第27話 日常は続く

 二人の結婚式から更に一ヶ月くらい経ったある日のこと、今日の二人は室内で何やら羊皮紙に奇怪な文字を描いては真剣な様子で何かを話し合っているようだった。


「こっちは、この回路に繋げた方が魔力伝導効率は上がるんじゃない?」


「でも、そうなると画面を出力する時にラグが生じるようになるよ。ここの回路を並列にして、こっちを直列にすればもっと良いんじゃないか?」


「ちょっと待って〜。今、ざっと計算してみるから」


「なら、その間に次の構成も考えておくよ」


「任せたよ!」


 直人は設計図を描きながら触媒を使って黒板のようなものに魔法陣を描き魔力を流して具合を確かめる。魔力を流すと魔法陣は虹色の光を発しながら宙空にゲーム画面のようなものを投影、そこにはゲームのタイトル「ああああ(仮)」と記されていた。


 シルヴィアの方は、別の用紙に複雑怪奇な数式を記しては何度も書いては決してを繰り返して計算し続けている。そして、その結果をまとめた用紙を持って再び直人の隣に腰掛けた。


「今、計算してみたんだけれど……。ここと、ここの術式を変えれば更に効率が良くなると思うの。画面の大きさをもう少し大きくして、文字も太字に変えたら見やすいんじゃない?」


「それ、採用。それじゃあ、次はこっちの式の方も見て欲しいんだけど……」


 そう、二人が行なっているのは一年前から企画していたゲーム開発である。開発するゲームはオーソドックスなシューティングゲームで、仕様は割とレトロゲームに近い感覚を目指している。


 魔法でゲームを再現するため、最初は直人に聞き取り調査を行うところから始まり、設計書や仕様書の具体案をまとめ、今はようやくゲームが形になってきたところである。


「んんぅ〜〜! 一回、休憩しようよ。もう四時間も張り付きっぱなしだし」


「そうだね。流石に僕も目が疲れてきたよ」


「今、飲み物を入れるね。はちみつジュースで良い?」


「いいよ、それで。ありがとう」


 シルヴィアは大きな背伸びをしてからパッと席を立つと、二人分のコップに黄色のトロトロとした液体、もといはちみつジュースを入れて戻ってきた。


 二人してコップに口をつけ、ゴクゴクとジュースを飲んでいく。舌の上に広がる甘い液体とトロトロした食感が癖になる、この森直産のはちみつを用いた贅沢な一品を堪能した。


「やっぱり美味しいね、これ。何度でも飲みたくなる味って言うのかな」


「悪魔の森は人の手が入ってないからなのか、資源も豊富だし、味が濃縮されてて最高なんだから! でも、一番はナオトと一緒に飲めてるから美味しいのかな〜?」


「何で疑問形なの。僕は、シルヴィと一緒に飲めて嬉しいんだけど」


「前から思ってたけど、そうやってサラッと褒めるのダメだと思うの! 心臓に凄く悪くて、いつもドキドキしちゃうんだから!」


「じゃあ、もうやめるか?」


「……意地悪しないで。分かってるでしょ、それが凄く、すっごく嬉しいって」


「分かってるよ、それくらい」


「やだ〜! ナオト大好き〜!」


 はちみつよりも甘くてトロトロな空気に包まれる中、溺れて窒息しそうになる空気感を諸共せず抱き合ってはキスをするを繰り返す。世の中で言うところのバカップルとはまさに彼らのことであり、普通の人が見たらドン引きするどころか直視することすら恥ずかしいと思ってしまうだろう。


「それにしても、ナオトって向こうだと結構凄い人だったの?」


「どうしたの、急に褒め出して」


「だって、こんなに凄い魔法陣を思いついちゃうからさ〜。そもそも、太陽光魔力転換を考えたのもナオトだし」


 ここで登場した太陽光魔力転換とは、即ち太陽光発電における電気を魔力へと置き換えたものだ。この家の周辺に張られている結界に太陽光を魔力へと変換できる仕組みを組み込み、今も現在進行形で魔力を貯蓄し続けている。


「前の世界に、太陽光で電気を作れるシステムがあったからそれを応用しただけだよ。発想は僕だけど、魔法陣を組んだのはシルヴィだし」


「それでも! お陰でこの家に貯蓄できる魔力効率が千二百%も上がったんだから! 元々、大気中の魔力を少しずつ吸収する程度だったのが日中はほぼずっとエネルギーを生み出し続けられるから……。かなりのエネルギー量がこの家には蓄積されていると思うの」


「それだけあれば、ゲームを起動するには十分だろう。当面の魔力事情は何とかなりそうだね」


「もし緊急時になったら、私たちの魔力を足せばギリギリ百五十年分くらいにはなるだろうし……。家が無くならない限りは、ゲーム開発に支障はないはずだよ」


 シルヴィアは直人の顔色を窺いながら、少し真面目な雰囲気を醸し出して話を切り出した。


「その、もう気づいてると思うんだけど……。元の世界にも帰ろうと思えば帰れるよ。魔法陣の編纂は結構簡単に終わったし、この調子で魔力を貯め続ければ二人で一緒に飛ぶこともできると思う。ナオトは、その……。今でも帰りたいって、思って……んん!?」


 続きを語ろうとしたシルヴィアの口を、直人はキスで塞いで黙らせる。もう一年も同じようなことを繰り返していればそれなりに自然な動作で舌を滑り込ませることもでき、シルヴィアも拒むことができなくなっできている。


 口を離した時、頰を紅潮させて息を荒くする嫁に夫である直人は真剣な眼差しで答えた。


「僕の居場所は、シルヴィの居るところだけだ。だから、シルヴィが本気でそれを望むのならやっても良いとは思う。けど、こっちに来たら不都合なことは沢山あるんだ」


「それは、例えば……?」


「有り体に言えば、世の中はシステムで統制されてるからね。監視カメラって言って、離れた場所からも人を監視することができる。書類とかで身分を作ってるから悪いことはできないし、魔法だって存在しないから使うこと自体タブーだ。人間社会があるから、こんな風に山に引きこもって生活もできないだろうし、仮にできたとしても自給自足は今よりずっと大変だろう。そうなれば働く必要もあるだろうし、シルヴィアにとっては何もかもが未知の世界だ。正直、お勧めはしない」


「そうなんだ……。旅行とかで行けるって感じでもないわよね?」


「旅行で行ったとして、帰りはどうする? 向こうで魔力が補充できるかもわからないのに危険すぎる。僕は、今のままの方が良いと思う」


 直人としては、このまま無難にシルヴィアといつまでも田舎暮らしのような今の穏やかな生活をしていきたいと考えている。住む場所もあり、食料もあり、お金だって必要ない。毎日、毎日、シルヴィアとイチャイチャして過ごすことができるのだから。


 しかし、シルヴィアの表情はその甘い幻想に溶けていたいといったニュアンスではなく、どちらかと言うと不満を抱いているのに近いアンニュイな雰囲気を醸し出している。


「……まあ、シルヴィならきっとそんな顔をするとは思ったよ。いつもシルヴィは何でもやってみたい、やりたいって感じだからね」


「ナオト、私は……。ううん、やっぱり正直に言うね。私は、異世界に行ってみたい。今じゃなくても、いつか必ず。私は楽だけじゃなくて、苦楽を共にしたい。今の生活は十分幸せだけど、魔法が使えなくても、働かないといけなくても、ナオトと一緒ならできる気がするから」


 シルヴィアの回答を聞いた直人が大きく腕を振りかぶる。正直、この時のシルヴィアははっきり意見を言い過ぎて直人に怒られるのではないかと思っていたくらいだ。


 しかし、目をキュッと瞑った直後には全身が抱きしめられていることに気がついて、つられて彼女も彼の背中に手を回した。


「ありがとう。僕は、また臆病になっていたよ」


「お礼を言われることじゃ……。ナオトの意見も大事だと思うよ?」


「そうかもしれない。でも、一方的に選択肢を消すようなことはしちゃいけないって君から学んだから。どうせできないじゃない、やってみなきゃ分からないってスタンスは大事にしたいんだ。君が居たから、僕はこっちでも前向きに生きて来れたんだからね。そのことを、もっと誇ってほしい」


「ありがとう、ナオト。でも、ナオトの臆病さや慎重さに救われたことがあるのも忘れないでね。ナオトがいなければ、今頃私はいなかったかもしれないんだから」


「それは、シルヴィアに勇気をもらったからで、別に慎重とかだったわけじゃないよ。あの時は、助けたい一心で動いてたし」


「やっぱり格好良い」


「そっちこそ、可愛いんだけど」


 シリアスかと思えば、再びイチャつき始める始末だ。これが二人の間に生まれた信頼感の結果であり、シルヴィアが本気でアタックを仕掛け続けた顛末とも言える。


「それじゃあ、続きをしようか」


「子作りの?」


「今はゲーム開発が優先でしょ」


「じゃあ、また夜が熱くなるわね」


「……頑張ります」


 結局のところは仲睦まじく、二人の日常は続いていくのだった。


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