔力の保有量が圧倒的に違うため、比べること自体がタブーと言うこともできる。


 これだけの力関係があるのに二つの種族間で同盟が締結できているのは、魔族は人とは違い文明を築かないからだ。人は田畑を耕し、作物や家畜を育て、新しい技術を生み出すことに長けている。


 一方で、魔族はその強大な力故に文明を発達させる力が乏しく、食料や技術面においては割と人族頼りなところも多い。


 互いの種族は助け合って生きている、それ自体は間違いではない。ただ、絶対に敵対しないかと言うとそれは約束されたことではなく、まして不可侵領域においての遭遇は法の適応範囲外とも言える。


 つまり、ここで魔王がフローラを殺したとしても罪に問われることはない。この場における生殺与奪の権利は現在、魔王アウスによって握られているのだ。


「……それは、俺の主義に反する」


「何だと?」


「言っただろう、意志なき破壊、意図せぬ暴虐こそが魔王の資質。そこに自らの意志が介入した時点で、俺は魔王として魔族の頂点に立つ資格を失う。それに、己が助けた人間をわざわざ自分の手で殺す意味もない。だが、そうだな……」


「……?」


「俺に付いて来い。貴様もまた、エルフの娘と人族の小僧のところに向かうのだろう? 森の中で野垂れ死にされても寝覚めが悪い」


 魔王アウスはただそれだけ言うと、フローラの前を悠然と歩いて進んでいく。フローラは罠ではないかと警戒しようとして、すぐにそれが無駄だと悟った。


(どの道、魔王にとって私は取るに足らない相手のはず。なら、ここで無駄に戦闘を行うよりも大人しく付いて行った方が得策か)


「何をしている? 行かぬのなら、置いて行くぞ」


「すまない、今行くところだった」


「ふん、さっさと来い」


 こうして、フローラとアウスという異色のコンビによる短い同行旅が始まったのだった。

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